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# 1-4 はじめての営業

 営業研修初日の朝。

 幸福機構営業部のロビーで、並木ナギは背筋を伸ばして立っていた。


 新品の白い制服。

 胸元の識別章。

 磨き上げられた靴。

 初めて装着する、補助リング。


 鏡で三回確認した。


 それでも不安だった。

 昨夜はほとんど眠れていない。

 緊張で何度も目が覚めた。


《心拍数上昇》


 肩の横を浮遊するアスクが淡々と告げる。


《現在心拍数124》


「うるさいです」


《軽度調律を希望しますか?》


 調律。

 幸福労働者の権利。

 まだ、自分には早い気がした。


「…今は、大丈夫です…」


 断るが、心拍は一向に収まる気配がない。

 ナギが頭を抱えていると、柔らかな声が聞こえた。


「おはようございます」


 振り返る。

 小林ミナだった。

 穏やかな笑顔。

 いつも通りの落ち着いた表情。


「お、おはようございます!」


 ナギは慌てて頭を下げた。

 ミナは少しだけ笑った。


「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」


《心拍数132》


「アスク!」


《上昇しました》


 ミナはくすりと笑った。

 その笑顔を見て、少しだけ肩の力が抜ける。

 こうしてナギの営業研修初日が始まった。


  ◇


 最初の訪問先は、小ぢんまりとした平屋だった。

 広い庭には色とりどりの花が咲いている。

 対象市民は七十代の女性。

 一人暮らし。


 ナギはタブレットを抱えながら後ろについていく。

 営業。

 つまり説明して、提案して、購入してもらうもの。

 そう思っていた。


 ところが。


「こちらのお花、綺麗に咲きましたね」


 ミナは庭の花を見て言った。


「そうなのよ。去年は雨が多くてねえ」


「この紫のお花、素敵です」


「それ、私のお気に入りなの」


 花。

 天気。

 最近食べたお菓子。

 近所の猫。

 そんな話ばかり。

 営業資料は出てこない。

 契約の話も出てこない。

 ナギは必死にメモを取る。


(営業は……?)


 しかし女性は終始楽しそうだった。

 最後に庭に出る時に使う帽子の話になった。

 ミナがアスクへ視線を向ける。

 空中にホログラムが展開される。

 つばの広い帽子が何種類も並ぶ。

 素材感まで再現されている。

 女性が楽しそうに選ぶ。


「これ、いいわね」


「お似合いだと思います」


 購入決定。

 セッション終了後には自宅へ配送される。

 女性は満足そうに笑った。

 ナギだけが置いていかれていた。


  ◇


 次はマンションの一室だった。

 こぎれいだが物が多い。

 棚一面にフィギュアが並んでいる。

 対象は二十代男性。

 一人暮らし。


 そして。


「このシリーズの第三作がですね!」


 話が止まらない。

 止まらない。

 本当に止まらない。

 ミナは相槌を打ちながら質問を返しているだけだった。


「その作品のどこが好きなんですか?」


「主人公ですね!」


「なるほど」


 以上。

 営業終了。

 しかし帰り際。


「記念写真撮りません?」


 男性が言った。

 棚の前に並ぶ。

 フィギュアに囲まれた三人。

 アスクが撮影する。


 肖像権利用の同意。

 撮影終了。

 男性は嬉しそうだった。


  ◇


 次の営業先に向かいながら。


「何も買ってもらえませんでした」


 ナギが言う。


「そうですね」


「失敗ですか?」


「いいえ」


 ミナは微笑んだ。


「写真の需要は結構あったりするのよ」


 ますます分からなかった。


  ◇


 三件目。

 少し古風な一軒家。

 六十代の夫婦。

 昔住んでいた街の話になった。


 学生時代。

 駅前の喫茶店。

 初めてのデート。

 今はもう無い商店街。

 思い出話が続く。


 ミナは静かに聞く。

 時々整理する。


「お二人にとって、大切な場所だったんですね」


「そうなんだよ」


 夫が笑う。

 妻も笑う。

 最後に若い頃の思い出にまつわるオルゴールを購入。


 ナギは思った。


 (これ営業……?)


  ◇


 次の営業先に移動中。

 ナギは耐えられなくなって口を開く。


「あの」


「はい?」


「営業資料使わないんですか?」


 ミナは少しだけ首を傾げた。


「必要になったらですね」


 必要になったら。

 何時、必要になるんだろう。


  ◇


 四件目。

 一人暮らしの五十代男性。

 花見の話から始まった。

 昔ほど感動しなくなった。


 家族の話。

 亡くなった母親の話。

 人生の話。

 幸福の話。

 話題がどんどん広がっていく。


 ナギは途中で完全に迷子になった。

 最後に男性は母親が好んでいた花の香りを再現したアロマポッドを購入した。

 そして少し泣きそうな顔で笑った。


  ◇


 午前が終わった。

 アシストへ戻る。


 営業支援車。

 静かな個室。

 ドアが閉まる。

 ナギは座席へ沈み込んだ。


「全然分かりません」


「そうですか?」


「営業してませんでした」


「してましたよ」


「してました!?」


「はい」


「どこがですか!?」


 ミナは少し考えた。


「説明は難しい、ですね。午後からは並木さんがやってみることになります。そうすれば、少しは分かるんじゃないかしら」


 それ以上は説明されなかった。


「やってみる…」


 アスクの操作でサンドイッチが出てくる。

 考えながら食べる。

 何も分からない。

 

 食べかけのサンドイッチを持ったまま、昼休憩が終わった。

 

「並木さん、行けそう?」


「…は、はいっ!いきます!」


 慌てて飛び上がったとき、すっとアスクが前へ出た。


《心拍数150》


「えっ」


《軽度調律を推奨します》


 ナギは少し迷った。

 それから頷く。


「お願いします」


 首元の補助リングが微かに発光する。

 呼吸が整う。

 鼓動が落ち着く。

 頭の中のざわざわが少し遠くなる。


《心拍数132》


《126》


《121》


《安定》


「……すごい」


 思わず呟いた。

 確かに楽になっている。

 幸福労働者になったのだと、少しだけ実感した。


  ◇


 午後。


 ナギの初訪問は住宅街の一軒家だった。

 対象は四十代女性。

 一人暮らし。


 住所を確認する。


 表札を確認する。


 時間を確認する。


 アスクにも聞いた。


 全部合っている。


 しかし。


 インターホンが押せない。


 手を伸ばす。


 止まる。


 引っ込める。


 もう一度確認する。


《訪問先確認済》


「わかってます!」


《訪問先確認済》


「わかってるんです!」


 ミナは急かさない。


 ただ横で待っている。


 ナギは深呼吸した。


 そして。


 押した。


 ピンポーン。


 終わった。


 もう逃げられない。


 女性が出てきた。


 頭が真っ白になる。


「こ、こんにちは! 幸福労働追求機構の!」


 識別番号。


 出てこない。


《N-100874》


 網膜表示。


「えっと、N-100はちななよん……なみ、なみきナギです!」


「はい?」


「並木ナギです!」


 なぜか大声になった。


 名乗るだけでパニックだ。

 それでもなんとか室内へ通してもらう。

 ソファへ座る。


「そ、それではセッションをはじ、始めさせていただきます!」


 また噛んだ。

 アスクが視界に質問候補を表示する。


「さ、さいきんはどうおすごし、ですか?」


 棒読みだ。


「最近ねぇ…」


 女性は少し上を見て考える。

 会話に合わせてアスクが網膜に次の会話に必要な言葉を提示してくれる。研修では会話の流れに合わせて複数選択から選んでいたが、とてもそんな余裕はない。


「はる、ですからねっ!そとにい、いきましたか?」


 最近の生活。


「そうですね…」


 返答が来る。


 網膜に次の会話候補。

 慌てて次を読む。


 処理できない。


 相手の顔。


 困ってないか。


 自分の声。


 変じゃないか。


 ミナの視線。


 呆れてないか。


 全部同時。


 何を話したか分からない。

 ただ、必死だった。

 

 気が付いたら。


「じゃあ、この髪留めをお願いしようかしら」


「え?」


「可愛いわよね」


 購入成立。


 なぜ。


 本当に分からない。


 帰り際。

 女性が笑う。


「新人さん?」


「は、はい!」


「頑張ってね」


 お菓子を渡される。


「ありがとうございます!」


 胸が少し熱くなる。


 同じくらいに情けなかった。


 その日はさらに3件回った。


 ほとんど同じだった。

 ミナとの別れの挨拶も、ほとんど覚えていない。

 唇をかみしめて家に帰った。


  ◇


 夜。

 ベッドの中。

 ナギは天井を見つめた。


(向いてないかも)


 そんな言葉が何度も浮かんだ。

 それでも翌日が来る。


 二日目。

 震えずにインターホンを押せた。


 三日目。

 挨拶で噛まなくなった。


 四日目。

 少しだけ、相手の顔を見る余裕ができた。

 みんな、笑ってくれていた。


 でも。

 まだ分からない。


 ミナの営業も。


 幸福労働者の仕事も。


 何一つ。


  ◇


 4日目最後の営業が終わった。

 夕方のアシスト内。

 窓の外が橙色に染まっている。


 ナギは少し涙目だった。


「全然できませんでした」


 ミナは静かに聞いている。


「向いてないかもしれません」


「そうでしょうか」


「ミナ先輩みたいになれません」


 少し沈黙して、それから。


「私も最初はできませんでしたよ」


 ナギは顔を上げた。


「本当ですか?」


「本当です」


 信じられない。

 ミナは最初からミナだった気がする。


「どうしたらいいんですか?」


 ミナは穏やかに笑った。


「何度も繰り返すことですね」


 ナギは頷いた。

 本気で信じた。


 到着直前。

 ミナが思い出したように言った。


「あ、そうだ」


「はい?」


「明日の担当は私ではないんです」


「え?」


「メンテナンスなので」


 メンテナンス。

 幸福労働者らしい単語だった。


「代わりの方が同行します」


 少し不安になる。


「どんな人ですか?」


 ミナは少し考えて、それから微笑む。


「すごい人ですよ」


 ナギは首を傾げる。

 すごい人。

 どんな人だろう。

 

 考えて過ごす夜は、少しだけ深く眠れた。

 気がした。




【ナギの研修メモ①】

アシスト:営業で使う移動車両。

最大4人乗れる。


・自動運転

・個室あり

・ご飯が出る

・アスクと連携

・調律もできる


すごい。

移動中に休憩できる。

幸福労働者の人たちは移動中も仕事をしているので必要らしい。

簡易じゅんかん補助システム?もあるらしい。

あとは輸液と、酸素ボンベと、、


メモが間に合わなかったけど、使えば分かるって。

楽しみだなぁ…。


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