#2縁談の日
縁談の日。衣装部屋から戻ってきたハルモンは、上品な白いシャツを身につけていた。首元にはクラバットが巻かれている。靴やズボンも、いつもよりきちんとしたもので、腕には深い青色のジャケットを掛けていた。
ジャケットを椅子の背もたれに掛けると、髪紐を引いて髪を下ろす。ブラシを入れて全体を整えてから、また結んだ。
それから、ジャケットを手に取って身につける。膝のあたりまで届く細身の作りで、襟元や袖には繊細な刺繍が施されている。
「……よし。……ライ君は、その格好で行くの?」
俺は軽く頷く。いつも通りの格好だが、俺は護衛だから。……これで問題ない。
ハルモンは時計をちらりと見ると、机の上に置かれていた仕事用の鞄を手に取った。
「……そろそろ出よう」
階段を降り、玄関へまっすぐ向かう。
玄関にはミアが立っていた。
俺はこれまで、笑顔のミアしか見たことがなかった。
だが、今日の彼女はどこか沈んだ様子で、目はうっすら赤かった。
「行ってらっしゃいませ」
ミアに見送られ、家を出る。
向かう先は、大聖堂だ。
俺はいつも通り、ハルモンの少し斜め後ろについて歩く。
揺れる金髪を眺めながら、心の中で反芻する。
本当は嫌なのではないか。今日は、何が行われるんだ、と。
だが、結局俺は、最後までそれを口にできなかった。
何も言わずに歩き続けて、気づけばすでに大聖堂の前に到着していた。
大聖堂の中に入ると、司祭とテオに出迎えられる。
「お待ちしておりました。ご案内します。どうぞこちらへ」
そのまま、奥の部屋へ通される。
応接室だ。ソファーが二つと、低い机が一つ置かれている。
その応接室から、さらに奥に繋がる扉が見えた。
「お付きの方は、こちらに掛けてお待ちください。……ハルモン様、こちらです」
「うん。……ライ君、それじゃ」
軽く頷くと、ハルモンはにこりと笑顔を浮かべた。
そして、そのまま司祭とテオと共に、奥へと続く扉の向こうに消えていった。
俺はしばらくの間、閉められた扉を見つめていた。
それから、深く息を吐く。
数歩歩いて、手前のソファーにどかっと腰を下ろした。
柔らかなソファーに、腰が沈む。
(……ハルモン……すまん……)
***
ライ君と別れて、司祭とテオの案内で廊下を進む。
いくつかの扉を通り過ぎる。……廊下も扉も、どこも見た目が同じで、一人で歩いたら迷いそうだ。
「ハルモン様、こちらです。……では、テオ」
「はい」
司祭が一礼して立ち去る。
テオが開けてくれた扉を、僕は迷いなく潜った。
入った瞬間、鼻につく香の香り。
天幕付きの大きなベッドが、視界に入った。
僕は、後ろで扉を閉めたテオに向き直る。
「……これ、興奮作用あるやつでしょ。消してくれる?」
「……は?」
「分からない? 焚いてる香のこと言ってる」
「ですが……これは儀式のしきたりで」
僕は小さく息を吐く。
「邪魔だって言ってる。……どうしても焚きたいならこれ使って。僕が作ったやつ」
ポケットから取り出した包みを、テオの手に押し付けた。
昨日のうちに用意しておいた、なんの効果もない、ただ良い香りがするだけの香だ。
僕は鞄を部屋の隅に置くと、真っ直ぐ窓へ向かって歩く。
鍵を開けて窓を大きく開け放った。
ふぅ、と息を吐く。
(……これで大丈夫)
振り向くと、テオが香を消して小皿を取り替えているところだった。
そのまま手元を見ていると、テオが口を開く。
「……貴方様は、香の香りだけで薬効の判別を……?」
その言葉に、僕は思わず息を吐いた。
「当たり前でしょ? 自分で作ってる」
少しして扉が軽く叩かれ、テオが扉に向かう。
僕は部屋の中の香りがほとんど残っていないことを確認し、窓を閉めた。
テオに手を取られ、目隠しをした女性が部屋に入ってくる。
腰より長く伸ばした、癖のない銀髪。
白いドレスに身を包んだ彼女の姿を、僕は知っていた。
扉が閉められる。
テオが彼女の目隠しの結び目に手を伸ばし、布を取り去る。
現れたのは、澄んだ青い瞳。
よく見慣れたものと、同じ色をしていた。
僕は、扉の向こうの司祭の足音が遠ざかるのを確認した後、彼女の側に歩み寄る。
「こちらでもお会いできて、嬉しいです」
僕の言葉に、彼女は怪訝な顔をした。
「……司祭様からは、今日は縁談と聞いていたんだけれど」
そう言って、彼女は視線を横のテオへと向ける。
「この人間と?」
テオは、わずかに眉をひそめた。
「……はい。規定に基づいた正式な縁談です」
「縁談、ね。まあ、それは後でいいでしょう」
僕は、部屋の隅に置いてあった鞄を持ち上げた。
「僕には、あなたに聞きたいことがたくさんあるんです」
彼女は何も言わず、ただこちらを見つめてくる。
「……時間制限無し。魔力増幅薬も不要。……あれは、効率が悪い」
繋ぎ手たちに接触するため、魔力増幅薬を飲んでベッドに寝転がって接続し、終わった後は全く動けず、そのまま寝るしかなかった日々。
しかも、翌日になっても接続の疲労が残り、さらに薬の副作用で食欲も落ちてしまっていた。
思い出しながら、自分でもよくあんな環境でやっていたなと呆れて、ちょっと笑ってしまった。
「あなたって、本当に執念深いね」
彼女は、ぽつりとそう言った。
「……それ、もしかして悪口?」
「でも事実でしょう?」
「まあ……そうかもしれないけど」
「……あの、少しよろしいですか」
部屋の隅で固まっていたテオが、おずおずと口を開く。
「なに」
「……お二人は、どこかで面識が……?」
「ああ。実は何回か話してたんだ。でも、直接会ったのは初めてだよ」
「そう、なのですね……」
「悪いけど、そこで待ってて。時間が惜しい」
立ったまま話し続けるのもどうかと思い、部屋を見回す。
「……あれ? この部屋、机も椅子もないのか」
すると、彼女がベッドを指し示す。
「ベッド。座る?」
「そうしましょうか」
二人で並んで、ベッドに腰を下ろす。僕はすぐに、鞄から紙とペンを取り出した。
その様子を見ていた彼女がクスッと笑う。
「……縁談だよ?」
「ええ。知ってます」
紙を広げながら答える。
「でもその前に、どうしても聞きたいことがあって」
彼女は少し肩をすくめた。
「そういう人間だと思ってた」
めったに笑うことのない彼女の、女神の如きと讃えられる微笑み。
だが目の前にいる人間は、それを全く見ていなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『守護者』。
明日11時に更新予定です。
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