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しがない人形師は、濡れ衣の夜を暴く 〜灰銀のハンターと噛み跡だらけの怪異事件簿〜  作者: なつめ
第1部 しがない人形師は現場に立つ

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第3話 科学のせいにするのが好きだな



 夜は、証拠の顔をしていた。


 霧杜市郊外の洋館は、雨上がりの湿気をまだ抱えている。玄関ホールには仮設の照明が立てられ、古い床板の上を白い光が切り取っていた。廊下の壁に飾られた肖像画は、警察官の動きを無言で見下ろしている。人形部屋の扉は半分開かれ、そこから流れてくる冷気は、屋敷全体の空気の中でひときわ不自然だった。


 一階の応接間は、現場検証用の仮設スペースに変えられていた。


 重いカーテンは開けられ、雨に濡れた庭が窓の向こうに広がっている。丸テーブルの上にはノートパソコン、タブレット、証拠袋、現場写真、靴跡の拡大画像、報告書が並べられていた。古い洋館の応接間には似合わない機材の冷たい光が、古い木の壁と、埃を含んだ空気を白く照らしている。


 クラウディオ・ルジェリウスは、その部屋の隅に立っていた。


 座れと言われても座らなかった。逃げようとしたわけではない。ただ、警察に用意された椅子に腰を下ろす気がないというだけだった。黒い外套はまだ肩にかかっている。襟元はきっちりと整えられ、首筋の奥にある古い痕は見えない。見えないようにしている。


 ルスト・ヴァルレインは、部屋の入口近くに立っていた。


 二百二十センチ級の巨躯が、応接間の天井を低く見せている。灰銀の髪は乾ききらず、鋼色の瞳は室内の光を鈍く返していた。彼はクラウディオの隣には立たない。かといって、完全に離れているわけでもない。警察官たちとクラウディオの間に、偶然のように身体を置いていた。


 クラウディオはそれに気づいていた。


 気づいているからこそ、余計に腹が立つ。


 疑っているなら疑えばいい。庇うなら庇えばいい。人間も吸血鬼も、なぜこうも曖昧な姿勢をありがたがるのか。曖昧さで救えるものなど、たいてい曖昧に壊れていくだけだ。


 榊悠真は、テーブルの前に立って資料を確認していた。


 その横で白石澪奈がノートパソコンを操作している。画面には、防犯カメラ映像の静止画が表示されていた。雨の庭。裏口付近。黒髪の人物。長い外套。腕の中には、人形らしきもの。


 そして、応接間には警察庁から来た捜査員が二人いた。


 そのうちの一人、三十代後半ほどの男が、手元の資料を整えながら口を開いた。声は冷たく、よく訓練されていた。感情を抑えた声というより、感情を必要ないものとして扱う声だった。


「クラウディオ・ルジェリウスさん。現時点で確認されている資料を整理します」


「好きにしろ」


 クラウディオは窓の外を見たまま答えた。


 捜査員の眉がわずかに動いた。


「まず、防犯カメラです。昨夜十時前後、屋敷裏の庭を横切る黒髪の人物が記録されています。背格好、髪色、服装はあなたと酷似している」


 澪奈が映像を再生した。


 モニターの中で、夜の庭が揺れる。雨粒がレンズの端に残り、暗い画面に白い線を作っている。黒髪の人物は、屋敷の裏口側から庭を横切った。足早だが、走ってはいない。右腕に人形らしきものを抱えている。黒い外套の裾が揺れ、顔は雨と影に潰れて見えない。


「次に足跡」


 捜査員は別の写真を示した。


 庭の泥に残った靴跡。靴底の模様。長さ。幅。踵の形。クラウディオの靴と並べた比較画像もある。


「庭から採取された足跡は、あなたの靴と非常に近い形状です。完全一致とまでは断定していませんが、同型、または近い型の靴である可能性が高い」


 クラウディオは何も言わなかった。


 捜査員は続ける。


「割れたグラス付近から、被害者の血液反応が出ています。さらに人形棚の縁から採取された繊維片は、あなたの外套の生地と酷似している。被害者のスマートフォンには、あなたとの修復依頼に関するやり取りも残っていました」


 応接間の空気は、少しずつひとつの方向へ流れていった。


 映像。


 足跡。


 血液反応。


 繊維片。


 修復依頼の履歴。


 どれも単体なら、決定打にはならない。だが並べられると、ひとつの線になる。黒い線。死体のそばから人形棚へ伸び、庭へ抜け、防犯カメラの中の黒髪の人物へつながり、最後にクラウディオの足元で止まる。


 警察官たちの視線が、自然とクラウディオへ向いた。


 それは悪意だけではない。職務上の反応でもある。証拠がある。疑う理由がある。だから疑う。警察としては間違っていない。間違っていないからこそ、ひどく厄介だった。


 クラウディオはようやく窓から視線を戻した。


 そして、嗤った。


「何でもかんでも科学のせいにするのが好きだな」


 捜査員の顔が硬くなる。


「科学を馬鹿にしているのですか」


「馬鹿にしているのはお前たちの読み方だ。科学ではない」


「我々は証拠に基づいて判断しています」


「そうだろうな。映像はある。足跡もある。血液反応もある。繊維片もある。修復依頼の記録もある。どれも嘘ではない」


 クラウディオはゆっくりとテーブルへ近づいた。


 榊が警戒するように視線を上げる。ルストもわずかに身体を動かしたが、止めはしなかった。


 クラウディオは、モニターに映る黒髪の人物を見下ろした。


「科学は嘘をつかない。人間が、科学に嘘を読ませるだけだ」


 澪奈の指が止まった。


 捜査員は鼻で息を吐いた。


「詩的な表現で逃げられる状況ではありません」


「詩に聞こえるなら、お前の耳が悪い」


「映像に映っている人物はあなたに酷似している」


「似せたのだろう」


「足跡も似ています」


「似せたのだろう」


「血液反応も出ています」


「被害者の血がそこにあることと、そこで流れたことは同じじゃない」


 その言葉に、澪奈がわずかに顔を上げた。


 クラウディオは彼女へ視線を向ける。


「鑑識官。血はそこにある。だが、そこに落ちた瞬間をお前は見たのか」


 澪奈はすぐには答えなかった。


 テーブルの上には、割れたグラス付近の写真がある。床板の隙間に薄く残った血液反応。検査は正しい。被害者の血だ。だが、血痕の広がり方は妙に薄い。飛沫ではなく、擦れたような跡。争いで飛び散った血というより、後から何かに移され、拭われ、わずかに残ったようにも見える。


「反応はあります」


 澪奈は慎重に言った。


「ですが、血の飛び方として自然かどうかは、まだ追加確認が必要です」


 捜査員が澪奈を見た。


「白石さん」


「事実です。反応があることと、そこで出血したことは、厳密には別です」


 クラウディオは薄く笑った。


「少しは使える」


「褒められた気はしません」


「褒めていない」


 榊が口を挟んだ。


「クラウディオ。足跡はどう説明する」


 クラウディオは写真へ目を落とした。


 雨上がりの泥に残った靴跡。踵が深く沈み、つま先側にも力がかかっている。靴底の模様はクラウディオの靴とよく似ていた。だが、泥の深さと、映像の人物の歩き方は少し合わない。


「この足跡は深すぎる」


 クラウディオは言った。


 榊が写真を見直す。


「雨で泥が緩んでいた」


「それでもだ。俺の体重なら、ここまで踵が沈まない。人形を一体抱えた程度でも変わらない。重りを持っていたか、俺より重い別人が同型の靴を履いていたか。あるいは、わざと踏み込んだ」


 捜査員が冷たく返す。


「ご自身で重りを持っていた可能性もあります」


「そうだな」


 クラウディオはあっさり認めた。


 その潔さが、逆に場を乱した。


「可能性だけなら、いくらでも作れる。俺が重りを持って庭を歩き、カメラに映る位置だけ肩を変え、わざと足跡を残し、人形を抱え、被害者の血をグラス付近に薄く塗り、人形棚の縁へ外套の繊維を引っかけ、さらに自分への修復依頼の記録を残して、警察に見つけてくださいとばかりに並べた可能性もな」


「あなたなら、それを逆手に取ることもできる」


 低い声がした。


 ルストだった。


 応接間の空気が、また静かに重くなる。


 クラウディオは、すぐには彼を見なかった。


「灰銀、お前の鼻は飾りか」


「証拠は、お前を指している」


「証拠に指をつけた奴がいると言っている」


「だが、お前ならそれを理解して、自分が濡れ衣を着せられているように見せることもできる」


 クラウディオは、ようやくルストを見た。


 琥珀の瞳に、冷たい光が差す。


「便利な疑いだ。俺なら何でもできる。俺なら嘘を嘘に見せられる。俺なら自分を疑わせるために証拠を置ける。なら、俺が何をしていなくても、永遠に疑える」


 ルストは黙った。


「お前はそれを分かって言っているのか」


「分かっている」


「なら救いようがないな」


 クラウディオの声は静かだった。


 静かすぎて、榊はかえって口を挟めなかった。


 ルストは疑っている。だが、疑いだけではない。映像の歩幅にも、足跡の沈み方にも、繊維片の位置にも違和感を持っている。持っていながら、クラウディオを完全に外せない。クラウディオの危険さを知っているから。彼が何をできるか、誰よりも知っているから。


 クラウディオもそれを分かっている。


 分かっているから、傷つく。


 もちろん、その顔には出さない。出すくらいなら、最初から首筋の痕を隠したりしない。


 捜査員は二人の間に流れる沈黙を不快そうに見た。


「個人的な関係があるようですが、今は事件の話をしています」


「個人的な関係などない」


 クラウディオが即座に言った。


 ルストは何も言わなかった。


 その沈黙の方が、よほど返答に近かった。


 澪奈は画面を切り替えた。


「繊維片の画像です」


 モニターに、人形棚の縁が映る。照明の当たる位置に、黒い繊維が一本引っかかっていた。細く、光沢があり、クラウディオの外套の生地とよく似ている。


 捜査員が言う。


「こちらも鑑定中ですが、あなたの外套と酷似しています」


 クラウディオは退屈そうに眺めた。


「見つけやすい場所だな」


「どういう意味です」


「人形棚の奥ではない。人形の関節にも、欠けた部分にも絡んでいない。照明が当たる縁に、都合よく一本。現場に入った人間が見つけてほしい場所だ」


「偶然引っかかった可能性もあります」


「もちろんある。人間は偶然という言葉で、雑な必然をよく隠す」


 榊は写真を見つめた。


 確かに、繊維片は分かりやすい位置にある。現場検証で見落とされにくい。証拠として使うには十分だが、自然に付着したにしては、少しだけ行儀がよすぎる。


「白石」


「はい。繊維片の採取位置は記録済みです。周辺から同種の繊維が複数出るか確認します。一本だけなら、偶発的な付着とは別に考える必要があります」


 捜査員が表情を硬くした。


「白石さん。あなたはこの人形師の主張を採用するのですか」


「採用ではありません。確認です」


 澪奈は淡々と言った。


「科学的に見るなら、都合の悪い可能性も潰すべきです」


 クラウディオが小さく笑う。


「その通りだ。科学が好きなら、科学らしくしろ。見たい結論に合うものだけ拾うな」


「あなたの態度は、協力的とは言えません」


 捜査員が言った。


「あなたには署まで同行していただく必要がある」


 その瞬間、ルストが一歩前へ出た。


 大きな身体が、クラウディオと捜査員の間に入る。ほんの一歩だった。手を出したわけでも、声を荒げたわけでもない。それでも、応接間の空気は明らかに変わった。警察官の一人が無意識に姿勢を正す。


 クラウディオの目が細くなる。


 捜査員はルストを見上げた。


「ルストさん。捜査の妨害ですか」


「違う」


「では、どいてください」


「強引に触るな」


「我々は手続きを踏んでいます」


「なら、手続き通りにしろ」


 短い言葉だった。


 だが、ルストの声には人を退かせる重さがある。捜査員は一瞬黙った。


 クラウディオは、背後からその広い背を見ていた。


 嫌になるほど覚えのある位置だった。


 疑っているくせに、前へ出る。信用していないくせに、遮る。説明もしない。謝りもしない。まるで身体だけが勝手に覚えているとでも言うように。


 クラウディオは笑った。


「疑うなら、最後まで疑え。中途半端に庇うな」


 ルストは振り返らない。


「庇っていない」


「その位置で言うな」


「黙れ」


「都合が悪くなるとそれだ」


「お前が喋りすぎる」


「お前が喋らなすぎる」


 応接間にいた警察官たちは、無言で二人を見ていた。


 榊は頭が痛くなりかけていた。現場には死体があり、科学資料があり、怪異の残響があり、容疑者めいた人形師がいる。そのうえ、灰銀のハンターと人形師の間には、職務質問では到底処理できない種類の距離がある。警察学校ではこんな状況への対処を教えない。まあ教えられても困る。教師も辞めるだろう。


 クラウディオはルストの横へ歩いた。


 近い。


 警察官たちが息を呑むほど、二人の距離は自然に近かった。クラウディオがルストの横を通り過ぎる時、灰銀の男の視線がその襟元へ落ちる。黒い布の奥に隠された古い噛み跡。その気配だけを、ルストは見た。


 クラウディオはすぐに気づいた。


 指先が襟元へ触れる。布を正す。隠す。


「見るな」


「見ていない」


「嘘が下手になったな」


「お前ほどではない」


 ルストの手が、クラウディオの手首へ伸びかけた。


 そこで止まった。


 現場だった。警察官がいる。死体がある。証拠が並んでいる。ここで掴めば、何を見られるか分からない。噛みつくなど論外だった。どれほど衝動が喉の奥まで上がってきても、ここは屋敷の応接間であり、地下の閉じた場所ではない。


 クラウディオは止まった手を見た。


 それから、ルストを見上げる。


「躾が少しは効いているらしい」


 ルストの目が冷える。


「逃げるな」


「今は逃げていない」


「いつも逃げる」


「数十年分の説教を、この死体臭い部屋でする気か」


「必要なら」


「やめろ。警察が気の毒だ」


 榊は、気の毒と思うなら少しは協力しろと言いたかったが、飲み込んだ。言っても無駄だと学びつつある。人間は学習する生き物だ。悲しい場面でも学習だけはする。


 澪奈が別の画面を開いた。


「被害者のスマートフォンの履歴です。クラウディオ氏との修復依頼に関するやり取りが残っています」


 画面にはメッセージの履歴が表示された。


 槻島宗一郎からクラウディオへの依頼。人形の状態。修復費用。受け取り予定日。文面は丁寧で、やや古風だった。句読点が多く、言い回しも回りくどい。そこまでは自然だった。


 だが、最後の一通だけが違う。


 今夜、必ずお越しください。人形は二階の書斎にあります。遅い時間でも構いません。


 短く、平板だった。


 クラウディオはそれを見て、目を細める。


「槻島の文ではない」


 榊が問う。


「分かるのか」


「それ以前の文章を読め。無駄に丁寧で、句読点が多い。依頼人としては面倒な部類だ。最後だけ急に簡潔すぎる」


「本人が急いでいた可能性は」


「ある。だが、急いでいる人間ほど癖が出る。消えるのではなく、崩れる。この文には崩れ方がない」


 澪奈は頷いた。


「文体分析に回します。断定はできませんが、最後のメッセージだけ入力傾向が違う可能性があります」


 警察庁の捜査員は不満げだった。


「現段階では、被害者本人のスマートフォンから送られています」


「だから科学は正しいと言っている」


 クラウディオは、うんざりしたように息を吐いた。


「スマートフォンから送られた。履歴はある。時刻も残っている。そこに嘘はない。だが、誰が打ったかは別だ。指紋か顔認証か暗証番号か知らないが、本人以外が操作できる状況を作ればいい」


「被害者が生前に送った可能性も残ります」


「もちろん残る。可能性はいつも残る。残るからこそ、人は都合のいいものだけを拾う」


 ルストは黙って聞いていた。


 クラウディオの言葉は正しい。正しいからこそ、ルストの疑念を消さない。クラウディオは科学を否定しない。証拠を笑うのではなく、証拠を置いた者の意図を笑っている。そこまでは分かる。


 だが、クラウディオなら。


 その思考が、ルストの中で冷たい杭のように残る。


 クラウディオなら、証拠を置いた者の意図を笑いながら、自分がその意図を作ることもできる。


 クラウディオはそれに気づいている。


 だから、ルストを見ない。


 見れば、余計なものまで見えてしまう。


 応接間の扉が開いた。


 廊下から若い警察官が入ってくる。顔色が少し悪い。彼は榊のそばへ寄り、低い声で報告した。


「人形部屋の状況ですが、机の上に置いていた人形の水滴が、まだ乾いていません」


 澪奈が反射的に顔を上げる。


「採取後に拭き取りましたよね」


「はい。ですが、また目元に水滴が出ています」


 応接間の空気が沈んだ。


 科学資料を並べていた画面の光が、急に頼りなく見えた。防犯カメラも、足跡も、血液反応も、繊維片も、人間の手で置くことができる。だが、乾かない水滴は別だった。少なくとも、誰かが人形部屋に戻っていない限り、説明がつきにくい。


 ルストが顔を上げた。


 クラウディオも同じ方向を見た。


 その瞬間、遠くから、微かな音がした。


 水滴が落ちる音。


 階上の人形部屋から聞こえたとは思えないほど小さい。だが、二人は同時に聞いた。クラウディオの目が細まり、ルストの鋼色の瞳が暗くなる。


 榊も、澪奈も、警察庁の捜査員も聞こえなかったようだった。


 クラウディオは低く言った。


「まだ飽きないらしい」


 ルストが応じる。


「人間の悪意に、残響が食いついている」


「血と人形と恐怖。くだらない餌だ」


「だが、効いている」


「人間にも、怪異にもな」


 捜査員が苛立ったように言う。


「怪異の話で科学的事実は覆りません」


 クラウディオは彼を見た。


「覆せとは言っていない。並べろと言っている。科学で見えるもの。怪異で歪むもの。人間が置いたもの。それを分けろ。全部まとめて俺に投げるな。雑だ」


 その時、榊のスマートフォンが鳴った。


 応接間の空気が、また変わる。


 榊は画面を確認し、すぐに通話に出た。短く名乗り、相手の報告を聞く。表情が硬くなった。澪奈が息を止める。ルストもゆっくり顔を上げた。


 クラウディオだけが、すでに嫌な予感を知っていたように目を細めた。


「分かった。すぐ確認する」


 榊は通話を切った。


 数秒、誰も声を出さなかった。


 捜査員が先に問う。


「何か」


 榊はクラウディオを見た。


 その視線だけで、応接間の全員が次の言葉を予感した。


「病院から連絡があった。事件現場から搬送されていた唯一の生存者が、意識を取り戻した」


 澪奈の顔がわずかに強張る。


 ルストは動かない。


 クラウディオは笑わなかった。


 榊は続けた。


「生存者が証言した。襲ったのは、黒髪の美しい男だったと」


 警察官たちの視線が、またクラウディオへ集まった。


 黒髪。


 美しい男。


 死体のある屋敷に現れた人形師。


 防犯カメラの影。


 足跡。


 繊維片。


 血液反応。


 修復依頼。


 証拠の線が、さらに太くなる音がした。


 クラウディオは少しだけ目を伏せた。


 怒りではない。恐怖でもない。あまりにも整いすぎた舞台に対する、深い嫌悪だった。


 やがて、彼はひどく冷えた声で言った。


「便利な証言だな」


 その直後だった。


 階上の人形部屋から、はっきりと音が落ちた。


 水滴が床を叩く音。


 今度は、その場にいた全員が聞いた。


 誰も動かない。


 乾かない人形の涙は、証言を待っていたかのように、夜の底で小さく鳴った。



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