#1勅命
今日は研究所は休みだ。いつもよりゆっくり朝食をとった後、ハルモンは作業台に向かった。
俺は、薬瓶の空き瓶の整理をすることにした。空になったものを引っ張り出して机の上に置いていく。
何故かハルモンは、空になったものを再び棚に戻すのだ。空になったらその場で分けておけばいいものを。しかし、何度言っても一向に直る気配がないので諦めた。
ハルモンがペンを走らせる音と、瓶を机に並べる音だけが、部屋の中に静かに響く。
部屋の戸を叩く音がした。ハルモンが「はーい」と返事をすると、扉が開く。扉の向こうでアグネスが軽く一礼をした。
「ハルモン様。王城から使者の方がお見えです」
そう言ったアグネスは、どこか硬い表情を浮かべている。
「……分かった。応接室に通して。すぐに行く」
ハルモンは立ち上がると、部屋を出て行った。
――嫌な予感がする。
俺は作業の手を止めて、壁に立てかけてある剣を取った。
応接室に入ると、二人の男が立っていた。一人は、正装をした中年の男。もう一人は、王家の紋章の入った鎧を身につけた騎士の男だ。
ハルモンの姿を見て、中年の男が一歩こちらに進み出る。
「ハルモン・フォン・ノエシス様ですね。私は ヨハン・クレーマー。王の使者として参上致しました」
「はじめまして。……掛けていいよ」
「はい。失礼致します」
ヨハンとハルモンが、ソファーに腰を下ろす。俺と王家の騎士は、それぞれソファーの少し後ろに立った。
「……要件は?」
「こちらを、王から預かっております」
ヨハンは懐から封筒を取り出して、ハルモンに差し出す。王家の紋章がついた封書だ。ハルモンは、その場封を切ると、中から紙を取り出して開いた。そのまま、無言で読んでいく。
しばらくして、小さく息をついてから顔を上げた。
「……読んだよ」
「ありがとうございます。つきましては、繋ぎ手様との正式な顔合わせの場を設けたく――」
「分かった。日程は?」
「は……」
「いつ?」
「ええと……本日より一週間後に」
「場所は? 大聖堂に行けばいい?」
「え、ええ」
「分かったよ」
ハルモンはソファーからサッと立ち上がった。
「……用はこれだけだよね」
「は、はい……では、これで失礼致します」
ヨハンも遅れて立ち上がる。騎士と共に、ハルモンに一礼をしてから部屋を出て行った。二人の足音が遠ざかると、ハルモンはほっと息をついた。
「ライ君、戻ろう」
こちらを振り向いたハルモンが、少しだけ目を丸くした。
「ライ君……どうしたの、そんな暗い顔して」
言われて、ハッとする。
咄嗟に、顔を背けた。
「……心配しなくても大丈夫。別に、取って食われるような話じゃないんだからさ」
安心させるような優しい声だった。
応接室を出て、二階への階段に向かいながら深く息が漏れた。縁談に向かわされるのはハルモンだ。なのに、俺が慰められてどうする。
俺は、ハルモンを守ると誓ったはずだ。だが――。
(俺の剣では、届かない。切れない敵からは守れない……)
部屋に戻ったハルモンは、何事もなかったようにいつものゆるい部屋着に着替えると、作業を再開した。
だが、俺はどうにも落ち着かない気持ちだった。
……ハルモンは、どうしてこんなに平然としているのだろう。はじめに王に言われた時には、「したくない」とはっきりと拒絶をしていたのに。
そして拒絶した結果、王の騎士に取り押さえられた。
――あの時、ハルモンに剣が向けられるのを見た瞬間、体が動いていた。俺が騎士を切り捨てた結果、あのような騒ぎに。
そこまで考えて、思い至った。
俺はずっとハルモンを守っているつもりだった。だが、むしろ俺の方がハルモンに守られているのではないだろうか、と。
あの日、俺が騎士に剣を向けたから二人そろって捕えられた。
俺が捕まったのは、俺のせいだ。牢でさんざん殴られたのも、自業自得だろう。
だが、そのせいでハルモンが考えを変え、素直に自分を差し出すことにしたんだとしたら――。
(……ハルモン……俺は……)
ハルモンの方を向く。相変わらず作業台に向かい、紙にペンを走らせている。
その後ろ姿が、あまりも普段通りで。
(……俺に、ここにいる資格はあるのか)
俺は置いたばかりの剣を再び手に取ると、逃げるように部屋の外へ出た。
その日の夜。結局俺はハルモンの横で、いつも通りベッドに横になっていた。
ハルモンは、すぐに眠った。だが、俺は眠れない。何度か寝返りをうつが、全く寝付くことができない。
そのまま、かなりの時間が過ぎた。
俺は目を開けると、横で眠っているハルモンの手をそっと掴む。
目を閉じて、手触りを確かめる。無意識に、中指のペンだこを親指で弄って――。
(……俺は、何をしているんだ)
縁談の話を聞いて、ハルモンが遠くに行ってしまうかもしれないと思った。
この生活が、ついに終わってしまうかもしれない。
そう考えたら、どうしようもなく不安で。
そんな自分の中の不安を和らげるために、こんな……ハルモンの体を使うようなことを、俺は毎晩のように続けている。
おそるおそる、俺はハルモンの顔を見た。
そこには、いつもと変わらない、無防備な寝顔があった。
……穢れのない、無垢で、純粋な存在。
それを俺は、本人の知らないところで、自分のために汚している。
俺はハルモンの手をそっと戻し、起き上がった。
ベッドから離れようと足を下ろしたところで――
服の裾を掴まれた。
「……ライ君。……どこ行くの?」
「……っ」
「……どうかした?」
「……離してくれ。……俺は、もう」
ここにいたくない。
ハルモンがゆっくりと体を起こす。
「もしかして、嫌な夢でも見た?」
「…………」
「大丈夫だよ。ほら、戻って」
そう言われたら、逆らえない。
ベッドに座り直し、体を横たえ、元の位置に収まる。
「いるよ」
そう言って、俺の手にそっと触れてくる。
俺は、動けない。
少しすると、ハルモンはまた規則正しい寝息を立て始めた。
触れられた手はそのままに、俺はそっとハルモンの方に体を寄せる。
ハルモンの頭の近くで、深く、空気を吸い込んだ。
ほのかな薬の香りで、胸の中が満たされる。
それだけでどうしようもなく安心して、同時にそんな自分に罪悪感が湧き上がってくる。
心の中で、俺はずっとハルモンに謝り続けていた。
それから数日後、再びテオが家にやってきた。
持ってきた木箱をハルモンに差し出してくる。木箱を開けると、女神の涙がいくつも入っていた。
「こんなに、ありがとう。……あと、顔合わせの件も。上手くやってくれたみたいだね」
ハルモンはさらりと言う。テオは「いえ」と、少しだけ頭を下げた。
「……ですが、本当にこれで良かったのでしょうか」
「大丈夫大丈夫。……あ、でもあとひとつだけ、君にお願いしたいな」
ハルモンの言葉に、テオは顔を上げる。
「お願い、ですか」
「うん。儀式の立ち会い。……同席されるなら、見知らぬ相手より顔見知りの方がいいでしょ」
「……儀式の立ち合いは、司祭が行うこととなっているのですが」
「知らない人に見られるの、あんまり好きじゃないんだよね」
ハルモンは、少し考えてから口を開く。
「……僕、人見知りなんだ。だから、お願い」
「……そう、なのですね」
テオは視線を落とし、考え込む。
(……人見知り? そんな場面、見たことないが)
違和感を覚えていると、ハルモンが後ろに立っている俺の顔をちらりと見てくる。
ほんの少し、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
(……?)
「……戻って、司祭と話してみます」
テオの言葉に、ハルモンは正面に向き直る。
「うん。お願い」
テオが帰った後、ハルモンはそのまま客間に向かう。軽くノックしてから扉を開けた。
「ゼファー。石もらった。在庫追加しといて」
「おー。たっぷりあるな」
「よろしくね」
「はいよ」
扉を閉めると踵を返し、すぐに二階の自室に戻る。
机に向かいペンを取ると、ノートに何か書き始める。
横から少し覗いてみたが、字が汚い。何を書いているか全く読み取れなかった。
ハルモンの顔を見ると、真剣な表情を浮かべていた。
(……集中している。邪魔はしないでおこう)
俺は静かにハルモンの側を離れた。
さっきの様子を思い出す。テオと話している時に、一瞬だけこちらに向けた、悪戯っぽい笑み。
(……何か、考えているのか)
でも、自分にはそれが分からない。ハルモンが何を考えているのか。
――本当は、聞きたかった。
縁談は嫌なんじゃないか、とか。
一体、何が行われるんだ、とか。
けれど、それを聞いたところで自分には何もできないことも、理解していた。
(……本当に無力だな、俺は)
ハルモンがペンを走らせる音だけが、部屋に響いていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『縁談の日』。
明日11時に更新予定です。
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