第45章 検疫線
黒色域へ入る前に、全員が自分の名を告げます。
加藤大地。伊藤怜司。奥山凪。荻野初。
しかし暗闇から返った声は、本人たちよりわずかに早く名乗りました。
黒色域まで、残り四百メートル。
そこから先は、星が減った。
消えたのではない。同じ星が、少しずれた場所に二つ見える。加藤は片目を閉じた。二つのままだった。両目を開けると、三つになりかけた。
二重の星の下を、四号機が先頭で進む。三本の鋼索が、その腰へ繋がっている。最後尾に烈火。真壁は乗せていない。脚のない機体は無人の錨として、澪標へ索を伸ばしていた。
誰も無駄口を叩かなかった。
叩けなかった。ここでは、声がどこまで自分のものか、分からなくなる。
『信号、来ます』
初の声が震えた。
『入域個体、名称を送れ』
短い穴の列が、そう読めた。
加藤から順に名乗る。
加藤大地。帰路。
伊藤怜司。灯台。
奥山凪。足。
荻野初。初。
最後の名乗りだけ、一拍遅れた。被験者第一号でも、最初の帰還者でもなく、ただ初、と。初は自分を、自分の側へ引き寄せるように、もう一度言った。
「荻野初。初です」
返ってきた声は、全員の声だった。
『加藤大地。帰路』
わずかに早い。
向こうが先に名乗ったように聞こえた。自分の名を、自分より上手に発音された気がした。
奥山の呼吸が荒くなる。
『僕、いま、帰りたいです』
「正常だ」
加藤は言った。
『帰りたいのに進むのも?』
「それも正常だ」
「奥山」
加藤は付け足した。
「怖いまま進め。怖くなくなったら、止まれ」
奥山は、泣きそうな声で「はい」と言った。
初が境界へ手を入れた。
四号機の指先が、黒に消える。
同時に、澪標の受信盤へ全文が流れ込んだ。
白瀬が紙テープを拾う。手が震えて、テープが指に巻きついた。
これは門ではない。
これは壁ではない。
帰還物を選別する線。
白瀬は一行ずつ、声に出して確かめた。確かめなければ、自分が読んでいるものを信じられなかった。
最後の一文だけ、穴が乱れていた。
書いた手が、迷ったように。
「内側のものを、外へ返すな」
白瀬の声が、作戦室で止まった。
黒色域の奥で、白いものが動いた。
消滅したはずの飛翔体だった。
いや、飛翔体の形を借りた、初たちの記憶だった。戻せなかったもの。帰さなかったもの。置いてきたもの。それらが、白く立ち上がっていく。
検疫線は、外から来る何かを防ぐ線ではなかった。
こちらを、閉じ込めるためにあった。
「加藤さん」
白瀬が回線へ叫んだ。
「十五分の計算が、こっちと向こうで、ずれてるかもしれません」
お読みいただきありがとうございます。
第45章「検疫線」でした。
黒色域は門ではなく、「内側のものを外へ返さない」ための選別線かもしれません。
消滅したはずの白い飛翔体が、初たちの記憶を借りて再び現れます。




