#1手厚い看病
心地よい手が離れていく。
「……終わったよ」
そう言うと、ハルモンは服の袖で額の汗をぬぐった。
そして、もう一度距離を詰めてくる。ぎしり、とベッドが音を立てる。こちらに手を伸ばし、手の甲で首筋に触れてきた。そのまま、動きが止まる。
触れる肌の温度の冷たさを感じながら、息を潜めて待つ。
少しして、ハルモンは静かに手を離した。その後、今度は俺の手を取り、そっと握ってくる。
「…………」
ハルモンはベッドから離れると、薬棚の方へ歩いていった。棚の中を手で探り、中から薬瓶をひとつ取って戻ってくる。
瓶の蓋を外すと、中から小さな包みをひとつ取り出した。
「これ、飲んで」
目を向けると、見覚えがある。以前、手を怪我した時に飲まされた『よく眠れる薬』だった。
俺は、素直に飲むことを受け入れる。薬を口に含むと、水差しで水を飲まされた。
飲んで少しすると、意識がぼんやりしてくる。
そのまま目を閉じた。
目が覚めると、日が高く登っていた。……いったい、どれだけ長い間眠っていたのか。そんなことを、ぼんやりと考える。
顔を横に向けると、額から濡れた布が滑り落ちた。
視線の先。すぐ隣で、ハルモンが静かに寝息を立てていた。
(……近い)
ハルモンはいつものゆるい部屋着を着ているが、髪は束ねたままで、少し乱れている。
伏せられた睫毛と、ほんの少しだけ開いた口元。
ぼんやりと、眺めていた。
しばらく眺めていると、ハルモンの睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれる。
ハルモンはベッドに手をついて体を起こす。それから俺の顔に視線を向けて、一瞬だけ固まった。
「……もう。起こしてくれたらよかったのに」
そう言うと、こちらに手を伸ばして、再び手の甲で首筋に触れてくる。
「……だいぶ下がったかな。ちょっと傷見よっか」
ハルモンが俺の体にかかっていた布団を捲ってどかすと、途端にむせ返るような薬の匂いが立ち上がる。素肌が空気に晒されて、少し身が縮まった。
ハルモンの手により、包帯と当て布が外されていく。
「……小さい傷はほとんど良くなったね。深い傷はもう少し。あざは……やっぱり、少し時間がかかりそうだ」
ハルモンはそう言うと、数箇所に軟膏を塗り直す。上から布を当てて、包帯を巻き直してくれた。
処置を終えたハルモンは顔を上げ、俺の顔を見てくる。
「起きれる?」
言われて、腕に力を入れて体を起こそうとする。
「…‥…っ」
痛みが走る。だが、耐えられる程度だ。
そのまま、体を起こした。
ハルモンは、俺が起き上がるまでの様子をじっと見ていた。少しして、口を開く。
「……ライ君」
「問題ない」
「そう?」
ハルモンが近づき、距離が詰まる。俺は動かない。
ハルモンの手が伸びてくる。
その手が胸元に触れる直前、わずかに呼吸が止まった。
「……今、止めたよね」
「止めてない」
「止めてた」
そっと、胸元に触れられる。
分かりやすく、呼吸が浅くなった。
「吸ってみて」
「……必要ない」
「いいから」
数秒の沈黙の後、観念して、息を吸う。
だが、深く吸うことができず途中で止まった。
「……ほら」
ハルモンは顎に手を添えて、こちらを見つめたままほんの少し目を細めた。
「外傷は治ってきてる。動きもできてる」
視線を落とす。
「でも、呼吸で痛む」
そう言ってから、こちらに手を伸ばして胸元に触れ、指先で、ほんの少しだけ圧をかけてくる。
肩が、わずかに強張った。
「局所的な反応。……筋肉より深いね」
「……触るな」
「ごめん。正確に見たいから、もう少しだけ確認させて」
淡々と返される。
もう一度、同じ場所に触れてくる。
今度は少しだけ角度を変え、圧をかけてくる。
反応は、同じだった。
ハルモンは頷く。
「……骨か」
軽く、そう言った。
その結論に、俺は何も言えなかった。
「折れてるか、ヒビかは分からないけど。……しばらく動かない方がいいね」
そう言って、ハルモンが手を離す。
少しだけ、距離が戻った。
「……ちゃんと治したいから、無理しないでね」
そう言って、ハルモンは少しだけ微笑んだ。
その顔を見たら、先ほど与えられた痛みのことなどどうでもよくなった。
「……あ、食欲はどう? 食べられそうなら、何か用意させるよ」
「……食べられる」
短く答える。
「わかった。少し待っててね」
ハルモンはベッドを降りると、捲られていた布団を俺の腰のあたりまで掛け直す。
そのまま、部屋を出て行った。
ハルモンの姿が視界から消え、足音が扉の向こうに遠ざかる。
俺は再び、ベッドに体を沈めた。
「……くっ……」
少し体を動かすたび、刺すような痛みが走る。
目をつぶって、浅い呼吸を繰り返す。
少しすると、痛みはマシになった。
扉の外から足音が聞こえてくる。俺は目を開けて、扉の方を見た。
ドアノブが周り、扉が開くと、盆を持ったハルモンが現れた。
「お待たせー。ちょうど昼だったから、作ってくれてたよ」
そう言うと、ベッド横の小さいテーブルに、盆を置いた。
盆の上には、丸いパンが三つ、それから、深い皿に具沢山のシチューが盛り付けられていた。
良い匂いが漂ってきて、それだけで空腹感が増してくる。
思えば、牢にいた時にはほとんど何も食べていなかった。いや、碌に与えられなかったと言う方が正しいか。……たとえ頼まれたとしても、あそこにもう一度戻りたいと願う者はいないだろう。
ハルモンはベッドに膝を乗せると、距離を詰めてきた。
「もう一回起きれる? 手伝うよ」
そう言うとこちらに身を寄せ、肩の下に手を滑り込ませてきた。
心臓が跳ねる。
(……近い……)
抱き起こされるように、ゆっくりと座り直させられた。
痛みで、ほんの少し表情が歪む。
「……動くと痛むでしょ。そのままでいいよ」
ハルモンはベッドの端に腰掛けると、皿の上の丸いパンをちぎり、シチューに浸す。それをスプーンで掬い上げると、反対の手を添えて俺の口元まで運んできた。
少し戸惑ったが、そのまま受け取ることにした。
口を開けると、スプーンが口の中に触れる。
一瞬だけ、思考が止まる。
口の中のものを咀嚼して、飲み込む。
味は、よくわからなかった。
(……何を考えている)
(ただ食べさせられているだけだ)
(それだけのはずなのに)
再び、口元にスプーンが運ばれてくる。
口を開けて、触れる。
咀嚼して、飲み込んだ。
「……美味しい? 後で僕も食べよー」
ハルモンはなんてことないようにそう言った。
そして次を口に運ぼうとして、途中で何かに気づいたように止まる。
「……あれ? ちょっと呼吸浅くない?」
ハルモンは皿にスプーンを置くと、距離を詰めてきた。重みで、ぎしりとベッドが鳴る。
そしてそのまま、こちらに顔を寄せてきた。
「………!?」
俺の口元に耳を近づけて、止まった。
そのまま、動かない。
「……ちょっと食べさせるの早かった?」
そう言って顔を離すと、今度は胸元に手を当ててきた。
「……ちゃんと吸って。ほら」
俺は、言われた通りハルモンに呼吸を合わせようとした。
だが、合わせようとすればするほど、余計に乱れてしまう。
「ちょっと……ライ君、どうしたの?」
宥めるように、俺の背中をさすってくる。
「落ち着いて」
そう言うハルモンは、本気で心配そうな顔をしていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『借りた本』。
明日11時に更新予定です。
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