#11空気みたい
ミアさんは無言で皿を拭いている。
手は動いている。
が。
拭いている場所が同じ。
ずっと、同じ場所。
「ミアさん、それ……もう綺麗です」
恐る恐る言う。
「え?」
ミアさんは手を止めて、皿を見る。
「……あ」
少し間。
「……ナギちゃん」
声が小さい。
「はい?」
ミアさんは皿をそっと置くと、俯いた。
「……私、終わったかもしれない」
「え」
「……よりにもよって本人の前で……」
両手で顔を覆う。
「……穴があったら入りたい……」
しばらく、そのまま固まっていた。
だがやがて、ゆっくり手を下ろす。
「……でも」
顔を上げる。
目が、戻っている。
「これはこれで……大きな一歩では?」
「え?」
「だってつまり、あの二人は——」
言いかけて、ミアさんは何かをぐっと飲み込んだ。
「……うん、やめとこ」
一度、深く息を吐く。
それから、ぱちん、と頬を軽く叩いた。
「よし」
いつもの笑顔に戻る。
「切り替え大事!」
皿を持ち直す。
今度は、ちゃんと違う場所を拭いた。
「ナギちゃん、続きをお願いしていい?」
「は、はい」
ミアさんは、何事もなかったかのように手を動かしながら——
ほんの少しだけ、口元を緩めていた。
食事を終えた師匠は、ハルモンさんと一緒に出かけてしまった。
私は、家で留守番だ。
外にいる時は、狩りに出たり、食材を集めたり、食べ物の下ごしらえをしたり、身の回りのことを片付けたり……。
とにかく、何かとやることが残っていた。
でも、この家では女中さんがすべてやってくれる。
やることがないので、私は料理以外の家事も進んで引き受けた。
掃除をしながら、家の中を観察する。
この家には、本がたくさんあった。
泊めてもらった客間の棚にも、食堂の一角にも。
本は、高級なものだ。
それがこんなにあるってことは、ハルモンさんはやっぱり偉い人なのかも。
「ナギちゃん、そこにある本は、好きに読んでもらっていいからね」
本を見ていたら、ミアさんから声をかけられた。
「そうなんですね。……でも」
視線が落ちる。
「私、字を習ったことがなくて。だから、いいんです」
本の背表紙を、指先でなぞる。
「えっ、そうなの?」
ミアさんに向き、軽く頷く。
「田舎育ちなので。うちは、代々狩人で。……一緒に暮らしていた祖父に、狩りを教わってました」
「そうなんだ……。ナギちゃんって、意外に逞しいよね」
「そうですか?」
「うん。……ナギちゃんが手伝ってくれて、仕事が早く終わりそうだからさ」
「よかったら、私が教えようか? 字の読み書き」
「えっ、いいんですか? でも、私にできるかな……」
「絶対できるよ!よし、そうと決まったらさっさと残り片付けちゃお!」
「はい!」
ハルモンに付き添い、研究所を訪れた。
部屋の奥の机にいたルーカスが、こちらにちらりと目を向けてきた。
「戻ったか。……無事で何よりだ」
そう言うルーカスの顔は、なんとなく、少し疲れて見えた。
「……ああ」
短く返す。
俺は、回収した袋いっぱいの魔物の残留物を持って、魔物対策室へ届けに行った。
倒した時の記録とあわせて、魔導士に手渡す。
「ライさん、ありがとうございます。……これ、ハルモンさんには?」
「……夜に、少し家で見ていたな」
「そうですか……何か言っていませんでした?」
「いや、特には。……見ながら、何か書いてはいたようだが」
少し間。
魔導士が、ほんのわずかに期待するように口を開く。
「……参考になりそうなことは?」
「……わからん」
「え?」
「何か書いてはいたが……読んでいない」
少し間。
「……そう、ですか……」
魔導士は、小さく息を吐いた。
「……今日は魔法薬学室、忙しいのかなぁ」
ミアさんが本を閉じ、私は小さく息をつく。
文字を習うのは、思っていたとおり難しい。
「今日はここまでにしよっか」
「……はい」
ミアさんは本を重ねながら、ふと思い出したように顔を上げた。
「そういえばナギちゃん、ライ様とは長いの?」
「え?」
「一緒に旅してたって聞いたからさ」
少し考える。
「……そんなに長くはないです」
「そうなんだね」
ミアさんはにこにこしている。
少し迷ってから、尋ねる。
「……あの」
「ん?」
「師匠は……その……」
言葉を探す。
「……ここで、ずっと暮らしてるんですか?」
「そうねぇ……」
ミアさんは楽しそうに考える。
「最初は護衛だったんだけど」
「はい」
「そのまま住んじゃったの!」
明るく言い切られた。
ミアさんは続ける。
「でも、すごく助かってるんだ」
「……?」
「ハルモン様って、研究に夢中になると全然食事しない人でね」
「え」
「本当だよ! 一日何も食べないこともあるくらいなんだから」
ミアさんは困ったように笑う。
「でも、ライ様がいるとちゃんと食べるの」
「……」
「ちゃんと寝るし、髪も整うし、顔色も良くなるんだよ」
ミアさんは、少し声を潜める。
「それにね」
「……?」
ミアさんは身を乗り出した。
「夜、よくハルモン様の部屋の灯りがついてるの」
つい、背筋が少し伸びる。
「研究かなと思うんだけど」
「……はい」
「でも、ライ様もいるんだよね」
私は黙る。
ミアさんは真剣な顔で続ける。
「それで、しばらくすると灯りが消えるの」
「……」
「そのあと、静かなの」
少し間。
ミアさんはきらきらした目で言う。
「……絶対、一緒に寝てるよね……?」
私は、完全に固まった。
でも、ミアさんは止まらない。
「だって、朝いつも同じタイミングで食堂に来るんだよ!」
「……」
「それにライ様、ハルモン様の髪直してあげたりしてるし!」
頭の中に、その光景が浮かぶ。
……あり得る。
むしろ、すごくあり得る。
ミアさんはさらに小声になる。
「あとね」
「……」
「ハルモン様、ライ様がいるときだけすごく楽しそうなのよね」
私は、何も言えない。
ミアさんは幸せそうに言う。
「ほんとお似合いだよね〜」
胸の奥で、何かが静かに沈んだ。
でも、不思議と痛くはない。
ミアさんはまだ楽しそうに話している。
「ハルモン様って、あんなに美人なのに、今まで全然そういう話なかったんだよ。研究ばっかりで」
少し考えてから言う。
「でも、ライ様が来てから」
「……?」
ミアさんは笑った。
「ちゃんと人間らしくなったの」
「……そうなんですね」
ミアさんは元気よくうなずく。
「うん!」
そして胸の前で手を握る。
「だから私、全力で応援してるんだ!」
私は、静かにうなずいた。
それで、十分だった。
夕方、師匠はハルモンさんと一緒に帰宅した。
ミアさんたちと作った夕食を、一緒に食べる。
二人は並んで食べてるけど、食べながら仲良くおしゃべりするわけではない。
でも、やりとりが自然で、まるで空気みたいだった。
そして食べ終わると、師匠はそのままハルモンさんと一緒に二階へ消えた。
私は、ひとり客間で過ごす。
ぼんやりと窓の外を見ていたら、スイがサササッと肩に乗ってくる。
頭を撫でてやると、眠そうにあくびをした。
「……もう寝よっか」
スイは、その言葉に同意するみたいに、頬に身を寄せてくる。
ふわふわの毛が触れて、ほんの少しくすぐったかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『いつも通り』。
金曜日の夜8時に更新予定です。
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