#2借りた本
ハルモンは、俺の看病のためだからと言って当然のように仕事を休み、俺は付きっきりで世話をされることになった。
食事の度に抱き起こされて介助され、傷を見られる。熱を測られ、その都度必要な薬を飲まされる。
そんなハルモンの献身的な看病により、発熱や目に見える外傷は、あざを除いて三日ほどでほとんど良くなった。
「もう外して良さそうだね」
ハルモンが包帯を外しながら言う。その顔は、少し疲れが見えるものの嬉しそうだ。
「……少しだけ右の方向ける?」
俺は言われた通り、少しだけ顔を動かした。
指先が脇腹に触れる。
……距離が近い。
視線が、勝手に落ちる。
脇腹に添えられた、細い指。
伏せられた睫毛。
そのまま、口元へ。
「……」
その瞬間。ハルモンが、不意に顔を上げた。
ぱち、と目が合う。
俺は反射的に視線を逸らした。
「…………」
「……ライ君? どうかした?」
「……何でもない」
「……そう?」
ハルモンは少し首を傾げたあと、また手元へ視線を戻す。
俺は黙ったまま、浅く息を吐いた。
……最近、少しおかしい。
ハルモンが近くに寄って何かする度、気づけば視線が口元へ滑ってしまう。
理由については……考えたくない。
だから、あまり考えないようにしていた。
……本当は、少し距離を取るべきだと思う。
だが、ハルモンがずっと側に付きっきりのうえ、脇腹の怪我で動くことができない。
だから、そのまま身を任せるしかなかった。
「……よし。これで安定したかな」
ハルモンは固定具の位置を軽く確認してから、ほっとしたように息を吐いた。
「ライ君って、本当に我慢強いよね」
「…………」
「僕だったら、こんなに痛かったら絶対暴れるのに」
そのまま、何気なく続ける。
「だから、安心して触れるよ」
そう言って、少し笑った。
俺は、何も言えなかった。
それから数日後。
熱がすっかり下がり、日中に起きていられる時間が長くなった。こうなると、ベッドでただ寝てるのが退屈で仕方ない。かといって、自由に動き回れるわけでもない。
暇だとハルモンに訴えたら、ハルモンは部屋の本棚から本を何冊か引き抜いてこちらに持ってきた。
「このあたりなら、ライ君でも読みやすいんじゃないかな。これは魔物の本で、こっちは古い伝承集だよ。最近買ったんだ。……あとこれは、僕が好きなだけなんだけど」
上から、『魔物の生態記録』『アストラ民話集』『北方地方の紀行文』の三冊だった。
……正直、どれもそれほど興味を惹かれなかった。だが、ただこのまま天井を見続けるよりはマシだ。
俺は、渡された本の一番上に置かれていた『魔物の生態記録』を手に取って開いてみた。
――第三章 摂食行動について
捕獲後、七日間にわたり餌を与えたが、対象は一度も口をつけなかった。
肉、魚、穀物、果実のいずれにも反応を示さず、水を与えた場合も同様であった。
当初は捕獲による緊張状態が原因と考えたが、対象は七日間を通して著しい衰弱を見せなかった。
また、睡眠に相当する行動も確認されなかった。
夜間も目を閉じることなく、一定の姿勢を保ったまま活動を停止する時間があるのみである。
この状態を便宜上「休止」と呼ぶことにする。
――
別個体を用いた実験では、前肢に一定以上の損傷を与えた直後、対象の肉体が急速に崩れ、数十秒以内に完全に消失した。
消失した後は、黒い石状の物体(残留物)だけが残されており、血液、骨、皮膚その他の組織は残らなかった。
これまでに三度同様の現象を確認している。
魔物は生物なのか。
この問いに答えるには、まだ観察例が少なすぎる。
ここまで読んで、俺は本から顔を上げた。思わず、深く息が漏れる。
「……誰だよ、こんなこと調べたの」
「え? ……ああ、その本か。面白いよね」
「魔物研究室の奴らでもここまでしないだろ……」
「僕はむしろ、これくらい国家規模でやるべきだと思うけどね……あっ!」
ハルモンは何かに気づいたように声を上げると、勢いよく椅子から立ち上がった。
「……どうした」
「スイって、食事してたっけ……?」
ナギに懐いていた謎の白い獣。……確かに、食事をしているところを見た記憶がない。
「……だが、水は飲んでいたな。最初に拾った時にナギが飲ませていた。それで少し元気になった様子だったが」
食事も、俺の見ていないところでナギが与えていたのかもしれない。
ハルモンはがくりと肩を落とし、力無く椅子に腰を落とした。
「失敗したなぁ……。色々試しておけばよかった」
落ち込むハルモンをそのままに、俺は次の本を手に取った。『アストラ民話集』。あまり興味は惹かれない……が、パラパラとページを捲ってみる。
『銀の泉と眠る娘』
むかし、山のふもとの村に、病に伏せた娘がいた。
村人たちは娘を救うため、山の奥にある銀の泉へ向かった。
しかし泉へ至る道には、夜になると姿を変える獣が現れ、誰も近づくことができなかった。
そこで一人の騎士が剣を抜き、獣を追い払った。
騎士は泉の水を汲み、娘に飲ませた。
娘は三日三晩眠ったのち、目を覚ました。
目覚めた娘は言った。
「山は、怒っていたのではありません。苦しんでいたのです」
その言葉の意味を知る者は、誰もいなかったという。
以来、村人たちは山へ入る前に女神へ祈りを捧げるようになった。
(……聞いたことのない話だな。それに、意味がさっぱりわからん)
パラパラとページを捲る。中には、いくつか故郷で耳にしたことのある話もあった。だがほとんどが聞いたことのない話ばかりで、世の中にはこんなに多くの『お伽話』があるのかと驚いた。
次。『北方地方の紀行文』。ハルモンが好きだと言っていた本だ。見たところ、アストラの北――最近、戦争で無くなったあの国の、昔の紀行文のようだ。
王都を出て北へ三日。
風が強くなり、道の両側に低い石壁が目立つようあになった。
北方の家屋は総じて屋根が低く、窓も小さい。冬の寒さを防ぐためだろう。
食事には豆と根菜を多く使い、肉を保存するための燻製小屋が村ごとに設けられている。
変わっていたのは、どの民家にも小さな石像が置かれていたことだ。
この石像が、この国では女神ということらしい。
アストラでは神殿に祀られている女神が、こちらでは家の入口や井戸のそばに小さな石像として置かれている。
なぜ、家々に石像を飾るのか。私の問いに、村の老人はこう答えた。
「女神は遠いところにいるんじゃない。毎日ここを通っている」
彼の言葉が何を意味しているのか、私にはよく分からなかった。
「…………」
部屋の扉が叩かれる音がして、意識が現実に戻る。気づけば、根拠もなく先を捲っていた。
「入っていいよ」
ハルモンのその言葉に扉が開き、現れたアグネスが軽く一礼した。
「……失礼致します。ハルモン様、お客様がおいでです」
「……誰?」
「教会の方です」
――教会。俺とハルモンは顔を見合わせた。緊張が走る。
「お帰り頂こうと思ったのですが、エルディオ様の遣いだと仰っています。……いかがいたしましょう」
ハルモンは小さく息を吐いた。
「……父さんの名前出されたら、そのままにはできないな。……話してみるよ。応接室に通して」
「かしこまりました」
アグネスは、軽く一礼して退室した。
ハルモンは椅子から立ち上がると、自分の服の裾を摘んだ。
「……寝たまんまじゃ流石にまずいかな。着替えてくるよ」
「……ハルモン」
部屋を出て行こうとしたハルモンを呼び止める。
「ん? どうかした?」
「……俺も行こう」
そう言って、ベッドに手をついて体を起こす。
脇腹に鈍い痛みが走った。
「……っ」
「ライ君」
「問題ない」
短く返して、立ち上がる。
まだ体は重い。
だが、それでも。
「……何かあってからでは遅い」
「……分かった。ごめん。……ありがとう」
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『教会の役割』。
明日11時に更新予定です。
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