第91話 願いが叶うアプリ
合格通知は、白い封筒では届かなかった。
水瀬航太の端末に、午後三時ちょうど、大学の合否照会ページから通知が届いた。塾の自習室の隅、暖房の効きすぎた空気の中で、航太は震える指で画面を開いた。
受験番号は間違っていない。
名前も、自分のものだった。
画面の中央に表示された文字を見た瞬間、航太は椅子からずり落ちそうになった。
合格。
たった二文字だった。
それなのに、その二文字が、胸の奥に詰まっていた泥を一気に押し流した。隣の席で単語帳をめくっていた友人が驚いて顔を上げる。航太は声を出そうとして、喉が詰まった。笑いたいのか、泣きたいのか、自分でも分からなかった。
「受かった……」
かすれた声でそう言った途端、涙がこぼれた。
落ちたと思っていた。自己採点の点は足りていなかった。模試でもずっと判定は低かった。合格発表の前夜、航太は布団の中で息を殺しながら、何度も同じ画面を見ていた。
古い帳簿のような白っぽい背景。
黒い、整いすぎた文字。
願いを書く欄。
あなたの願いをお書きください。
航太は、冗談半分ではなかった。
本当に、縋るように打ち込んだ。
合格したい。
その下にあるボタンを押した時、画面には短い通知が出た。
ご依頼を承りました。
叶うまで、しばらくお待ちください。
その時は、泣き疲れた頭が見せた幻だと思った。妙な噂のアプリ。友人の友人から送られてきた招待リンク。正式な場所で配られているものではないと分かっていながら、航太は開いた。何かを確かめたかったわけではない。ただ、もう自分では何もできないと思っただけだった。
願いを書いて、送った。
そして、叶った。
その夜、航太は自室の机で、何度も合格画面を見返していた。母親が台所で電話をしている声が聞こえる。父親の仏壇には、久しぶりに線香が上がっていた。
航太は笑った。
笑ったまま、ふと右手の人差し指を見た。
爪の脇に、赤い点が浮いていた。
ささくれが裂けたのだと思った。ティッシュで拭った。けれど、赤はすぐに戻ってきた。小さな粒になって、ぷくりと盛り上がる。もう一度押さえる。止まらない。
絆創膏を貼った。
白い布地が、じわりと赤く滲んだ。
一本だけではなかった。
親指の先にも、中指の腹にも、赤い線が浮き始めていた。答案用紙に文字を書き続けた指。何度も合格したいと検索し、何度も画面を開き、最後に願いを書き込んだ指。
端末が鳴った。
鈴のような音だった。
いや、硬貨が古い皿の上に落ちたような音にも聞こえた。
画面には、見覚えのある白い背景と黒い文字が表示されていた。
お支払いの準備が整いました。
航太は、自分の指から血が落ちる音を聞いた気がした。
◇
恋人からの連絡は、午前二時十三分に届いた。
半年間、既読すらつかなかった相手だった。突然姿を消し、共通の知人に聞いても分からず、警察に相談するほどの事件性もないと言われ、ただ関係だけが宙に浮いたままになっていた。
だから、端末に名前が表示された瞬間、真奈はベッドの上で息を止めた。
ごめん。会いたい。
たったそれだけの文面だった。
真奈は泣きながら返事を打った。怒りも、寂しさも、責めたい言葉も、全部喉の奥で絡まった。何を言えばいいのか分からなかった。それでも、画面に表示された名前だけで、心臓が痛いほど跳ねた。
数日前に、真奈は《願い屋》へ願いを書いた。
消えた恋人から連絡がほしい。
そんなものが本当に叶うはずがないと思っていた。思っていたのに、叶ってしまった。
翌朝、真奈は端末の写真フォルダを開いた。
恋人と撮ったはずの写真がある。肩を並べて笑っている。夏祭りの屋台の前。水族館の青い水槽の前。狭いカフェの窓際。見覚えはある。自分が写っていることも分かる。けれど、隣にいる人物の顔を見ても、胸が動かなかった。
名前は分かる。
声も思い出せる。
でも、その人を好きだった時の温度だけが、抜けていた。
真奈は震える指で写真を拡大した。画面の中の自分は、幸せそうに笑っている。その笑顔が誰のものなのか、分からなかった。
端末が鳴った。
小さな鈴のような音がした。
◇
憎い相手がいなくなればいい。
そう書いた男は、翌々日の夕方、職場の休憩室でその知らせを聞いた。
相手は階段から落ちたらしい。命に別状はないが、しばらく出勤できないという。男はコーヒーを飲むふりをして、口元が歪むのを隠した。
ずっと邪魔だった。
会議で自分のミスを指摘し、上司の前で正論を言い、何かにつけて自分を見下すように感じた相手だった。
願いは、叶った。
帰宅後、男は洗面所の鏡を見て、悲鳴を上げた。
髪は黒い。肌も、手も、まだ三十代のものだった。なのに、鏡の中の顔だけが違っていた。頬が落ち、目元に深い皺が刻まれ、唇の端が乾いてひび割れている。五十年分の夜を、一晩で貼りつけられたような顔だった。
鏡から目を逸らしても、端末は鳴った。
硬貨が落ちるような音だった。
◇
大金がほしい。
そう書いた青年の口座には、翌朝、見知らぬ振込名義で七桁の金額が入っていた。
彼は最初、笑った。次に震えた。最後には、誰にも言わずに眠った。
それきり、目を覚まさなかった。
呼吸はある。脈もある。病院に運ばれても原因は分からない。眠っているとしか言いようがないのに、肌は日に日に白くなっていった。枕元に置かれた端末だけが、ときおり小さく鳴った。
鈴のように。
硬貨のように。
願いが叶った者たちのそばで、同じ音が鳴っていた。
◇
警察庁の空気は、まだ完全には乾いていなかった。
拘束騒動から数日が経っている。それでも、廊下の壁に染みついた視線は、そう簡単には消えない。すれ違う捜査員の何人かは、クラウディオ・ルジェリウスの顔を見るたび、わずかに目を逸らした。逸らす者は、まだましだった。真正面から見る者の方が、よほど質が悪い。
疑い。
警戒。
恐怖。
そして、それらを職務という名札で覆ったもの。
クラウディオは、その視線を受けながら、不快そうに笑った。
「まだ檻の残骸が床に散っているな」
隣を歩いていたルスト・ヴァルレインが、わずかに視線を動かした。
「踏むな」
「誰に言っている。俺は人間の不始末を踏んで怪我をするほど、繊細な作りではない」
「そういう意味ではない」
「なら、どういう意味だ」
ルストは答えなかった。
クラウディオの半歩後ろ、しかし離れすぎない距離にいる。前章の騒動以降、ルストはその位置を変えなくなっていた。まるで、警察庁の壁そのものを疑っているようだった。
クラウディオは横目で見た。
「近い」
「離れるか」
「邪魔になる距離だ」
「なら、邪魔にならない程度にいる」
「そういうところが邪魔だ」
ルストは静かに瞬きをしただけだった。
言い返さないことが、余計に腹立たしかった。クラウディオは舌打ちしかけて、やめた。音にしたところで、この男が離れるとは思えなかった。
案内された会議室には、榊がいた。
顔色は悪い。寝不足だけではない。警察官としての疲労と、人間としての気まずさが同じ皮膚の下でぶつかっているような顔だった。机の上には、いくつかの資料、封鎖された端末、印刷されたスクリーンショットが並んでいる。
澪奈もいた。端末解析用の機材を持ち込み、資料の端に付箋をいくつも貼っている。目元には薄い隈が浮かんでいたが、視線は鋭かった。
榊は立ち上がった。
「来てもらって悪い」
「本当に悪いと思っている顔だな。珍しい」
「騒動の後で頼む話じゃないのは分かっている」
「分かっていて頼むあたり、人間社会の面の皮は厚い。便利な構造だ」
榊は反論しなかった。
それがかえって、会議室の空気を重くした。
クラウディオは椅子に座らず、机上の資料へ視線を落とした。ルストはその隣に立つ。澪奈は一瞬だけルストを見て、すぐに資料へ視線を戻した。
榊が低い声で言った。
「だが、通常の事件として扱うには無理がある」
「怪異だと言いたいのか」
「まだ、そう断定はできない」
「信じるな。確認しろ、と言った覚えはあるが、便利に使えとは言っていない」
榊の眉がわずかに動いた。
「分かっている」
その声音に、前章の疲れが滲んでいた。
完璧すぎる科学的証拠。
監視映像、血液反応、皮膚片、指紋、通信記録、人形の破片。すべてがクラウディオへ繋がるように配置されていた。科学的には逃げ道がないはずの檻。だが、その整いすぎた証拠そのものが、異常だった。
クラウディオは、あの時こう言った。
証拠は見るものだ。拝むものじゃない。
榊はそれを忘れていない顔をしていた。
「今回は、若者の間で妙なアプリが広がっている」
「アプリ」
「願いが叶うアプリ、だそうだ」
榊は、そこでわずかに口を歪めた。
「笑うなよ。俺も最初はそうしたかった」
クラウディオは笑った。
愉快そうではなかった。
むしろ、ひどく不快そうだった。
「願いを無料で叶える存在などいない。そんなものを信じる時点で、代償を取られる資格は十分だな」
榊の目が細くなる。
「被害者もいる」
「知っている。だから余計に腹が立つ」
その言葉で、澪奈がわずかに顔を上げた。
クラウディオの声は冷たかった。だが、そこにあるのは利用者への嘲笑だけではなかった。焦げた砂糖のように苦い嫌悪。願わずにはいられない人間の弱さを嗅ぎつけ、そこに刃物より丁寧な値札をつけるものへの嫌悪だった。
榊は資料を一枚、机の中央へ滑らせた。
「アプリ名は《願い屋》」
印刷されたスクリーンショットには、簡素な画面が写っていた。
背景は古い帳簿の紙のようにくすんだ白。罫線は薄く、文字は黒い。派手な装飾も、広告も、怪しげな絵もない。
上部に、ただ一言。
《願い屋》
その下に、入力欄。
あなたの願いをお書きください。
さらに下に、黒枠のボタン。
願いを送信する。
クラウディオは画面を見下ろした。
「随分と親切な罠だ」
澪奈が説明を引き継いだ。
「正式なストアには存在しない」
クラウディオが視線だけを向ける。
澪奈は続けた。
「検索しても出てきません。被害者の証言では、知人や匿名アカウントから送られてきた招待で表示された、と。ただ、リンク元の履歴は追えないか、途中で欠けています。端末内を調べても、アプリ本体が残っていないことがあるんです」
「幽霊のようなアプリか」
「そう言いたくなります。でも、スクリーンショットは残っています。通知も、いくつか保存されている。端末ごと押収できた例もあります」
澪奈は別の紙を出した。
そこには、同じ白地に黒い文字で、いくつかの通知が並んでいた。
ご依頼を承りました。
叶うまで、しばらくお待ちください。
代償は、成就後に確定します。
取り消しはできません。
クラウディオの口元が、ひどく薄く歪んだ。
「代償を先に見せない契約ほど、ろくでもない」
榊は頷いた。
「願いが叶った後に、異変が起きています」
会議室の空気が、さらに冷えた。
澪奈が資料をめくる。
「受験生のケースでは、不合格だった可能性が高い大学に合格しています。本人の自己採点、塾の記録、学校側の把握していた成績から見ると、合格そのものが不自然です。ただし、大学側のデータには改ざんの痕跡は見つかっていません。少なくとも、現時点では」
「代償は」
「願いを書いた指先から出血が続いています。傷は小さいのに、止まりません。血液検査では説明できない貧血状態になる兆候もあります」
クラウディオは無言で資料を見た。
手元の写真には、絆創膏を巻いた指が写っている。血は多くない。だが、白い布地の赤が、妙に濃く見えた。
榊が別の資料を差し出す。
「恋人からの連絡を願った若者は、実際に連絡を受けている。ただ、その後、相手に関する記憶だけが抜け始めた。名前や事実関係は分かるのに、感情が伴わない。写真を見ても、好きだった記憶だけが欠ける」
「願いの対象に結びついたものを取られている」
ルストが、初めて口を開いた。
榊がそちらを見る。
ルストの灰色の目は、机上の資料ではなく、封鎖された端末の方を見ていた。透明袋に入れられた端末の画面は暗い。それでも、ルストはそこに何かを見ているようだった。
澪奈がさらに続ける。
「他にも、嫌いな同級生が学校へ来なくなるよう願った生徒がいます。その同級生は事故に遭いました。命に別状はありません。ただ、願った本人は自分の声が出なくなった。喉に医学的な異常はありません」
「憎い相手を消した男は、鏡の中の顔だけが老いた」
榊が補足する。
「現実の顔は変わっていない。だが、本人にはそう見える。鏡や画面に映る自分の顔だけが、何十年も歳を取っているように見えるらしい」
「他人の時間を歪めようとして、自分の時間の影を取られたか」
クラウディオは低く言った。
「大金を願った青年は、口座に説明のつかない金が入ったあと、眠ったまま起きません。呼吸、脈、脳波、すべて生きている範囲です。でも起きない。眠りだけを差し出しているように見えます」
澪奈の声は淡々としていた。淡々としていなければ、言葉が崩れそうなのだと分かった。
「失くしたものが戻った利用者は、自分の名前だけが書けなくなりました。病気の家族の回復を願った人は、その家族が一時的に持ち直した代わりに、自分の手首に赤黒い線が浮かんでいます。医師は内出血の一種ではないかと言っていますが、線は毎晩少しずつ伸びている」
「願いを叶える、ね」
クラウディオは、資料の端に指を置いた。
「願いは金より高くつく。人間はいつもそこを見ない」
榊が息を吐いた。
「詐欺や傷害として処理するには、実体が掴めない。サイバー犯罪としても扱いづらい。アプリは残らないことがある。招待履歴も途中で消える。何より、願いが叶ったことと異変の因果関係を、通常の手続きでは証明できない」
「便利だな。証明できない祈りは、いつでも人間を殺せる」
「茶化すな」
「茶化していない。呆れている」
クラウディオは、スクリーンショットに視線を落としたまま言った。
「代償を隠して願いだけ見せる。商売としては悪くない。性根は最悪だがな」
澪奈が苦い顔をした。
「怪異に逃げたくなります。でも、逃げたら負けです」
クラウディオは彼女を見た。
「いい学習だ」
褒め言葉にしては冷たい。だが、澪奈はその意味を理解したように、わずかに頷いた。
クラウディオは、透明袋に入れられた端末を示した。
「触れるか」
榊が澪奈を見る。
「電源は切ってあります。通信も遮断しています。ただ、前例からして、完全な遮断になっているとは言い切れません」
「人間の箱に人間の願いを詰めるな。漏れるに決まっている」
「触るなよ」
ルストが短く言った。
クラウディオは眉を上げた。
「命令か」
「忠告だ」
「同じに聞こえる」
「なら命令でいい」
会議室の空気が一瞬だけ別の意味で重くなった。榊が目を逸らし、澪奈が資料に視線を落とす。人間はこういう時だけ察しがいい。もっと別の場面で発揮すれば、世界も多少はましになっただろう。
クラウディオは端末へ伸ばしかけた指を止めた。
「では、お前が読め」
ルストは静かに頷いた。
透明袋越しに端末へ手をかざす。直接触れない。ただ、指先が画面の上をなぞるように動く。
空気が、わずかに沈んだ。
灯りは変わっていない。空調も鳴っている。会議室の外を誰かが歩く足音も聞こえる。それなのに、机の上だけが、古い井戸の底のように冷えていく。
ルストの瞳が細くなる。
「血術の痕がある」
榊がすぐに問い返した。
「吸血鬼か」
「違う」
即答だった。
ルストは、見えない糸を手繰るように、指をわずかに動かした。
「吸血鬼の血術ではない。薄い。人間の欲に馴染みすぎている」
クラウディオの目が細くなった。
「つまり、人間向けの怪異か」
「人間が招き入れる形をしている」
榊が眉を寄せる。
「招き入れる?」
「願いを書く瞬間、その人間の内側に細い糸が伸びる。血、記憶、寿命、眠り、声、名前、感情。どれを取るかは、その場で完全には決まっていない。だが、繋がる」
「契約か」
「契約に似ている。だが、正式な契約ほど正直ではない」
クラウディオが鼻で笑った。
「取引の形をした祈願箱だな。賽銭箱より悪辣だ。値札がない」
ルストは端末から手を離した。
「血の匂いはある。だが濃くない。吸うためではない。広く滲ませるための血だ」
「血を餌にしているのか、印にしているのか」
「まだ分からない」
まだ。
その言葉に、クラウディオは目を伏せた。
まだ、という言葉は便利だった。確定しない。断じない。名を貼らない。前章で、科学の顔をした檻が彼に向けられたばかりだったからこそ、その言葉は重かった。
榊が静かに言う。
「この件について、警察庁側で久遠院も報告を見ている」
クラウディオの表情が、わずかに変わった。
笑みは消えない。
ただ、温度だけが下がった。
「そうか」
ルストがクラウディオを見る。
「久遠院か」
クラウディオはすぐには答えなかった。
スクリーンショットの白地に黒い文字を見つめる。その整いすぎた文面。余計な感情を削ぎ落とした丁寧さ。願いを聞き入れるふりをしながら、最初から相手の破綻を観察しているような冷たさ。
「また、誰かが人間の欲を並べて観察している」
「久遠院か」
ルストがもう一度問う。
「まだだ。名前を貼るには、血が足りない」
榊はその言葉を聞いて、何かを飲み込むように黙った。
前なら、クラウディオの言い方に苛立ったかもしれない。今は違う。疑うことと、決めつけることは違う。信じることと、確認を放棄することも違う。
榊は、疲れた目で資料を見下ろした。
「利用者の多くは、十代から二十代前半だ。受験、恋愛、金、人間関係、家族の病気。願いそのものは、笑えないものも多い」
「笑う気はない」
クラウディオは言った。
「無料という言葉に弱いな。魂まで安売りする気か、とは思うがな」
「似たようなものだろ」
「違う。弱さを馬鹿にするのと、弱さにつけ込むものを嫌うのは違う」
榊は、わずかに目を見開いた。
クラウディオは視線をそらした。
「願いを売る奴は、願いそのものには興味がない。欲しいのは、その後に剥がれるものだ」
会議室の端末が、突然鳴った。
澪奈が肩を跳ねさせる。
鈴のような音。
硬貨が落ちるような音。
遮断していたはずの端末の画面が、透明袋の中でゆっくりと灯った。
白い背景。
黒い文字。
《願い屋》
澪奈が顔色を変えた。
「通信は切ってあります」
「そうだろうな」
クラウディオは静かに言った。
「これは通信ではなく、取り立てだ」
画面には、入力欄はなかった。
願いを書く場所もない。
ただ、短い文章だけが表示されていた。
成就を確認しました。
榊が息を呑む。
次の行が浮かぶ。
代償を確定します。
ルストの手が、わずかにクラウディオの前へ出た。守るような動きだった。クラウディオはそれを見て、何も言わなかった。鬱陶しい、と言うこともできた。邪魔だ、と言うこともできた。だが、言葉は出なかった。
画面の文字が消える。
また、鈴のような音がした。
同じ頃、病院のベッドの上で、水瀬航太の端末が鳴った。指先に巻かれた絆創膏は、何度替えても赤く染まっている。母親はナースコールの場所を探し、航太は自分の手を胸に抱えたまま、画面を見ていた。
同じ頃、真奈の部屋で端末が鳴った。写真フォルダには、恋人と並んで笑う自分がいる。けれど、胸の中からその笑顔の理由だけが削られていく。彼女は泣いているのに、何を失って泣いているのか、少しずつ分からなくなっていた。
同じ頃、洗面所の鏡の前で、男の端末が鳴った。鏡の中の顔は、さらに深く老いていた。現実の皮膚に皺はない。それなのに、鏡だけが彼の未来を雑に切り貼りしたような顔を返してくる。男は鏡を伏せようとして、画面に表示された文字を見た。
同じ頃、眠ったまま起きない青年の枕元で、端末が鳴った。母親が慌ててそれを取り上げる。青年の口座には、まだ説明のつかない金が残っている。通帳の数字は動かない。動かないまま、彼の眠りだけが深くなっていく。
同じ頃、嫌いな同級生が来なくなるよう願った生徒の机の中で、端末が震えた。声の出なくなった喉を押さえながら、彼は画面を開く。何かを叫びたいのに、息しか漏れなかった。
別々の場所。
別々の願い。
別々の代償。
それぞれの画面に、同じ白地と黒い文字が浮かんでいた。
お支払いは、願いが叶ったあとで
会議室の端末にも、同じ文面が表示されていた。
クラウディオはその画面を見下ろし、低く言った。
「来たな、取り立て屋が」




