2-1 何にでも点数つけてそう
月曜の朝、八時十二分にメッセージが来た。
『お昼、学食。決めた』
疑問符がない。誘いではなく、決定の通知だ。
返事は三回書き直した。『了解です』は事務的すぎて五十点、『いいですね、行きます』は浮かれて見えて五十五点、最終的に『行きます』の四文字で六十点。短さで五点稼いだ計算になる。
十二時十分、中央食堂の前。林瀬さんはもう券売機の前にいて、僕を見つけると「大槻くん、こっち」と手を上げた。
券売機の上には、今日のメニューが写真つきで並んでいる。定食が四種類、麺が三種類、丼が二種類。値段と量と写真の盛りのよさ、比較の軸が三本あれば、九品目でも順位はつく。つくはずなのに、僕が五品目まで来たところで、林瀬さんはもう食券を一枚持っていた。
「早くないですか」
「日替わり。毎日替わるから、毎日これでいい」
理屈としては筋が通っている。通っているのが、少し悔しい。
六品目、カレー。安いが写真が小さい。七品目、きつねうどん。八品目に行こうとしたところで、林瀬さんの指が券売機に伸びて、ボタンが押された。
唐揚げ定食。
「え」
「大槻くん、さっきから唐揚げのとこだけ二回戻ってた」
出てきた食券を、彼女は僕の手のひらに乗せた。
二回。自分では数えていなかった回数を、隣で数えられていた。しかも当たっている。比較の結果、僕は唐揚げにするつもりだったのだ。九品目まで全部見て、全部に点をつけてから、唐揚げにするつもりだった。
「……八品目と九品目が、まだ残ってました」
「残ってても唐揚げでしょ」
そうだった。四百八十円は、あとで払った。
窓際の四人がけに、先客がいた。
「澪、遅い。ねえ、ここ★3.2だって。学食なのに★ついてるの、面白くない?」
スマホから顔を上げたのは、ゆるく巻いた髪に大きめのカーディガンの女子で、「あ、柚木です。澪と同じクラス」と言ってから、僕を見て「知ってる。噂の法学部くん」と付け足した。
何の噂かは、聞かないことにした。
★3.2。誰が、何人で、何を基準につけたのか。学食の★をわざわざつけに行く人は、たぶん学食に何か言いたいことがある人だから、平均値は分布を見てから信用したほうがいい――とは言わなかった。柚木さんは、もう別の店を見ていた。
「あ、ここ★4.1。決まり。今度ここ行こ、澪」
★が決めてくれるなら、迷わなくていい。その感じは、少しだけ分かる気がする。
「宿題、決まった?」
味噌汁を置いたところで、林瀬さんが聞いた。
「まだです」
「うん」
それだけだった。催促も、ため息もない。締切は毎週隣に座ることになっているから、毎週のぶんだけ、まだです、と言う機会がある。
唐揚げは四つ。衣が少し厚い。肉はやわらかい。味噌汁がぬるい。四百八十円としては、七十二点。
頭の中で点をつけ終わったところで、向かいから視線を感じた。林瀬さんが箸を止めて、僕を見ていた。
「大槻くんってさ」
少し笑って、彼女は言った。
「何にでも点数つけてそう」
返す言葉を探す前に、柚木さんが林瀬さんの腕をつついた。
「澪、もう四十分。軽音のブース、一時からだって」
「あ、行く行く。――じゃ、金曜ね」
トレイを持って立ち上がると、彼女は振り返らずに行ってしまった。先週と同じだ。
つけてそう、と言われた。口には出していない。顔にも出していない、つもりだった。出していないものを見抜かれたうえで、言われた。
彼女は笑っていた。笑い方には種類がある。ばかにする笑い方と、そうでない笑い方と、あと何種類か。どれだったのかを確かめる前に、彼女はいなくなった。
七十二点の唐揚げの、最後の一つは、味がしなかった。
*
その夜、僕は判決を書いた。
もちろん頭の中で、だ。法学部に入って二週間、判決文はまだ一本も読み通していないが、形式だけは知っている。主文が先で、理由が後。
判 決
主文 林瀬澪は、大槻拓を減点した。
理由 何にでも点数をつける人間は、一緒にいて疲れる。一般に。
言渡し 四月十八日(月)、自室にて
一般に。我ながら、よくまとまった理由だった。手続きとしても、とても速かった。
判決が出ると、気持ちは少し楽になった。分からないまま待つより、減点のほうがまだましだ。減点には点数があって、点数がつけばそれ以上は下がらないし、下がらないなら、あとは自分がこれ以上失点しないように距離を取ればいいだけで、距離の取り方なら、席を一つ変えれば済む――そこまで考えたところで、結論はもう出ていた。
嫌われた。
そういうことにした。
宿題の答えは、まだ書けていなかった。書けたら送ろうと思っていた下書きは消して、かわりに一通、別の下書きを作った。
『来週から、席は別のところにします。隣は、ほかの方にどうぞ』
自己採点、八十五点。丁寧で、相手に負担をかけない。送るのは金曜の講義のあとにした。顔を見て言うより、文字のほうが減点が少ない。
火曜は、林瀬さんからのメッセージがなかった。先週も、連絡先を交換してから火曜まで何もなかったのだから、普通のことだ。普通のことだと分かっていたので、証拠の欄に入れた。連絡なし、一日。判決を補強する事実が、一つ増えた。
証拠が増えると、判決はますます正しく見えた。
水曜の朝、抽選の結果が出た。ポータルの通知を開く。当選。金曜五限の履修が確定しました。
告知のページには、よくある質問が先に並んでいた。落選したらどうなるのか。同じ時限の別の科目に追加登録できるのか。結果に疑問があるときは、どこに問い合わせればいいのか。聞こうと思っていたことが、聞く前に全部答えてある。九十点。告知文としては、ほぼ満点だ。書いた人は、たぶん問い合わせが嫌いなのだろう。
林瀬さんの結果は、分からない。分かる仕組みになっていない。
彼女が落ちていれば、金曜に会わずに済む。
一瞬そう考えて、その考えに零点をつけた。零点をつけたのに、消えなかった。
木曜の夜、席を検討した。いつもの席、六十点。隣に誰が座るかによる。前列、三十点。目立つ。最後列、八十五点。逃げ道に近い。
逃げ道、という語を選んだ時点で、何から逃げるのかは決まっていた。
林瀬さんは、毎週ここ、と言った。あれは判決の前の話で、判決のあとまで有効だと考えるのは、自分に都合がよすぎる。
金曜。五限には、八分遅れて入った。
前の扉ではなく、後ろの扉から入る。抽選のあとの教室には立っている学生がいなくて、最後列の端が一つだけ空いていた。そこに座った。隣には紺のカーディガンの人がいて、膝にタブレット、手にストップウォッチ。
前のほう、中央よりやや後ろに、林瀬さんの後ろ姿が見えた。先週と同じ、通路から一つ内側の席。
その隣、通路側の、僕の先週までの席には、リュックが置いてあった。
荷物を置いただけだ。隣が空いているから、荷物を置いた。それだけのことだ。
隣の人は、僕が座った瞬間に、ストップウォッチとは別の何かを、タブレットに打ちこんだ。




