#1旅の疲れ
白霧の谷から家に帰ってきた翌日の朝、いつもの時間に目を覚ます。昨夜はなかなか寝付けなかったが、それでも朝になればいつもの時間に目が覚める。
体の横に温もりがあった。顔を横に向けると、すぐ隣でハルモンが眠っている。
顔にかかった髪をよけて、つい、少しの間寝顔を眺めてしまう。
伏せられた睫毛と、ほんの少し開いた口元。
それから、ハルモンを起こさないようにそっと体を起こし、ベッドから降りる。壁際に立てかけてある剣を取って部屋の外に出た。
いつもの素振りと訓練を終えて部屋に戻ると、ハルモンはベッドの上で座っていた。
「……おはよう」
「……おはよー」
なんだか、少しだけ声が掠れているように聞こえた。剣を元の場所に戻してベッドの方に近づく。
ハルモンは、どこか眠たげでぼんやりとしていた。
「……食堂、行くか」
ハルモンは少し黙ったあと、掠れた声で言う。
「あんまり食欲ない……。一人で行ってくれる? 僕はもう少し寝てる」
そう言って、また布団に入り直してしまった。……調子が悪そうだ。
俺はハルモンを部屋に残し、食堂へ向かうことにした。
――朝食に、食欲のないハルモンにも食べられそうなものがあれば、後で持っていってやろう。
そんなことを考えながら、一階への階段を降りていく。
食堂に入ると、すでにゼファーが席について食事を始めていた。顔を上げたゼファーは、こちらを見て目を見開いた。
「あれ、ハルモンは?」
「食欲がないらしい。……少し、調子が悪そうだった」
「ふーん。旅の疲れが出たかねぇ」
言われて、そうかもしれないなと思った。ハルモンが王都の外へ出かけるのはほぼ三年ぶりだったのだ。普段は机に向かって作業するだけの生活なのに、急に谷を登ったりしたから。
いつもの席に着くと、ミアがやってきて、目の前に皿を置いていく。
「ミアちゃん、ハルモン調子悪いんだってさ」
「えっ。ライ様、本当ですか」
ミアの言葉に軽く頷く。
「……食欲がないらしい。……このスープ、後で用意してもらえるか。上に持っていく」
「かしこまりました! あ、あと、他にも何か必要なものがあれば仰ってください。お待ちしますので」
「ああ。……悪い」
食事を終え、ミアに用意してもらったスープを乗せた盆を持って二階へ戻った。
扉を開けて部屋の中を見ると、ハルモンがベッドの中で身じろぎをするのが見える。どうやら、眠ってはいないらしい。
「ハルモン。スープをもらってきた。食べられそうか」
「……いいのに。でも、少しだけ貰おうかな」
ベッドの横の小さいテーブルに盆を置く。ベッドから起き上がったハルモンは、スプーンを持ってスープを少しだけ口にする。数口食べた後、スプーンを置いて小さく息を吐いた。
「……ちょっと熱っぽいかもな」
そう言って、靴を履いてゆっくり立ち上がる。薬棚へ向かって歩いていく。薬棚の前に立つと、手を入れて探って瓶を一つ取り出した。栓を抜いて一気に飲む。
「……大丈夫か」
「うん。……もうこんな時間か。着替えてくるよ」
そう言って、部屋を出ていく。足取りが、いつもよりも重い。
……仕事に行くつもりのようだが、休んだ方がよくないか。
少しして戻ってきたハルモンは、シャツにベストをしっかりと着込んでいた。
「……行くのか」
「うん。作らなきゃいけないものもあるし。これくらい大丈夫だよ」
研究所に着くと、ハルモンはいつものように作業を始めた。しばらくはいつも通り進んでいたのだが、途中、手前側の作業が遅れているということで、奥の者たちも手前側の連中の作業を少し手伝うことになった。
薬の材料を混ぜ合わせ、最後に魔法を使って仕上げていく作業を部屋にいる全員で進める。俺も、完成した薬の入った瓶の箱詰めを手伝った。
作業を進める中で、ふと、ハルモンの「あ」という声に顔を上げる。すると、ハルモンの手にある器具の中の薬が、見たことのない鮮やかな色に変化していた。赤とも桃色とも言えない、目に痛いキツい色をしている。
周りにいる魔導士たちもみな、ハルモンとその異様な薬の様子に目が釘付けになっていた。
ハルモンは小さく息を吐く。
「……これは失敗だね」
そう言って、破棄用の薬をまとめる箱の中に作ったばかりの薬を入れる。奥にいたルーカスが立ち上がり、側に寄って声をかける。
「ハルモン、さっきのはどうした」
「配合を間違ったみたい」
「……お前が配合を間違えるの、珍しいな」
「そうかな」
「……もしかして、今日は調子が悪いのか?」
「いや? 別に、普通だよ」
二人の様子を目の端で捉えながら、瓶を詰めた木箱を廊下に運び出す作業を進める。廊下に木箱を積み上げていると、ルーカスが部屋から出てきた。
「ライ。今日のハルモンは少し様子がおかしくないか」
その問いに、すぐには答えなかった。最後の箱を持ち上げて積み上げてから、ルーカスの方に向き直る。
「……食欲がないと言って、ほとんど何も食べていない。熱っぽいからと薬を飲んでいた」
「……そうだったか。全く、無理をするなと言っているのに」
「久しぶりに出かけたから、疲れが出たのかもしれない」
「そうかもしれんな。……お前からも、体調が悪いなら無理して出てくるなと言っておけ。今日はもう帰らせる」
ルーカスと部屋に戻ると、ハルモンがまた破棄用の箱に薬を入れていた。こちらに気づくと、バツが悪そうに笑う。
「またちょっと間違っちゃった。舐めたら舌が痺れたよ」
「破棄用を試すな!」
ルーカスがハルモンの方へ向かって足を速める。
「今日はもう帰れ」
「え、いいの? 今日忙しいんじゃ」
「忙しいが、不調の奴に手伝わせるほどではない。仮にもノエシス家のお前がフラフラするな。魔導士全体の信用にかかわる」
「そんな大袈裟な。人間なんだから、調子悪いこともあるでしょ」
「調子が悪いなら、自分で整えてから来い」
家への帰り道。「怒られちゃったなー」と言いつつも、ハルモンはケロッとしていた。
「ルーカスは厳しすぎるんだよ。いくら自分で薬を作れても、毎日元気でいられるわけじゃない。風邪も引くし怪我もするのにさ」
「……そうかもしれんが、体調が悪いなら無理はするなと言っていたぞ。向こうが休んでいいと言っているのだから、休めばいいだろ」
「それはそうなんだけど。……別に、大したことないんだけどな」
ハルモンはそう言うが、俺から見てもいつも通りにはとても思えなかった。
(……段差があったらつまずいて転ぶかもしれん)
何かあったらすぐに助けられるよう、俺はいつもより少しハルモンの近くを歩いた。
家に帰り着くと、ハルモンはすぐにいつものゆるい部屋着に着替えた。棚から薬瓶を取ってベッドへ向かう。俺は水差しからコップに水を注ぎ、ベッドの横の小さなテーブルに置いた。
「……平気なのか」
「大丈夫、病気じゃないから。今日は、このまま休むし」
瓶から小さな包みをつまんで取り出す。以前飲まされたことのある『よく眠れる薬』だった。ハルモンは薬を口に含むと、コップの水を飲んでテーブルに戻した。布団に潜ると、すぐに寝息を立て始める。俺は飲みたい時にすぐに飲めるよう、水差しからコップに水を足してテーブルに置いた。
ハルモンは病気じゃないとはっきりと言った。なら、やはり旅の疲れなのだろうか。
――ハルモンは、大丈夫なんだろうか。
ゆっくりと上下する布団を、しばらく見つめていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この関係がどう転ぶのか、見守っていただけると嬉しいです。
次回、『他のやつ』。
明日11時に更新予定です。
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