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家の中にいる音  作者: 伊丹 宝


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2/11

2音 扉の気配

その日は、朝から少しだけ変だった。玄関のほうで、音がした。



カチ……



ドアノブが動くような、小さな音。結衣が気づいたときには、もう止まっていた。誰も玄関には行っていない。父も母もキッチンにいる。弟はまだ部屋で寝ている。それでも、その音だけが残っていた。


「今、玄関の音しなかった?」


結衣が聞くと、母は振り返る。


「してないでしょ」


父も同じように首を振る。


「風じゃないか」


そのまま朝は終わるはずだった。でも、違った。昼前、また同じ音がした。



カチ……



今度は、もっとはっきりしていた。玄関のほうからだ。でも誰もそこにいない。結衣は玄関に近づく。ドアは閉まっているし、鍵もかかっている。何もおかしくない。なのにドアの内側から、もう一度音がした。



カチ



今度は、“開いたような気配”がした。結衣は一歩下がる。でもドアは動いていない。ただ、そう感じる。「今、開いた」そう思ってしまう。



その日の夕方、弟がリビングに来て言う。


「さっきさ、玄関開いてた気がする」


母が眉をひそめる。


「開いてないわよ」


父も笑う。


「ちゃんと閉めたろ」


でも弟は少しだけ真剣だった。


「いや、音したんだって」


結衣は気づく。また同じだ。音はの聞こえ方が違う。"また同じ"だと思うが、前回何があったか結衣は思い出せない。思い出せないことは"大した事じゃない"そう思うことにした。



夜、リビングでテレビがついている。でも音は、テレビより少しだけ大きく聞こえる。



カチ……



また玄関だ。音が聞こえる場所に、誰も行かない。誰も見に行かない。でも結衣は気づいてしまう。音がするたびに、家の中の“気配”が増えている。誰かがいるわけじゃない。でも“いる感じ”だけが増える。その夜、結衣は眠る前に一度だけ玄関のほうを見た。ドアは閉まっている。鍵もかかっている。それなのに、音はした。



カチ……



小さく、でも確かに。ドアノブが動いたような音。結衣は布団の中で息を止める。何も起きていないし、誰もいない。でも“誰かが入ってきた気がする”。



次の日の朝、母が先に気づいた。


「昨日、夜中に玄関の音しなかった?」


結衣は固まる。


「…音…聞こえてたの?」


父は新聞をめくりながら言う。


「風じゃないか」


弟が口を挟む。


「いや、したよ。何回も」


その瞬間、結衣は気づく。同じ音なのに、少しずつ“回数”が違う。母は一回。弟は何回も。父は気づいていない。でも父以外が「何かはあった」と言っている。



その日の昼、また音がした。



カチ……



今度は玄関ではなかった。廊下、リビングの奥、キッチンの横。音が“場所を変えている”。でも誰も動いていない。結衣は気づく。これは扉の音ではない。“扉が開いた気配”が家の中を移動している。



夕方、弟が玄関の前で立っている。じっとドアを見ている。


「さっきさ」


弟が言う。


「ここ、開いたよね」


結衣は首を振る。


「開いてないよ」


でも弟は続ける。


「開いた“感じ”がした」


その言葉に、結衣は少しだけ嫌な感覚を覚える。“感じ”という言葉が、現実より強くなっている。



夜、家族がそれぞれの部屋に戻る。静かになった、そのとき。



カチ……



玄関ではない。今度は、弟の部屋の中だった。結衣はすぐに立ち上がる。ドアを開け、弟の部屋に向かう。部屋に入ると、弟はベッドに座っている。弟は言う。


「今、誰か入ってきた気がした」


結衣は部屋を見回す。誰もいない。ドアも閉まっている。でも音だけが残っている。



カチ……



今、弟はその音を聞いている。結衣も聞いている。父と母は気づいていないのか寝室から出てこない。同じ家なのに、同じ音なのに、また少しだけズレる。



その日は、朝から音がしていた。



カチ……



玄関のほうではない。リビングの奥でもない。ただ家のどこかで、ずっと鳴っている。結衣はもう、"どこで鳴っているか"を考えるのをやめかけていた。考えるたびに、場所が変わる気がしたからだ。


朝食のとき、母が言う。


「昨日の夜、また変な音した気がするのよね」


父は新聞をめくる。


「またか、風だろ」


弟はスプーンを動かしながら言う。


「いや、玄関の音だった」


結衣は、そのやりとりを黙って聞いている。また同じだ。誰も同じ場所を見ていない。でも、同じ“何か”は感じている。



その日の昼。家の中で、最初の異変が起きる。玄関のドアが─…開いている“気がした”。誰も開けていない。誰も触れていない。それでも、玄関の前に立つとそう感じる。


「開いてるよね」


弟が言う。結衣は首を振る。


「閉まってるよ」


でも弟はドアを見つめたまま動かない。その瞬間。



カチ……



音がした。ドアの中ではない。ドアの“後ろ側でもない”。家の中全体から。次の瞬間だった。廊下で同じ音、キッチンで同じ音、リビングで同じ音。



カチ。


カチ。


カチ。



弟が小さく言う。


「これ、全部同じドア?」


結衣は答えられない。でも“違うドアがある気がする”とは思えなかった。あるのは1つの玄関だけのはずだった。それなのに…家の中に“開いた気配”が増えている。



夜、弟が部屋から出てくる。少しだけ顔が青い。


「さっきさ…」


弟が言う。


「俺の部屋、誰か出てった」


結衣は固まる。


「誰も入ってないよ」


弟は首を振る。


「でも、ドア開いた」


その瞬間。



カチ……



音がした。今度は、結衣の部屋の中だった。結衣は自分の部屋に走る。ドアを開けるが、誰もいない。でも、“誰かが出ていった後の空気”だけが残っている。



カチ……



廊下でも鳴る。リビングでも鳴る。玄関でも鳴る。家全体が、少しずつ“開いている”。でも何に対して開いているのかは分からない。弟が小さく言う。


「この家、ずっと誰か出入りしてない?」


結衣は答えられない。ただ1つだけ思う。出ていっているのは、人じゃない。“開いた気配”だけが、家の中を増えている。


そしてその夜。



カチ……

 ジャー…


音はもう、1つではなかった。



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