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#25離れる

※理解できない相手と、離れられない話です。


夕方。


屋敷の玄関が開く音がした。


ミアは廊下を歩きながら、足を止める。


(帰ってきた)


出迎えようと一歩出たところで、二人の足音が聞こえる。


いつも通り並んでいる。


でも――


少しだけ、間がある。


「お帰りなさいませ」


笑顔で頭を下げる。


ハルモンが軽く手を上げる。


「ただいま」


ライ様は無言で外套を脱ぐと、ハルモンが脱いだ外套も受け取り、衣装掛けに掛ける。


動きは自然だ。


でも、目が合わない。


(あ)


ミアは、分かってしまう。


空気が違う。


喧嘩ではない。


距離が離れたわけでもない。


ただ、何かが“決まった”空気。


「今日はお早かったですね」


努めて明るく言う。


「うん、会議だけだったから」


会議。


その言葉に、ほんの一瞬、ライ様の肩がわずかに動く。


ハルモン様は気づいていないようだ。


「お茶、淹れましょうか?」


「お願い」


いつも通り。


本当に、いつも通り。


ミアはお茶を用意し、部屋へ運ぶ。


扉の隙間から、ちらりと見る。


二人は部屋の中で立っていた。


向き合っていない。


横並びでもない。


少しだけ、間がある。


(……あ)


胸の奥が、きゅっとする。


昨日まで上がっていた花火が、静かに落ちる。


ミアは机にカップを置く。


「……夕食はどうなさいますか?」


ハルモンが少し考える。


「僕は、軽めでいいよ」


「かしこまりました」


ミアは一礼をして廊下に出ると、深く息を吐いた。


(……いなくなる)


理由は分からない。


……でも、分かる。


あの空気は、別れ前の空気だ。


喧嘩でもなく、壊れたわけでもなく、ただ、決めた人の空気。


ミアは、静かに客間の扉を見る。


整いすぎている部屋。


(……使う日、来るのかな)


ぽつりと思う。


でも首を振る。


(帰ってくるよね)


そう自分に言い聞かせる。


屋敷は静かだ。


夜が来る前の、少しだけ長い静けさだった。






その日の夜。


灯りが落ち、部屋は静かになる。


王都の夜は、音がない。


隣の気配が、やけに近い。


ハルモンはすでに眠りかけている。


規則正しい呼吸。


安心しきった寝顔。


俺は目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


明日からのことを、考えないようにして。


それでも、胸の奥が落ち着かない。


ゆっくりと、腕を伸ばす。


触れない距離を越える。


背に、布越しに触れる。


引き寄せはしない。


ただ、そこにあることを確かめるだけ。


ハルモンの体温が、腕に伝わる。


「……ライ君?」


眠い声。


「……寒くないか」


嘘だ。


ハルモンは小さく笑う。


「寒くないよ」


それでも、自分からは離れない。


ほんの少しだけ、重みが寄る。


背中が、腕に触れる。


俺は、力を込めない。


受け止めるだけ。


「……いるよ」


「ああ」


腕は、そのまま。


抱くわけでもなく、囲うわけでもなく、ただ、触れている。








朝、目を覚ましたとき、ハルモンはもういなかった。


一瞬だけ、呼吸が止まる。


横を見ると、ハルモンはもう起きていて、机に向かっていた。


いつも通り。


何事もない顔で、紙をめくっている。


「……起きた?」


振り向きもせずに言う。


「ああ」


声が少し低い。


昨夜のことは、どちらも触れない。


触れたら、意味が変わる。


俺はゆっくり起き上がり、身支度を整える。


ハルモンは机に向かったまま言う。


「今日は、調査の件で騎士団と顔合わせだよね」


「……ああ」


淡々とした声。


「戻りは?」


「分からん」


短い沈黙の中、ペンの音だけが響く。


やがて、ハルモンが立ち上がって振り向く。


いつも通りの笑顔。


「気をつけてね」


それだけ。


それだけなのに、やけに遠い。


俺は扉に向かい、ドアノブに手をかける。


少しだけ、止まる。


振り返らない。


振り返れば、揺らいでしまう。


「……ハルモン」


名前を呼ぶ。


それだけで精一杯だ。


「ん?」


「……無理はするな」


「してないよ」


いつもの返事。


でも、わずかに、間があった。


俺は頷く。


扉を開ける。


廊下の空気が冷たい。


背中に視線を感じる。


だが、振り返らない。


扉が閉まる。


部屋の中に残るのは、静かな机と、まだ温もりの残るベッドだけだった。












出発前夜、屋敷は静かだった。


荷物はすでにまとめられている。


机の上も、いつもより整っている。


準備が終わった部屋は、妙に広い。


灯りを落とすと、王都の夜の静けさが降りてくる。


ベッドに横になると、距離が近い。


理由は決まっている。


明日、離れるからだ。


ハルモンは、しばらく目を閉じたまま動かなかったが、やがて、小さく息を吐いた。


「……早いね」


軽い声だ。


だが、少しだけ揺れている。


俺は、何も言わない。


言えば、崩れてしまうから。


沈黙が続く。


その中で、ハルモンの指が布の上を滑る。


迷うように。


触れない。


触れそうで、止まる。


その指を、俺が掴んだ。


はじめて、迷わず。


ハルモンの息が止まる。


「……ライ君?」


眠気のない声。


俺は、目を開ける。


暗闇の中で、視線がぶつかった。


……迷いはなかった。


「止めるか」


問いではない。本音だ。


ハルモンは、数秒黙る。


それから、ゆっくりと首を振り、


「止めない」


はっきりと、そう言った。


「止めたら、君が弱くなるから」


胸の奥が、きしむ。


その指が離れかけた瞬間、俺は、手を掴み直した。


強くはない。


だが、逃がさない。


ハルモンの体温が、布越しに伝わる。


距離がわずかに縮まる。


俺は額を寄せない。


抱き寄せない。


ただ、掴んだ手を、そのままにする。


「……弱くならない」


低く言う。


「お前がいても」


ハルモンは、少しだけ目を細めた。


「……じゃあ、強くなって帰ってきて」


「……帰る」


短い約束。


指は絡まない。


手のひらが触れるだけ。


離さないけれど、奪わない。


王都の夜は静かで、


二人の間だけが、静かに熱を持っていた。








出発の朝。


空は薄く白み、家の中はまだ静かだ。


俺は、すでに支度を終えていた。


部屋の中は整っている。


机。


椅子。


積み直された本。


そして、ベッド。


昨夜と同じ位置。


違うのは、これからの俺たちの距離だけだ。


ハルモンは窓際に立っていた。


こちらを振り向く。


「もう行く?」


「ああ」


短く、それだけ言った。


ハルモンは歩み寄る。


距離は、いつもと同じ。


触れない。


触れない距離。


「どれくらい?」


「分からん」


「……そっか」


小さく頷く。


それ以上は聞かない。


止めないし、縛らない。


「ちゃんと食べるんだよ」


いつもと同じ、軽い口調だ。


「無茶しないでね」


「……ああ」


沈黙。


ほんの一瞬だけ、ハルモンの指が動く。


だが、触れない。


代わりに、笑顔を浮かべた。


「いってらっしゃい」


その言葉に、俺は頷いた。


振り返らずに扉を開けて、廊下に出ると、階段を降りていく。


玄関でミアが立っていた。


いつも通りの顔だが、目が少し赤かった。


「……お気をつけて」


小さな声。


「ああ」


短く答え、扉を開けた。


外の空気は冷たい。


背中に視線を感じるが、振り返らない。


門を出て、石畳を歩くと、足音が遠ざかる。


屋敷の二階の窓辺で、カーテンが、ほんの少しだけ揺れた。






















ついに離れてしまいました。

この話で第四章は終わりです。

ここまで読んでいただきありがとうございます。


この関係がどう転ぶのか、今後も見守っていただけると嬉しいです。


明日は、番外編『あの人に似合う相手の話』をアップします。

ミア視点の、ライ君がハルモンの家に初めて来た時の話です。


明日の午前中に更新予定です。


よければブクマや評価、コメントなどいただけると励みになります。

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