#11谷の底
食事をして少し休憩した後、戦闘準備を整えて四人で谷へ向かった。前回と同じように深く立ち込める霧。ゼファーが腕を振るうと、霧が押し流されて一気に視界が開ける。
前方に魔物の群れを見つけ、剣を構える。
「アルヴィン、ハルモンの守りを頼む」
「任せろ」
犬のような形をした魔物だった。少し近づくと、向こうからも認識される。魔物は、まとまったままこちらに牙を向けてきた。
すると背後から急に突風が吹きつけ、魔物たちの勢いが弱まる。その隙を突く。
まずは一体、首を落とす。振り抜いて、もう一体。後ろから来る一体の牙をいなして、首を突く。それを繰り返した。
剣が風を裂く音だけが続く。
気づけば周りは静まり返り、足元には小さな残留物が転がっている。……終わったようだ。
振り向くと、向こうに剣を下ろしたアルヴィンと、その後ろにハルモンがいた。きょとんとした顔でこちらを見ている。見たところ、怪我はなさそうだ。
剣を振って、鞘に収める。
「……手伝い、感謝する」
少し離れたところに立つゼファーに声をかける。ゼファーは軽く笑ってから肩をすくめた。
「必要だったか分からんけどな」
アルヴィンとハルモンも、こちらに近づいてきた。ハルモンは、足元に散らばった残留物に目を向けてから、顔を上げる。
「……速すぎて、何が起こったのかよく分からなかった」
その感想に、ほんの少し口元が緩んでしまう。俺はほんの少し目を逸らした。
「……片付けただけだ」
「すごいね」
アルヴィンが軽く笑い、「ライは一騎当千ですから」と言った。
「ハルモン、今までライが戦うところ見たことなかったのか?」
ゼファーの問いに、ハルモンはこくりと頷く。
「訓練してるところはよく見かけたけど。……実戦だと全然違うんだな。なんかこう、生き生きしてると言うか」
話しながら、ハルモンはその場にしゃがみ込んで、足元に落ちている残留物をひとつ手に取った。
「……温度はない、ね。……切られたら、肉体が解けるみたいに消えてしまうんだ」
手の中のものの表面を、そっと指でなぞる。そのまま、しばらく見つめていた。
「……もう魔物の姿はないな。ハルモン、次はどうするんだ?」
ゼファーの言葉に、ハルモンはようやく顔を上げた。
「谷に降りてみたい。前回来た時は、谷底までは見ていないんだよね」
「そうですね。途中でライが重症を負ってしまい、撤退を余儀なくされました」
ハルモンは背負っていた鞄を下ろすと、中から瓶をひとつ取り出した。
「ゼファー、この粉末を風で辺りに行き渡らせられる?」
「……ああ。あの石で作ったのか。いいぞ」
瓶の蓋をとって、青い粉末を手のひらの上にさらさらと乗せる。すると風に掬われて、辺りに青い煌めきが広がっていく。
途端、世界が静かになったような感覚を覚えた。
風が消えたわけではない。ひび割れた地面にところどころ生えた短い草は、相変わらず揺れている。それなのに、妙に静かに感じられた。
「……谷に近づいてみよう」
ハルモンの言葉に、四人は大地の亀裂のような場所へ向かって歩き出した。
谷は、まるで大地のひび割れのようにそこにあった。向こう側へは、目測で三十メートルはあるだろうか。
そして谷の中を覗き込むと、黒いもやが立ち込めており、底が見えなかった。
「……これは……。谷の周りは白い霧なので、気づきませんでしたね」
アルヴィンの言葉に、ハルモンが頷く。
「そうだね。……この場所に立ち込める白霧は、まるでこれを隠してるみたいだ」
ハルモンは、持っていた瓶の中の粉末をさらりと撒いた。すると粉末に触れた黒いもやがそこだけ消失する。
「……うん。繋ぎ手がいなくてもそこそこ効くね」
「繋ぎ手? どういうことだ?」
「これは、教会が儀式の時に使ってる粉末なんだ。たぶん、この黒いもやが魔物を発生させてると思ってるんだけど……。この粉末には、それを打ち消す効果がある。浄化、ってところかな」
ハルモンが瓶を振る。さらさらと落ちた青い粉は風に乗って谷の中へ広がっていく。しばらく続けると、谷の底が見えるようになった。深さは目測で、数十メートルといったところ。だが上からでは、谷底の様子はよくわからなかった。
ハルモンは、じっと谷の底を見つめている。
「……降りるか」
尋ねると、ハルモンはこくりと頷いた。俺は荷物の中から用意しておいた長いロープを取り出す。
「……もし敵が来たら危険ですね。二手に分かれましょうか。俺とゼファーは、上で辺りを見張っています」
「うん。お願い」
ロープを杭を使って地面へ固定して、谷の下まで垂らす。ロープの長さは谷底までは届かなかったが、側面の壁がゴツゴツと突き出しており、降りるのに支障はなさそうだった。戻る時も、ロープを掴みながらならそれほど大変ではないだろう。
まず、俺が先に降りていく。周りの様子を見て、危険がないかどうか確認しながらゆっくりと降りる。敵の気配はない。そのまま、何事もなく谷底へ到着した。
手を挙げて合図を送ると、次はハルモンが降りてくる。ゆっくり、慎重に。足を滑らせたら助けられるように、俺はロープの近くで待機していた。
下まで降りてきて、ロープが途切れるところまで来たハルモンは、足を下ろす場所に迷っている様子だった。こちらを振り向くと、少し困ったように笑う。俺が手を差し出すと、こちらに手を伸ばしてきて――そのまま落ちてきた。
「――っ!」
受け止めながら、そのまま谷底に二人で倒れ込む。
「……おい」
「あはは……ごめん」
「大丈夫かー!?」
谷の上から聞こえたゼファーの声に、腕を軽く上げて合図を送った。
「……足が届かなかったか」
「うん。……思ったより高かった」
ハルモンは答えながら起き上がり、立ち上がる。俺も立ち上がり、地面についた後ろを軽く払った。
谷底の地面は、地上と同じようにひび割れていた。だが、ところどころに青い水たまりがある。ハルモンは鞄から空き瓶を取り出すと、青い水をすくう。瓶に栓をしながら、「帰ってから成分分析する」と言った。
そのまま、谷底を歩いてみる。足元にある青い水たまりを避けながら、ゆっくりと進む。
谷底は静かだった。敵の気配も、音もない。
隣を歩くハルモンが、ぽつりという。
「……魔王、本当にここに落ちたのかな」
「さぁな…」
短く、それだけ返した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『忘れられたもの』。
明日11時に更新予定です。
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