第4話:帰還と休息①
「ただいま戻りました……」
私とお兄様は、どよんとした負のオーラを背負って玄関をくぐる。
出迎えてくれたのは、わが家の家計の全権を握るお母様だ。
緩やかに波打つシャンパンゴールドの髪に、サファイアブルーの瞳。
完璧な淑女を体現した私の理想像――だが、その手には『リトニア重工・月次決算書(鈍器)』が握られている。
技術馬鹿の父を鉄腕で管理し、リトニア家の破綻を食い止めるその微笑みの奥には、『一ミクロンの赤字も許さない』という絶対零度の経営哲学が宿っていた。
本来ならば話さねばならない事は多々あるのだが、今はただ帰宅を告げる言葉しか出なかった。その様子を察してか、お母様は「全くもう、これだからうちの人たちは…」と呆れた様子で表情を緩め、柔らかな笑みを浮かべる。
「全員、ひとまずお風呂に入って汚れを落としていらっしゃい。詳しい話は明日でいいわ。今夜はゆっくり休みなさい」
「……っ、ありがとうございます、お母様……」
疲れ切った私たちは、お母様の寛大な慈悲という名の気遣いを受け、それぞれの部屋へと這うように戻っていった。
ーー数日ぶりの私室。
くたびれた身体に鞭を打つよう廊下を歩き、私室前に辿り着く。
ドアを開けようとドアノブに手をかけた、その時。
目の前には満面の笑みを浮かべつつも、薄らと瞳に水膜を張るカトレアの姿があった。
「おかえりなさいませ、お嬢様! ああ、お嬢様のいない日々はあまりに寂しく、幾度となく枕を濡らしましたわ……!」
「た、ただいま、カトレア。貴女が不在を管理してくれたから安心して外出できましたわ。感謝します……って、ちょっと距離が近くありませんこと!?」
「僅かでもお嬢様の面影という成分を摂取しなければ、私の細胞が死滅してしまいますので」
「貴女の細胞、いつからそんな非効率な仕様に ……ああ、今更でしたわね」
数日の不在を「ひと月」レベルの絶望としてカウントする重すぎる忠誠心。
カトレアは感動の再会と言わんばかりに詰め寄ると、獲物を鑑定するような鋭い目で私を凝視した。
「それにしてもお嬢様……ああ、なんとお労しい。肌も髪の艶も、わずか数ミクロンですがお疲れのようです。湯浴みの準備はできております、さあ!」
連行されるように向かった浴室には、彼女特製のアロマが焚かれていた。先程まで感じていた全身の重だるい疲労感や、帰宅時には抱えていた頭痛も比喩なくぱっと晴れる。
(……これ、成分的に高純度ポーション級じゃないかしら?)
もはやアロマというよりは、「気体化した回復薬」の空間散布。芯からじわじわと魔力回路の疲れが修復されていく感覚に、私の身体も思考もふやふやに溶けていく。
「王宮で無茶を言われたのですね。……いっそ、王宮の地盤構造を解析して、クロードの最新作(爆弾)を『急所』へ配置。即座に飽和連鎖爆発で更地にいたしましょうか?」
「急に戦術規模の過激な提案をするのはおやめなさいっ!!」
溶けていた思考が覚醒する。反射的に指摘するも、このぬるま湯からはまだ暫く抜け出せそうになかった。私は心ゆくままのんびりとお湯に浸かりながら、この至福を味わう。
溶けていた思考が覚醒する。反射的に指摘するも、このぬるま湯からはまだ暫く抜け出せそうになかった。私は心ゆくままのんびりとお湯に浸かりながら、この至福を味わう。
すると、湯浴みを手伝うカトレアは、石鹸を起爆装置のように愛おしく撫で、聖母のような微笑みを浮かべた。
「ご安心を。兄に相談すれば火力の調達など造作もないことです。『お嬢様を煩わせるものは、すべて塵に還すべきだ』。これが私たち兄妹の共通認識ですので」
「獲らなくてよくてよ! 国も塵も欲しくないですわっ! ああ、もうっ、クロードに『執事の業務に爆発物を混ぜるな』と伝えておきなさいなっ!!」
「……ふふ、いつもの元気なお嬢様に戻られましたね」
「……そんなに元気がないように見えたかしら?」
「ええ、お嬢様と出会い、あれからもう随分と貴女の表情を見て来ましたから」
あれからもう数年もの月日が流れたのか。それは確かに分かりにくいと言われる些細な私の表情の変化も見抜けるだろう。
(でも、自分の侍女を心配させてしまうのは、主人たる私の失敗ね……)
私は大きく息を吐き、やがてもう大丈夫だ、というようにカトレアへ笑みを向ける。彼女は目元をゆるりと下げた。
湯船から上がった火照る身体は、ただの疲労というよりも、心地よい倦怠感に包まれている。
就寝用のアイボリーのネグリジェに着替え、寝台に腰掛ける私の髪をカトレアに乾かされ、艶出しまで完璧に終わる頃、絶妙なタイミングで扉がノックされた。
「お嬢様、就寝前の一杯をお届けにまいりました」
入ってきたのは、リトニア家の従僕、ノアだ。
子供特有の艶を持つ黒髪を短く整え、右目にかけられたモノクルが、11歳とは思えぬほどの大人のような知性を醸し出している。表情は乏しく、その気配は凪のように静かだ。
彼は、手にしたトレイに乗った茶器の液体に、一滴の揺れすら生じさせない「異常な水平」を保ったまま、滑るような足取りで近づいてくる。
「抽出効率をナノ単位で最適化し、茶葉の有効成分をより効果的に摂取できるよう検証を重ねた結果、一口で意識が強制安眠可能となった極限の紅茶です。
どうぞ、お嬢様の回路を休める一助に」
「……ありがとう。でもノア、安眠というよりは、もはや『気絶』に近い数値が出ていないかしら?」
「お嬢様の健康管理は、僕の最優先事項ですので」
淡々と告げるその言葉は、子供特有の声色なのに、大人顔負けの口達者ぶりだ。それが何だかおかしくてつい口元を緩めてしまう。
ノアもそれは分かっているのだろう、いつも観察するように、私の表情をじっと見つめている。
ノアの優しい気遣いを感じつつ、そっと一口運ぶと、驚くほど深い香りが脳の深部まで浸透していく。
「ノアの淹れるお茶は、相変わらず無駄がないわね……」
ほっと一息のつもりが、抗う術もなくゆるゆると意識が落ちていく。
こうして私は明日への爆走エネルギーを蓄えるべく深い眠りへと落ちていった。
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ノアの観測記録(Log-004A)
【観測】 お嬢様の魔力出力は著しく低下。帰還直後、全身に高負荷状態を確認。
【分析】 侍女カトレアによる高濃度アロマ(ポーション相当)の空間散布により、魔力回路の修復を促進。通常の休息プロセスを大幅に短縮。
【結果】 お嬢様のバイタルは安定。最終的に、強制安眠を伴う完全回復を確認。
……なお、カトレアの忠誠心は依然として過剰値を記録。継続観測対象とする。
【活動報告 / 後書き用】
7話まで、毎日18時に投稿を行う予定です!
しばらくは「タイトル詐欺(?)」のような展開が続くかもしれませんが、
ぜひその変化もお楽しみください!
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(※この物語は作者の妄想・パッション・ロマンにて世界観や魔導具が構築されております。
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