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#8客間の前

昼過ぎ。


研究所の机の上には、書き散らされた紙と薬瓶が並んでいた。


その中心に、ハルモンがいる。


椅子に座ったまま、紙に何かを書き続けている。


朝から、ずっとだ。


(……まただ)


ハルモンは一度も席を立っていない。


昼の鐘が鳴っても。


周りの研究員が食堂へ行っても。


その手を止めない。


しばらくして、ハルモンが手を伸ばした。


薬瓶を取る。


中身を一気に飲む。


甘い匂いが少し漂った。


「……それは」


「疲労回復薬だよ」


ハルモンは紙から目を離さず答えた。


「食事の代わりにはならん」


「大丈夫」


さらさらとペンが動く。


「慣れてるから」


思わずため息をついた。


沈黙の中で、紙をめくる音だけが続いた。


(……こいつ)


天才だ。間違いなく。


理論の理解も、発想も、誰より早い。


だが。


生活が壊滅している。


ハルモンがふと手を止めた。


そして呟く。


「……ライ君、そろそろ帰ってくるかな」


ペン先で机を軽く叩く。


それだけで、また紙に向き直った。


(……やっぱりな)


この男は、自分では止まらない。


研究があれば、ずっと机に向かい続ける。


食事も、睡眠も、どうでもいい。


だが――


ライがいるときだけ違う。


食事をする。寝る。


ちゃんと人間の生活になる。


私は腕を組んだ。


(……なるほど)


ようやく理解した。


ライは護衛ではない。


あれは――


制御装置だ。


「ハルモン」


「なに?」


「ライがいない間くらい、少しは休め」


ハルモンは少し考える。


それから、さらっと言う。


「違うよ。帰って来るから今やらないと」


その言葉に、思わず額を押さえる。


(……だめだ。やはり私では抑えられない)


これは本当に、ライがいないと死ぬ。








研究所を出ると、外はすでに日が暮れてきていた。


人通りの多い大通りを、足早に抜ける。


寄り道はしない。


そのまま、まっすぐ家へ向かった。


玄関の扉を開けると、すぐにアグネスが出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ」


「……うん。客間、整えておいて」


「かしこまりました」


廊下を進む。


「食事、すぐ出せる?」


「はい。すでにご用意しております」


「じゃあ、軽めでいいから。……あと、後でお湯使う」


「承知いたしました」




自室に荷物を置いた後すぐに食堂へ向かい、席に着く。


出された料理を、淡々と口に運ぶ。


味は分かる。


でも、意識はどこか別のところにあった。


(……あと少し)


ふと、手が止まるが、すぐに、また動かした。


食事を終え、席を立つ。


廊下へ出て、自室へ向かう途中。


客間の前で、足が止まった。


整えられたばかりの部屋は、静かだ。


(……別に)


意味はない。


そう思って、視線を外す。


一瞬だけ迷って、そのまま通り過ぎた。


自室に戻り、扉を閉める。


そのまま奥の小部屋へ向かい、服を脱ぐ。


湯気がゆるく立ち上る中。

湯に浸かると、ようやく息が抜けた。


目を閉じる。


(……帰ってくる)


そのことだけが、静かに残る。


湯から上がり、軽く髪を拭くいた。


部屋着を着て部屋に戻り、椅子に腰掛けた。


……少しだけ、と思って。


机に向かい、紙にペンを走らせる。


だが、すぐに止まる。


(……集中できない)


小さく息を吐く。


視線が、扉の方へ向く。


――まだだ。


分かっている。


戻りは遅くなると言っていた。


それでも。


席を立って部屋を出て、廊下へ出ると、階段を降りる。


足は迷わず、客間の前で止まった。


扉は閉まっており、中は静かだ。


(……当然だよね)


わかっているのに、ほんの一瞬だけ、その場に立ち尽くす。


(……帰ってきたら、この部屋使うのかな)


やがて視線を外し、何事もなかったように自室へ戻った。


再び机に向かってペンを取る。


今度は、止めない。


――そのまま、時間が過ぎた。

















ここまで読んでいただきありがとうございます。


この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。


次回、『ただいま』。

大変お待たせしました。ですね。


明後日金曜日の夜8時に更新予定です。


よければブクマや評価、コメントなどいただけると励みになります。

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