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#2-5 ぱふぇ


 ナギはレイルの手を引くようにして食堂を出た。


「並木ナギ」

「はい」

「どこへ行きますか」


「カフェです」

「かふぇ」


「パフェを食べる場所です」

「ぱふぇ」


 レイルは小さく復唱した。

 意味は分かっていないらしい。

 それでも、特に嫌ではないらしい。

 これだけ極端な働き方の人なのに、不思議なところで素直なのだと思った。


 五月の陽射しが街を照らしていた。

 風は柔らかい。


 並んで歩くレイルを、ナギはちらりと見る。


 綺麗だった。

 本当に綺麗だった。


 栗色の髪。

 白い肌。

 整いすぎた横顔。


 銀色のフレームに支えられた足取りは、不思議なほど静かだった。


 伝説的幸福労働者。

 営業部のエース。

 ミナが尊敬している先輩。


 そう聞いている。


 実際すごい人なのだと思う。


 でも、なぜだろう。


 見ていると少し落ち着かない。

 何が気になるのかは分からない。


 ただ、この人を一人で帰したくない。


 そんな気持ちだけが強く背中を押している。


「先輩」

「はい」

「今日は絶対、美味しいって言わせますからね」

「…?」


 レイルはゆっくりと首を傾げた。

 ナギは少しだけ笑った。


   ◇


 カフェは本部から歩いて十分ほどの場所にあった。

 幸福機構に入って、休日に2回ほど来た店だ。


 昼が下りの店内は閑散としていて、ナビゲートで、窓際の二人席へ案内された。

 ナギはレイルを座らせ、自分も隣へ腰掛けた。


「先輩」

「はい」

「パフェ、食べましょう」

「ぱふぇ」

「アレルギーとか、食べられないものあります?」


 レイルはぱちぱちと瞬きをした。

 考えているらしい。


「ありません」

「よかったです」


 ナギは即座に端末を操作した。


「フルーツパフェ二つ」

「ふるーつぱふぇ」

「あとコーヒー二つ」

「こーひー」


 レイルは呪文のように復唱している。

 注文確定の表示が浮かぶ。


【予想到着時間:1分48秒】


 しばらくして。


 店内の搬送レールを、小型配送ユニットが静かに滑ってきた。


 白いアームが伸びる。

 透明なグラスを一つ。

 もう一つ。


 テーブルの上へ丁寧に配置した。


 続いてコーヒーカップ。

 最後に小さなランプが点灯する。


【配膳完了】


 配送ユニットは静かに離れていった。


 透明なグラス。

 何層にも重なったクリーム。

 色鮮やかなフルーツ。

 アイスクリーム。

 キラキラしたソース。


 午後の日差しを受けて、それは宝石みたいに輝いていた。


 レイルが固まる。

 

 ぱち。

 ぱち。


 瞬きだけが続く。


「先輩」

「はい」


「食べてください」

「……はい」


 細い指が銀のスプーンを持った。


 少しだけぎこちない。

 疲労のせいなのか。

 緊張しているのか。

 それとも本当に初めてだからなのか。


 ナギには分からなかった。


 レイルは慎重にスプーンを動かした。

 一番上のクリームを少しだけ掬う。


 そして、口へ運んだ。


 ぱち。

 瞬き。


 ナギは思わず身を乗り出す。

 でも急かしたらだめだ。


 たぶん。

 こういうのは。

 待つものだ。


 レイルは小さく口を動かした。

 細い喉がこくりと動く。


 もう一口。

 今度は少し大きい。


 そして。


「……!」


 レイルの肩がわずかに震えた。


 ぱち。

 ぱち。


 瞬きが増える。

 冷たかったらしい。


 ナギはなぜだか胸がいっぱいになった。

 ただパフェを食べているだけなのに。


 それなのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。


 レイルはもう一口食べた。


 ゆっくり噛む。

 飲み込む。


 そして、瞬きをした拍子に。

 ぽろりと、一粒の涙が零れた。


「……っ!」


 ナギは息を呑んだ。


 レイル自身も驚いたように目を見開いていた。

 頬を伝う雫を指先で触れる。


 不思議そうに。

 本当に不思議そうに。

 それを見つめている。


「先輩……?」


 レイルはしばらく黙った。


 それから。

 本当に小さく呟く。


「……あまい」


 ナギはなぜだか泣きそうになった。

 どうしてなのか分からない。


 パフェを食べているだけだ。


 それなのに、胸の奥が妙に熱い。


「〜〜っ!」


 気づいたらナギは、横からレイルを抱きしめていた。


「…?」


 レイルはスプーンを持ったまま、ナギの腕の中で固まっている。


 薄い肩。

 細いうなじ。


 制服越しに、確かに感じる。

 細い、金属のフレーム。


「っ、ごめんなさい!」


 泣きそうになって慌てて我に帰る。

 手を離した。


「私も、パフェいただきます!先輩も、もっと食べてくださいね!」

「…たべます」


 ナギの誤魔化しに、レイルは素直にうなづいた。


 自分の分のパフェを食べながら、ナギは必死に涙をこらえた。


 どうして泣きそうなのか、自分でも分からない。


 ただ、根拠も何もなく。


 この人は今。

 生まれて初めて、必要じゃないものを口にしている。


 そんな気がして、ならなかった。


 ◇


 レイルのパフェはゆっくり減っていった。

 本当にゆっくりだった。

 ナギが、勢いに任せて自分のパフェを口に入れている間。


 レイルは一口食べる。


 考える。

 飲み込む。


 また一口食べる。


 考える。

 飲み込む。


 その繰り返し。


 最初は、すこしだけ嬉しそうだった。

 少なくともナギにはそう見えた。


 けれど。


 半分ほど食べたところで、明らかに速度が落ちた。


「先輩?」


 レイルはスプーンを持ったまま固まっている。


 ぱち。

 ぱち。


 瞬きを繰り返す。


「大丈夫ですか?」

「……はい」


 大丈夫そうではなかった。

 ナギはパフェを見る。

 まだ半分近く残っている。


 レイルを見る。


 なんだかぼんやりとしている。

 そして、少しだけ苦しそうだった。


 胸の奥がざわつく。


 この人、止めなかったら。

 苦しくても、最後まで食べようとするのだろうか。


 まさか。

 いや、でも。


「先輩」

「はい」


「無理しなくて、良いです」


 レイルは首を傾げる。


「むり」

「もうお腹いっぱいですか?」


「……」

「美味しかったですか?」


 レイルは少し考えた。

 それから。


「あまい、です」


 小さく答えた。

 ナギは笑った。


「じゃあ今日はそれで百点です」


 レイルはよく分からないという顔をした。


   ◇


 結局、レイルはパフェを食べ切らなかった。

 店を出て、帰り道。

 五月の風が吹いていた。


 ナギは何度も言おうとして。

 何度もやめた。


 でも、結局我慢できなかった。


「先輩」

「はい」

「休養時間、四十八時間じゃだめですか?」


 レイルが止まる。


「ひつようありません」


 即答だった。


「もうちょっと、休みませんか?」

「なぜ?」


 ナギは詰まった。


 説明できない。

 本当に説明できない。


 疲れているから?

 それは自分の想像だ。


 働きすぎだから?

 個人のオラクル権には、不干渉が原則だ。


 でも、言わなきゃいけない気がした。


「~~っ」


 顔が熱くなる。


「わ、わたしが!」


 レイルが見ている。

 ナギは半分やけになった。


「わたしが、そうして欲しいからです!」


 沈黙。


 レイルは考えた。

 本当に考えた。


「並木ナギが」

「はい」


「そうしてほしい」

「はい」


 レイルはさらに考える。

 ナギは続けた。


「先輩はもっと」

「?」


「美味しいもの食べたり」

「?」


「楽しいことしたり」

「?」


「そういうこと、しても良いと思います」


 レイルはぱちぱちと瞬きをした。


「わたしは、こうふくですよ?」


 ナギは言葉に詰まった。


 そうだった。

 レイルは不幸だと言っていない。

 むしろ幸福だと言っている。


 だから、これは全部。

 自分のわがままだ。


「……そうですけど」


 ナギはうつむく。


「わたしの、わがままです」


 小さな声。


「ごめんなさい」


 レイルはしばらく黙った。


「並木ナギは」

「はい」


「わたしが働くと困りますか?」

「困りません」


 即答できた。

 多分、そうではない。


「でも」


 少しだけ声が震える。


「心配です」


「しんぱい」


 レイルはその言葉を繰り返した。


 そして考える。


 長い時間。


 やがて。


「わかりました」


 ナギは顔を上げた。


「休養プログラムを四十八時間へ修正します」

「ほんとですか!?」


「はい」


 レイルは頷いた。


「並木ナギがうれしいと」


 少しだけ考える。


「わたしも、うれしいです」


 ナギは思わず笑顔になった。


「ありがとうございます!」


 嬉しい。


 その瞬間、思いついた。

 衝動のままに言葉にする。


「先輩!」

「はい」


「私のこと、ナギって呼んでくれませんか?」


 レイルが止まる。


「……ナギ」

「はい!」

「呼称変更を確認しました」


 ナギは吹き出した。


「やっぱりアスクみたいですね」


 レイルは首を傾げる。


「あと私も」


 ナギは少し照れながら言った。


「レイル先輩って呼んで良いですか?」

「……かまいません」

「やった」


 それだけで、なんだか、とても嬉しかった。


 でも、もうひとつ。


「レイル先輩、これから休みますか?」

「えいぎょうけいかくをたてます」


 即答だった。


「ああ……」


 やっぱりだ。

 この人の休養は、食事と、営業計画。

 この前、聞いた。


 もう、踏み込みすぎは、この際だ。

 言いたい事は全部言ってしまおうと決めた。


「何時に部屋へ帰りますか?」

「……なんじ?」


 半分予想していたが、ナギはちょっと固まった。


「まさか」

「?」

「帰らないんですか?」


 レイルは本気で意味が分からないという顔をした。

 ナギは天を仰いだ。


「レイル先輩のアスク!」


 今度はレイルの隣の球体へ向かって叫ぶ。


「レイル先輩に推奨される休養時間は!?」

《長いほど望ましいと判断します》

「ですよね!」


 ナギは胸を張った。

 そして、レイルへ向き直る。


「レイル先輩」

「はい」


「私、今日は勤務計画立てたら部屋で休みます」

「はい」


「だから」


 深呼吸。


「一緒に帰ってください」

「ひつようありません」

「私のためにお願いします」


 レイルは黙った。

 考えた。


 そして。


「……わかりました」


 ナギはぱっと笑顔になった。


「じゃあ十九時!」

「はい」


「迎えに行きますからね!」


 五月の風が吹いた。


 ナギは少しだけ前を歩く。

 レイルはその後ろをついていく。


 その距離はまだ少し遠かった。


 でも。

 十日前よりはずっと近かった。



ナギが営業部のラウンジへ戻ると、窓の外は少しだけ橙色に染まり始めていた。

ミナが端末から顔を上げる。


「あら、おかえりなさい」


そして時計を見た。


「遅かったですね」


ナギの肩がぴくりと揺れる。


「えっと……」

「白石先輩、あと数時間で修復でしょう?」


穏やかな声だった。

怒ってはいない。

けれど少しだけ呆れている。


「十日に一度の自由時間なんですから、あまり振り回しちゃだめですよ」


「……はい」


しゅん、と肩が落ちる。

ミナは思わず苦笑した。


「それで、何か聞けたんですか?」


ナギは少し視線を泳がせた。

そして。


「……パフェ、食べてきました」

「そう、ですか」


ミナが小さく瞬きをする。


「なるほど」


少しだけ面白そうに笑った。


「それは良かったですね」

「良かったんですけど……」


ナギは言葉を探す。


どう説明したらいいのか分からない。

胸の中にあるものを上手く言葉にできない。


「だって」


ぽつりと漏れる。


「パフェ知らないって言うんです」


ミナは黙って聞いている。


「ケーキも」

「プリンも」

「アイスも」


ナギは俯いた。


「そんなの、おかしいじゃないですか」


小さな声だった。


「わがままなのは分かってます。でも……」


言葉が続かない。


レイルがパフェを見つめていた顔。

恐る恐る口に運んだ姿。


小さく呟いた、


――あまい。


その声が頭から離れなかった。


ミナはしばらく考えた。

それから静かに言う。


「まあ、白石先輩本人が了承したなら、良いんじゃないでしょうか」


ナギが顔を上げる。


「そう、ですか?」

「とはいえ」


ミナはため息をついた。


「これから六時間修復に入る人を、あんまり連れ回すのも、どうかと思いますけどね」

「うっ」

「許可した私も悪かったです」


ナギは反射的に頭を下げた。


「すみません……」

「それで終わりですか?」

「え?」

「まだ何かある顔をしています」


見抜かれていた。

ナギは観念する。


「その、休養時間」

「はい」

「伸ばしてもらいました」


ミナの動きが止まった。


「伸ばした?」

「はい」

「何時間です?」

「四十八時間、です」


数秒。

沈黙。

ミナはゆっくりと瞬きをした。


「白石先輩が了承したんですか?」

「しました」

「本当に?」

「本当にです」


また沈黙。


ナギはだんだん不安になってくる。

やっぱりやりすぎただろうか。


ミナは額に手を当てた。


「並木さん」

「はい」

「あなた、思ったよりずっと行動力がありますね」

「ありがとう、ございます……?」

「褒めてません」

「すみません……」


しかし口元は少し笑っていた。


白石レイルが勤務計画を変更する。

しかも新人の希望で。

正直、ミナには少し信じられなかった。


「なので!」


俯いていたナギが顔を上げた。


「十九時に迎えに行きます!」

「迎えに?」

「はい!」

「白石先輩を?」

「はい!」


開き直ったような笑顔だった。

ミナは思わず吹き出しそうになる。


「並木さん」

「はい!」

「踏み込むのもほどほどにしてくださいね」

「うっ」

「私からも今度謝っておきますから」

「すみません……」


今度こそ本当にしょんぼりする。

ミナはそんな後輩を見ながら小さく笑った。


少し不思議な子だと思う。

そして。


白石先輩も、思ったより、この子には甘いのかもしれない。

そんなことを、少しだけ思った。



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