#7異変
夜中に、ふと目が開いた。半分眠ったまま無意識に隣に手を伸ばす。布団の中には、温もりが残っていて、それなのに、そこは空っぽだった。
――一気に意識が覚醒する。体を起こして、ベッドの上に手を伸ばしてくまなく探す。
(……いない。どこだ……!?)
すると、暗闇の向こうから何やら苦しげに呻く声が聞こえてきた。その直後、びちゃびちゃと床に水が落ちるような音。それから、激しく咳き込む音が続く。
目を凝らすと、バスタブのある小部屋の扉が少し開いている。俺はランプを手に取って明かりを灯し、小部屋に向かった。
部屋の扉を開けると、酸っぱい匂いが鼻についた。暗い小部屋の中でハルモンは俯き、床に両手をついていた。顔の下の床には、たった今戻したものが広がっており、口元からは粘度のある液体がつうと垂れていた。――量は、そんなに多くはない。
また、ハルモンが苦しそうに咳き込んだ。肩が、震えている。
側に屈んで、背中をさする。さすりながら、床のものをどういう手順で片付けるか考える。二階にあるバスタブに入れる湯を沸かすために使っている小部屋。あそこになら、使えそうな布切れがいくつか置いてあった気がする。
しばらくさすっていると、次第に咳が収まって、呼吸も落ち着いてきた。ハルモンが、ゆっくりとこちらに目を向けてくる。
ハルモンの大きくてきれいな目は、涙ぐんで揺れていた。
「……ごめん、起こして……」
「……いいから、少し休んでろ」
俺はベッドの上に枕を積み上げ、肩を貸してベッドまで連れて行くと、枕に寄り掛からせるようにハルモンを座らせた。ランプを持ったまま早足で部屋を出る。思った通りの場所に布切れがあったので多めに取って、一枚は水に浸して絞った。
布切れを持って部屋に戻り、すぐにハルモンの元へ向かう。濡らした布で口の周りを拭いてきれいにした。その後、ランプでハルモンの体を照らし、着ている服の状態を確認する。見たところ、服はそれほど汚れていないようだった。
次は小部屋へ行って床にしゃがみ込む。布で拭って、床の上のものを無心で片付ける。片付けた後、バスタブに残っていた水で軽く流して、最後に布で拭き取った。
汚れた布は、ひとまず小部屋の片隅にまとめて置いておいた。
手を洗ってから部屋に戻ると、ハルモンはベッドの上で力無く横たわっていた。……ひどく疲れた様子だ。
「……ライ君、ごめん」
「別に。……それより、大丈夫か」
「うん。もう、落ち着いた」
ハルモンは両手を持ち上げて、服の袖を確認する。
「……少し汚しちゃった。着替えてくるよ」
ハルモンはゆっくりと立ち上がると、ふらつきながら扉の方へ歩いていく。持っていたランプを差し出すと、無言で受け取る。ほんの少し触れたハルモンの指先は、すごく冷たかった。
ハルモンが部屋を出ていくと、辺りは真っ暗になった。
静かな部屋の中で一人きりなると、沸々と怒りが湧いてくる。
(……なんで、吐くまで黙ってた)
あいつはずっと、薬の危険性を隠していた。
しかもあんな状態なのに、俺に着替えを頼まないで自分で取りに行く。
――どうして、いつも俺を頼ってくれないんだ。
それに。繋ぎ手様の治癒を受けることになった、以前の体調不良。
あれだって、もしかするとあいつが自分で作った薬のせいだったのではないかという気がしてくる。
だって、あいつはずっと理由を言わなかった。病気じゃない。大したことない。ずっとそればっかりで。周りにもあんなに心配をかけて。
……あいつは、一体何をやっているんだ?
そこまで考えたところで、扉が開く音が聞こえ、部屋に明かりが戻ってきた。……着替えたハルモン。顔からは表情が抜け落ちており、とぼとぼとした足取りで歩いてくる。
その様子を見たら、先ほどまでの怒りはすっかり萎んでしまった。……これでは、怒るに怒れない。
ハルモンはベッドの横の小さな机にランプを置いて、先ほど積み上げた枕にまた体を預けた。ハルモンの体が、枕に深く沈んでいく。
「……これ、今日は借りてていい?」
「…………ああ」
「ありがと……。ライ君は、もう寝てていいよ。僕も、少ししたら寝るから」
そう言って、ハルモンは目を閉じた。
俺は言われた通りに、靴を脱いでベッドに体を横たえる。……いつもとは、寝る位置が逆だ。
でも、今日はこれでいい。このままで。
怒るのは、明日だ。少し調子が戻ってから。きっと、それでいい。
次の日。目を覚ましたハルモンは、相変わらず顔色が悪いままだった。ベッドに座っているハルモンに「おい」と声をかけると、ゆっくりと顔を上げた。
「何で黙ってた」
「……何のこと?」
「薬のことに決まってる。……お前の不調の理由、あの薬のせいなんだろ」
ハルモンは目を逸らした。だが、表情は特に変わらない。
「……まだ試作途中なんだ。今回のは、ちょっと副作用が強かっただけ。また改良するから大丈夫だよ」
「……っ、お前……!」
思わずハルモンの肩を掴んでしまう。ハルモンはびくりと硬直して、ぎゅっと目を瞑った。
――違う。これでは怖がらせる。
俺はすぐに肩から手を離した。
「……悪い」
「ううん。……こっちこそ、ごめん」
「……今日、仕事は休むんだろ」
ハルモンは、小さく頷いた。そのまま横になって、また布団に潜ってしまった。……頭までしっかりと布団を被っている。先ほどのあれで、少しは反省してくれたならいいのだが。
……そういえば以前、ハルモンは仕事を無断欠勤してルーカスに叱られていた。俺は胸元に下げた袋から《連結子》を取り出し、ダイヤルをルーカスの持つものに合わせた。
手に載せると《連結子》はすぐに温まり、青い光を放ち始める。三回ほど明滅した後『何だ』とルーカスの声が聞こえた。
「ハルモン、今日は休む」
『……? 何があった』
「昨夜、少し」
『……また体調を崩したのか』
「…………」
こちらの無言は、肯定と受け取られたらしい。《連結子》の向こうから、深いため息が聞こえてきた。
『……ちゃんと寝かせておけ。目を離すなよ』
それだけ言って、《連結子》は静かになった。
息が漏れる。
(……全く。こいつは子供か?)
頭まで布団に潜って。反省しているのか、それとも隠れて誤魔化しているつもりなのだろうか。
椅子をベッドの前に持ってきて、どかっと腰を下ろす。今日はこの後ハルモンに何を言われようとも、ここを動かない。俺はそう決めた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『隠し事』。
ライとハルモンの亀裂が決定的になってきました。
明日11時に更新予定です。
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