第30:束の間の安息②
散々泣いて、気持ちが落ち着いてきた頃。
「奥様、お嬢様の湯浴みの支度が整いました」
「いいタイミングね、カトレア。ご苦労様」
辺りを見渡せば、普段はお母様の傍に控える家令のリチャードが姿を消していた。
それ所か、他の使用人や、男性陣の護衛たちの姿もなく、今この場に居るのは、私たち三人だけ。
「私はこの後クロードたちと支出について、執務室に籠るから。夕食も部屋に運ぶよう、他の子に伝えておいてくれる?」
恭しく頭を垂れ、「承知しました」と短く告げるカトレアに、私はそっと背を撫でられ名残惜しくもお母様から離れる。
「ひとまず、今はゆっくり休みなさい。後のことは、旅の疲れを癒してからでいいわ」
私は腫れぼったい瞼を隠すことも無く、お母様の慈愛に促され、カトレアに付き添われつつ私室に逃げ込んだ。
◇
ーーカモミールの香りが漂う、浴室。
「……ああ、極楽ですわ……」
カトレアにより身を清められ、あとは疲れを癒すだけだと、一人穏やかな時間を過ごす。
調合されたポーションと、アロマの香りがする湯船の中。ここ半月ほどの出来事を静かに振り返る。 けれどーー。
(……思い返せば、まともな瞬間なんて一秒もありませんでしたわね。)
(そもそも家を出る前からおかしかったのですわ。家宝のカメオがまさかの魔導具で、しかも掘削用ドリルって……いえ、元を辿るとリトニア家の初代様は掘削人でしたわね。)
(……けれど、その魔導具が呪いのような仕様になるのは、おかしくないかしら?強制縦ロール化現象に、ご先祖さま達の声援という公害テロ……)
(それに、出発時点のデスドライブからして、出力がバグでしたし。方向性が物騒すぎますわ。お陰で私の令嬢人生は終わりかけましたし……)
(更に、古代遺跡では低予算なトリックアートに、不発のトラップ。……黒歴史の人間ハンマーも披露する羽目になるし、RE:ポーションDで淑女としての矜恃は粉砕……)
(直近に至っては、赤っ恥を欠かされ……周囲だけでなく、私への被害も大きすぎましたわ……)
心も溶けそうになるほどに心地の良いお湯。
けれど、思い出すのは一人の女の子としての矜持。
「ああ!もう!考え事は一旦ストップですわ!まずは、このお湯でゆっくりと心を癒すのが一番の癒しですわね」
私は温かいお湯に全身を委ね、旅の汚れと共に、羞恥心と黒歴史の一部を排水溝へと流した。
◇
ーー食卓の場。
夕食は、お兄様やお父様も交えた、和やかなリトニア家の団欒となった。
「無事でよかった」
お父様から告げられたのは、たったの一言。
「また魔道具や周囲の建物を爆発させなかったか?」
そしてお兄様からは私の身を心配する心よりも真っ先に、周囲への被害状況を確認するという斜め上の発言。
だが、二人からは心配混じりの家族としての温かみを感じらせる、目をしていた。
「お父様には大変ご心配をおかけしましたわ。そして、お兄様……泣くのはおやめ下さいまし!男前な顔が台無しですわよ?」
冗談混じりに私が言葉を返せば、久方ぶりに顔を合わせた二人はようやく安堵の息を溢した。
私は旅の道中には出なかった家庭料理に舌鼓を打つ。食後の紅茶を飲みながら、ようやく平穏を取り戻していた。
ーーだが、その平穏は、一人の老人の登場によって再び粉砕される。
「……エヴリンよ。帰ってきて早々で済まぬが……ちょいと良いかの?」
現れたのは、おじい様であった。
帰還後の挨拶もそこそこに、おじい様の顔つきはいつもの柔らかな顔ではなく、技術者としての色を漂わせた表情。
そして、手には古びた分厚い魔導書が一冊握られていた。
「……地下の工房に来てくれるか? お前が持ち帰った『あれ』について、見せたいものがある」
おじい様の隣には、ノアが既に静かに控えていた。
いつぞやの光景と同じ二人の姿。
私は既視感を覚えながら、嫌な予感につい表情を強張らせてしまう。
「……お嬢様。……準備はよろしいですか? もしかすると、さらに理解不能な領域へと足を踏み入れる事になりますが」
私はおじい様の眼光と、ノアの不穏な言葉に、再び背筋が凍るのを感じた。
「……やっと落ち着いたと思ったのですけれど、事情が有りそうですし仕方ないですわね」
飲み干したばかりのティーカップを静かに置き、小さく頷く。
(……安息タイム、強制終了ですわーーーッ!!)
覚悟を決めて地下工房へと続く、暗く冷たい階段を下りていくのだった。
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ノアの観測記録(Log-030B)
【観測】 お嬢様のバイタルチェック、および精神的デフラグ(入浴)を確認。
【分析】しかし、リトニア家の血脈が「平穏」を許容する時間は、紅茶一杯分(約15分)が限界値。
【結論】 乙女の安息モードを強制終了し、「解析モード」へ移行。
……お嬢様の背筋の凍結を確認。解析を開始します。




