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#2-6 寝てしまった


 十九時。

 営業部のラウンジは、昼間よりずっと静かだった。


 大きな窓の外では、白い都市の輪郭が夕暮れの淡い光に沈み始めている。天井から降る照明は柔らかく、行き交う職員たちの足音もどこか控えめだった。


 ナギは胸元の識別章を軽く押さえながら、ラウンジの入口で足を止めた。


(本当に、来ちゃった)


 自分で言ったのだ。

 十九時に迎えに行きます、と。

 レイルは了承した。確かに了承した。


 それでも、こうして本当に迎えに来てしまうと、急に胸の奥がそわそわする。


 ミナの声が頭をよぎった。


――踏み込むのもほどほどにしてくださいね。


(ほどほど…。ほどほどって、どこまでだろう)


 答えは出ない。

 けれど、約束は約束だ。


 ナギは小さく息を吸って、ラウンジの中へ足を踏み入れた。


 窓際の席に、レイルはいた。


 白い制服。

 栗色の髪。

 首元で静かに光る補助リング。

 その横には、いつものように白銀のアスクが浮いている。


 レイルは端末を開き、何かを見ていた。


「レイル先輩!」


 ナギが呼ぶと、レイルは顔を上げた。


「迎えに来ました!」

「はい」


 短い返事。

 でも、そこにいた。

 ちゃんと待っていた。


 それだけで、ナギは少し嬉しくなった。

 けれど、机の上の端末には、細かな予定表と訪問先候補がびっしり並んでいる。


「……ほんとにやってたんですね」

「はい」


 レイルは当然のように頷いた。


「営業計画を作成していました」

「休養中ですよね?」

「はい」

「……休養中、ですよね?」

「はい」


 返答は変わらない。

 ナギは少しだけ肩を落とした。


 約束を守ってくれたことは嬉しい。

 でも、やっぱり営業計画は立てている。


(これがレイル先輩なんだなぁ……)


 呆れているのか、安心しているのか、自分でもよく分からなかった。


「じゃあ、行きましょう」

「はい」


 レイルは端末を閉じた。

 動作はいつも通り綺麗だった。

 立ち上がる姿勢も、歩き出す足取りも、少しも乱れない。


 だからこそ。

 ナギはその綺麗さを、もう少しだけ疑うようになっていた。


   ◇


 食堂は夕食の時間帯らしく、昼間より少し賑やかだった。


 白を基調とした広い空間に、温かな料理の香りが漂っている。自動調理ユニットの奥では、透明なアームが滑らかに動き、注文の受け取り口まで届けられる。


 ナギはメニュー端末を覗き込みながら、レイルを見る。


「レイル先輩、何食べます?」

「これです」


 迷いがなかった。

 レイルが選択したメニューが、ナギの端末にも共有される。


 プロテインバー。

 電解質補給飲料。

 栄養素ゼリー。


 以上。


 ナギは固まった。


「……これだけですか?」

「はい」


「いつも?」

「はい」


「夕飯ですよ?」

「はい」


 何を聞いても、返事は変わらない。


 ナギは画面を見つめた。


 プロテインバー。

 電解質飲料。

 栄養素ゼリー。


 無駄がない。

 たしかに栄養は取れそうだ。


 レイルは営業部の最高成績者だ。二百四十時間の勤務を当然のようにこなす高稼働幸福労働者だ。


 ということは。


(これが、トップ営業の秘密……?)


 ナギは真剣に考えた。


 自分はまだ新人だ。

 できないことが多い。

 分からないことも多い。


 だからまず、真似してみるのは大事かもしれない。


「じゃあ、私も同じのにします!」


 レイルが少しだけ首を傾げた。


「同じ」

「はい!」


 レイルはそれ以上何も言わなかった。


   ◇


 数分後。


 二人は向かい合って座っていた。

 トレイの上には、同じメニューが二つ並んでいる。


 プロテインバー。

 電解質補給飲料。

 栄養素ゼリー。


 ナギはプロテインバーを手に取った。

 少し硬い。


 包装を開ける。

 匂いは薄い。


 ひと口かじる。


 もぐ。

 もぐ。

 もぐ。


「……」


 レイルも食べている。


 もぐ。

 もぐ。


 ナギはもう一口食べた。


 もぐ。

 もぐ。


(おいしくない……)


 正確には、まずくはない。

 たぶん味は調整されている。


 食感も悪くない。

 身体に必要なものが入っているのも分かる。


 でも、幸福ではない。

 少なくとも、ナギにとっては幸福ではなかった。


「レイル先輩」

「はい」


「おいしいですか?」

「はい」


 即答だった。

 ナギはますます分からなくなる。


「ほんとに?」

「はい」


 レイルは普通に食べている。

 表情は変わらない。


 嫌そうでもない。

 嬉しそうでもない。


 ただ、必要なものを口に入れている。

 そんな感じだった。


(これで二百四十時間……)


 ナギは自分のプロテインバーを見つめた。


 食べられる。

 食べられるけれど。

 これを毎回は、ちょっとつらい。

 いや、だいぶつらい。


 そこで、ふと思い出した。


 昼間のパフェ。

 透明なグラス。

 何層にも重なったクリーム。

 色鮮やかなフルーツ。


 レイルの頬を伝った涙。


 小さな声。

 ――あまい。


「あっ」


 ナギは端末を操作した。


「レイル先輩、これ追加しませんか?」


 表示させたのは、幸福機構監修の高栄養スイーツだった。

 小さなムースのような形をしている。


 見た目は白く、上に薄い果実ソースがかかっている。説明欄には、タンパク質、糖質、脂質、微量栄養素のバランスが細かく表示されていた。


「すごいです。甘いのに栄養もあります」

「甘い」


「はい。アスク、これ栄養的にどうですか?」


 ナギのアスクがすぐに返答する。


《現在の摂取内容に追加しても、栄養バランスに問題ありません》


「ほら!」


 ナギは胸を張った。

 何かに勝った気がした。

 何に勝ったのかはさっぱりわからないけれど。


 レイルは小さく瞬きをした。


「では、食べます」

「はい!」


   ◇


 白い小さなスイーツが運ばれてきた。

 レイルはスプーンを持つ。


 昼間のパフェの時よりは、動きに迷いが少ない。


 一口。

 口に運ぶ。

 少しだけ咀嚼する。


「あまいです」


 もぐ。

 もぐ。


 もう一口。


「あまいです」


 もぐ。

 もぐ。


 ナギはその様子を見つめた。


 甘い。

 それは同じだ。


 レイルも確かに「あまい」と言っている。


 でも、違う。

 昼間とは何かが違う。

 あの時みたいに、驚いていない。


 涙も出ない。


 スプーンを止めて考え込むこともない。

 ただ、普通に食べている。


「……おいしいですか?」


 聞いてみる。

 レイルは考えた。


「あまいです」


「それは分かりました」


「はい」


 会話が終わった。

 ナギは首を傾げる。


(甘いものが好きって訳じゃない?)


 分からない。


 レイル先輩はパフェを食べて泣いた。

 でも、甘いものなら何でも良いというわけではないらしい。


 いや、普通の人だって、昼間にパフェを食べて、夕食のデザートに小さいスイーツが付いたからといって、毎回感動して泣いたりはしない。


 それはそうだ。

 そうなのだけれど。


(なんか違うんだよなぁ)


 答えは出なかった。

 レイルは小さなスイーツを最後まで食べ終えた。


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」


 二人は同時にトレイを返却口へ運ぶ。

 ナギは心の中で思った。


(レイル先輩みたいになるの、遠いなぁ……)


 とりあえず、主に食事の面で。

 真似をするのが本当に必要なのかすら、分からなかった。


   ◇


 レイルの個室前に着いた時、廊下は静かだった。

 ナギに与えられた部屋の二つ隣。


 幸福機構の待機個室エリアは、食堂やラウンジとは空気が少し違う。白い壁。柔らかな照明。足音を吸い込む床材。案内表示だけが、静かに光を流している。


 レイルは自室の扉の前で立ち止まった。


「ありがとうございました」


 そう言って、ナギを見る。


「いえ! こちらこそ!」


 ナギは慌てて頭を下げた。


 ここまでだ。

 今日はここまで。

 これ以上は踏み込みすぎだ。


 そう思う。


 ミナの声が、また頭をよぎる。


 ――踏み込むのもほどほどにしてくださいね。


(はい。ほどほど。今日はここまで)


 ナギは自分に言い聞かせた。


「じゃあ、今日はありがとうございました!」

「はい」


 レイルは頷き、扉を開ける。


 部屋の中へ入ろうとする。

 その背中を見た瞬間。


 ナギの足が止まった。


 なぜだろう。

 胸の奥がざわつく。


「あの」


 気付いたら声を出していた。

 レイルが振り返る。


「はい」


「今日、」

「はい」


「…寝ます、よね?」

「……」


 レイルは少し考えた。

 そして答えた。


「えいぎょうけいかくをつくります」


 ナギは思った。


(あ、これダメだ)


 自分の中で、何かがはっきり決まった。


   ◇


 気付いたら、部屋の中にいた。

 レイルの個室は、驚くほど静かだった。


 ベッド。

 机。

 端末。

 収納。

 小型冷蔵庫。


 それだけ。


 必要なものはある。

 設備としては整っている。


 けれど、生活の気配がなかった。

 ナギが自分の個室をもらった時と、ほとんど変わらない。


 新品の部屋。

 まだ誰の部屋にもなっていない部屋。

 そんな印象だった。


(なにもない……。本当に住んでるの?)


 レイルは部屋へ入ると、そのまま机へ向かおうとした。

 すかさず、白銀のアスクが音声を発する。


《身体洗浄および寝衣への更衣を推奨します》


 レイルは少しだけ止まった。


「……はい」


 そして、部屋の奥にある洗浄室へ向かう。

 扉が静かに閉まった。

 残されたナギは、部屋の中央で固まった。


(…私、何やってるんだろう)


 休むはずの先輩の部屋にまで来てしまった。


 怒られるだろうか。


 ミナに言ったら、また呆れられるだろう。

 たぶん呆れられる。

 かなり呆れられる。


(でも)


 このまま帰ったら、レイル先輩は、寝ない。

 そんな気がした。


(いや…まさか、ね)


 いくらなんでも、寝るだろう。


 休養時間なのだから。

 身体を休めるための時間なのだから。


 でも。


(営業計画作るって言った……)


 ナギは頭を抱えた。

 ぐるぐるする。

 考えれば考えるほど、帰るタイミングが分からなくなる。


 そうしているうちに、洗浄室の扉が開いて、レイルが戻ってきた。


 柔らかな生地の白い寝衣を着ている。

 髪は下ろされて首元で緩くまとめられている。

 顔色も少し良く見える。


 けれど、首元の補助リングはそのままだった。

 制服の下に隠れていた銀色のフレームも、寝衣の下から細く形を残している。


 動きは変わらない。


 静かで、綺麗で。

 少しも乱れない。


 ナギはそれを見て、何も言えなかった。


「並木ナギ」

「はいっ」


「洗浄室を使用しますか」

「あ、えっと……はい。お借りします」


「はい」


 レイルは頷いた。


   ◇


 洗浄室は、ナギの部屋にあるものとほとんど同じだった。


 自動洗浄。

 衣類リフレッシュ。

 簡易体調チェック。

 寝衣の自動提供。


 数分で全身が清潔になり、体温も整う。


 便利すぎる。

 幸福機構の技術はすごい。


 ナギは出てきた寝衣に着替えながら、少しだけ冷静になった。


(いや、本当に私何してるんだろう)


 でも、もうここまで来てしまった。

 今さら帰るのも変だ。


 いや、帰った方が普通だ。

 普通だけれど。


(先輩が寝たら帰ろう)


 そう決めた。


 自分の中で、ぎりぎり常識を保ったつもりだった。


 そして部屋へ戻る。


 レイルは机に向かっていた。

 端末を開いている。


 営業計画。

 再開。


「寝てください!」


 色々考えていたことを全て忘れて、ナギは叫んだ。

 レイルは振り返る。


「?」

「寝てください!」


「休養中です」

「それ休養じゃありません!」


 レイルは本気で不思議そうな顔をした。


「肉体負荷は低いです」

「そういう問題じゃないです!」

「?」


 だめだ。

 これはだめだ。


 ナギは端末をそっと閉じた。

 レイルがそれを見る。


「営業計画が」

「朝やりましょう」


「朝」

「はい。今は寝ましょう」


「……」


 レイルは少し考えた。

 ナギはベッドを指差す。


「横になってください」

「……はい」


 レイルは頷いた。

 そのままベッドへ向かう。

 動きはやはり綺麗だった。


 自分から横になる姿も、どこか作法のように整っている。

 ナギはその横へ、少し距離を空けて入った。


 入ってから、思った。


(近い)


 いや、近い。

 でも、ここで自分が立っていると、レイルがまた起きそうな気がした。


 だから仕方ない。

 これは見張りだ。


「アスク、照明落としてください」

《承知しました》


 部屋の照明がゆっくり落ちる。

 薄暗くなる。

 窓の外の都市灯が、カーテン越しに淡く滲んでいた。


   ◇


 レイルは仰向けになっていた。

 目を閉じていない。

 ただ天井を見ている。


「レイル先輩」

「はい」


「眠れそうですか?」

「ねむる」


「はい」

「……」


 レイルは少し考えた。


「わかりません」

「そう、ですか……」


 ナギは小さく息を吐いた。

 自分でも何をしているのか分からない。

 でも、ここで帰ったらいけない気がした。


 レイル先輩が寝たら帰ろう。

 少しだけ見張ろう。

 それだけ。


「目、閉じてみませんか?」

「はい」


 レイルは目を閉じた。

 素直だった。

 どこまでも素直だった。


 ナギはそれを見て、少しだけ安心した。


 薄暗い部屋。

 隣にレイル。

 静かな呼吸。


 アスクの浮遊音すらほとんど聞こえない。


 ナギは考える。

 五分だけ。

 五分したら起きているか確認して。


 寝ていたら帰る。

 そうしよう。


 そう決めた。

 決めた、はずだった。


   ◇


 先に眠ったのは、ナギだった。

 レイルは目を閉じたまま、しばらく動かなかった。


 なぜ自分がここにいるのか。

 なぜ寝衣を着ているのか。

 なぜ並木ナギが隣にいるのか。


 分からないことは多かった。


 けれど、並木ナギがそうしてほしいと言った。

 だから横になっている。


 それだけだった。


 隣から、小さな寝息が聞こえる。

 レイルは少しだけ目を開けた。


 ナギが寝ている。

 静かに。

 安心したように。


 その顔を見て、レイルは数秒考えた。

 何を考えたのか、自分でも分からなかった。


 ただ、目を閉じた。

 そして。

 そのまま意識が落ちた。


《L-000467 自然睡眠を確認》


 白銀のアスクが、無音のままログを記録した。


   ◇


 翌朝。


 ぱちっ。

 ナギは目を開けた。


 目の前に綺麗な人の寝顔が見えた。

 自分はその人の方を向いて寝ていたらしい。


 淡い朝の光。

 数秒。


 それから、一気に記憶が戻る。


(やっちゃった……)


 飛び起きそうになって、寸前で止まる。

 改めて隣を見る。


 レイルは上を向いて寝ていた。

 目を閉じている。

 静かだった。


 いつもの、どこか遠くを見ているようなオリーブグリーンの瞳は見えない。


 綺麗に整った顔立ちはそのままなのに、目を閉じているだけで、少し幼く見えた。


 伝説的幸福労働者。

 営業部最高成績者。

 白石レイル。


 そういう言葉が、今は少し遠い。

 隣にいるのは、自分とそれほど変わらない年頃の女の子に見えた。


(年、同じくらいなんだ…)


 ナギはぼんやり思う。

 いや、年齢としては知っていた。


 知っていたはずだ。


 それでも、こうして眠っている顔を見るまで、うまく結びついていなかった。

 レイル先輩は、レイル先輩だったから。


《おはようございます》


 アスクの音声が静かに響いた。

 ナギはびくっとする。


《推奨起床時刻です》


 レイルは動かない。

 ナギは少し安心した。


(よかった…。ほんとに寝てる)


 そう思った次の瞬間。

 かすかな駆動音がした。

 レイルの身体がゆっくり起き上がる。


「……」


 目は閉じたまま。

 首が少し、かくりと揺れる。


 どう見ても寝ている。

 なのに背筋だけは綺麗に伸びていた。


 姿勢が整っている。

 動作が滑らかすぎる。


(ねてる……?)


 ナギは固まった。

 レイルはそのままベッドから降りようとする。


「あっ…!」


 ナギは慌てて避けた。


 レイルの目は閉じたまま。

 首は少し揺れている。


 でも、足取りは静かで綺麗だった。

 そのまま洗浄室へ消えていく。

 扉が閉まった。


 ナギはしばらく無言だった。


「……寝てましたよね?」


 思わずこぼれた言葉への答えは、無かった。


   ◇


 数分後。

 洗浄室の扉が開いて、レイルが戻ってきた。


 制服に着替えている。

 髪はいつも通り綺麗に上げられている。

 肌も清潔で、顔色も少しだけ良い。


 でも、目は閉じていた。

 首も少し揺れている。


 それなのに姿勢は綺麗だった。


 レイルはナギの方を向く。

 そして。


「お早うございます」


 やけにはっきりした発声だった。

 営業部の模範音声みたいな、完璧な挨拶だった。

 目は閉じている。


「こわっ!」


 反射的に叫んでしまった。

 レイルははじめて、ぼんやりと目を開いた。

 ほんの少しだけ。


「?」


 本気で意味が分からないらしい。


「あっ、じゃなくて!」


 ナギは慌てて立ち上がった。


「私もシャワー借ります!」

「はい」


 レイルは綺麗に返事をした。

 また目は閉じていた。


「だから怖いんですって!」


   ◇


 ナギが洗浄を終えて戻ってきた頃には、いつも通りレイルの目は開いていた。

 完全に覚醒しているのかどうかは分からない。

 でも少なくとも、目は開いている。


「レイル先輩」

「はい」


「これからどうしますか?」

「えいぎょうけいかくをたてます」


「やっぱり……」


 ナギは小さく呻いた。

 その時、レイルのアスクが静かに告げた。


《簡易修復を推奨します》


 レイルの動きが、ほんの少し止まった。


「しゅうふく……」


 小さな声だった。

 本当に、ほんの一瞬、声音になにかが過ぎる。


 ナギは気付かなかった。


「せっかく休養増やしたんですものね!」


 ナギは笑った。


「頑張ってください!」


 自分はこの前のメンテナンスが少し苦手だった。

 でも、レイルはベテランだ。

 高稼働幸福労働者だ。


 修復に何か思うところがあるなんて、考えもしなかった。


 レイルは少しだけ考えて、こくりと頷いた。


「はい。がんばります」


   ◇


 九時。


 ナギが営業部へ赴くと、ミナはすでにいつもの席で端末を確認していた。

 ナギはその前で足を止めた。


 昨日の言葉を思い出す。


 ――踏み込むのもほどほどにしてくださいね。


 …ほどほどにできませんでした。


 そう言うべきかもしれない。


 怒られるかもしれない。

 呆れられるかもしれない。

 いや、たぶん呆れられる。


 ナギは一度うつむいた。

 それでも、顔を上げる。


「ミナ先輩」

「はい?」

「寝ました!」


 ミナが瞬きをした。


「……はい?」

「レイル先輩、寝ました!」

 

 ミナは数秒黙った。

 それから、ゆっくりと額に手を当てた。


「並木さん」

「はい」


「どこから聞けばいいですか?」

「えっと、夕飯からです!」


「そこからですか」


 ナギは頷いた。

 話し始めると止まらなかった。


 食堂でプロテインバーを食べたこと。

 高栄養スイーツを追加したこと。

 部屋の前で別れようとしたこと。

 でも寝るか聞いたら営業計画を作ると言われたこと。


 部屋に入ったこと。

 寝衣に着替えたこと。


 ベッドで見張るつもりだったこと。

 自分が先に寝たこと。


 朝、レイルが目を閉じたまま起き上がったこと。

 完璧な発声でおはようございますと言ったこと。


「怖かったです!」


 ミナは途中から、静かに額を押さえていた。


「並木さん」

「はい」


「あなた、本当に行動力がありますね」

「ありがとうございます!」


「褒めてません」

「すみません……」


 ナギはしゅんとした。

 けれど、すぐに顔を上げる。


「でも、寝たんです」


 その声は、少しだけ嬉しそうだった。

 ミナはその表情を見る。

 ため息をつきかけて、やめた。


「白石先輩本人が了承したなら、私から強くは言えません」

「はい!」


「ただし、踏み込みすぎないように」

「はい……」


「本当に」

「…はい。すみません……」


 ナギは今度こそ小さくなった。

 ミナはこっそりと苦笑する。


 この子は、本当に不思議だ。

 白石先輩も。

 この子には、ずいぶん甘い。


   ◇


 今日のナギは元々休養日予定だった。

 ミナが促してナギが去った後。

 ミナはしばらく端末を見つめていた。


 寝ました。


 その言葉が、少し引っかかっていた。

 もちろん、睡眠自体は珍しいものではない。


 休養時間中に眠る。

 普通のことだ。

 むしろ望ましい。


 けれど。

 白石先輩が。

 自然に、眠った。


 ミナは何気なくログを開いた。


 L-000467休養記録


 表示された最新ログに、目が止まる。


【23:04〜07:12 自然睡眠】


「……」


 ミナは少しだけ眉を寄せた。


 自然睡眠。


 その文字を、もう一度見る。

 それから上へスクロールした。


 修復

 営業活動

 修復

 営業活動

 修復

 営業活動


 延々と続く。

 さらに少し上へ。


 ミナは手を止めた。

 白い画面に、規則正しい記録が並んでいる。


 正確で。

 整然としていて。

 少し不自然なくらい、乱れがない。


「……まさか」


 小さく呟く。


 自然睡眠の記録がない。

 そんなこと、あるはずがない。


 ミナは頭を振った。


(そんな訳ないわよね)


 きっと表示範囲の問題だ。

 修復記録に統合されているのかもしれない。


 高稼働者のログ形式は、自分たちとは少し違う。

 そういうことだ。


 ミナはそう考えた。

 そして、ログを閉じた。


 画面が消える。


 白い営業部のラウンジには、いつも通りの穏やかな光が降っていた。



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