第三十八話 復讐の魔王
黒い魔力が、
逆さまの花火のように魔王城の塔頂から激しく炸裂した。
轟音は遥か遠方にいるはずの俺たちの場所にまで届き、
空気そのものを震わせる。
「……あれは……」
思わず、声が漏れた。
「……始まったみたいね。」
ヘスティアが低く呟く。
金色の瞳は、遠くの魔王城を鋭く見据えていた。
カナもすぐに反応する。
「悠真! 急ごう!」
彼女は焦ったように俺を振り返った。
「まだ戦ってる最中なら、
割って入れるかもしれない!」
「……ああ!」
俺は深く息を吸い、力強く頷く。
「今すぐ向かおう!」
ヘスティアとカナが同時に応じた。
次の瞬間。
二人は再び左右から俺の腕を掴み、
そのまま空へ飛び上がる。
――だが。
今までより、さらに速い。
暴風みたいな風圧が顔面を叩き、
まともに目も開けられない。
視界は滲み、
耳には風切り音しか残らなかった。
というか、顔の皮が剥けてないかこれ……?
「――気をつけて!」
突然、ヘスティアの声が飛ぶ。
直後。
魔王城の塔頂の大穴から、
漆黒の衝撃波が一直線に襲いかかった。
俺たちのすぐ脇を掠める。
轟ッ!!
空気そのものが爆ぜた。
衝撃に、ヘスティアとカナの手が同時に離れる。
そして俺は――
「――うわああああああああっ!?」
真っ逆さまに落下した。
地面が、凄まじい勢いで迫ってくる。
死。
その感覚が、一瞬で心臓を掴んだ。
だが。
激突寸前――
体が急停止する。
「捕まえた!」
ヘスティアとカナが、
ほぼ同時に飛び込んできて、
左右から俺の襟首を掴んでいた。
「はぁ……っ!」
全身から嫌な汗が噴き出す。
本気で死ぬところだった。
「よ、よし……」
息を切らしながら、
俺は無理やり声を絞り出した。
「このまま……塔の穴から潜入しよう……」
「何が『潜入』よ。」
ヘスティアが呆れ顔で言う。
「さっき豚を屠るような悲鳴を上げていたわよ。
城中に響き渡るくらいにね。」
「い、いや……それは分からないだろ……」
俺が反論すると、カナも小さく頷いた。
……いや、こいつも全然自信なさそうだな?
カナは塔の破口を見上げる。
「とにかく……まずは様子を見よう。」
俺たちは慎重に塔へ近づいていく。
崩れた石壁の陰へ身を隠し、
そっと内部を覗き込んだ。
そして――
三人同時に、息を呑む。
広大な魔王城の謁見の間。
その中央に立っていたのは――ミク。
……いや。
リリスだった。
かつての茶色い長髪は、
完全に色を失っている。
銀白色の長髪。
そして全身を覆う黒い魔力は、
生き物みたいに蠢き、
以前よりさらに濃く、不吉さを増していた。
「……リリス様……」
カナの顔色が青ざめる。
「……完全に……覚醒してる……」
リリスは無表情のまま、
前方を見下ろしていた。
その視線の先。
一人の女が、片膝をついている。
黒と赤を基調にした女性用軽鎧。
鮮やかな赤髪。
腹部からは大量の血が流れ、
床に暗赤色の血溜まりが広がっていた。
「……あれがルシア。」
カナが小声で囁く。
ルシアは腹を押さえ、
苦痛に顔を歪めていた。
だが次の瞬間――
彼女は、笑った。
「リリス様……」
血に染まった手を見下ろしながら、
口元を歪める。
「やはり……戻って来られたのですね。」
「当然だ。」
リリスの声は、凍るように冷たい。
「貴様のような裏切り者を、この手で殺すためにな。」
一歩。
また一歩。
リリスはゆっくりとルシアへ歩み寄る。
足音だけが、静まり返った謁見の間に響いた。
「かつて。」
「廃墟の中から貴様を拾ったのは、吾だ。」
「生かしてやった。」
声が低くなる。
冷たく。
重く。
「その恩に返したものが――裏切りか?」
「……はは……」
ルシアが乾いた笑いを漏らした。
顔を上げる。
その赤い瞳に、恐怖はなかった。
あるのは――狂気じみた執念。
「リリス様……」
「裏切ったのは、あなたですよ。」
リリスの眉が、わずかに動く。
「あなたは――『魔王』の使命に背いたのです。」
ルシアは息を荒げながら言葉を続ける。
「王は……慈悲など持つべきではない。」
「王とは……全てを征服する存在。」
「絶対の力で……全種族を支配する者。」
彼女は低く笑った。
「なのに、かつてのあなたは違った。」
「世界を支配できる力を持ちながら――共存など夢見ていた。」
「そんなもの、王じゃない。」
「ただ平和幻想に酔った――『怪物』です。」
その言葉に、空気が冷える。
「私は、あなたのために完璧な『開戦理由』まで作った。」
「それでも、あなたは戦争を拒絶した。」
リリスの目が、鋭く細められる。
「……やはり。」
低い声。
「以前の『エルフによる魔族辺境村虐殺事件』――」
ルシアは一切迷わず答えた。
「私がやりました。」
空気が、凍りつく。
ヘスティアの瞳が見開かれた。
「……そういうことだったのね。」
歯を食いしばる。
拳が白くなるほど強く握られていた。
「あの戦争の原因は……」
「全部、お前が仕組んだことだったのか……!」
怒りに反応するように、
彼女の周囲に金色の魔力が滲み始める。
「ちょ、ちょっと静かにして……!」
カナが慌てて小声で制止する。
しかし――
「その必要はない。」
冷たい声が、響いた。
心臓を直接掴まれたみたいに、
全身が強張る。
リリス。
いつの間にか。
あの赤い瞳が、こちらを見ていた。
感情の欠片もない目。
「出てこい。」
「吾に動かれる前にな。」
頭皮が粟立つ。
だが、ここまで来た以上、
隠れ続けることはできない。
俺たちは、瓦礫の陰から姿を現した。
リリスは静かに俺たちを見つめる。
そして淡々と告げた。
「先程の攻撃から生き延びるとは……」
「多少はしぶといようだな。」
その口調には感心すら感じられない。
ただ、処分前の獲物を確認しているだけ。
「今度こそ。」
「確実に処理してやろう。」
「……リリス様……」
カナが涙を堪えながら、彼女を見る。
その目には深い失望が浮かんでいた。
「お願いです……もうやめてください……」
「こんなの……私の知ってるリリス様じゃない……」
「……ミク。」
俺は思わず、その名前を呼んでいた。
だが。
彼女は即座に否定する。
「吾はミクではない。」
一切の迷いもなく。
「吾はリリスだ。」
赤い瞳が、静かに俺を見下ろす。
「あの人格は――もはや不要。」
空気が重く沈む。
その横で。
ヘスティアが小さく息を吐いた。
金色の瞳が、俺を見る。
そこには複雑な感情が混ざっていた。
「ユウマ……」
彼女は静かに問いかける。
「今あなたが見ているのが――本物の魔王よ。」
「それでも、まだ。」
「あなたの『アイドル』を――目覚めさせる自信はあるの?」




