第37章 黒い文法
黒い信号には主語がありません。
真壁の警告なのか、黒色域そのものの声なのか。
初が読み取ったのは、「名を持たない者は戻らない」という一文でした。
黒い信号には、主語がなかった。
誰が帰るのか。何が入るなと言っているのか。真壁の報告なのか、黒色域が真壁の言葉を使っているのか。
初は三日かけて、続きを一文字ずつ拾った。
名を持たない者は、戻らない。
黒崎は紙を机へ置いた。
「兵器の識別要求か」
「違います」
初が即答した。
「名前は番号じゃない。自分を、自分の側へ引くものです」
雨宮が医務室から杖をついて来ていた。月華から戻った体は、まだ真っ直ぐ歩けない。それでも会議卓まで自分の足で来た。
「帰還補助語と同じね」
初は頷く。
「たぶん、向こうには形がありません。入ったものを映す。記憶も、怖さも。自分の名前を手放したら、映されたほうが本物になる」
榊原が地図を広げた。黒色域、月、澪標、烈火。鉛筆の線が四点を結ぶ。
「真壁二佐を回収した後、反射域を封鎖する」
「どうやって」
白瀬が聞く。
「初さんを送る」
部屋の温度が下がったように感じた。
初だけが顔を変えなかった。
黒崎の拳が机を叩く。
「子供を鍵にする作戦は認めない」
「子供である前に、唯一の解読者です」
「その言い方を、荻野もした」
榊原は黙った。
雨宮が杖を立てかけ、椅子へ座った。
「送るかどうかを、ここで決めないでください」
声は弱い。だが、全員が聞いた。
「機体に乗る人間は、命令と自分の意思を、あとで区別できなくなる。だから先に、帰る条件を決めるんです。初さんが行くと言っても、帰せないなら送らない」
初が、自分の手を見た。
工具を渡した手。
端子へ差し出した手。
今度は、誰にも引かれていない。
「澪標を直してください」
初は言った。
「四号機も。真壁さんも連れ戻す。それができたら、私が決めます」
黒い信号は、もう一度、紙テープを鳴らした。
名を持て。
短い穴が、そう読めた。
お読みいただきありがとうございます。
第37章「黒い文法」でした。
初を送れば信号の正体へ近づける。けれど帰せないなら送らない。
雨宮の言葉を受け、初は澪標、四号機、真壁という三つの帰還条件を提示しました。次章では、その四号機を奪おうとする者たちが島へ入ります。




