第三十六話 魔界潜入
「追いかける?」
ヘスティアは俺の提案を露骨に疑うように、
腕を組んで眉をひそめた。
「どうして、あんな怪物の中に……
まだ『ミク』が残っているなんて思えるの?」
俺は深く息を吸い、
先ほどリリスの封印を解いた時に起きたことを、
最初から順番に説明した。
あの真っ黒な空間。
リリスの声。
そして——「融合」という言葉。
「つまり、」
俺は頭の中を整理しながら続ける。
「リリスは確かに言ってたんだ。
ミクの意識は消えたんじゃない。
“融合”しただけだって。」
「肉体が完全に死なない限り、
ミクの意識はすぐには消えない。」
俺は顔を上げ、二人を見る。
「だったら——まだ間に合う可能性がある。」
「少しでも早く、ミクを呼び戻せば。」
カナはしばらく黙っていたが、
やがて小さく口を開いた。
「……確かに、筋は通ってるかも。」
視線を落としたまま、
彼女はぽつりと続ける。
「そもそも……昔のリリス様は、
あんな残虐な方じゃなかった。」
彼女はそっと拳を握った。
「……たぶん封印が、
意識を無理やり引き裂いたんだと思う。」
「善と悪が、分離した。」
「ミク先輩は……残された“善”。」
「今のリリス様は、解き放たれた“悪”。」
カナの声はわずかに震えていた。
「そして今、“善”の側だったミク先輩は重傷で眠っている。」
「だから、“悪”のリリス様に主導権を奪われてる。」
「そうだ!」
俺はすぐに頷く。
「さっき、確かに止まった!」
「あいつが攻撃する直前、一瞬だけ迷ったんだ!」
あの間違いなく生まれた“間”。
あれを見間違えるはずがない。
「ミクの意識は、まだ残ってる!」
だが、ヘスティアはまだ完全には納得していなかった。
「……でも結局、攻撃したわ。」
彼女は真っ直ぐ俺を見る。
金色の瞳に、珍しく迷いが宿っていた。
「ユウマ。」
「あなた、本当に保証できるの?」
「追いかければ、必ずミクを取り戻せるって。」
「……保証なんてできない。」
俺は正直に答えた。
「でもさ。」
苦笑する。
「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』って言うだろ。」
ヘスティアの眉がわずかに動く。
俺はそのまま続けた。
「今のリリスの強さ、見ただろ。」
「あれはもう怪物とか、そういう次元じゃない。」
「今すぐエルフ王国へ戻って戦争準備をしても……
勝てる保証なんてないはずだ。」
そして、彼女を見据える。
「だったら、戦争が始まる前に。」
「その原因そのものを消せるなら——
そっちの方が最善じゃないのか?」
沈黙。
風の音だけが森を抜けていく。
やがてヘスティアが低く呟いた。
「……自分が何を言ってるか、分かってるの?」
彼女の視線が鋭くなる。
「あれは、私ですら勝てない怪物よ。」
「失敗すれば——
あなたも、人間界も、エルフ王国も、全部終わる。」
「だからこそ、放っておけないんだ。」
俺は迷わず言い返した。
数秒の静寂。
ヘスティアは腕を組んだまま俯き、
何かを計算するように考え込む。
頭の中で、何度も戦略を組み直しているようだった。
そして——
彼女は小さく息を吐いた。
「……あなたの言う通りね。」
顔を上げる。
「『戦わずして人の兵を屈する』。」
口元が、わずかに笑った。
「確かに、それが最善手だわ。」
そう言って、
彼女は次元裂け目へ向かって歩き出す。
金色の長髪が風に揺れた。
彼女は振り返り、
どこか挑戦的な笑みを浮かべる。
「私は昔から、“格上殺し”の戦略が好きなの。」
一拍。
「——それに。」
小さく、ほとんど聞こえないくらいの声で。
「あなた一人では、死ぬでしょ。」
「王女様のお気に召したなら、何よりです……」
俺は苦笑しながら後を追った。
正直、少し安心していた。
未知の異世界に行くなんて、
普通の人間の俺一人じゃどうにもならない。
だが、その時。
ヘスティアが急に立ち止まった。
こちらを見ないまま、
不自然に口を開く。
「……もし成功したら。」
「本王女も、その……考え直してあげなくもないわ。」
妙に歯切れが悪い。
しばらく沈黙した後、彼女は小声で続けた。
「正式に……王家へ婿入りさせる件を……」
そして慌てたように付け足す。
「……も、もちろん戦略的褒賞としてよ!」
俺の足が止まる。
脳が、一瞬フリーズした。
……いや。
この人、まだ諦めてなかったの!?
だが俺が返事をするより早く——
「逆でしょうが! 王女様!」
カナが即座にツッコミを入れた。
「問題が解決したら、
まずその“拉致して強制結婚計画”を中止するべきでしょ!」
そのまま彼女は俺の隣へ駆け寄り、
ぎゅっと腕を抱きしめる。
「悠真! 私も行く!」
「魔界のことなら、
ここにいる誰より詳しいんだから!」
胸を張る。
「最短ルートで魔王城まで案内できるし!」
「それに私は助監督だよ!? 悠真に私がいないと困るでしょ!」
言葉は勢いよく飛び出していた。
けれど。
俺の腕を掴む手だけは——妙に強かった。
魔界。
そこは彼女がかつて必死で逃げ出した場所だ。
今、その場所へ自分から戻ろうとしている。
「分かった分かった……」
俺は慌てて頷いた。
「案内、頼む。」
ヘスティアは露骨に嫌そうな顔をした。
だが、今回は反対しない。
「……変な真似はしないことね、魔族。」
カナは舌をぺっと出す。
「そっちこそ。」
「魔界入った瞬間、派手に暴れたりしないでよね、王女様。」
……あれ?
こいつ、もう完全にヘスティア怖がってないな?
しかも。
ヘスティアの方も、
最初みたいな露骨な敵意や蔑視が薄れている。
仲良しには程遠い。
でも少なくとも今は——
同じ方向を向いていた。
「とにかく——」
俺は慌てて二人の口喧嘩を止める。
そして、漆黒の次元裂け目を見た。
その向こうは——魔界。
そして、ミクがいる場所。
俺は大きく息を吸う。
「行こう。」
「目標——魔王城!」
「——はいっ!」
カナが即答する。
「ふん。」
ヘスティアも小さく鼻を鳴らした。
次の瞬間。
二人が同時に俺の腕を掴む。
地面を蹴る。
身体が宙へ浮く。
そして俺たちは——
そのまま、魔界へ続く次元裂け目へ飛び込んだ。
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