七つの隣人 第四章 芽吹の民 ジーナリ
芽吹の民のもとを訪ねたのは、入団三年目の花冠の月である。聖都メリディアから北へ、金糸聖母奉神教会の施療士の一行に同行させてもらった。ジーナリの村の多くは教会の近くにあり、彼らを訪ねる道は、実のところ教会の道でもある。森の入り口には教会騎士の詰め所があって、白い外套の騎士が二人、街道を見張っていた。今どき何を警備するのかと思ったが、あとでその意味を知ることになる。
聖樹海ダーナヘルは、境目からして尋常ではなかった。街道沿いの雑木林が、あるところからふいに深くなり、木々の幹が太くなり、足元の草の丈が変わる。線でも引いたようだった。中に入ると、春先だというのに空気が濃い。苔は絨毯のように厚く、頭上では若葉が幾重にも重なって、光が緑色に染まって落ちてくる。しばらく歩いて、先を行く施療士が足元を指さした。彼女の踏んだ靴跡に、小さな白い花が三つ、開きかけていた。ジーナリの通り道はこうなるのだと聞いてはいたが、人の靴跡でも、彼女たちの村が近いとこうなるらしい。
村は、村というより庭だった。木と木のあいだに、生きた枝を編んで作った東屋のような住まいが点々とあり、壁も戸もない。畑はなく、囲いもなく、道は苔の上に踏み跡がうっすらとあるだけである。そして村の真ん中に、その木は立っていた。聖母樹である。幹は白く、大人が十人で手を繋いでも囲えないほど太く、枝という枝に淡い金色の花が咲いていた。花の香りに、蜂の羽音が低く混ざっている。木の周りだけ、空気がひとつ温かい気がした。
ジーナリたちは、噂に聞いていたとおりの姿だった。誰も彼も、十四、五の少女にしか見えない。ジーナリに性はなく、生殖もない。皆この聖母樹から生まれてくるのだが、それでも見る者はつい、彼女と呼びたくなる。緑の髪のあちこちに若い芽がのぞき、頭にはそれぞれ、一輪の花が咲いている。花の色も形もひとりひとり違っていて、あとで知ったことだが、彼女たちはこの花で互いを見分けるのだそうだ。
迎えてくれた長は、ミルと名乗った。やはり少女の姿で、頭の花は大ぶりの白い花だった。ただ、話しはじめてすぐ、姿と中身の釣り合わなさに気づいた。声は鈴のようなのに、言葉の運びが、祖母のそれなのである。使節の長が挨拶をして、土産を差し出した。壺いっぱいの蜂蜜である。ミルの頭の花が、ぱっと開いた。喩えではない。花びらが目に見えて開いたのだ。まわりにいた数人のジーナリの花も、つられたように開いていく。蜂蜜は、彼女たちが口にするもののうちで、いちばんの好物なのだという。
その晩、村の馳走に呼ばれて、彼女たちの食べるものを知った。木の実、若葉、花の蜜、熟れた果実。それだけである。ジーナリは命を奪うことができない。何かを殺せば、その痛みが自分の身に返る。だから肉も魚も食べないのだが、それだけではなかった。菜でも、摘めば株が死ぬものは食べない。球根や、根ごと抜く根菜のたぐいも食べない。木から落ちた実、摘んでもまた伸びる若葉、株の残る果実。相手が死なずに分けてくれるものだけを、彼女たちは食べて生きている。だから蜂蜜が一番の馳走なのである。花の蜜を集めてなお蜂の巣が生き続ける、あれは彼女たちの掟の中で、最も甘いものなのだ。ちなみにジーナリへの奉げ物とされる蜂蜜は、養蜂家が巣を殺さず、蜂の冬越しの分を必ず残して採った特別の品で、諸侯でもなかなか口にできない高級品として知られている。私も一匙よばれたが、なるほど、これは献上品になるわけだった。
滞在中、うかつな失敗をひとつした。夜、東屋で虫が首に止まり、考えるより先に手が動いたのである。打つ寸前、隣にいた若いジーナリが、私の手首をそっと押さえた。強い力ではなかった。ただ、その顔があまりに静かだったので、私は自分が彼女たちの村で何をしようとしたのかを悟って、赤面した。彼女は虫を指に移して逃がし、気にするなというように笑って、それきりだった。責められもしなかったことが、いちばんこたえた。
翌日、ミルが聖母樹の根元を案内してくれた。白い幹の根のあいだに、柔らかい土の床があり、そこに小さな花の芽がひとつ、頭を出していた。あれが妹になる、とミルは言った。ジーナリは寿命が近づくと、頭の花に種がひとつ実る。その種を聖母樹の根元に埋めると、やがて土から新しいジーナリが生まれてくる。親はなく、皆が聖母樹の娘で、皆が互いの姉妹である。ではあなたの種は、と訊きかけて、私は口ごもった。ミルはこの村で最も年老いたジーナリである。ミルは笑って、自分の頭の白い花に触れた。わたしの種は、ここには埋めない。どこかの土地が呼んだら、それを持って出ていくの。
どういう意味かは、ダーナヘルの成り立ちを聞いて分かった。この大樹海は、もとは草原と森の焼け跡である。昔、人の戦がこの一帯を広く焼き払い、何年も草の生えない死んだ土地になった。そこへ、誰に頼まれたのでもなく、各地のジーナリが幾人か移り住んだ。荒れた土地や大水の跡ができると、彼女たちは示し合わせもなしに、自然とそこへ集まりはじめるのだという。そして移った先で、一行のうち最も年老いた者の種が、新しい聖母樹になる。樹が立てば妹たちが生まれ、数十年をかけて、土地は元に戻っていく。土地が落ち着けば、生まれる数はおのずと減って、村はほどよい人数で安定する。ダーナヘルの聖母樹も、名も伝わらない一人の年寄りの種から立った。つまりこの大樹海そのものが、人の焼いた傷の上にできた、かさぶたなのである。ミルの種も、いつか、どこかの焼け跡か水浸しの野で、樹になる。彼女はそれを、少しも悲しい話としてではなく、嫁入りの支度でも語るように話した。
帰りぎわ、森の入り口の詰め所で、騎士たちの警備の意味も知った。命を奪えず、抗えば人を傷つけかねないことを恐れて抗わない。この気性につけ込んで、彼女たちをさらい、囲い、その力で自分の土地だけを肥やさせようとする人間が、昔も、そして情けないことに今もいるのだそうだ。教会があの白い外套をあの森の前に立たせ続けているのは、そのためである。
旅団に戻ってからも、ダーナヘルのことはよく思い出す。人が焼いた土地に、頼まれもせず出向いていって、自分たちの最年長を樹に変えてまで緑を戻す。戻し終えたら、増えることをやめて、静かに暮らす。それでいて、人にさらわれてきた歴史を恨む言葉は、滞在のあいだ一度も聞かなかった。あの村で私が悟ったのは、彼女たちが優しいという、それだけのことではない。命を奪えない者たちの優しさには、奪って生きているこちらの覚悟を、静かに問うてくるところがある。あの静かな顔で手首を押さえられて以来、私は虫一匹叩くときにも、一瞬だけ手が止まるようになった。それから、蜂を殺さない養蜂家の蜂蜜を小さな壺で買い、時折ダーナヘルへ送るのが習いになっている。あの頭の花がぱっと開くところを、また見たいからである。




