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第十一話 六六〇年・泗沘(百済)、熊津(百済)プロローグ


── 義慈王の最後 ──


顕慶(けんけい)五年。西暦六六〇年。


朝鮮半島の南西、錦江(きんこう)の流れに沿って広がる百済の都・泗沘(しび)


その王宮に、ひとつの「終わり」が、近づきつつあった。


百済第三十一代王・義慈王(ぎじおう)、五十二歳。


在位十九年。即位当初は「海東の曽子(そうし)」と讃えられた孝心の王であったその男は、いま、酒杯を傾けながら、北方から届いた急報を、ぼんやりと眺めていた。


「唐軍十三万、徳物島(とくぶつとう)に上陸す」


「新羅軍五万、王自ら率いて、炭硯(たんけん)を越えて南下す」


報告を読み上げる文官の声が、震えていた。


義慈王は、酒杯を置いた。


そして、薄く笑った。



「来たか」


短い、ひと言であった。


驚愕も、恐怖も、そこにはない。


ただ、諦観(ていかん)だけがあった。


王宮の隅、簾の陰に控えていた老臣のひとりが、低く呻いた。


「陛下、いまからでも――」


「いまさら、何を言うのか」


義慈王は、酒杯を取り直した。


成忠(せいちゅう)が獄で死んだのは、いつだったかな」


成忠――かつて、義慈王が酒色に耽るのを諫めて、獄に投じられた重臣である。獄中で絶食して死んだ。死の際、王に上書を残した。


「もし戦争があれば、陸では炭硯(たんけん)の険を守り、水では白江(はくこう)の入口を守るべし」


これが、成忠の遺言であった。


そして、その遺言通り――唐軍は白江から、新羅軍は炭硯から、攻め入ろうとしている。


義慈王は、それを知っていた。


知っていながら、何もしなかった。


知っていたからこそ、何もしなかった、というべきかもしれない。


「成忠の言うた通りになったのう」


王は、独り言のように呟いた。


「あの男の言うた通りに守れば、勝てたかもしれぬ。だが、わしは、そうしなかった。なぜか分かるか」


老臣は、答えなかった。


義慈王は、酒杯を傾けた。


「面倒であったからじゃ」



七月九日。


黄山(こうざん)の野――現在の忠清南道論山(ろんさん)郡一帯。


ここに、新羅軍五万と、百済軍五千が、対峙していた。


百済側を率いていたのは、階伯(かいはく)将軍。


百済最後の名将である。


階伯は、出陣の朝、自らの妻と子を、自らの剣で斬った。


「敵に辱められるよりは、わしの手で死んでくれ」


そう言って、子と妻を順に斬り、その血で剣を清め、戦場へ向かった。


五千の兵を四つに分け、四度の戦闘で、いずれも新羅軍を撃退した。


新羅軍五万は、わずか五千の百済軍に、四度敗れたのである。


新羅軍の総帥・金庾信(こんゆしん)は、地に膝をついた。


「あの男は、人間ではない」


金庾信は、そう呟いたという。


しかし、戦闘は五度目に、もつれ込んだ。


新羅軍は、ついに、苦肉の策に出た。



官昌(かんしょう)、出よ」


金庾信は、副将・品日(ひんじつ)の十六歳の息子を、呼んだ。


官昌――新羅の花郎(ふぁらん)、若き貴族青年戦士団の一員である。


少年は、白い甲冑を纏い、ただ一騎で、百済軍の陣に突撃した。


そして、捕らえられた。


階伯は、捕虜となった少年の甲冑を脱がせ、その顔を見て、嘆息した。


「新羅は、このような少年まで戦場に送り出すのか」


階伯は、官昌を釈放した。


少年は、馬に跨り、新羅軍に戻った。


そして、父の前に跪いた。


「父上、いまいちど、お願い致します」


「行け」


品日は、息子の額を撫でた。


少年は、再び、ただ一騎で、百済軍の陣に突撃した。


そして、再び、捕らえられた。


階伯は、今度は、嘆きながら、剣を抜いた。


「新羅の心、恐るべし」


少年の首は、新羅軍の前に、投げ返された。


その首を見た新羅軍の兵士たちは、怒髪天(どはつてん)を衝く勢いで、百済軍に襲いかかった。


階伯は、ついに、戦死した。


百済軍五千、壊滅。


七月十日のことであった。



その夜、新羅軍の陣営、奥の天幕。


金庾信は、ひとりの男と、低声で語り合っていた。


男の名は、奈勿(なもつ)


新羅の官位としては中位の波珍飡(はちんさん)であったが、彼の職務は、公式には存在しなかった。


「官昌の計画、当たりましたな」


奈勿の声は、低く、抑揚がなかった。


金庾信は、しばらく無言であった。


そして、ぽつりと言った。


「あの少年が、二度目に突撃する可能性は、何割であったか」


「七割と読みました」


「七割か」


金庾信は、盃を傾けた。


「あの少年の父、品日は、息子を止めなかった。なぜ止めなかったか、分かるか」


「品日殿には、事前に通達しておりました」


「通達――」


金庾信は、苦く笑った。


「いつから、花郎(ふぁらん)は、計算尽くで死ぬようになった」


武烈王(ぶれつおう)陛下の御代より、にござります」


奈勿は、淡々と答えた。


「花郎は、貴族の若き者たちが、己が忠誠を示すために戦場に身を投じる――そういう集団でござりました。だが、それでは、戦争には勝てぬ。忠誠だけでは、国は守れぬ。陛下は、それを、よく御存じであった」


「だから、花郎を、改造した」


「改造ではござりませぬ。接続いたしました」


奈勿は、わずかに首を垂れた。


「花郎は、表の顔。裏には、別の機構がござります。花郎接続層(ふぁらんせつぞくそう)――若き貴族たちの忠誠を、戦略に変換する装置。これによって、官昌殿のような少年の死が、戦の勝敗を動かす駒となる」


金庾信は、眼を閉じた。


鶏鳴局(けいめいきょく)は、これを、何と呼んでおる」


「予兆察知と先制排除、にござります。あの少年の死は、百済という国の崩壊の、最後の引き金でござります。陛下が十二年前、長安にて金春秋(こんしゅんじゅう)公に示された戦略が、いま、完成いたしました」


金庾信は、無言であった。


盃の中の酒が、微かに揺れた。


その揺れは、少年の死を悼む涙であったか、戦勝の歓びであったか――金庾信本人にも、分からなかった。



七月十二日。


唐の蘇定方(そていほう)率いる十三万の唐軍は、錦江を遡り、泗沘城に迫った。


新羅軍も、黄山から北上し、唐軍と合流した。


泗沘城の防御は、機能しなかった。


百済の主力は、黄山で失われていた。


王宮では、義慈王と太子・扶余隆(ふよりゅう)が、逃走の準備を進めていた。


七月十三日未明、王と太子は、北方の熊津城(ゆうしんじょう)へと落ちのびた。


残された王宮では、義慈王の第二子・扶余泰(ふよたい)が、自ら王を名乗り、籠城を決意した。


しかし、混乱の中、太子隆の子・文思(ぶんし)が、叔父泰に相談した。


「父上が戻られたとき、叔父上は王のままでおられますか。父上と叔父上、両者が王を名乗れば、百済は内乱となります」


文思は、城壁を越え、唐軍に投降した。


これを見た泰もまた、城門を開いて投降した。


七月十八日。


熊津城に籠っていた義慈王は、自ら諸城を挙げて、降伏した。


ここに、百済は滅んだ。


建国より、およそ六百余年。


その王統は、呆気ないほどに、消滅した。



同じ頃、長安の宮城奥深く、武照(ぶしょう)の私室。


新たに皇后となって五年。


武照は、窓辺に立ち、遠く東の空を見ていた。


その傍らに、中書舎人(ちゅうしょしゃじん)李義府(りぎふ)が、跪いていた。


「皇后陛下、百済滅亡の報せ、蘇定方より参りました」


「義慈王は」


「生け捕りに致しました。妻子並びに王族、貴族、官人、総勢五十八名。長安へ送り届けます」


「五十八名か」


武照は、薄く笑った。


「十分であろう」


李義府は、顔を上げた。


「十分、と仰せられますと」


「百済の王統、貴族、官人――彼らこそが、百済という国の魂である。その魂を、長安に移す。長安の空気を吸わせ、長安の文字を書かせ、長安の神に祈らせる。十年後、彼らは、己れが百済人であったことを、忘れているであろう」


「は」


「軍事は、入口に過ぎぬ。本番は、制度の浸透である。蘇定方将軍には、百済の地に五つの都督府を置くよう、伝えよ。協力的な地方豪族を、各地の都督に任ずる。旧都熊津(ゆうしん)には、劉仁軌(りゅうじんき)を鎮将として駐在させる。百済の地は、形の上では百済のままでよい。だが、内実は、長安の延長とする」


「理、にござりますな」


李義府は、静かに頭を垂れた。


「理は人を導く――華胥(かしょ)の教えに候」


「うむ」


武照は、頷いた。


「新羅には、気を付けよ」


「気を、と仰せられますと」


「新羅は、百済滅亡を、己が勝利と考えておる。だが、それは我らの勝利でもある。新羅が、それを理解しているかどうか、見届けよ」


「は」


「金庾信という男、侮るべからず」


武照は、窓の外を見た。


長安の空は、高く、青く、澄み渡っていた。


その空の向こうに、いま滅んだばかりの百済の地が、広がっているはずであった。


そしてその更に向こうに――海を越えた倭の島が、静かに横たわっていた。



百済滅亡の報せが、海を越えて倭の地に届いたのは、夏の終わりであった。


難波宮ではなく、飛鳥岡本宮(おかもとのみや)


斉明(さいめい)天皇重祚(ちょうそ)六年。


天皇の傍らに、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が侍っていた。


「百済、滅びましたか」


皇子は、報告書を握りしめた。


「義慈王は、長安に連行された。王族、貴族、官人、併せて五十八名」


斉明天皇、六十六歳。


皇祖母尊(すめみおやのみこと)とも呼ばれる老女帝である。


「皇子よ。百済の王子豊璋(ほうしょう)は、今、何処におるか」


「筑紫に。人質として、十数年、倭の地に滞在しております」


「呼び戻せ」


天皇の声は、低かった。


「百済復興の軍を起こす。海を越えて、半島に渡る」


中大兄は、息を呑んだ。


「母上、それは――」


「百済を失えば、次は倭である」


斉明天皇は、断言した。


「唐は、半島を呑み込んだ後、必ず海を渡る。それを止めるためには、百済の地を、百済人の手に戻さねばならぬ。豊璋王子を擁立し、百済復興軍を送る」


中大兄は、沈黙した。


理屈としては、分かる。


だが、それは、倭という小さな島国が、唐という世界帝国に戦を挑むということを意味していた。


皇子の傍らで、中臣鎌足(なかとみのかまたり)が、静かに目を閉じていた。


鎌足、四十六歳。


皇子の腹心であり、参謀であった男である。


その鎌足の妻の腹には、二人目の子が宿っていた。


生まれてくるのは、男児。


その子に、何という名を付けるか――鎌足は、まだ、決めかねていた。



長安に連行された義慈王は、その年のうちに、病死した。


金紫光禄大夫(きんしこうろくたいふ)衛尉卿(えいいきょう)」――唐から贈られた爵号。


墓は、洛陽郊外。


江南王朝最後の君主孫皓(そんこう)陳叔宝(ちんしゅくほう)の傍らに、並べられた。


これは、偶然ではない。


武照の意志であった。


「江南王朝と関係深かった百済の最後の王を、江南最後の君主の傍らに葬る。これにより、唐が西晋(せいしん)・隋に続く天下統一の王朝であることを、示せ」


紙の上に、彼女は書いた。


「滅びし国の王は、滅ぼした国の秩序の中に、位置を与えられる。それが、理である」


百済の王統は、こうして、唐の秩序に呑み込まれた。


そして、百済の滅亡から三年後――倭の軍が、海を越えて半島に渡り、白村江(はくすきのえ)という場所で、唐・新羅連合軍と激突することになる。


その戦の敗北が、倭という国の姿を、根本から変えていく――。


しかし、それは、また別の話である。

〔正史より――〕


顕慶(けんけい)五年――西暦六六〇年。


読者諸氏には、この一年に朝鮮半島で何が起きたのか、史料の側から確認しておいていただきたい。


本作前段において、筆者は義慈王の諦観、黄山伐(こうざんばつ)の戦いにおける階伯の奮戦、新羅の花郎官昌(かんしょう)の二度の突撃と戦死、泗沘城の陥落といった一連の場面を描いてきた。


これらの事件は、いずれも『三国史記(さんごくしき)』新羅本紀および百済本紀、ならびに『旧唐書(くとうじょ)』百済伝に、比較的詳細な記述が残されている。


しかしながら、それぞれの場面をめぐって、史書間に微妙な異同があり、また現代の研究においても見解が分かれる箇所が少なくない。


結論から述べれば、顕慶五年とは、東アジアにおける唐の影響圏が、海を越えて半島南端まで拡張した、決定的な一年である。


順を追って整理してみたい。



まず、義慈王という人物の評価について整理せねばならない。


『三国史記』百済本紀によれば、義慈王は即位当初、「海東の曽子(そうし)」と讃えられた孝心の王であった。父母に仕えること篤く、兄弟と親しく過ごし、太子の名を「孝」と付けたほどの親孝行の象徴であった。


ところが奇妙なことに、その同じ史書が、義慈王の晩年については、まったく異なる人物像を伝えている。


「酒色に耽り、朝政を顧みず」


この変貌を、何が引き起こしたか。


合理的に逆算すれば、六四二年の大耶城(だいやじょう)攻略、すなわち新羅の金春秋の娘・古陀炤(こだしょう)を斬首した戦勝の後から、義慈王の統治姿勢は変質し始めた、と読み解くのが自然である。


連戦連勝の驕り。


そして、新羅の背後に控える唐という巨人への、見て見ぬふり。


『三国史記』は、佐平(さへい)の成忠という忠臣が、王の堕落を諫めて獄に投じられ、獄中で絶食して死んだことを伝える。死の際、成忠は王に上書を残した。


「もし戦争があれば、陸では炭硯の険を守り、水では白江の入口を守るべし」


そして、六六〇年の唐・新羅連合軍の侵攻は、まさに白江と炭硯から行われたのである。


成忠の予測は、十年早く、的中していた。


これは何を意味するか。


百済の側にも、十分な情報と分析能力を持つ人材は存在していた、ということに他ならない。問題は、その情報を活用する王の意志が、欠けていたという一点である。


国家の崩壊は、外的要因のみでは起こらない。内部の意志の空洞化が、必ず先行する。



ところで、六六〇年三月、唐は蘇定方を大総管(だいそうかん)とし、水陸十三万の軍を百済に送った。


これに呼応したのが、新羅の武烈王金春秋である。


武烈王は、五月、王子金法敏(こんほうびん)(後の文武王(ぶんぶおう))を送り、唐軍と連絡を取った。


そして、七月、武烈王自らが総管となり、金庾信を大将軍として五万の兵を率い、半島内陸から百済へ進軍した。


ここで重要な点であるが、新羅にとって、この戦争は単なる対外戦争ではなかった。


十八年前の六四二年、大耶城で金春秋の娘古陀炤が斬首された事件から、新羅は一貫して百済滅亡という国家目標を追求し続けてきた。


十八年。


これは、単なる復讐心では、維持できぬ歳月である。


金春秋は、十八年前の個人的な悲劇を、国家の意志へと転化させた。そしてその転化を支えたのが、金庾信率いる新羅の軍事機構である。


個人の怒りを、十八年かけて国家の戦略に変換する――これが、武烈王という男の本質であった。



ここまでの経緯を整理すると、六六〇年の百済滅亡とは、次のように要約できる。


唐の軍事的圧力、新羅の十八年にわたる国家意志、そして百済内部の統治意志の空洞化――この三つの要素が噛み合った瞬間、百済という六百年の王朝は、呆気なく崩壊した。


しかしながら――ここで、もう一つの問いが浮上する。


黄山伐の戦いにおいて、新羅軍五万が百済軍五千に四度敗北し、五度目に花郎官昌の戦死によって逆転勝利した、という挿話である。


この挿話は、『三国史記』金庾信列伝および金官昌伝(こんかんしょうでん)に詳しく伝えられる。


念のため経緯を整理しておくと、花郎とは、新羅における貴族の若き青年戦士団である。忠誠、武芸、風月歌舞(ふうげつかぶ)を学ぶ集団で、政治・軍事・文化の担い手を育成する機関として機能していた。


官昌は、花郎の十六歳の少年。父は新羅軍副将品日であった。


ここに不可解な点がある。


なぜ、十六歳の少年が、戦況を決定するほどの単独突撃を、二度にわたって敢行し得たのか。


第一の突撃は、偶発的な英雄行為と見做すことができる。だが、第二の突撃は、偶発ではない。父品日が、息子の二度目の突撃を止めなかった、という事実が、何かを物語っている。


これは何を意味するか。


合理的に逆算すれば、新羅軍の首脳部には、官昌の二度目の突撃が、戦況を逆転させる心理的武器となることを計算していた人物が存在する、と考えるのが自然である。


忠誠の理想を戦術的資源として運用する――これが、武烈王代の新羅における軍事機構の特徴である。


『三国史記』金庾信列伝は、官昌の戦死の後、新羅軍の士気が爆発的に高揚し、百済軍を撃破したと伝える。


この戦術的効果を、偶然の産物と考えるか、計算尽くの運用結果と考えるか――読者の判断に委ねたい。



最後に、六六〇年の百済滅亡の戦後処理について、簡潔に触れておかねばならない。


唐は、滅亡した百済の地に、五つの都督府を置いた。


協力的な地方豪族が、各地の都督に任ぜられた。


旧都熊津には、唐軍の鎮将劉仁軌が駐在した。


これは何を意味するか。


唐は、百済という国を消滅させたのではない。百済という形式を残したまま、内実を唐の延長に変えたのである。


形式的には百済、内実的には唐。


この二重構造こそが、唐の半島統治の基本戦略であった。


軍事征服によって消滅させ、その後に制度的空白を生むのではない。軍事征服の直後に、形式的存続と内実的変質を同時に進行させる――これが、唐の秩序拡張の手法である。


そして、その手法の物質的基盤となったのが、再び、紙であった。


都督府の任命状、地方豪族への爵号授与、戸籍の整備、税制の導入――これらすべては、紙の上に書かれて、初めて現実となった。


武器は百済を滅ぼした。


しかし、百済の地を唐の秩序に組み込んだのは、紙であった。


紙のないところに、統治はない。統治のないところに、秩序の拡張はない。秩序の拡張のないところに、帝国はない。


顕慶五年。


百済という国は、剣によって滅ぼされ、紙によって呑み込まれた。


そして同じ顕慶五年、海を越えた倭の地では、斉明天皇が、百済復興の意志を固めようとしていた。


倭の軍が海を越える、その三年前の出来事である。

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