第2話 灰銀のハンター
洋館の夜は、まだ濡れていた。
雨はやんでいる。それでも、庭の草木は水を含み、黒い枝先から細い雫を落とし続けていた。古い鉄門のそばには警察車両が並び、濡れた石畳の上を、捜査員の靴音が低く響いている。玄関扉は開け放たれていたが、屋敷の奥から流れてくる空気は外よりも冷たい。雨上がりの冷え方ではない。古い木材と埃と鉄の匂い、その奥に、甘く腐りかけた薔薇の香りがまだ残っていた。
二階の書斎兼人形部屋では、現場検証が続いていた。
槻島宗一郎の死体は、部屋の中央に横たわったままだった。白くなった顔、硬くなり始めた指、首筋に穿たれた二つの傷。吸血痕に似たそれは、捜査用ライトの下で妙に整って見えた。古時計は十時十三分で止まり、割れたグラスの破片は床に散り、棚から落ちた少女人形は濡れてもいない部屋で目元だけを湿らせている。
人形たちは黙っていた。
ガラスの目は光を受け、死体を見ているようにも、入ってくる者を待っているようにも見えた。誰もその感覚を口にしない。口にすれば、現場の空気が怪談に落ちる。警察官たちは証拠品の番号札を置き、写真を撮り、手袋を替え、足跡を避けて歩いた。無線の短い雑音だけが、時折、沈黙に傷をつける。
クラウディオ・ルジェリウスは窓際に立っていた。
黒い外套の裾はまだ湿っている。細い首筋を覆う襟元は乱れなく整えられ、長い黒髪は肩口で夜のように沈んでいた。死体のある部屋で、彼だけがあまりにも静かだった。悲鳴を上げない。怯えない。必要以上に目を逸らしもしない。その落ち着きは、警察官たちの不信をさらに濃くしていた。
榊悠真は、机の上に残された破れた依頼書をもう一度確認していた。
槻島がクラウディオへ依頼した人形は、現場から消えている。右腕欠損、左目のガラス交換、胸部機構修復。写真は剥がされ、紙には繊維の荒い跡だけが残っていた。依頼書の下部には名前の一部だけが見えている。文字は途中で破れており、最後まで読めない。紙の端には古い薔薇香水のような匂いがうっすらと移っていた。
白石澪奈は、床に落ちた少女人形の目元から採取した水滴の簡易検査を待っていた。
「血液反応はほとんどありません。水分と、ごく微量の有機成分。香料か、古い薬品に近いものが混じっている可能性があります」
澪奈の声は平静だったが、最後の言葉の後にわずかな間があった。
榊は顔を上げた。
「涙ではない、ということか」
「人形が泣くかどうかは鑑識の範囲外です」
クラウディオが短く笑った。
澪奈は彼を見ないようにして続ける。
「ただ、自然に付着した水滴としては妙です。窓から雨が入った形跡はありません。床も棚も乾いています。なのに、人形の目元だけが濡れていました」
「都合がいいな」
クラウディオが言った。
榊が目を向ける。
「何がだ」
「死体は吸血鬼に襲われたように白い。首には傷が二つ。時計は死亡推定時刻に合わせて止まり、グラスは争ったように割れている。人形は泣き、防犯カメラには黒髪の影。怪異を信じたい者にも、犯人を欲しがる者にも、親切すぎる」
「まだあんたへの疑いが消えたわけじゃない」
「消す気があるなら、まず疑い方を覚えろ」
榊の眉間が動いた。
「口だけはよく回るな」
「目も鼻も使え。死体の前で口ばかり使うな」
その時、階下で空気が変わった。
足音がしたわけではない。先に、沈黙が動いた。玄関付近にいた警察官たちの声が止まり、誰かが小さく息を呑む気配が、古い階段を伝って上がってくる。次に、床板が低く鳴った。一歩ごとに木が軋む。重量のある男が、屋敷そのものへ圧をかけるように歩いている。
榊は廊下へ顔を向けた。
数秒後、書斎兼人形部屋の入口に、灰銀の男が現れた。
大きい。
最初にそう思うしかなかった。
ルスト・ヴァルレインは、扉の高さを測るようにしてわずかに首を傾け、部屋の内側へ入った。二百二十センチに届くほどの巨躯。灰銀の髪は雨に濡れた獣の毛のように重く、鋼色の瞳は暗い光を帯びていた。黒い長衣の上からでも、身体の強さが分かる。筋肉の厚みというより、存在の重さだった。警察官たちは命じられたわけでもないのに道を空けた。人間という生き物は、自分より大きく、得体の知れないものに対してだけは妙に素直になる。実に都合のいい本能である。
榊は彼に近づいた。
「ルストさん。来ていただいて助かります」
ルストは短く頷いた。
その声は低い。
「状況は」
「被害者は槻島宗一郎。屋敷の主です。首筋に二つの傷。血を抜かれたように見えますが、現場の血液量が合いません。室内には冷気、人形の目元の水滴、止まった古時計。防犯カメラには黒髪の人物が映っています」
「死体は」
「こちらです」
榊が案内する必要はほとんどなかった。ルストは部屋に入った時点で、死体の位置を見ていた。いや、死体だけではない。匂い、空気、温度、床のわずかな湿り、窓の開き方、人形棚の視線。彼はそれらを、目で見る前から拾っているようだった。
クラウディオは窓際から動かなかった。
ルストも、最初は彼を見なかった。
そのことが、かえって部屋の空気を硬くした。
数十年という時間は、部屋にいる警察官たちには見えない。だが、クラウディオとルストの間には、長い沈黙だけが知っている距離があった。近すぎた時間。遠ざかった時間。触れた痕だけが残り、言葉が追いつかなかった時間。
ルストは死体のそばにしゃがんだ。
巨躯が膝を折ると、部屋の重心が変わったように見えた。彼は手袋をつけず、死体に触れない距離で首筋の傷を見る。鋼色の目が細まる。吸血痕に似せられた二つの穴。間隔は整っている。だが、皮膚の沈み方が不自然だった。牙が肉へ入った時の迷いがない。引き抜かれた時の歪みもない。噛んだ者の飢えも、唾液の熱も、血を求める本能もない。
「違う」
ルストは言った。
榊がすぐに反応する。
「吸血鬼の仕業ではない、ということですか」
「これは吸血鬼の殺し方じゃない」
部屋にいた警察官の一人が、無意識に肩の力を抜いた。吸血鬼という言葉が否定されたからではない。ルストが断言したからだ。彼の言葉には、怪異を信じる者特有の熱がない。ただ、現場に残るものを読んだ者の重みがあった。
ルストは続ける。
「傷の角度が浅い。牙なら、もっと皮膚が沈む。肉が逃げる。ここにはそれがない。器具か、硬いものを押し込んだ痕に近い」
澪奈が静かに近づいた。
「鑑識の簡易所見とも一致します。周辺組織の反応が妙です。ただ、生前についた傷である可能性は高い」
「殺す前か、死ぬ直前に作った」
「血を抜いた痕跡は?」
「ある。だが、吸った痕ではない」
ルストは死体の胸元、袖口、絨毯の暗い染みへ目を移した。
「匂いが薄い。死体の色に対して、部屋に残る血の匂いが足りない。血を失ったなら、もっと残る。床にも、布にも、手にも」
榊は腕を組んだ。
「別の場所で血を抜き、ここへ戻した可能性は」
「死体を大きく動かした匂いは薄い。だが、血だけを外へ出した可能性はある。道具を使ったなら」
澪奈が低く言った。
「血液反応と死体の状態が一致しない理由にはなります」
クラウディオは窓際で小さく息を吐いた。
「犬の鼻はまだ利くらしいな」
初めて、ルストが顔を上げた。
灰銀の髪の奥から、鋼色の瞳がクラウディオを見る。
その瞬間、部屋の温度が変わった。
警察官たちが理解できないまま黙る。榊も澪奈も、死体から二人へ視線を移した。クラウディオは窓際に立ったまま、微笑んでいる。だが、その笑みは警察へ向けていたものよりも薄い。刃を布で包んだような笑みだった。
ルストは立ち上がった。
大きな身体がゆっくりと伸びる。天井が低く感じられるほどだった。彼は死体を見た。それから、クラウディオを見た。もう一度、死体を見た。
長い沈黙があった。
榊が口を挟もうとした時、ルストが低く言った。
「お前か」
誰も動かなかった。
死体のある部屋で、その一言は証拠よりも重く落ちた。
クラウディオの表情は変わらない。少なくとも、警察官たちにはそう見えた。だが、彼の指が一瞬だけ襟元へ触れた。黒い布の下、白い首筋の奥に隠された古い痕を、さらに隠すような仕草だった。
ルストはその動きを見た。
見ないふりはしなかった。
クラウディオは冷たく笑った。
「お前までそれを言うのか、灰銀」
ルストは答えない。
「警察に疑われるのは分かる。彼らは見えるものしか見ない。黒髪、人形師、死体、吸血痕もどき。並べれば満足する。だが、お前は違うだろう」
「違うから聞いている」
「聞く形をしていない」
「答えろ、クラウディオ」
その名を呼ぶ声が、部屋の壁に低く触れた。
榊は二人の間へ入るべきか迷った。だが、入り込める空気ではなかった。事件現場の尋問ではない。もっと古いものが、死体の横で目を覚ましている。
クラウディオはゆっくりと首を傾けた。
「俺がやったように見えるか」
「見えるように作られている」
「では、答えは出ている」
「お前なら、そう作ることもできる」
クラウディオの笑みが消えた。
ほんの一瞬だった。
警察に疑われた時、彼は怒るより先に呆れていた。雑な現場への嫌悪を隠さなかった。だが、ルストの言葉には違う反応をした。傷ついた、という言葉は似合わない。本人が認めるはずもない。それでも、声の底から小さな熱が消えた。
「ずいぶん信用があるな」
「お前の危険さは知っている」
「なら、俺の美意識も覚えておけ。こんな下手な首筋で俺の名を使うな」
「美意識の話ではない」
「お前が疑った時点で、もう美意識以下の話だ」
ルストの目が細くなった。
クラウディオはその視線を受けても動かない。逃げない。ただ、襟元の布を整える指先だけが、わずかに白くなっていた。
澪奈はその指先を見てしまった。
死体にも、疑いにも、現場の異様さにも動じなかった男が、ルストの一言にだけ反応した。その事実が、事件とは別の場所で、彼女の中に沈んだ。
ルストはクラウディオから視線を外し、人形棚へ向かった。
棚の一角だけが冷えている。
窓から遠い場所だった。外気が入り込む位置ではない。棚の上段、古いビスクドールが三体並ぶ場所。その下、空白が一つある。人形が置かれていた跡だけが、埃の薄さで残っていた。そこから、冷気が漏れている。
ルストは手を伸ばしかけ、触れずに止めた。
「ここだ」
榊が近づく。
「何がありますか」
「冷えているのは死体の周りではない。窓でもない。この棚だ」
澪奈が温度計を向ける。
「確かに、この一角だけ低いです。周囲より三度ほど」
「怪異の残り香だ」
警察官の一人が息を呑んだ。
ルストはその反応を気にしない。
「ただし、殺した匂いではない。呼ばれたか、利用されたか。血、古い人形、隠したい罪。そういうものに反応した残響に近い」
クラウディオが低く言った。
「便利な言い方だな」
「断定できるほど濃くない」
「珍しく慎重だ」
「お前がいる」
その言葉に、榊は視線を上げた。
ルストは棚を見たまま続ける。
「お前がいる現場で、早く決めつける気はない」
クラウディオは笑った。
「疑っておいて、今さら保護者面か」
「黙れ」
返答は短かった。
だが、ルストはクラウディオへ背を向けたまま、わずかに身体の位置を変えた。警察官が一人、証拠確認のためにクラウディオの近くへ寄ろうとしていた。その手が、彼の襟元へ届きかける距離に入った瞬間だった。
「触るな。そいつに不用意に近づくな」
ルストの声が部屋を止めた。
警察官は固まった。
クラウディオも一瞬、目を細めた。
「俺は危険物か」
「危険物だ」
「本人の前で言うか」
「事実だ」
「ついでに保護対象扱いもやめろ」
「お前が逃げるからだ」
その言葉は、現場に似合わなかった。
だが、二人の間では自然だった。あまりにも自然で、榊は逆に不自然さを覚えた。逃げる。何から。誰から。いつから。聞くべきことは多い。だが、聞いたところで答えが返るとは思えなかった。
クラウディオは顔を背けた。
「昔の口ぶりを持ち込むな」
「昔の話をした覚えはない」
「黙れ」
「それは俺の台詞だ」
澪奈は黙って温度計の数値を記録した。専門的な訓練は、異様な会話を聞かなかったふりをする技術にも役立つ。人類、仕事のためなら耳を閉じることも覚える。便利というより悲しい。
ルストは棚の空白を見下ろした。
「消えた人形は、ここにあった」
クラウディオが目だけを向ける。
「なぜそう思う」
「埃の残り方。冷気の中心。人形の目元の水滴と同じ匂いがする」
「匂い」
「古い薬品と香水。薔薇。だが、生きた人間の肌の匂いではない。人形に移ったものだ」
澪奈が人形の水滴の容器を確認する。
「水滴にも類似の匂いがあります。まだ分析前ですが、薔薇香水に似た成分が出る可能性があります」
榊は依頼書を見た。
「クラウディオへの修復依頼の人形が消え、その人形があったと思われる棚だけが冷えている。人形の水滴には香水に近い成分。死体には吸血痕に似せた傷」
「それを並べると、俺が人形を取りに来て、槻島を殺し、怪異を残して逃げた話になるな」
クラウディオの声は冷淡だった。
榊は否定しなかった。
「そう見える」
「そう見せたい奴がいる」
「それも可能性だ」
「ようやく人間の頭らしい働きを始めたな」
榊は睨んだが、言い返さなかった。
ルストは死体へ戻った。
首筋の傷、衣服の乱れ、指先、唇の乾き、胸元に残るかすかな匂い。彼は死体のそばにしゃがみ込み、顔を近づけすぎない距離で、長く息を吸った。
「血術に似ている」
クラウディオの瞳がわずかに動いた。
ルストは続ける。
「だが血術そのものではない。薄い。形だけ借りている。誰かが見よう見まねで、血と人形と恐怖を混ぜた」
「吸血鬼ではないが、吸血鬼の噂は使った」
榊が言う。
ルストは頷いた。
「そうだ」
澪奈が記録する手を止めた。
「怪異が直接殺したのではない、という判断でいいですか」
「今のところは。怪異は残っている。だが、血を完全に抜く力はない。死体をここまで整える力もない。人間の作為が強い」
クラウディオは窓の外へ視線を向けた。
「人間は本当に器用だな。怪異より面倒なことばかりする」
「お前が言うな」
ルストが返す。
クラウディオは薄く笑った。
「俺はしがない人形師だ」
その言葉に、部屋の警察官たちが誰も同意しなかった。しがないという言葉が、これほど本人に似合わない例も珍しい。言葉というものは時々、使った者を裏切る。まあ本人に自覚がなさそうなのが一番厄介だ。
榊の無線が鳴った。
階下の捜査員からだった。短いやり取りの後、榊の表情が硬くなる。
「白石、映像が来た。防犯カメラの追加解析だ」
澪奈がタブレットを受け取り、映像を開く。
部屋の空気が再び変わった。
画面には、雨の庭が映っていた。夜の粒子が荒く、雨粒の残りがレンズ端に滲んでいる。屋敷の裏口付近を、黒髪の人物が横切る。長い外套。細身の体。腕の中には、人形らしきものを抱えている。
警察官たちの視線が、一斉にクラウディオへ向いた。
榊はタブレットを彼へ向ける。
「クラウディオ・ルジェリウス。説明してもらおうか」
クラウディオは映像を見た。
顔色は変わらない。
だが、笑った。
怒りではない。面白がっているわけでもない。ひどく冷えた、刃物を水に沈めたような笑みだった。
「何でもかんでも科学のせいにするのが好きだな」
榊の声が硬くなる。
「映像は証拠だ」
「映像は映ったものを示す。映るようにされたものの意図までは喋らない」
「手に人形を抱えている」
「そうだな」
「あんたに似ている」
「似せたんだろう」
「断言する根拠は」
「俺なら、そんな持ち方はしない」
澪奈が映像を拡大した。
黒髪の人物は、人形を腕の内側へ押し込むように抱えている。濡れた庭を急ぐためか、肩が不自然に丸まっていた。背格好はクラウディオに近い。だが、歩幅は少し広い。右足を踏み込む時、肩がわずかに落ちる。
ルストは画面から目を離さなかった。
彼の横顔には、疑念が残っていた。
同時に、別の感情も混じっていた。怒りではない。安堵でもない。クラウディオが犯人なら、もっと綺麗に隠す。そう知っている者の顔だった。だが、知っているからこそ、完全には否定できない。クラウディオなら、もっと深く、もっとひどく、もっと誰にも届かない場所で何かをする。そういう危険さもまた、ルストは知っている。
クラウディオはその視線を見ないふりをした。
「疑うなら疑え。俺は説明する気がない」
「まだ帰すわけにはいかない」
榊が言う。
「好きにしろ」
「任意同行を求めることになるかもしれない」
「令状を持ってこい」
「またそれか」
「人間社会の手順だろう。好きな科学と法律を使え」
榊が言い返そうとした時、ルストが静かに口を開いた。
「映像の男は、クラウディオに似ている」
クラウディオの眉がわずかに動く。
ルストは続けた。
「だが、同じではない」
榊が振り向く。
「分かるんですか」
「歩幅が違う。肩の落ち方も違う。人形の抱え方も違う」
「それは本人が意識して変えた可能性もあります」
「ある」
ルストは否定しなかった。
クラウディオが冷ややかに笑う。
「実に公平だな」
「だからまだ疑っている」
「お前は昔から、余計なところで律儀だ」
「お前は昔から、答えを隠す」
「答える価値のある問いが少ないだけだ」
二人の声は低く、激しくはない。だが、部屋にいる誰もが口を挟めなかった。死体、人形、怪異、科学証拠。そのすべてよりも、二人の間に横たわる沈黙の方が古く、重く見えた。
その時だった。
机の上に置かれていた少女人形の水滴採取容器の隣で、別の人形が小さく鳴った。
こつ、と。
木が縮むような音。
澪奈が顔を上げる。
榊も振り返った。
棚から落ちていた少女人形の目元に、また水滴が膨らんでいた。先ほど拭ったはずの場所。誰も触れていない。窓から雨は入っていない。部屋は乾いている。なのに、透明な雫が人形の頬を伝い、顎先で一瞬止まる。
落ちた。
床に触れた音は、ごく小さかった。
今度は、ルストにも聞こえた。
彼は人形を見たまま、低く言った。
「まだ終わっていない」
クラウディオは何も答えなかった。
ただ、襟元に触れた指をゆっくり離した。
古時計は十時十三分のまま止まっている。
防犯カメラの中では、黒髪の人物が雨の庭を横切り、腕に抱えた人形を夜の奥へ連れ去っていた。




