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#2-4 レイルの2時間


 72時間に失敗した後の目覚めから、およそ十日後。

 ナギは営業部のデスクに突っ伏していた。


「いやでした……」

「そうですか」


 向かいの席でミナが穏やかに答える。


「いやでした……」

「二回目です」

「本当にいやでした……」


 ミナはとうとう吹き出した。

 ナギはうめき声を上げる。


 今回の72時間挑戦は前回とは違った。

 活動時間自体は超えられた。

 けれど営業品質が落ち、研修は途中終了。


 そしてその後に待っていたのが、初めての長時間稼働者向け簡易メンテナンスだった。


 初心者向け六時間。


 未来医療。

 最先端技術。


 そう聞けば格好良い。


 実際、最初の三十分くらいは感動していた。

 身体の状態がリアルタイムで表示される。

 筋肉が修復される。

 神経が調整される。

 補助リングが細かく最適化を続ける。


 すごい。

 本当にすごい。


 そう思っていた。


 しかし。


 一時間後。

 あちこちの微細な痛みが気になる。

 なんか嫌だ。


 二時間後。

 修復の違和感が凄い。

 帰りたい。


 三時間後。

 直ってきてるのは分かる。

 暇だ。

 やっぱり帰りたい。


 六時間後。

 動けない。

 あちこちむずむずする。

 二度とやりたくない。


 そんな感想になった。


「修復率は非常に良好でしたよ」

「そんなこと聞いてないです……」

「神経適応率も」

「聞いてないです……」

「活動能力も」

「聞いてないですってば……」


 ナギは顔だけ横に向けた。


「なんなんですかあれ」

「修復ですね」

「知ってます」

「簡易メンテです」

「…そうでした」

「六時間ですよ」

「~~短いみたいな顔しないでください」


 ミナはまた笑った。


「だって、あれ簡易なんですよ?」

「嘘ですよ~」

「本当ですよ」

「…嘘であってください」

「残念ながら本当です」


 ナギは数秒黙った。


「……先輩たちって」

「はい」

「あれ平気なんですか」


 ミナは少し考えた。


「平気ではないと思います」

「ですよね!?」


 ナギが勢いよく起き上がる。


「だって変な感じするし!」

「はい」

「痛いし!」

「はい」

「身体が自分の身体じゃないみたいだし!」

「そうですね」

「途中で五回くらい帰りたかったです!」

「増えましたね」

「すごく帰りたかったんです…」


 ナギは再び机に沈んだ。

 ミナは少し笑いながら続ける。


「だから皆さん調律を調整するんですよ」

「え?」

「並木さん、今回調律最低限設定でしたよね」

「はい」

「もっと深くできます」


 ナギが顔を上げる。


「できるんですか」

「できますよ。皆さん自分で決めています」


 ミナは肩をすくめた。


「寝ている間に終わらせる人もいますよ」

「…なんか、ずるい」

「それもオラクル権ですから、ずるくありません」


 しばらく文句を言っていたナギだったが、やがてふと首を傾げた。


「小林先輩は?」

「私ですか?」

「どうしてるんです?」

「中程度ですね」

「中程度」

「効率が良いので」


 効率。


「勤務サイクルもそうです」


 ミナは続ける。


「私は120時間勤務して24時間休養します」

「長くないですか?」

「それを二回」

「長くないですか?」

「三回目の勤務が終わったら72時間休みます」


 ナギは遠い目になった。


「長いです…」

「効率が良いので」

「効率ってなんなんでしょうね……」


 ミナは少しだけ考えた。


「人によります」

「一番困る答えです」


 幸福労働者になってから、ナギは何度も思う。

 正解がない。

 だから自分で探さなければならない。


 修復も、働き方も、全部。


 しばらくナギは考え込んでいた。

 ミナは放っておく。

 これは、すべての幸福労働者が自信と向き合うべき問題だからだ。


 やがて。


「あ」


 ミナが顔を上げた。


「そういえば今日は白石先輩の休養日ですね」


 ナギも顔を上げる。


「休養日?」

「はい」


 そして白石レイルの稼働サイクルの説明が始まった。


 240時間勤務。

 24時間休養。

 シンプルな繰り返し。

 24時間休養の中で、16時間修復。

 2時間自由時間。

 6時間最終調整。

 そしてまた、240時間勤務。


 聞き終わったナギはしばらく固まった。


「自由時間……二時間ですか」

「二時間ですね」

「たった、二時間」

「個人のオラクル権ですよ」


 どこかで聞いたような返答だった。


「待ってください」


 ナギは眉を寄せる。


「十日前」

「はい」

「私が食堂で会った時」

「はい」

「休養中だったんですか?」

「あぁ、そうですね」


 その瞬間、十日前の光景が蘇った。


 窓際の席。

 高栄養ゼリー。

 電解質飲料。


 細い指。

 青白い顔。


 そして。


『ひつようです』


 という言葉。


 胸の奥がざわつく。


「たぶん今も食堂ですよ」


 ミナが言う。


「毎回ほぼ同じ時間ですし」


 ナギは立ち上がった。


「行ってきます」


 少しだけ、言葉を探す。


「--話を、聞いてきても良いですか?」 

「どうぞ」


 ミナは止めなかった。

 それも、労働者が自分で決めるべきものだから。 


   ◇


 十五時過ぎの食堂は静かだった。

 昼食には遅く、夕食には早い。

 利用者も少ない。


 ナギは中へ入る。


 そして、すぐに見つけた。


 窓際。

 前回と同じ席。

 前回と同じ時間。

 前回とほとんど同じトレー。


 高栄養ゼリー。

 プロテインバー。

 電解質飲料。


 本当に同じだった。


「白石先輩」


 声に、レイルが顔を上げる。

 青白い顔。

 わずかに眠たげな瞳が瞬いて、ナギの名を呼んだ。


「並木ナギ」

「はい。…あの、今、お時間良いですか?」

「はい」


 レイルはこくりと頷いた。

 ナギは隣の席に座る。


「えっと、今業務調整に悩んでて…。白石先輩は、今の勤務サイクルって、どうやって決めたんですか?」


 レイルは少し考えた。


「これがいちばん効率がいいです」


 ナギは思わず笑った。


「小林先輩も同じこと言ってました」

「そうですか」


 レイルは特に気にしていない。


「何の効率なんですか?」

「えいぎょうです」

「営業だけですか?」

「はい」

「体調とか」

「だいじょうぶです」

「睡眠とか」

「もんだいありません

「えと、休みとか」

「あります」

「二時間しかないじゃないですか」


 レイルは瞬きをした。


「二時間あります」


 同じだった。

 ミナと同じで。

 でも少し違った。


「お休みの日って何してるんですか?」

「アスクレピオスが勧めるので、食事をします」


 ナギは思わず言葉に詰まる。


「それ、以外は?」

「えいぎょうけいかくです」

「それ以外は?」

「ありません」

「ほんとに?」

「ほんとです」


 ナギは絶句した。


「遊んだりとか」

「?」


「散歩とか」

「?」


「映画とか」

「?」


 レイルは本気で理解できないらしい。

 ナギは頭を抱えた。


「そう、甘いものとか、食べませんか?」

「?」


「ケーキ!」

「?」


「プリン!」

「?」


「アイス!」

「?」


「チョコレート!」

「?」


「パフェ!」


 そこで初めてレイルが反応した。


「ぱふぇ」


 ナギが止まる。


「知ってるんですか?」


 レイルは少し考えた。


「しりません」

「知らないんですか!」


 思わず机を叩いた。


 レイルがびくりと肩を震わせる。


「あ、ごめんなさい」

「だいじょうぶです」


 大丈夫らしい。

 たぶん。


 ナギは深呼吸した。


「食べたことあります?」

「ありません」


「プリンは?」

「ありません」


「アイスは?」

「ありません」


「ケーキは?」

「ありません」


「チョコは?」

「ありません」


 ナギは黙った。


 数秒。

 さらに数秒。


 目の前の先輩を見る。

 細い指。

 青白い顔。


 目の前のゼリー。

 プロテインバー。

 電解質飲料。


 そして、頭をよぎる二百四十時間勤務。


 十日だ。

 十日間休みなく働いて。

 休みの日に食べるものがこれ。


 そのうえ、甘いものを食べたことがない。


 いや、もしかしたら。

 食べたことはあるのかもしれない。


 でも、記憶に残っていない。


 それがナギには、なんだかたまらなく寂しく思えた。


「ー先輩」

「はい」

「甘いもの、食べに行きましょう」

「?」

「今、行きましょう」

「ひつようありません」


 即答だった。

 ナギは負けなかった。

 拳を握って叫ぶ。


「先輩には、必要だと思います!」


 レイルは黙った。

 考える。


 長い沈黙。

 やがて小さく首を傾げた。


「なぜですか」


 ナギは口を開きかけて、閉じた。


 うまく説明できない。


 勤務効率とか、栄養バランスとか。

 そういう話じゃない。


 ただ、この人に。

 美味しいって言ってほしかった。

 楽しいって思ってほしかった。


 それだけだった。


「……分かりません」


 口から出たのはそんな言葉だった。

 今度はレイルが瞬きをする。


 ナギは少し笑った。


「でも」


 十日前、食堂で聞いた言葉を思い出す。


「今の先輩を見てると」


 レイルを見る。


「私が、放っておけないんです」


 レイルは黙って瞬きをした。


 そのまま、少しだけ目を伏せる。

 考えている、らしい。


 その様子がなんだか可笑しくて。

 不思議と愛おしくて。


 ナギは少しだけ笑った。


 やがて、レイルは静かに頷いた。


「……並木ナギが、そう思うなら」

「ほんとですか?」

「いきます」

「ありがとうございます!」


 ナギは勢いよく立ち上がった。


「やった!」


 そして、レイルのトレーを見る。


 高栄養ゼリー。

 プロテインバー。

 電解質飲料。


 ひょいっと持ち上げる。


「とりあえずこれ返してきます!」


「?」


 レイルが瞬きをした。


「返します」

「はい」


「甘いもの食べます」

「ぱふぇ、ですか」


「たぶんパフェです!」

「そうですか」


 本当に分かっていないらしい。

 ナギは思わず吹き出した。


 そして小走りで返却口へ向かう。


 暴走している自覚はあった。

 勤務サイクルの相談をしに来たはずだった。


 なのに、今はもう、目の前の先輩に何か美味しいものを食べてほしい。

 それしか考えられなかった。


「急ぎましょう!」


 ナギは返却口から振り返る。

 レイルは相変わらず状況が分かっていないようだった。


 それでも、嫌そうな様子はない。

 ただ静かにナギを見ている。


 ナギは少しだけ笑った。

 たぶん、まずはそれで十分だった。



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