第三十九話 訳の分からない行動
「今のお前に――まだ、
自分の“アイドル”を目覚めさせる自信はあるのか?」
ヘスティアが、静かに問いかけた。
俺は、一切迷わなかった。
「――ある。」
視線は、玉座の間の中央に立つ、
銀白色の髪の少女へ向けたまま。
「ミクは、絶対にまだいる。」
そう言って。
俺は、一歩前へ踏み出した。
だが――
「貴様、自分が何者だと思っている!?」
鋭い怒声が、謁見の間に響き渡った。
ルシアだ。
腹部から血を流し、
床に崩れ落ちながらも。
その瞳には、
なお狂気じみた執念の炎が燃えていた。
「リリス様に……そんな“不要なもの”は必要ない!!」
彼女は血を吐くように叫ぶ。
「今のリリス様こそ――真に世界へ君臨する魔王だ!!」
だが。
リリスは、彼女を見ようともしなかった。
ただ冷たく言い放つ。
「……今さらそんな言葉を並べれば。」
「吾がお前を許すとでも思ったか?」
「いいえ……」
ルシアは、逆に笑った。
そこに恐怖はない。
あるのは、歪み切った満足感だけ。
「私は、確かに罪人です。」
「ですが――」
彼女はゆっくりと顔を上げる。
その視線は、
まるで神を見上げる信徒のようだった。
「リリス様が、“本当の魔王”として目覚める瞬間を見届けられた。」
「それだけで……私は満足です。」
口元が、ゆっくり吊り上がる。
そして。
その視線が――俺へ向いた。
「ただ。」
「私には分かってしまった。」
低く。
粘つくような声。
「ある人間の存在が――」
「リリス様を“不完全”にしていると。」
背筋が、冷えた。
次の瞬間。
ルシアの目が、
獣のように鋭く歪む。
「ならば――」
彼女は床に落ちていた短剣を掴み取った。
「せめて死ぬ前に!!」
「このルシアが、リリス様の障害を排除する!!」
躊躇はなかった。
短剣が、魔力を纏って一直線に飛ぶ。
「――っ!!」
速い。
黒い閃光のように。
真っ直ぐ、俺の喉元へ迫る。
避けられない。
俺も。
カナも。
ヘスティアでさえ。
反応が間に合わなかった。
――だが。
キィンッ!!
漆黒の魔力が、瞬間的に炸裂した。
短剣は弾き飛ばされ、
回転しながら遠くの石柱へ突き刺さる。
その瞬間。
謁見の間から、音が消えた。
「……」
俺は息を呑む。
カナも、ヘスティアも。
目を見開いたまま固まっていた。
そして。
ルシアが、震える声を漏らす。
「……リリス、様……?」
魔力を放った本人――
リリスは。
ゆっくり、
自分の手を見下ろしていた。
まるで。
自分が何をしたのか。
理解できないとでも言うように。
「……どうして……?」
ルシアの声に、初めて動揺が混じる。
俺もまた。
無意識に、自分の胸元へ触れた。
……生きている。
そして。
俺は再び、リリスを見る。
彼女はもう、その一瞬の揺らぎを押し殺していた。
「……勘違いするな。」
無理やり冷たさを取り戻した声。
「貴様らの命は――」
「吾の手でのみ奪われる。」
けれど。
その掲げられた手は。
微かに、震えていた。
――確信した。
ミクは、まだいる。
だから。
俺は、歩き出した。
リリスへ向かって。
「悠真!!」
カナが反射的に駆け出そうとする。
だが。
ヘスティアが腕を伸ばし、彼女を制した。
「……待て。」
ヘスティアの声も、自然と低くなっていた。
その一方で。
もう片方の手は、
いつでも剣を抜けるよう柄に添えられている。
「……まずは、あいつにやらせてみろ。」
静寂。
俺の足音だけが響く。
一歩。
また一歩。
魔王へ近づいていく。
リリスの瞳が、再び冷たく細められた。
ゆっくりと手を上げる。
掌に、黒い魔力が集まっていく。
「……止まれ。」
声は冷たい。
だが。
その奥に、わずかな震えが混じっていた。
――恐怖。
「それ以上近づけば。」
「吾は、お前を殺す。」
それでも。
俺は止まらない。
歩きながら、静かに口を開く。
「監督を長くやってるとさ。」
「ひとつ分かることがある。」
リリスの眉が、ぴくりと動く。
「……何を言っている。」
「吾には理解できん。」
黒い魔力が、さらに膨れ上がる。
空間そのものが軋み始める。
床に亀裂が走る。
この空間全体が、震えていた。
それなのに。
リリスの手は――
最後まで、振り下ろされない。
俺は、歩みを止めない。
「心と身体っていうのは、繋がってるんだ」
「役者が心の中で迷った時——」
「最初に拒絶反応を起こすのは、身体のほうだ」
そして。
俺は、彼女の目の前まで辿り着いた。
吐息すら届きそうな距離。
肌を刺すような、冷たく不吉な魔力。
掲げられた手。
今にも爆発しそうな黒い光。
だが――
リリスの額には。
うっすらと、汗が滲んでいた。
唇を噛み締め。
掌の魔力は、
どんどん膨れ上がっていく。
まるで。
感情を押し潰すために、
力を増幅させているみたいに。
ルシアは、恍惚とした目で見つめていた。
カナは耐えきれず叫ぶ。
「リリス様!! お願い、やめて!!」
ヘスティアもまた、いつでも飛び込めるよう構えている。
空気が。
限界まで張り詰める。
そして――
リリスが、俺を睨みつけた。
「――本気で。」
「吾が、お前を殺せないと思っているのか?」
俺は、一歩も退かなかった。
ただ。
その黒い瞳の奥を、真っ直ぐ見返す。
そして。
静かに答えた。
「うん。」
「お前は、殺せない。」
リリスの瞳が、揺れる。
俺は、さらに言葉を続けた。
「だって――ミク。」
「そろそろ、撮影始める時間だろ。」
その瞬間。
リリスの瞳孔が――大きく見開かれた。




