第7話「辺境の光、王都の闇」
「セリア様、見てください! こんなに綺麗に息が入りました!」
煤で顔を黒くした少女が、満面の笑みを浮かべて鉄の吹き竿を掲げてみせた。 竿の先端には、小さく丸く膨らんだ、淡い蜂蜜色のガラス球が赤熱の光を放っている。
「ええ、とても筋がいいわ、リーナ。回転を止めずに、そのまま徐冷台へ運んでちょうだい」 「はいっ!」
少女は誇らしげに頷き、小走りで作業台へと向かった。
活気に満ちた掛け声と、ふいごが空気を送り込む重厚な呼吸音、そして炎の爆ぜる音が、巨大な石造りの空間を震わせている。
離宮の小さな工房から始まった試みは、わずか一月の間に、城下の使われていなかった兵糧庫を改装した「ヴォルフガング大工房」へと発展していた。
酷寒の北方領において、冬は死の季節だ。
農作業は完全に途絶え、吹雪によって外部との交易も制限される。特に貧困層の女性や身寄りのない孤児たちは、寒さと飢えの直撃を受ける弱者だった。
私はアレクシス卿とホルスト殿に掛け合い、そうした領民たちを工房の見習いとして正規雇用する仕組みを整えたのだ。
重い木炭の運搬や窯の種火維持は力自慢の男たちが担い、木灰からの灰汁の抽出やカレットの選別、ガラスの徐冷管理、完成品の研磨や藁での梱包は女性や子どもたちが受け持つ。
さらに、雪の下から掘り起こしたハーブを乾燥させ、香油を抽出する調香部門も併設した。
公正な日当と温かい食事、そして技術を学ぶ場を得た領民たちの瞳には、未来への希望が灯っていた。
その平穏を切り裂くように、工房の重い両開き扉が乱暴に蹴破られた。
「内務省監察課である! 作業を直ちに止めよ!」
絹の裏地がついた豪奢な外套を翻し、五名の衛兵を引き連れて踏み込んできたのは、細身の神経質そうな男だった。
王宮内務省の官房査察官――エリック殿下の息のかかった側近官僚の一人だ。
男は工房の熱気と煤煙に露骨に顔をしかめ、香水を含ませたハンカチで鼻腔を押さえながら叫んだ。
「王室令に基づき、この工房で違法に製造されている透明ガラスの製法特許、ならびに現存する全製品を内廷財産として差し押さえる! 責任者セリア・オルディス、直ちに王都へ出頭せよ!」
査察官が印章の押された羊皮紙をこれ見よがしに掲げると、見習いの子どもたちが怯えて身を寄せ合った。
王都の権力を笠に着た、あまりにも一方的で強引な略奪宣言だった。
私が前に進み出ようとした、その時だった。
「ふざけるなッ!」
怒声を上げたのは、先ほどまで作業台でガラスを磨いていた中年の女性職人だった。 彼女は研磨用の鉄ヘラを握りしめ、査察官の前に立ちはだかった。
「誰の許可を得て土足で踏み込んでやがる! ここはセリア様が、私らに命を繋ぐために作ってくださった場所だ!」 「そうだ! 王都の役人が、今さら何の用だ!」
「セリア様には指一本触れさせねえぞ!」
瞬く間に、工房内の職人や見習いたちが手にした火箸や鉄竿を構え、壁となって私を背後に庇い、査察官たちを取り囲んだ。
かつて凍え、飢えに怯えていたはずの領民たちの顔に、王都の権力に対する恐れなど微塵もなかった。
あるのは、自分たちに尊厳を与えてくれた「セリア様」を守り抜くという、固い結束の意志だった。
「ひ、ひぃっ……!? 野蛮人どもめ、国家公務執行妨害だぞ! 兵よ、こいつらを斬り捨て――」
査察官が引き攣った声で命じた瞬間、工房の入り口から、空気を両断するような冷徹な足音が響いた。
ジャラン、と鎖帷子が擦れ合う重厚な金属音。 影が差したかと思うと、査察官の護衛兵たちが、音もなく工房の壁際へと吹き飛ばされていた。
「誰を斬り捨てるだと?」
地を揺るがすような低音とともに姿を現したのは、黒漆の甲冑に身を包んだアレクシス卿だった。
背後には、大盾と抜刀した長剣を構えた北方守護軍の精鋭騎士たちが、威圧的な隊列を組んで工房を完全に包囲している。
アレクシス卿の灰青色の瞳は、真冬の氷河よりも冷たく冴え渡っていた。 彼が一歩踏み出すたびに、査察官の顔から血の気が引いていく。
「ぼ、ヴォルフガング辺境伯……! こ、これは内務省の正式な特許接収令状で――」 「ここは王都の裏庭ではない。我が領地だ」
アレクシス卿は腰の長剣の柄に手をかけたまま、無造作に査察官を見下ろした。
圧倒的な体格差と、数々の戦場を潜り抜けてきた本物の武人の殺気が、狭い空間に満ちていく。
「我が領の特産物に対する権利は、領主である私と、製作者であるセリアにのみ帰属する。貴様らの管轄など爪の先ほども通用せん。……これ以上喚くならば、国境警護法第十二条に基づき、武装侵入者として即刻首を刎ねるが」
「ひっ……!」
長剣がわずかに鞘から抜かれ、冷たい銀の刃先が光を反射した。 査察官の膝が激しく打ち震え、床に手をついて後ずさる。
「引け。二度と北の土を踏むな」
アレクシス卿の短い宣告に、査察官と生き残った護衛兵たちは、脱兎の如く逃げ出した。
その際、査察官は転がり落ちた研磨途中の小さなガラス小瓶を一つだけ、泥棒のように懐に抱え込み、悲鳴を上げながら門の外へと姿を消していった。
工房内に、爆発的な歓声が沸き起こった。 領民たちが互いの肩を叩き合い、誇らしげに胸を張る。
悪女と蔑まれ、すべてを奪われて追放された私が、今やこの屈強な北の人々に守られ、愛されている。
胸の奥が熱く、痛快な喜びに満たされていくのを感じた。
◇
騒動が収まり、職人たちが再び熱心に持ち場へ戻った後。 私は作業台の片隅で、息を整えながら安堵の息を吐き出した。
緊張が解けた途端、窯の輻射熱に晒されていた額から、たらりと汗が伝い落ちる。
「セリア」
甲冑を外したアレクシス卿が、いつの間にか私の隣に立っていた。
彼は懐から一枚の上質な白麻の布を取り出すと、驚くほど躊躇のない手つきで、私の額へとそっと当ててきた。
「あ……」 「動くな。煤が付いている」
ぶっきらぼうに言いながらも、その布使いは羽毛で触れるかのように優しかった。 私の額に浮いた汗を、丁寧に、吸い取るように拭ってくれる。
間近にある彼の真剣な横顔と、布越しに伝わる手の温もりに、私の頬が急速に火照っていく。
ふと視界の端を見ると、作業をしていた職人や若い給仕の少女たちが、手元を動かしながらもこちらを見て、嬉しそうにクスクスと温かい笑みを交わし合っていた。
かつて「氷の魔物」と畏れられていた領主様が、一人の女性にこれほど甲斐甲斐しく尽くしているのだ。微笑ましく思わないはずがなかった。
「……アレクシス様、皆が見ています」 「見たい奴には見せておけ。お前は俺の妻だ」
アレクシス卿は視線を逸らさず、額を拭き終えた布を畳むと、私の煤けた頬を大きな親指でそっと撫でた。
耳の先をほんのり赤く染めながらも、堂々とそう言い放つ彼の頼もしさに、私の心臓は甘い悲鳴を上げて跳ね上がっていた。
◇
北の工房から這々の体で王都へと逃げ帰った査察官は、エリックの前で平伏し、震える声で報告していた。
「セリア様は北方で聖女のように領民から崇められ、手出しすらできませんでした……!」
「聖女だと!? あの悪女が、僕の金で贅沢をしているだと!? ふざけるな、ふざけるなッ!」
怒り狂ったエリックは、手近にあった高価な磁器の花瓶を壁へと全力で投げつけ、粉々に粉砕した。
だが、その狂乱とは裏腹に、査察官が命からがら持ち帰った研磨途中のガラス小瓶――不純物一つなく光を透かすその至宝の噂は、瞬く間に王都の貴族街や豪商たちの間を駆け巡り、熱狂的な羨望を巻き起こしていた。




