第二十六話 変わらないものなんて、ありはしないだろう?
俺は、相変わらず完璧な営業スマイルを浮かべていた。
口角の上がり方も。
声のトーンも。
すべてが「ちょうどいい」。
――その裏に、
何を押し込めているかなんて。
自分にしか分からない。
「ヘスティアさん。
鈴木さんがうちの会社にお声がけくださったこと、
心より感謝いたします」
軽く頭を下げる。
丁寧に。
あくまで、
礼儀正しく。
だが――
「ただし」
そこで、
ほんのわずかに声の温度を落とした。
視線を上げる。
「現在ここは、
撮影進行中の現場です」
カメラの方を指し示す。
「復帰直後の大物女優であるヘスティアさんが、
収録中の映像に映り込むのは
……あまりよろしくないかと」
一拍、置く。
「今回の企画は、
ミクの“アイドル現場訪問”ですので」
言い終えた、
その瞬間。
ミクが一歩、
前に出た。
「そうです!」
珍しく、
はっきりとした強い口調だった。
「これは、私の番組です」
そのままヘスティアをまっすぐ見据える。
「まだ撮影中なので……ご遠慮いただけますか?」
ヘスティアの視線が、
ゆっくりとカメラへ移る。
そして――
小さく、冷笑した。
「撮っているの?」
露骨な軽蔑を含んだ声。
「藤原監督が、
さっきのやり取りをそのまま使うなんて――」
首をわずかに傾ける。
「そんなこと、
あり得ないでしょう?」
俺は肩をすくめた。
「ええ、さすがに使いません」
あっさり認める。
「ですが――」
軽く周囲を見渡す。
「このまま騒ぎが続けば、
目撃者は増えます」
再び彼女を見る。
「人の口に戸は立てられませんからね」
短い沈黙。
数秒。
ヘスティアは、ふっと笑った。
「……藤原監督」
その声には、
薄い皮肉が滲んでいる。
「ご忠告、感謝すべきかしら?」
くるりと背を向ける。
一瞬で、
あの“王女の余裕”に戻っていた。
「まあいいわ」
「ここでは引いてあげる」
振り返らないまま、
言葉だけを残す。
「会議室で待っているわ」
足音が、
静かに廊下へ響いていく。
「あとで一人で来なさい」
わずかに間を置いて――
「CMの件、じっくり聞かせてもらうわ」
軽い口調。
だが、
拒否という選択肢は最初から存在しない。
そのまま彼女は去っていった。
――返事をする隙すら、
与えないまま。
現場に、奇妙な静寂が落ちる。
鈴木は、
去っていった方向を見つめながら小さく息をついた。
「藤原君……本当にごめんね」
こちらを振り向く。
その顔には、
ちゃんとした申し訳なさがあった。
「迷惑かけちゃって」
苦笑する。
「昔はね……あんな強引な子じゃなかったのよ」
少し言葉を選ぶようにしてから、
「あなた、元恋人なんでしょう?」
と続けた。
胸の奥が、わずかに引っかかる。
鈴木の表情も、どこか複雑だった。
「でも、今回戻ってきてから……」
声が少しだけ落ちる。
「本当に変わっちゃって」
「あとでちゃんと話しておくから」
苦笑する。
「……まあ、聞くかどうかは分からないけど」
小さく首を振る。
「今回は、どうか大目に見てあげて」
俺は何も答えなかった。
ただ、息を一つ吐く。
眉間のしわは、まだ消えない。
――不意に。
過去の光景が、
頭に浮かんだ。
薄暗いリビング。
テレビにはホラー映画。
「怖くないし」なんて強がっていたくせに。
クライマックスになると――
ぎゅっと俺の手を掴んで。
そのまま、
こっちに寄りかかってきた。
ほとんど、
抱きつくみたいに。
あの頃の彼女は――
柔らかくて。
素直で。
少しだけ、
可愛げがあった。
今の、
あの冷たい視線を向ける女とは。
まるで別人だ。
……この数年で。
いったい、何があったんだ。
「――あ、そうだ」
鈴木が、
何か思い出したように顔を上げる。
カメラマンに向き直った。
「すみません、
少しお時間いいですか?」
営業用の笑顔。
「さっきの映像、
確認させてもらっても?」
少し声を落とす。
「ヘスティアの“問題部分”が映ってないかだけ」
俺はカメラマンに軽くうなずいた。
指示の意味は伝わったはずだ。
二人はすぐに編集室を出ていく。
ドアが閉まる音。
それだけで、
空気が一気に静かになった。
残されたのは――
俺と。
ミクと。
カナ。
カナは作業机に寄りかかっていた。
顔色はまだ白い。
呼吸も浅いまま。
まるで、
さっきまで見えない何かに押さえつけられていたみたいに。
一方で――
ミク。
彼女は無言で立っている。
眉を寄せたまま。
あの、いつもの無邪気な表情じゃない。
拳をぎゅっと握りしめている。
――明確な。
嫌悪と、敵意。
契約を通して、
それがはっきり伝わってくる。
彼女の視線は、
まだヘスティアが去った廊下に向けられたままだった。
空気が、重い。
彼女の黒い嫌悪感が流れ込んでくる。
さっきまでとは別の意味で。
「悠真……」
カナが、ようやく口を開いた。
両手をぎゅっと握りしめている。
指先が白くなるほどに。
声が、震えていた。
それは単なる恐怖じゃない。
もっと深い――
本能的な、拒絶に近いもの。
「……ねえ」
ゆっくりと顔を上げる。
不安に揺れる目。
「本当に……」
一瞬、言葉を詰まらせてから。
「行くつもりなの?」




