第44章 門か墓標か
月へ着いた初を、真壁が自分の足で迎えます。
黒色域は門なのか、墓標なのか。
答えのない暗さを前に、加藤たちは十五分という帰還期限を決めます。
初が澪標へ着いたとき、真壁は立って待っていた。
立つ、と呼べる姿ではない。両脇を伊藤と奥山に支えられ、足は床を擦っている。腕からは点滴の管が伸び、もう片方の手は、送信レバーを握っていた形のまま、半分しか開かなかった。それでも、彼は寝台にいなかった。
「真壁遥」
真壁は名乗った。紙を擦るような声だった。
「荻野初です」
二人は握手をした。真壁の手は冷たく、初の手には油が残っていた。冷たい手と、汚れた手が、しばらく離れなかった。
「あんたが、読む子か」
「はい」
「親父さんの字は、読みにくいだろう」
初は少しだけ笑った。
「世界で一番、読み慣れています」
真壁はそれ以上聞かなかった。聞かないことが、いちばん優しいときがある。
作戦卓に、黒色域の図を広げた。
近づくほど、観測値は減った。温度も、距離も、反射も、機械式の針が揃って零へ寄っていく。電子はとうに死んでいる。生きているのは、手回しの探査音だけだった。
何もない場所なら、音は返らない。
だが、返ってくる。同じ間隔で、律儀に。
「『何もない』が、嘘をついてます」
奥山が呟いた。
「門だと思うか」
加藤が聞く。
初は首を振った。
「門なら、向こう側があります。これは……向こう側を作らずに、こちら側だけを薄くしているのかもしれません」
「墓標なら?」
奥山が聞いた。
「誰の墓か、分かりません」
真壁が、黒色域の縁を鉛筆で囲んだ。指が震え、線が二重になった。
「俺が見た複製は、この内側だ。中心じゃない。縁で、もう始まってる」
目的は、破壊ではなかった。
初が縁へ入り、信号の全文を読む。帰路、灯台、足の三機が鋼索で四号機を繋ぎ、十五分で引き戻す。十五分を過ぎたら、初の意思に関係なく撤収する。鋼索は荻野の設計だった。絶対に外れない、不格好な掴み方をする。
「私が、もっと読めると言っても?」
「引っ張る」
加藤が答えた。即答だった。
「先生なら、待ちました」
「俺は荻野じゃない」
初は加藤を見た。長く見た。
「はい」
その返事に、加藤は救われなかった。
救われなくていい、と思った。荻野は待って、戻らなかった。自分は待たない。恨まれるなら、恨まれたまま、生きて帰す。
初は胸ポケットに手を当てた。
ぜんまいの鍵が、そこにあった。澪標の振り子時計を、毎日巻いてきた鍵だ。
「真壁さん」
「ああ」
「帰る理由って、こんな小さくていいんですか」
真壁は、開かない手で胸を押さえた。あの封筒のある場所だった。
「小さいほどいい。大きいと、途中で折れる」
初は頷いた。
格納扉が開く。
四機の連華バーニアンと、脚のない烈火が並んだ。帰路は左脚を継いだ痕が生々しい。灯台は弾倉が空だ。足は酸素剤で白い。四号機は、右脚が三秒遅れる。どれも不格好で、どれも荻野の遺産だった。
「親父さんは」
真壁が、誰にともなく言った。
「帰るための道具ばっかり、不格好に遺したな」
「ええ」
初は答えた。
「帰ってこいって、言えなかった人なので」
黒色域は、月の稜線の上にあった。
門にも見えた。
穴にも見えた。
近づく者の心に合わせて、勝手な形を取る暗さだった。
お読みいただきありがとうございます。
第44章「門か墓標か」でした。
もっと読めると初が訴えても、十五分で引き戻す。加藤は荻野博士と同じやり方を選びませんでした。
出撃するのは四機の連華バーニアン。そして烈火一号機が、帰還索を支える錨になります。




