#10気づかない
ゼファーが家に来た翌日。いつものように研究所で仕事をこなし、自分の研究も並行して進めた。やることがいっぱいで、あっという間に時間が過ぎた。
家に帰ってきて、夕食と湯浴みを済ませた後、僕は《連結子》を手にベッドに腰掛けていた。
僕は、またあの青い世界に行って、繋ぎ手たちと話がしたいと思っていた。
だが、テオから譲り受けたテラリウムはゼファーに渡してしまったので、いまは手元にない。
けれどあの時、彼女は『次はもう少し簡単に来られるはず』と言っていた。
『簡単』とはどういうことなのだろう。体への負荷が少ないという意味なのだろうか。
(……もしそうなら、《連結子》だけでいける?)
前回のことを思い出す。机で接続を試みたら、成功したはいいけどそのまま意識を失って、しばらく戻らなかった。
結果、ライ君をひどく心配させてしまった。
どうしたものか、と少し考えた結果、僕は良い解決方法を思いついた。あの世界へ行くことで意識を失うのなら、はじめからベッドへ寝転んでやればいい。そうすれば、普通に眠っているのと大差ないだろう。
僕が方針を決めたところで、湯浴みを終えたライ君が小部屋から出てきた。
「ライ君」
「……なんだ」
「僕、今からちょっと《連結子》使って、そのまま寝るから。心配しないでね」
ライ君は少し固まった後、眉を顰めて「分かった」と言った。
(よし)
僕はベッドに寝転がり、《連結子》を握って光らせてみた。
一瞬、前回と同じように足元に青い水面が広がった。
だが、次の瞬間――視界が暗転した。
(あれ…?)
目を開けると、目の前にライ君がいた。
ベッドに横たわる僕の隣に寝転がり、僕の手を撫でながら目を閉じている。
撫でられてる。ということは、起きてる、よね?
「……ライ君?」
声をかけると、ライ君はハッと目を開けて飛び起きる。慌てた様子で体を起こすと、そのままベッドから降りた。
あまりの驚きように、ちょっと笑ってしまう。
僕も少しだけ体を起こし、時計を確認する。
一瞬に感じたけど、さっき《連結子》を使ってから一時間くらい経っていた。
(ライ君……ずっと側にいてくれたんだ)
そして、押し寄せてくる疲労感と、眠気。
……やっぱり、《連結子》だけでは足りないのか。
そんなことを考えながら、瞼が落ちてくる。
もう、抗えなかった。
次の日。また同じ条件で接続を試してみた。
結果はやはり、同じだった。
「行けるけど、気力と体力が保たないな……」
でも、この様子だとテラリウムが接続の条件ではないことは確かだ。
あそこに到達するための何かが、僕には足りていない。
他に成立条件があるのなら、特定してみたいと思った。
***
今日のハルモンは、《連結子》を使った実験をしなかった。
代わりに、家に帰ってからも薬を作り続けている。
寝る寸前まで、ずっとだ。
……星読で捕えられた一件から、ハルモンの様子がおかしい気がする。
前から、研究に全力すぎるところはあった。
だが、ここまで没頭してはいなかったはず。
「……おっと、もうこんな時間か。ライ君、寝よう」
そう言って、ようやく立ち上がると、ベッドの方へ歩いてきた。
「……先に寝ててくれてもいいのに」
ベッドに上がりながら、ハルモンはそんなことを言った。
先に寝ててもいい?
……そんなこと、いままで一緒にいて言われた覚えはなかった。
(……やはり、どこかおかしい)
***
ふと、夜中に目が覚めた。まだ、外は真っ暗だ。
横を見ると、いつものようにライ君が隣にいる。目を閉じて、規則正しい寝息を立てている。表情は、いつもよりほんの少し柔らかい。
起きている時のライ君は、いつも無表情だ。それか、少し険しい顔をしていることが多い。でも、今は安らかな顔で眠っている。
……なんだか、無性にかわいく見えた。
(こんなこと、本人に言ったら怒るかな)
僕はしばらくその寝顔を眺めた後、寝直そうと目を瞑る。
そしたら、ふと思いついた。
(……そうか。アレを入れればもしかしたら)
寝る直前まで行っていた薬の調合。さっきは配合の組み合わせが上手くいかず思うようにいかなかったが、最後のピースがハマった気がした。
(……いける)
僕はベッドから体を起こすと、ライ君を起こさないようにベッドの足元から静かに降りた。
音を立てないようにゆっくり歩き、そっとランプを手に取る。
ほんの少しだけ、明かりを灯す。
そのまま机に向かうと、作業を始めた。
***
朝、目を覚まして隣を見る。
そこには、いつものようにハルモンが眠っていた。
手を伸ばし、乱れて顔にかかった髪を整える。
いつもと同じ、無防備な寝顔。
少しの間眺めてから、ベッドを降りる。
壁に立てかけてあった剣を取り、部屋の外へ出た。
鍛錬を終えて、部屋に戻ると、ハルモンはまだ眠っていた。
剣の手入れをしたり、部屋を片付けたりして時間を潰す。
いつもなら、このあたりでそろそろ起きてくるのだが――。
俺は息を吐き、ベッドに向かうと、ハルモンの肩を軽く揺らす。
「……ハルモン、起きろ」
ハルモンは眠そうに表情を歪める。寝返りを打つと、布団を頭まで被った。
「……おい。仕事に遅れるぞ」
「……まだ眠い」
布団の中から聞こえる、くぐもった声。
最近、ハルモンは作業に没頭している。
……疲れが溜まっているのかもしれない。
少し迷ったが、俺はハルモンを寝かせてやることにした。
ベッドにハルモンを残し、部屋から出た。
食堂には、すでにゼファーがいて食事をしていた。
「あれ? ハルモンは?」
「……まだ寝ている」
「なんだ、つまらんな」
ゼファーはスプーンでスープをすくい、口に運ぶ。
その所作は妙に整っており、普段見かける行動や言動と噛み合っていない気がした。
その時、食堂の扉が開いて、パンの籠を持ったミアが入ってきた。
俺の姿を見ると、ほんの少しだけ表情を緩める。
「ライ様、おはようございます。スープをお持ちしますね」
「ああ」
「ミアちゃん、俺にももう一皿頼むよ」
「……かしこまりました」
そう言って、食堂を出て行った。
――笑顔が、少し引きつっていた。
「……そういえばあいつ、昔から朝苦手だったもんなぁ。ここに来てからはちゃんと起きてたから忘れてたわ」
そう言われて、確かにそうだと思った。
出会った頃のハルモンは、朝が苦手で起きられなくて――だからいつも、昼過ぎから会っていたんだ。
……そんなこと、もうすっかり忘れていた。
「飯も要らないって?」
「……後で、何か持っていく」
言いながら、俺はいつもの席に着く。
隣は、空いている。初めて。
「…………」
食事に手をつける。
……隣に、ハルモンがいないだけ。それだけのはずなのに。
(……落ち着かない)
***
食堂を出ると、ミアは小さく息を吐いた。
「助かった……」
ハルモン様が連れてきた“手伝い”のゼファー様は、常に、やたら距離感が近い。しかも、頻繁に話しかけてくる。
普通に会話しているだけでも、調子が狂いっぱなしだった。
(ナギちゃんがいてくれたらなぁ……)
穏やかな笑顔と、旅立って行った後ろ姿を思い出し、ついため息が出てしまう。
厨房へ戻りながら、ふと気づいた。
「……あれ?」
ハルモン様が来ていない。ライ様だけで食堂へ来ることなんて、今まで一度もなかったはずだ。
私はハッとして、思わず口元を手で押さえた。
(……もしかしてハルモン様……昨夜ライ様に愛されすぎて……?)
そう考えたら、胸が高鳴り、気持ちが盛り上がってきた。
(お部屋で食べやすい軽食、ご用意しないと!)
ミアは二人分のスープを持つと、軽やかな足取りで厨房を出た。
***
食事を終えて席を立つと、ミアが盆を手に現れた。
「ライ様。こちらをお部屋にお持ちいただけますか?」
蓋の被せられた器と、チーズや野菜などの具材を挟んだパンが、皿に乗っていた。
「……分かった」
それだけ言って、受け取る。
ミアは何故かもじもじとした。
「……あ、あと……後ほどお部屋にお湯をお持ちしましょうか……?」
そう言って、上目遣いで見上げてくる。――どこか期待するような眼差しで。
「……いや、不要だが」
「えっ……あ、そ、そうでしたか。失礼しました」
ミアはそう言うと、足早に食堂を出て行った。
俺とミアを席から見ていたゼファーが、急に肩を震わせ始める。
「……っ、は、はは……」
「……なんだ」
「いやお前……っ、気づいてねぇのか!?」
「……何の話だ」
ゼファーは何か言おうとしたが、また笑いかけて俯き、口元を腕で押さえる。
「……これは、ちょっと説明できん。無理だ」
そう言ってから、深く息を吐く。
「……やっぱあいつ、面白いわ。家の中まで、こうなのか」
ゼファーの口元は完全に緩み、目尻からは少し涙が溢れていた。
何がそんなに面白いのか。
……いや、薄々、察しはついていた。
だが。
(……違う)
俺は小さく息を吐いた。
ハルモンは、日が高くなってからようやく起きてきた。
「なんで起こしてくれないの」
「起こした」
ハルモンは部屋のテーブルでパンを食べながら少し文句を言っていたが、案外けろっとしていた。
「……まあいっか。研究する場所が、家なのか研究所なのかの違いだけだし」
そう言って、急ぐこともなく普通に食事をする。
(……それでいいのか?)
ここまで読んでいただきありがとうございます。
今後も、この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『必要』。
来週月曜日の11時に更新予定です。
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