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現代短編

悪食令嬢は牛鍋とお汁粉を愛する

作者:コーチャー
「ひとりで牛鍋を喰らう女がいる」

 それだけであれば、私――高屋房たかや・ふさは「そんな女性もいるのか」と驚くだけですんだに違いない。我朝においても肉が食卓に並ぶのが、和魂洋才わこんようさいの時代だ。だが、それがたいそう色白の美人で私と同じ女学生だと言われれば、自然と級友の顔がひとつ浮かんでくる。

 大上雪子おおがみ・ゆきこ。病的ともいえる真っ白な肌に少しつり上がった瞳。結流ゆいながされた髪は白い紐で乱雑にしばられている。級長として何度も髪束かみたばにまとめるように指導したが、彼女は「いずれときがきましたら」と、言うだけで改めていない。

 彼女が一部の級友たちに「悪食令嬢あくじきれいじょう」と陰口を叩かれているのを私は知っている。

 女の園である女学校に置いて軽い鞘当があることなど珍しいことではない。
 そもそも生徒の多くが華族や士族の子女である。目に見えぬ鞘の一本や二本下げていたとしてもおかしくはない。だが、大上は丹州たんしゅうの豪商の娘。それも妾の子ということもありひどく下に見られていることは否めない。幸いながら我が家は三河以来の士分であり、ご維新前には大番頭おおばんがしら書院番頭しょいんばんがしらに任じられた過去もあった。父祖のおかげで生まれをあざけられることはないとは言え、級長としての職分を全うできなければ、いかないわれを受けるか考えるだけでも頭が痛い。

 私は海老茶色えびちゃいろはかまをひるがえして、夏の西日が差し込む教室へと向かった。教室に残っている生徒はただ一人をのぞいて誰もいなかった。彼女は色あせた本を開いていた。

「何を読んでいらっしゃるの?」

 大上は少しちょっと目を上げて私を一瞥するとすぐに視線を戻した。そして口だけを動かして「モルグ街の殺人事件。母と娘が無残に殺されるお話です。今いいところなので手短にお願いできますか?」と言った。

「人殺し?! あなたそんな不謹慎な」
「不謹慎? そうでしょうか。人は昔から人の死が気になって仕方がないものだと思います。千一夜物語にも殺人者を探す物語がありますし、本朝においても歌舞伎や講談で好まれる題材ではありませんか」

 確かに、心中があればその理由をつぶさに書いた新聞が発行される。先年の日露戦争中おきた堀江六人斬りなどは演劇として人気があるという。とはいえ、良妻賢母を目指す女学校の生徒が人殺しを愉しむなど他に言えたものではない。

「大上さん、そんなことだから、くちさがない者に『大上は生まれわるし、その質はどんであり。まさに大噛おおがみの禽獣きんじゅうである』など言われるのです。もっと身をつつしめば……」

 私の言葉の途中で大上は「まったく仕方がない」という様にをすると本を閉じた。彼女の顔を見ればわらっていた。口は横に大きく開き、眼だけが西日に爛々と輝いている。まるで狼が獲物えものあざけっているような印象がそこにはあった。

「言い得て妙とはこのことです。是非、そのくちさがない者の名前を教えていただきたいものです。オトモダチになれるかもしれません」
「それはまた別にしましょう。今日はあなたのことです」
「私のことですか?」

 大上は鳩が豆鉄砲でも打たれたような、きょとんとした顔をした。こうしていてくれればまだ話しやすい。

「牛鍋。心あたりがあるのでは?」

 私が大上を睨みつけると、彼女はあからさまに視線をさけた。

「な、なんのことでしょう。まったく思い当たりません」
「本当に? 本当に知らないと言えますか?」
「ええ、まったく存じません。女の独り身で牛鍋を喰らうなど由々しきことです」

 大上は手にしていた本を置いた。

「あら、私は別に牛鍋といっただけで独りで牛鍋を喰った女生徒の話をしているわけではありません」
 私が言うと大上は悪びれる様子もなく片手を自分の頭に当てた。

「美味しいですよ。牛鍋。おすすめは浅草の米久よねきゅうです。江州こうしゅう産の一等牛をお安く頂けます」
「あ、あなた浅草って……」

 浅草といえば浅草十二階と呼ばれる凌雲閣りょううんかくが有名であるが、その界隈かいわいは『めいしや』と呼ばれる私娼窟ししょうくつが広がっている。そんな場所を年頃の乙女が出歩くなど正気の沙汰ではない。私は、目を見開いていると大上は柔らかに微笑むと「ご一緒にどうですか?」と言った。

「行きません!」

 私が声を荒げると大上は心底残念だというに悲しげな表情を見せた。だが、絶対に嘘だ。さっきだって自分からぼろを出しただけだ。いまになって私はこの級友がいかなる心胆しんたんの持ち主であるか理解しつつあった。

「では、汁粉にいたしましょう。『拾二ヶ月』などいかがです?」
「……汁粉ね。いえ、駄目だめよ」

 甘い物は好物である。とはいえ、ここで大上に流されてしまえば話を有耶無耶うやむやにされるという根拠のない自信がある。彼女は自分の価値観が他人と大きく狂っていることを知っている。そのうえでたのしでいるのだ。ろくでもない性分に違いない。

「三十間掘にある拾二ヶじゅうにかげつは、宮家から庵号を許され、山岡鉄舟やまおか・てっしゅう翁が渾身こんしんの筆を振るって題字を額に収めて送った名店です。汁粉は十二種類。十二ヶ月それぞれの趣ある名がついており、一月『若菜』、二月『梅』、三月『桜』と、いうように季節の味を取り入れたわんは、甘豪あまごうから一巡(十二ヶ月)して一品と呼ばれています。特に桜は薄紅色うすべにいろあんに桜をかたどった花餅はなもちを浮かべた絶品です。程よい甘さにほんのりとする桜の香りは眼も舌も花さえも満足させてくれます。
 ですが、残念。級長はご一緒下さらない、ということですねで私一人で」

 滔々(とうとう)と語る大上の口によどみはなく聞くだけで、舌が甘みを感じそうであった。私はさまざまなことを思い浮かべながら、陥落かんらくした。

「分かったわよ。行きます」
「さすがは級長、話がわかります」

 大上は両手を合わせて微笑んだ。その顔が心底から嬉しそうで、殺人事件の本を好む彼女と随分と違和感を感じてしまった。ちぐはぐな模様を組み合わせた寄木細工よせぎざいくの箱を相手にしているようだ。

「でも、あなたを指導するために行くのよ。私の話は途中なのですから」
「はいはい、分かりました」

 どこまでも大上に主導権を握られている、と理解しつつも私は彼女についていくしかなかった。



 拾二ヶ月は名店の名に相応ふさわしいたたずまいをしている。店の外では我が家の車夫しゃふ人力車じんりきしゃとともに待っている。学校帰りに飲食など言うと車夫は随分と渋い顔をした。きっと父や母にばれるようなことがあれば問題になると思ったのだろう。

 だが、一緒にいた大上がなにかを言うと「たまにはよろしいでしょう」と態度を軟化させた。何を言ったのか、と問うと「私がもうすぐ嫁ぐために女学校を退学するので、最後の思い出に、と言ったのです。人情に厚い方ですね」と舌を出した。

 虫籠窓むしかごまどからは店内を眺める。女性客が三分の二を占めるなか、強面こわおもての男性客も多い。彼らはいわゆる甘豪あまごうと呼ばれる甘党の殿方なのだろう。なかにはすでに椀を三つも平らげている者もいる。

「級長。外から眺めていても汁粉しるこは出てきませんよ」

 大上が手招きをしている。私ははっと気づくと恐る恐る店内に入った。店内は華美かびではないが瀟洒しょうしゃな造りになっている。私たちは座敷ざしきへと案内された。それはちょうど椀を三つもさらえていた男の真横だった。男の年頃は三十代だろうか。彼には女の連れがいるらしく女は少し呆れた顔で男が汁粉を食べている様を眺めている。年齢は男よりも若そうだ。もしかすると恋人かも知れない。男の横には「とらんく」と呼ばれる西洋の旅行鞄が置かれている。横浜から海外に出ていくのだろうか。

「さぁ、何にいたしましょうか。私も久々の拾二ヶ月なのです」
「あなたいつもこんなことしてるの?」
「ええ、そうです。屋敷に帰っても私ひとりですので」

 屋敷にひとりとはどういうことだろう。いくら大上の実家が丹州であるとしてもひとりだけで娘を帝都に送り出す親がいるだろうか。少なくとも肉親や代わりになる家令をつけるのではないだろうか。

「さしつかえなければ」
「級長!」

 「相談に乗ります」と私が言う前に大上は大きな声をあげた。何かと思っていると彼女はお品書きを指差して「十一月『飛雪』にします」とのほほんと言った。まったく持って真剣なのか不真面目なのか判別がつかない。私は少し悩んだあと大上がすすめていた三月『桜』を選んだ。今の季節を選んで七月『天の川』にしようかと悩んだのだが、中身が分からなかったので、今回は大上のおすすめを選んだ。

 給仕の女性は私たちと年の頃は同じだろうか。私と大上の顔を珍しいものでも見るように見比べたあと「たまわりました」と下がっていった。確かに海老芋色の袴に黒の編上靴といういかにも女学生と言う出で立ちは珍しいのだろう。

「あまりきょろきょろしていると怪しいです。どーん、と腰を据えていると普通に見えるものです」

 大上はすました顔する。流石に場慣れしている、と言わざるを得ない。屋敷と学校を日々往復するだけの私の生活においてこういう出来事は希なことである。冒険と言っていいかも知れない。

「そうは言ってもこういうお店は初めてだから」

 私が顔を赤くすると、大上は何事も経験ですよ、と知ったようなことを言った。まったく気楽なものである。華族や士族などには面子があって醜聞しゅうぶんでも立とうものなら嫁ぎ先さえ見つからぬというのに。少し前にある子爵ししゃくの娘が、下男げなんと恋仲になって駆け落ちをしたという噂がたった。それはたちまち広がり新聞にも載るかと思われたが子爵が大枚をばら撒いて差し止めたという。

 恋は盲目というが、身分の差があると変に恋の炎が燃え上がることがある。私が知る限りうちの学年でもそういう生徒はいる。恋をしている本人は自分がどれほど危険なところにいるかわからないのだ。

 とはいえ、それは大上を陰口を言っていた件の生徒だ。大上には教えられない、きっと彼女が知れば何かをしでかすだろう。そんな事を考えていると給仕がこちらに来るのが見えた。

「お待たせいたしました」

 先ほどの給仕が朱色の盆にわんをのせて運んできた。甘い香りがする。最初に私に次に大上の前に椀が置かれる。すぐにでもふたを取りたいががっついているように見えるといけないので少し様子を見る。

「冷めますよ」

 私の気持ちなど理解できないように大上はすでに蓋をとっていた。大上の頼んだ『飛雪』は小豆の黒い餡の上に雪のような薯蕷しょよきんとんがかけられている。そこに柚の刻みがのせられた白玉が三つ並んでいる。柚の香りがさわやかだ。

 私の方は蓋を開けると春を思い出させる桜の甘い香りがした。餡は薄紅色でそのなめらかな口ざわりはいままで食べてきた汁粉のなかでも一番であった。そして、食べるのがもったないくらい美しい桜の花弁をかたどった花餅はちょうど一口大になっており女の口でも無理なく食べられる。

「楽しそうですね。顔が緩んでますよ」
「美味しい」

 これで一杯十銭は安いのではないだろうか。

「気に入っていただけてよかった。この調子で級長も牛鍋もいかがですか?」
「牛鍋で思い出した。大上さんそれよ。もうやめなさい。我が校の品位に関わります」

 私が思い出したようにたしなめると彼女は藪蛇やぶへびだった、と言わんばかりに手で目元を抑えてみせた。大仰たいぎょうな芝居である。ただ、彼女の演技はひどく下手くそだ。

窮屈きゅうくつな世の中。嫌になります」
「あのね、そういうものよ」

 私は呆れた声を出した。どうにも大上には良妻賢母を育成するという女学校の理念からしてないらしい。他の手本にならなければならないのだ。それが名家、旧家に産まれたもののつとめなのだから。

「わかりました。しばらくは級長の顔をたてて控えます。で、交換といってはなんですが級長も読みません? みすてりぃ」
「みすてりぃってあなたが学校で読んでいた人殺しの本?」
「そうです。欧米では随分と人気なのです」

 人殺しの本が人気とは欧米はやはり野蛮やばんである。なぜ、人が殺される話が面白いと言えるのだろうか。どうせなら、人々が幸せになる物語の方がよほどよいではないか。

「人気でも人殺しはちょっと……」

 私がそう言うととなりの男女がぎょっとした表情でこちらを見ていた。私は顔から火が出るかと思った。女学生が二人そろって人殺し、という不穏な言葉を発しているのだ。気味が悪いに違いない。

「人殺しは言い方が悪かったです。言い換えます。みすてりぃは謎を解く知的遊戯ちてきゆうぎです。人が死ななくても施錠せじょうされた部屋からモノが消え失せたとか同時刻に同じ人物がいた、という一見不可能に見える事柄に説明を付けるものでも物語は成り立ちます」

 随分と上手く言い換えたものである。確かにそれなら面白そうだ。

「だけど、そんなにうまくいくものなのかしら? 不可解なことに必ず理由がつけられるなんて」
「それは名探偵が解決してみせるのです。快刀乱麻かいとうらんまというやつなのです」

 名探偵とはなんだろう? 警官みたいなものだろうか。
 そんな事を思っていると隣の男女が席を立った。女は少し怒った顔で食べ過ぎよ、と男に言った。男は腹を押さえながら笑うと言った。

「今から件のめくらの海老芋えびいもをとりにいくんだ。騒がなくてもたんまりと儲けられる」 

 男は大きな旅行鞄を肩に下げると重そうにした。女はそれを食べ過ぎるから動きが鈍いんだ、と怒っていた。男女が出て行くと座敷ざしきには私たちだけになった。だけど、私はなにか漠然ばくぜんとした不安を覚えた。

「大上さん、名探偵っていうのは何でも解決できるものなの?」
「私が知る限りはそうだね。密室みっしつでも殺人でもなんでも一通りの答えはでる」
「なら、こうしましょう。大上さんが謎を解いてくれたら私もそのみすてりぃを読みましょう。でも解けなかったら大上さんはきちんと家で食事をとること。決してひとりで外食をしない」

 私が条件をつけると大上は少し考えたあと「級長は勝負師しょうぶしだね」とすでに勝ったような顔を見せた。
「では何を解決してみせましょう」
「それはね。『今から件のめくらの海老芋をとりにいくんだ。黙っていてもたんまりと儲けられる』これがどう言う意味なのか明らかにして欲しいの」

 先ほどまで隣の席にいた男が言った台詞である。私はこの言葉を聞いたとき、なぜか不安を感じたのだ。それがなぜかは分からない。彼女は答えを出すことができるだろうか。

「面白い、級長の挑戦を受けて立ちます」そう言うと大上の目が鋭くなった。教室で本を読んでいたときと同じだ。「最初にわかるのは、お金が絡んでいる。それも並みの金額じゃない」
「確かにそうね。たんまり儲かるって言ってるもの。汁粉一、二杯の金額じゃないはず」

 大上はうなずくと机のうえに肘をついた

「海老芋の売り先はすでに決まっている。黙っていても儲かるということは売り歩くようなことはしない。行商なら声を上げて売り歩くはず。黙って行商はできない」
「海老芋ってそんなに儲かるのかしら? あまり聞いたことない種類だけど」
「海老芋は京芋とも言って関西の方で有名な野菜です。地域によっては女芋ともいいます。由来は芋の表面にある横縞よこじまが海老のからに似ているから。主に冬の野菜で今の季節――七月にとれるものではないものです」

 とれないはずの芋がとれる。これは本当に大上の言うとおり、みすてりぃらしい展開なのかもしれない。

「大上さん、もしかしたら氷室のように冬にとれたものを保存しているのかもしれないわよ」

 氷室ひむろは冬に凍った池から氷を切り出してわらや木でおおい地中に埋めることで夏
まで氷を保存する場所のことである。ご維新いしんの前は加賀藩かがはんが毎年六月一日に将軍に献上けんじょうしていたという。

「いくらいい条件で海老芋を保存しても芽が出てると思う」
「でも、件のめくらの海老芋って言ってるくらいだし。特別に選別した芽の生えてない芋なんじゃないかしら?」
「それでも海老芋が儲かるとは思えない。確かに季節外れ、美品となれば買い手はつくでしょう。それでも一個三銭がいいところのはず。お汁粉を三杯食べるためには十個売らないといけない」

 とても儲かる仕事とは思えなかった。では一体どうやってあのふたりは儲けるつもりなのだろう。
 大上は私が見えていないように空を凝視している。そして、汁粉の椀を片手で掴むと水でも飲むようにごくごくと飲み干した。唇についた餡を長い舌で舐めとると大上は満面の笑みを見せた。

「級長……。分かりました。謎はすべて解けました」
「本当に?」

「ええ、名探偵ですので」彼女はそう言って胸を張ってみせると鋭い目をして言った。「まず、前提が間違っていたんです。男が言った台詞よりもどうして、級長があの台詞が気になったのか、ということを考えるべきだったんです」
「私が気になった理由?」
「そうです。級長はあの言葉の中に気になるものがあったんです。それはめくらと海老芋。そして九段です」

 どちらの言葉もパッと浮かび上がることはない。私が黙って首を左右に振ると大上は口を開いた。

「では、言い換えましょう。めくらは盲目。海老芋は海老色袴。件は九段。ここから推測できることは海老色袴は私たちがはいているこの女学校の袴です。我が校に盲目の生徒がいるとは聞いたことがありません。でも、恋で盲目になっている人はいるんじゃないでしょうか。そして、その女性とは九段に住んでいるのではないですか?」

 心当たりがある。大上の悪口を吹聴し、実らぬ恋に我を失っている女生徒だ。彼女は九段に住んでいる。

「ある。心当たりがあるわ。でもあのふたりは彼女からなにを盗るというの?」
「多分、彼女自身は何かを盗られるわけじゃないのです。とられるのは写真。彼女は写真を撮られる。男が持っていた大きな旅行鞄の中身は写真機だと思う」

 恋する少女の写真がお金になるか、と言われればならないに違いない。だけど、華族のご令嬢が下男のような男と付き合っているところを撮られれば、それは随分と儲かる写真になる。それこそ黙って相手に見せるだけでお金を払ってしまうほどに。

「大上さん……、これって本当?」
「いま、私たちの手元にある条件のなかでもっとも可能性があるものがこれです。でも、私はきっとこれが真実だと思う。違ったら恥ずかしてくて、しばらく外食はできない」

 大上はようやく狼のような険しい目をやめた。だけど、これが事実なら私はどうするべきかなんて決まっている。

「大上さん、もう少し時間はある? 私と一緒に九段まで行かない?」
「級長のお願いなら訊かないといけないんでしょう。ええ、お供しましょう」

 私たちは急いで勘定をすませると店の外に出た。外では我が家の車夫が暇そうに煙草を燻らせていた。私はすぐに車夫を立たせると「九段の土井邸まで行きます」と、厳しい口調で言った。車夫は驚いた顔をしていたがすぐに頷くと私と大上を人力車の乗せた。

 三十間堀から九段までは皇居を半周ほどすればたどり着く。あのふたりが徒歩であれば私たちが先につくだろうが、別の乗り物に乗られていれば間に合わないかもしれない。私がいらいらとしていると大上は「級長は人がいいね」とよくわからぬことを言った。

 人力車が土井邸までたどり着いたとき、私は自分が遅かったことを知った。

 鬼の首を獲ったように写真機を両手に握り締めた男と一抱えほどある風呂敷をもった女が屋敷から出てきたところだった。二人は上機嫌な様子で私たちを見ると「この屋敷に用事かい? 入らない方がいいぞ。馬鹿な娘のせいでお通夜みたいになってるからな」と小馬鹿にしたように言った。屋敷の方では使用人と思われる男たちが厳しい顔つきで男女を睨んでいる。

 私が言葉もなく立ち尽くしていると大上が「それはありがとうございます」と頭をさげた。私には彼女が何をしようとしているのか分からなかった。頭をあげると大上は思いっきり脚を蹴り上げていた。海老色の袴が線を描く。男の持っていた写真機は彼女に蹴飛ばされてガシャンとしょうもない音を立てて壊れた。それはあまりにも呆気ない結末だった。

 中に入っているガラス板は割れてしまっただろうし、箱の中に光が入ってはガラス板が無事でも感光して真っ黒になっているだろう。

「……えっ」

 男と女は何が起こったか分からない、といった顔をしている間に土井家の使用人に押さえつけられた。証拠が壊れてしまえば、彼らも我慢する必要がなくなったのだ。当の大上はといえば「じゃ、帰りましょう」ととぼけた顔で微笑んだ。

 土井家の人たちは彼女を引き止めようとしたが彼女はまったくそんなこと聞こえないとばかりにうちの人力車に座ったまま動かなかった。私はため息をついて車夫にうちへ帰るように指示を出した。この頃には日は大きく傾いていた。

「大上さん、夕食はどうするの?」

 私が尋ねると彼女は少し悩んだあと「家で食べます。どこかの級長が私の愉しみである外食を禁止されましたから」と言った。その顔があまりに不満そうだったので私は笑ってしまった。それを見て大上はさらに不機嫌そうに頬を膨らませた。まったく冷徹に見えて子供だ。

「そう、ならうちで食べない? だってまだ私はあなたからみすてりぃをお借りしてないから」

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