第3話 銀貨三十六枚で、遺跡の見え方が変わった
競売の最初に出てきたのは、人を売る契約書ではなかった。
片目の欠けた、木製の人形だった。
「探査装具〈透層の義眼〉。外殻に損傷あり。現在は、魔力の残像が見える程度です」
人形の眼窩に、ひびの入った硝子球がはまっている。
司会者が、その下へ銀貨を一枚置いた。
「銀貨二十枚から」
客の一人が、鼻で笑った。
「昨日の説明では三十枚だったぞ」
「昨夜、検査人が階段を踏み外しまして。映像の遅れに危険があると判明しましたので」
笑い声が広がる。
検査人が死んでいないことを、俺は願った。
客席の端で、リシェが俺の膝を軽く叩く。
「下見の時間。触れるのは付き添いの立会いがある場合だけ。解体はだめ」
「触れれば十分だ」
順番を待って舞台の脇へ行く。
白手袋の男は、俺たちの入場番号を帳面へ記した。
「お詳しいので?」
「壊れた物は、仕事でよく持たされました」
俺は硝子球に触れた。
黒糸が瞳孔の奥で輪を作っている。
〈誤視:装具を通して得られる視覚情報を、十拍前の状態へ固定する〉
装具を通す映像が遅れる。
見えないのではない。
しかも呪いの糸とは別に、細い青い線が硝子球の内側を走っていた。
殻のひびを避け、何重にも回り込んでいる。
その線は切れていなかった。
「外殻だけ、か」
思わず呟くと、白手袋がこちらを見た。
「中までお分かりに?」
「割れたところから覗いただけだ」
俺はすぐに手を離した。
詳しい使い方はまだ知らない。けれど、壊れている場所と壊れていない場所の違いなら、三年分の仕事が教えてくれる。
席へ戻り、リシェに耳打ちした。
「呪いは外せそう。中の線はつながってる。金貨一枚までなら出したい」
「高くても銀貨四十枚で止めて。古い外殻は交換できない。強く握ったら、使える部分まで割れるわ」
俺はうなずいた。
使えることと、何でも払っていいことは別だ。
「二十枚」
札を上げる。
後方から、二十五枚の声。
俺が三十枚。
相手が三十五枚。
リシェが俺の手を押さえた。
「次は一枚だけ上げる」
「一枚でいいのか?」
「値上げ幅の指定がない。相手が五枚刻みで払いたいなら、払わせてあげればいい」
「三十六枚」
後ろの客が舌打ちした。
木槌が鳴る。
「落札。七十二番のお客様」
俺は札を下ろし、リシェを見る。
「今ので銀貨四枚浮いた」
「仲介料、別にする?」
「さっきの感謝を返せ」
彼女は口元だけで笑った。
◇
買った品は、脇の精算室で受け取れた。
金貨一枚を渡し、釣りと、売買証を受け取る。
俺は義眼を革袋へ入れ、そのまま便所へ向かった。
小さな鏡。ひびの入った洗面鉢。薄暗い魔導灯。
個室の扉を閉じ、義眼と、予備の手鏡を膝の上へ置く。
呪いの糸を引く。
魔力が減る感覚と一緒に、こめかみが締めつけられた。
汗が落ちる前に、糸を手鏡へ渡す。
鏡面が暗くなり、映った俺が一拍遅れて瞬きをした。
十拍、ではない。
ゆっくり数えると、鏡の俺が遅れて同じ動作をする。
記録の間隔を示す古い単位らしい。
とにかく、移せた。
呪われた鏡を裏返して包み、袋の端へ固定する。
義眼は、眼球として使うなら外殻を傷つけない加工が必要だった。
今はそこまでしない。
薄い革を輪にし、硝子球を包む。ひびに圧がかからないように紐で吊って、目の前へ持ち上げた。
光景が変わった。
壁を透かして何でも見える、都合のいい目ではない。
石壁は石壁のまま。その表面に、魔導灯から伸びる青い筋が見える。
筋の集まる継ぎ目だけ、隣の石と形が違った。
近づいて触れる。
目地の一つが、板のように開いた。
中にあったのは、灯りへ魔力を送る細い管だった。
魔力の通り道。
壁や床の奥にあっても、薄い遮蔽物なら見つけられる。
「……発掘に使える」
行き止まりの向こうへ続く仕掛け。
瓦礫に隠れた動力管。
罠の中心。
どれも、今までなら床を叩き、壁を削り、運が悪ければ仲間が死んでから気づいたものだ。
俺は義眼を下ろした。
いつもの薄暗い便所へ戻る。
もう一度、持ち上げる。
見えた。
確かに、同じ線が見える。
銀貨三十六枚で、遺跡を歩く方法が変わった。
◇
席へ戻ると、リシェが俺の手元へ身を寄せた。
俺は義眼の使い方を説明し、彼女にも覗かせる。
「見える。……あの柱、天井へ線が続いてる」
彼女が示したのは、舞台の端の柱だった。
柱の内側を、青い筋が何本も走っている。
いや、青いものだけではない。
細い黒糸が絡み合い、舞台の名簿まで続いていた。
入場札から鏡へ伸びていたものとは、別の筋だ。
「リシェ。あの名簿、何に使う?」
「古い契約遺物。会場で成立した取引の記録を残す。普通の品なら、売主と買主が証書を受け取るだけ」
「普通じゃない場合は?」
彼女は、俺の顔を見た。
目録の最初の頁を、思い出したのだろう。
「……人間の取引に使うなら、登録するための情報が要る。名前だけじゃ足りない。少なくとも、本人の魔力の印」
俺は銀札の下で、自分の手を握った。
魔力の印を残した場所なら、一つではない。
職場の契約。昨日の賞金受領票。遺物の登録証。
だからといって、どこから漏れたのかは分からない。
分かるのは、舞台の名簿が俺へ糸を伸ばしかけていることだ。
まだ届かない。机の端で、黒い先端が揺れている。
「次が最後の出品です」
司会者が声を張った。
「商品の特殊性に鑑み、順番を変更いたしました」
舞台へ、白手袋の男が上がる。
彼が名簿の上へ、小さな赤い札を載せた。
俺の左手首が、ちくりと痛む。
「解呪師レイ。ご本人が本日、お越しです」
客席のあちこちで、人が振り返った。
白手袋は、俺の席を見ていた。
「落札前に、能力を実演していただけるそうですよ」
次話は本日19:10公開。売り物にされたレイが、競売の仕組みそのものに手を伸ばします。




