トライアドフォース
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鉄の寝台は、冷たい。
何度横になっても、少しも慣れなかった。
マーリンは看護棟の寝台の上で、薄く目を開けていた。
灰色の天井。
細い配管。
落ちきらない灯り。
消毒液と金属の匂い。
それだけ。
ロイス家の高い天井もない。
学園の窓もない。
リュールの球状コクピットもない。
あるのは、鉄の寝台と、薄い毛布と、番号で呼ばれる身体だけだった。
胸の奥が、また浅く揺れる。
吐くほどではない。
ただ、胃の底が静かに波を打っている。
水を飲んでも落ち着かない。
食べなければ力が出ない。
食べれば気持ち悪い。
身体は面倒だ。
空っぽになっても、身体だけは細かく訴えてくる。
寒い。
痛い。
気持ち悪い。
少し休みたい。
心はもう、あまり何も言わないのに。
「個人番号」
看護棟の職員が言った。
マーリンは番号を答える。
声はかすれていた。
「体調」
「少し、気分が悪いです」
「食事」
「少し」
「歩行」
「可能です」
職員は端末へ入力する。
入力音が短く鳴る。
《歩行可能》
歩ける。
だから、まだ動かせる。
歩ける。
だから、まだ壊れていないことになる。
マーリンは寝台から足を下ろした。
床が冷たい。
立ち上がると、視界が少し白くにじむ。
すぐに戻る。
転んではいない。
だから問題はない。
「軽作業棟へ」
「はい」
髪が頬にかかる。
直す力はある。
けれど、うまくまとまらない。
指先が冷えている。
収容服の襟も少し曲がっていた。
直す。
少しだけ。
完璧ではない。
でも、何もしないよりはまし。
まし、という言葉が、ここではずいぶん大きな意味を持っていた。
監獄星の外縁を、三機の人形が低く滑っていた。
宇宙空間ではない。
薄い大気の上層。
灰色の星の縁をなぞるように、影だけが進む。
王国製の人形だった。
帝国の最新鋭機に比べれば、性能は劣る。
出力も、反応速度も、装甲の軽さも、いくつか負けている。
たぶん、いくつかどころではない。
けれど、この三機は正面から殴り合うための機体ではなかった。
音を殺す。
熱を散らす。
監視の端をすり抜ける。
必要なら一瞬だけ速く動く。
派手に勝つのではなく、見つからずに仕事を終えるための機体。
三つの球状コクピットの中で、三人の人形使いがリンクしている。
魔力の糸が、手袋型のインターフェースから機体の隅々へ伸びていた。
中央の水色の機体が、進入経路を示す線の上へ姿勢を合わせる。
全周囲モニターには、監獄星の施設図が重ねられていた。
補助港。
廃材搬入口。
保守路。
軽作業棟。
看護棟。
監視塔。
細い線が引かれる。
進むには細すぎる道。
戻るには短すぎる時間。
それでも、行く道だった。
右後方には、索敵と通信を背負う機体。
そのコクピットの中で、冷静な目をした人形使いが、モニター上の表示を次々に切り替えていた。
軌道監視網の周期。
監獄星側の搬入信号。
巡回機の間隔。
施設内通信の遅延。
鋭く、無駄がない。
左前方には、軽快な動きで進路を確かめる機体。
機体の重さを感じさせない滑り方だった。
いつでも前へ飛び出せる。
いつでも戻れる。
そういう危うい軽さがある。
通信回線が開いた。
『トライアドフォース、各機応答』
中央機の操縦者が静かに答える。
『ファルコン、応答』
続いて右後方。
『イーグル、応答。通信、索敵、両系統とも問題なし』
最後に左前方。
『ホーネット、応答。こっちも元気。機体も私も、たぶん』
『たぶん、を作戦通信に入れないで』
イーグルが即座に返す。
『元気です、でいい?』
『最初からそう言いなさい』
『はいはい。元気です』
ファルコンが小さく息を吐いた。
笑った、というほどではない。
けれど、人形の中でも三人の空気は変わらない。
ファルコン、イーグル、ホーネット。
いずれも本名ではない。
王国特務部隊で使われるコードネームだ。
名前を隠すためだけのものではない。
役割を背負い、戻る場所を確認するための名だった。
『二人とも、準備はいい?』
ファルコンが問う。
『私はいつでも』
イーグルの声は平らだった。
『監視網の遅延、補助港の搬入信号、保守路の開閉周期。必要なものは取れてる。あとはファルの合図ね』
『こっちも行けるよ』
ホーネットの声が弾む。
『こういうのは、じっとしてる方が落ち着かないんだよね』
『落ち着きなさい』
『努力中』
『努力が足りないわ』
『じゃあ、追加で努力する』
『その言い方がもう不安なのよ』
ファルコンは表示を確認した。
『対象はマーリン=ロイス。監獄星看護棟、または軽作業棟にいる可能性が高い。状態は衰弱傾向。搬出を優先。情報回収は二次目的』
『対象って呼び方、ちょい硬くない? 会ったら何て呼ぶ?』
ホーネットが尋ねる。
イーグルはすぐに返した。
『馴れ馴れしくしないこと。相手は元帝国側重要人物よ』
『重要人物で、収容者で、元撃墜女王で、今は危険因子扱い。肩書きで押し潰されそうだねぇ』
ファルコンは静かに言った。
『会ったら、マーリンさんと呼ぶよ』
通信が一瞬だけ静かになる。
『ファル、それでいくの?』
イーグルの声にも、少しだけ確認の響きが混じる。
『うん』
『番号でも、撃墜女王でもなく?』
「その二つで呼びたくない。怖がらせるようなら変える。けれど、私はそう呼ぶ」
ホーネットが小さく笑う。
『ファルらしいね』
『ネッタは、相手を見て話してね』
『はーい。軽口でほぐせそうなら軽く。無理そうなら口を閉じる』
『口を閉じる、を優先しなさい』
『善処します』
『それは信用ならない返事よ』
ファルコンは前方を見た。
灰色の星が、ゆっくり近づいている。
『最終指令を』
イーグルが回線を開いた。
アナトラの声が入る。
『トライアドフォース。対象はマーリン=ロイス。帝国の元撃墜女王よ。王国側から見れば敵だった女であることを忘れないで』
ファルコンは声を整えた。
『承知しております、アナトラ様』
『ただし、帝国の都合で死なせるな。生きて連れ出しなさい。NewEraの情報を得るために。帝国の嘘を暴くために。そして、必要なら王国の前で責任を問うために』
『承知しました。生存を最優先します』
次に、ラファールの声が入る。
『対象は衰弱している可能性が高い。搬出時は拘束より保護を優先してください。抵抗があっても、可能な限り負傷させないこと』
『ラファールさん、了解だよ』
少し間を置いて、グリペンの声が割り込んだ。
『ファル、歩行可能の記録は信用しすぎないでください。帝国の記録では歩けることになっていても、実際は立っているだけで精一杯かもしれません』
ラファールの声がわずかに低くなる。
『リピ。作戦通信中です』
『承知しています、お姉さま。でも大事です。歩けると書かれた人が、ちゃんと歩けるとは限りません』
ファルコンは頷いた。
『グリペンさん、ちゃんと見て判断する』
『お願いします』
ホーネットが小声で言う。
『妹ちゃん、いいこと言うね』
『ネッタ、妹ちゃんって呼ばないでください』
イーグルがすぐに割り込む。
『ネッタ。作戦通信中よ』
『はいはい』
アナトラの声が戻る。
『ファル』
『はい、アナトラ様』
『あの女に、逃げろとは命じないで』
三機の通信が、少し静かになる。
『帝国は命じた。ロイス家も命じた。NewEraも命じた。なら、王国まで命じる必要はない』
ファルコンは黙って聞いた。
『選ばせなさい。ただし、選ぶための時間は長くないわ』
『承知しました』
『連れ出せるなら連れ出しなさい。けれど、あの女に自分で選ばせること。いいわね』
『はい。命令ではなく、選択肢を渡します』
通信が切れる。
しばらく、三機の間に監獄星の風切り音だけが残った。
ホーネットが息を吐く。
『アナトラ様、厳しいけど、そこは曲げないんだね』
イーグルは索敵表示を見たまま言う。
『だから王族なのよ』
『それ、褒めてる?』
『もちろん』
『本当に?』
『半分くらいは』
ファルコンは進路を再計算した。
『侵入経路を』
イーグルが即座に答える。
『補助港側の整備搬入口。監視網の遅延は短いわ。三機とも人形のまま外縁遮蔽まで降下。ホーネットが左の監視球を誘導。ファルは中央から搬入口へ。私は後方から通信を抑える』
『警備は?』
『通常より少し増えている。ただし外部侵入より内部統制を優先した配置よ。抜けられないほどじゃない』
ホーネットの声が少し跳ねた。
『それじゃ、真正面から当たってあげる必要はないね』
『当たらないで済むなら、その方がいいわ』
『もちろん。派手なのは帰り道に取っておく』
『帰りも派手にしないの』
ファルコンが機体の姿勢を変える。
『行くよ!』
三機が動いた。
薄い大気を切る。
急降下ではない。
鋭く、低く、静かに。
ファルコン機が中央を抜ける。
イーグル機が後方で通信を噛み殺す。
ホーネット機が監視球の死角をかすめ、わざと目を引く。
『こっち見て、っと』
ホーネットが囁く。
監視球の向きがわずかにずれる。
その一瞬で、ファルコン機が補助港の影へ滑り込んだ。
マーリンは軽作業棟で布を畳んでいた。
布の山は、なかなか減らない。
一枚畳んでも、次がある。
次を畳んでも、また次がある。
終わらないように見えるが、いつかは終わる。
たぶん。
終わるまで立っていられるかは、別の話だった。
指先に力が入りにくい。
息が少し浅い。
胃の奥が重い。
マーリンは布を置こうとして、少し手元を誤った。
灰色の布が二枚、床へ落ちる。
小さな音だった。
けれど、妙に大きく聞こえた。
「拾え」
職員が言う。
「はい」
屈もうとした瞬間、視界が白くなる。
身体が遅れる。
床が近づく。
机に手をついた。
布の山が崩れた。
「番号」
職員の声。
遠い。
「歩けるか」
「少し、待ってください」
大丈夫とは言わなかった。
その言葉は、もう口の中で錆びている。
職員が端末を見る。
「看護棟へ戻す」
「歩けます」
「歩行不安定」
入力される。
歩けると言った。
でも、歩行不安定。
正しい。
正しいことが、少し悔しい。
マーリンは壁に手を添え、ゆっくり歩いた。
軽作業棟から看護棟へ。
短い通路。
けれど長い。
ずいぶん長い。
途中で、遠くから鈍い音がした。
金属が噛み合う音。
扉が開く音。
何かが床へ落ちる音。
職員が顔を上げる。
「搬入区画か」
別の職員が端末を見る。
「通信遅延中。異常表示なし」
異常表示なし。
マーリンは、少しだけ笑いそうになった。
異常は、表示されない時ほど近くにある。
人間の大丈夫と同じだ。
看護棟の扉が開く。
マーリンは鉄の寝台へ戻された。
横になると、背中に冷たさが広がる。
その冷たさに、ほんの少しだけ安心する。
冷たいものが冷たい。
それだけで分かりやすい。
補助港の外縁で、三機の人形は位置を変えた。
人形ごと施設内へ入るには、通路が狭すぎる。
だから、そこから先は降機する。
ただし、人形を捨てるわけではない。
脱出の足は、あくまで人形だ。
ファルコン機のコクピットには、簡易副座席が組み込まれている。
正式な座席ではない。
長時間の搭乗には向かない。
身体を固定するための細いベルトと、最低限の保護材だけ。
狭い。
揺れる。
快適ではない。
けれど、鉄の寝台よりはましなはずだった。
たぶん。
ファルコンはリンクを最小維持へ落とした。
人形のモニターに待機表示が浮かぶ。
《機体待機》
《簡易副座席、固定機構確認》
『確認したわ』
イーグルが答える。
『ファルコン機の簡易副座席、固定正常。短時間搬出なら問題なし。対象の体調次第では加速を抑えて』
「了解」
『ホーネット機、左側監視球を引きつけたまま待機。ネッタ、遊びすぎないで』
『遊んでないって。見せて、隠れて、また見せる。高度な技術だよ』
『言い方は軽いけれど、動きはそのままで』
ファルコンはコクピットハッチを開いた。
重力が身体に戻る。
人形の中より、施設の空気は重かった。
ファルコン、ホーネットの二人が保守通路へ降りる。
イーグルは後方機に残り、外から通信と監視を握る。
三人全員が降りる必要はない。
誰かが目にならなければならない。
『ファル。右通路、巡回二名。二十秒後に背を向けるわ』
「了解」
ファルコンは手で合図する。
ホーネットが前へ出た。
足音はない。
軽口もない。
先ほどまでの軽さが嘘のように、静かだった。
巡回兵が角を曲がる。
一人目の意識を落とす。
二人目の通信具を抑え、壁へ押しつける。
短い。
血は出ない。
音もほとんどない。
ホーネットが兵を床へ下ろす。
「少し寝ててね」
イーグルがすぐ言う。
『ネッタ、私語』
「小声だよ」
『録音には残るわ』
「消して」
『もう消したわよ』
「仕事が早い」
ファルコンは先へ進む。
「看護棟への経路は?」
『保守路を直進。三つ目の扉から内部通路へ。認証が必要ね』
「開けられる?」
『五秒』
ホーネットが笑う。
「さすがイーグ。頼れるねぇ」
『余計なことを言っている間に開いたわ』
扉の制御盤が小さく光る。
一つ。
二つ。
三つ。
ロックが外れる。
ファルコンが扉を押す。
中はさらに低い通路だった。
空気が悪い。
金属と消毒液と、古い水の匂い。
ホーネットが顔をしかめる。
「ここ、人を置く場所じゃないね」
イーグルの声が少し低くなる。
『看護棟の生体反応を拾ったわ。複数。対象候補は二つ。ひとつは軽作業棟から戻った直後。脈拍不安定。体温低め』
ファルコンの足が止まる。
「その子を優先するよ」
『了解。看護棟奥、鉄寝台区画』
ホーネットが短く息を吐く。
「衰弱って、どのくらい?」
『数値上は歩行可能。ただし摂食量低下、立ちくらみ、吐き気の記録あり。帝国の歩行可能は信用しない方がいいわね』
「倒れるまでは歩け、って意味か。嫌な記録だ」
『否定できないわ』
ファルコンは静かに言った。
「急ぐよ」
二人は進む。
警報は鳴っていない。
まだ、帝国側は気づいていない。
あるいは、異常表示なしのままなのだろう。
異常は、表示されない時ほど近い。
看護棟で、マーリンは薄く目を開けた。
足音がする。
複数。
職員の足音とは違う気がした。
軽いもの。
慎重なもの。
迷いの少ないもの。
おかしい。
足音に性格などない。
あるはずがない。
けれど、違う。
遠い。
まだ遠い。
でも、近づいている。
マーリンは起き上がろうとした。
身体が重い。
毛布が足に絡む。
手首の制限具が冷たい。
胸の奥がむかつく。
力が入らない。
それでも、半身を起こす。
何のためかは分からない。
逃げるためか。
隠れるためか。
ただ、寝たまま知らないものを待つのが嫌だったのか。
扉の向こうで声がした。
「誰だ」
短い沈黙。
次に、低い音。
争う音。
けれど大きくはない。
誰かが床へ倒れる音。
警報は鳴らない。
鳴らないことが、逆に怖い。
扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、帝国軍ではなかった。
監獄の職員でもない。
見慣れない装備。
帝国のものではない形。
先頭に立つ少女は、薄い茶色の髪を短くまとめていた。
目元は柔らかい。
けれど、足の置き方には迷いがない。
敵を見る目ではない。
味方を見る目でもない。
壊れ物を見る目でもない。
人を見る目だった。
その後ろには、軽い足取りの少女が控えている。
目つきは明るい。
口元もすぐに笑いそうだ。
けれど、手にした武器の角度だけは、少しも緩んでいない。
『ファル、対象確認。生体反応一致。マーリン=ロイス』
通信の向こうから、落ち着いた声がした。
薄い茶色の髪の少女が、マーリンを見たまま頷く。
「マーリンさん」
マーリンさん。
ファルコンは、それ以上近づかなかった。
距離を残した。
「私はファルだよ。テルース王国特務部隊、トライアドフォースの隊長」
王国。
その言葉が、遅れて届く。
王国。
敵国。
マーリンが戦った国。
マーリンが兵を落とした国。
ミハイルを奪った戦争の相手。
ステラを奪った戦場の向こう側。
身体が固まる。
逃げようにも、逃げる力はない。
戦おうにも、手首の制限具がある。
そもそも、何のために戦うのかも定まらない。
ファルコンは、手を伸ばさなかった。
命令もしなかった。
ただ、静かに言った。
「ここから出る方法があるよ」
マーリンは彼女を見る。
意味が追いつかなかった。
出る。
ここから。
「連れ出す命令は受けている。でも、あなたに逃げることを強制するつもりはないよ」
強制しない。
その言葉が、うまく入ってこない。
帝国は命じた。
ロイス家も命じた。
NewEraも命じた。
監獄も命じた。
立て。
答えろ。
署名しろ。
認めろ。
歩け。
働け。
命令ばかりだった。
目の前の敵国の少女は、命令しないと言った。
「時間は長くない」
ファルコンは続ける。
「でも、選ぶのはマーリンさんだよ。ここに残るか、私たちと来るか」
マーリンは口を開いた。
声がすぐには出ない。
喉が乾いている。
胸がむかつく。
鉄の寝台の冷たさが背中に残っている。
「……王国が」
かすれた声が出た。
「私を?」
ホーネットが後ろで小さく言う。
「まあ、複雑だよねぇ」
イーグルの通信が低く入る。
『ファル。長くは待てないわ』
ファルコンは頷く。
けれど、マーリンから目をそらさない。
「王国は、あなたを許したわけじゃない」
その言葉は、柔らかくなかった。
けれど、嘘でもなかった。
「あなたに聞くべきことがある。問うべき責任もある。でも、帝国の都合でここに潰されることを、王国は選ばない」
マーリンは、鉄の寝台の縁を握った。
指に力が入らない。
「私は、罪を認めました」
「それも聞くよ」
「私は、王国の敵でした」
「それも知ってる」
「私は」
声が詰まる。
何を名乗ればいいのか定まらない。
希望の花ではない。
撃墜女王でもない。
ロイス家の令嬢でもない。
リュールの操縦者でもない。
罪人。
危険因子。
番号。
どの名前も、いまの身体には大きすぎる。
ファルコンは待っていた。
長くは待てないはずなのに。
それでも、急かさなかった。
「……歩けるか、分かりません」
ようやく出た言葉は、それだった。
とても小さい。
とても情けない。
けれど、今のマーリンにとって一番本当だった。
ファルコンが頷く。
「なら、支える」
ホーネットが軽く手を上げる。
「担ぐのも得意だよ。丁寧にいくから安心して。たぶん」
イーグルの声がすぐに入る。
『ネッタ』
「はい、丁寧にやります」
マーリンは、ほんの少しだけ目を伏せた。
笑えなかった。
でも、何かが少しだけ動いた。
命令ではない。
許しでもない。
救いと呼べるほど、優しくもない。
ただ、選べと言われている。
自分で。
自分の足で。
足は震えている。
立てるかも分からない。
それでも。
マーリンは、鉄の寝台に置いた手を握り直した。
ここまでお読みいただき有り難うございました。
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