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まあだだよ

 

「宮川賢治」としての完全な生活を取り戻した賢治は、かつてなく小説の執筆に注力できていた。今までは昼も夜も別人の生活を続けていたのだ。作品に集中できないのも当然だった。

 また、こうして没頭していると幼き日の惨劇も忘れることができた。世間を賑やかせるワイドショーも極力耳には入れたくなかった。

 警察は被疑者死亡のまま、10年前の事件の再捜査を進めるつもりはないと発表している。賢治にとってもはや仕事の邪魔でしかないノイズだが、最近、賢治の頭の中である考えがとみに肥大化していた。


「……あだ」


 まだ、残っている謎があった。夕闇が迫る中で、幼い賢治たちを襲った犯人は、いったい誰だったのだろうか?

 世間的には近所に住んでいた自殺した男が犯人ということになっている。しかし賢治は疑問に思うのだ。男は遺書の中で罪を告白した。ではなぜ、遺体の場所を記さなかったのか? 懺悔して自殺した男の像と、あの薄暗い裏山に子供たちを埋めた鬼畜の影は、どうしても重ならなかった。殺人者の心理など計り知れない、といえばそれまでだが。

 また、今回賢治たちを襲った「サブロー」についても。彼は6番目の人格だったと自ら申告した。他の人格を攻撃し始めた理由も、賢治を守るためだと言った。なるほど、筋は通っている。しかし賢治はそれだと腑に落ちない点を見つけていた。


「あぁだだよ」


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 太志が襲われた後、あげはがサブローに出会うまで、1ヶ月ほどのタイムラグがあった。そこからは連日、立て続けに「殺人」が行われたにも関わらず、だ。どうしてサブローは二度目の殺人を躊躇ったのか? 心の中の存在なら、間をおかずに襲えばいいのではないか?


「まあだ、だよ」


 そう。まだ謎は残っている。「まだだ」と、賢治はさっきから繰り返し呟いていた。

 このわだかまりを解消するためには、思考を転換する必要があった。だから賢治は逆を考えてみた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。野球帽をかぶった、中学生くらいの背格好の子供。歯の欠けた少年は実在していたのではないかと、夢想してみた。

 ほんの他愛ない関心からだった。執筆の箸休めの、頭脳パズルのようなものだ。だが賢治は、実在説を採用しても、一連の犯行は可能だったことに気付いた。

 太志の場合。サブローはノックした後、開けられた扉の死角に隠れた。そして太志の背後から、体勢を崩させた。

 あげはの場合。公園に潜んだあげはに近づき、正面から首を絞めた。女の人格の時は腕力も制限されていたと考えれば、不可能でない。

 優希の場合。子供に襲いかかったのは生身の人間だった。薬品を嗅がせ、事故に見せかけることもできただろう。

 達弘の場合。これは難しい。一見不可能なように思える。だがここも発想を転換させて……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 達弘は実際に、心臓が破裂するまで夕暮れの裏山を駆け回っていたとしたら? 


「まあだだだ」


 だが依然として無理があるように思える。それぞれの仮説について、容易に反論ができる。太志の部屋の前まで侵入できた子供は誰? あげはが非力な女だとしても、正面から首を絞めて抵抗に遭わないのか? 優希の前になぜ男児を襲った? そしてどうやって地下室から眠ったままの達弘を連れ出した?


「まーだ、だ……」


 賢治はいったん思考を止めた。どうせすぐに頓挫すると思っていたゲームが、思ったよりも進んでしまったからだ。彼はむしろ論理の破綻を望んでいたのだ。サブローは賢治の最後の人格だった。それで終わったことにしてしまいたかった。

 だが、もう遅かった。すでにのっぴきならない段階まで、賢治の推論は進められていたのだ。

 賢治は今一度情報を整理する。あの裏山のことを知っていた人間は多くない。太志、あげは、優希、達弘、賢治。そして賢治はもう一人、該当する人間を知っていた。いじめられていた彼にできた初めての友達。学年が違っても関係なかった。仲間はずれのような扱いを受けても問題なかった。ただ一緒に遊べるだけで嬉しかった。

 賢治は、一つだけ、仲間との約束を破った。それほどまでに舞い上がっていた。誰かに報告したかった。気の許せる、信頼できる相手に。


「賢治、ご飯ができたで」


 賢治は執筆の手を止めた。


「あぃがとぉ。かあさん」

「最近、よく笑いようになったね」

「うん。小説がはかどるんだ」

「そう。それは良かったわ。じゃあ、もう少し待っとくで」

「ありがと」


 母はいったん部屋を後にした。彼女も笑顔を見せるようになった。その前歯は、1カ所ぽっかりと抜け落ちている。


『うっさいわ、ばばあ!』


 太志として振る舞った賢治は、小柄な母親に暴力を振るった。サブローと呼ばれていた頃の賢治のように、歯が欠けていた。彼女なら、いつでも太志の部屋に行くことができた。

 他の人物として過ごす時、賢治は母親に対して接し方を変えていた。賢治は彼らの人生を全て知っていたわけではない。将来はこうだろうという想像から演じていたに過ぎない。


『この子殺して、ウチも死んだる!」


 だから、あげはの本当の母親のことも、賢治は知らない。なにを参考にして、あの苛烈な般若を思い浮かべたのだろう。また、どうして賢治には父親がいないのだろう? あの記憶が、賢治本人のものだったとしたら……?

 確かめる術はない。母は教えてくれないだろう。ただ、あげはが死の直前に発した言葉はなんとなく分かった気がした。彼女がよく知る人間であれば、むしろ正面から首を絞めたのは効果的だっただろう。


「まあだ」


 病院でサブローがあの子供を襲ったのは、優希が蹴られたのを見たからではないか。サブローは逆上していたのだ。大事な人間が足蹴にされたのを見て。それは友達だった? いや。もっと大切な関係がある。血の繋がり、とか。とはいえ、子供に対してあれほど苛烈に怒れるのは、やはり常軌を逸している。()()()()()()()()()()()()()()

 達弘を連れ出すことができた人間。そもそも彼自身が言っていたではないか。外に信頼できる人間がいる、と。その人物しか部屋を開けることはできない。達弘もまた血の繋がりをなにより大事に考えていたのかもしれない。


「だ」


 思考の隅に埋もれていたパズルのピースを一つ一つ見つけては、当てはめていく。隠れ鬼のように、最後の子供が見つかるまで、捜索は続く。

 サブローは実在した。そう考えると、最初の疑問にも合点がいく。初回から2回目までの空白の期間。それは人格が死んだと確信が持てるまでの時間ではなかったか。太志が現れないことが分かって、サブローは人格の殺し方を学んだ。そこからは一気に、殺戮を開始した。

 やる時は一息に。10年前と同じ手口だ。

 ……いや。いやいや。いったいぼくはなにを考えているんだ?


『賢治、お前や!』


 達弘は最期に、サブローの正体を賢治だと見抜いていたかに見えた。しかし彼も勘違いしていたのだ。目の前の人物に、賢治の面影を見ただけだった。

 そして賢治は覚えていた。ついに賢治の前に姿を現した人物は、チグハグな外見をしていた。短パンに野球帽、まるで子供のような格好なのに、顔だけが。


「賢治?」

「わ」


 賢治は、勉強するふりをしてこっそり遊んでいたのがバレた子供のように、首筋をすくめた。

 しかし彼女は賢治の頭を優しく撫でただけだった。


「今日はこんなにたくさん描いたんや。えらいわあ」

「うん、ぼくがんばった!」


 満面の笑みで原稿に目を落とした賢治はギョッとした。原稿用紙いっぱいに、子供の落書きのような絵が踊っていたからだ。見れば、右手には色鉛筆をグーで握りしめている。ぼくは、いったいこの数日間、なにを描いていたんだ……?




 あの日の鬼は、まだ何処かに隠れているのではないのだろうか。

 ひっそりと息を潜め、暮らしているのではないか。

 例えば、何気ない日常の中で。


「今日はお外にでようか」


 賢治はいやいやをした。


「お外が怖いの? あんなことがあったものね」


 違う。外に出ると黒いスーツ姿の男たちが目につくからだ。じっとこちらの様子を伺っている。殺人事件に時効はない。賢治だけを見逃した赤鬼を、執念深く探し続けているのだろうか。

 隠れ鬼は、終わらない。続けなきゃ。

 賢治は車椅子に乗せられながら、ぶつぶつと呟き続ける。呂律は回っていない。


「まぁまだよ」




ちなみに賢治の母は伊波都いはとと言います♡

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― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)ミステリーとしてのホラーというところでしょうか。サブローの死から闇が生まれて、それを解明していかんと物語は進むのですが、どんどんその闇が深まるという構図。ハイレベルなホラーとミステリ…
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