第30章 怖いまま残る
第30章です。
白い飛翔体は消えました。
けれど奥山凪の恐怖は消えません。
勝利の後の奥山を描く、短い章です。
怖いまま生き残ること。怖いと言えるまま、次の朝を迎えること。
派手な戦闘はありませんが、この章の奥山を見届けていただけたら。
白い飛翔体が消えた後、奥山凪は最初に安心しなかった。
空を見た。
何もない。
白いものはない。
それなのに、怖かった。
おかしい、と彼は思った。
勝ったはずだ。
消えたはずだ。
荻野博士は戻らず、月華一号機も戻らず、それでも飛翔体は世界から消えた。
怖がる対象は、もうないはずだった。
奥山の手は震えている。
医療班が包帯を巻く。
誰かが水を渡す。
白瀬の通信が遠くで続いている。
加藤は立とうとしている。
伊藤は空を見ている。
みんな、何かをしている。
奥山だけが、膝を抱えていた。
「僕だけ」
声が出た。
「僕だけ、また残った」
三枝がそばに来た。
「残りました」
否定しなかった。
そのことが、少し痛かった。
「逃げたからですか」
「いいえ」
「怖がってたから」
「はい」
奥山は顔を上げた。
三枝は疲れた顔で、でも目を逸らさなかった。
「怖がっていたから、残りました」
「それ、褒めてます?」
「診断です」
「ひどい」
三枝は少しだけ笑った。
「奥山三尉。怖いですか」
奥山は空を見た。
何もない空。
飛翔体が消えた空。
それでも怖い空。
「怖いです」
言えた。
その瞬間、涙が出た。
泣きたかったわけではない。
泣いて許されたいわけでもない。
ただ、自分の中にまだその言葉が残っていたことに、体が耐えられなかった。
「怖いです。怖いままです。勝ったのに怖いです。荻野博士が消えたのも怖いです。加藤隊長が止まったのも怖いです。伊藤二尉が空を見てるのも怖いです。真壁二佐がまだ宇宙にいるのも怖いです」
三枝は頷いた。
「記録します」
「そこは慰めてください」
「慰める前に記録します」
「本当にひどい」
奥山は泣きながら笑った。
笑えたことが、また怖かった。
戦いは終わっていない。
たぶん、これからもっと怖いことが来る。
黒い信号。
壊れた国家。
帰らない人。
帰ろうとしている人。
奥山は、震える手で水の入った紙コップを持った。
こぼした。
少しだけ。
それでも飲めた。
怖いまま、飲めた。
怖いまま、生きていた。
それは勝利ではない。
でも、敗北だけでもなかった。
お読みいただきありがとうございます。
第30章「怖いまま残る」でした。
奥山の成長は、怖さを失うことではありませんでした。
怖いまま残り、怖いまま水を飲み、怖いまま生きている。それだけの話です。
三枝の「記録します」「そこは慰めてください」のやりとりが、書いていて好きな場面でした。
次章が第5部の最終章です。よろしくお願いします。




