邪神軍十万
――邪神軍。
その名を聞いた瞬間。
王国軍の総大将の顔からも、余裕が消えた。
「……邪神軍だと?」
「ああ」
ビッグ・ベンが低く答える。
「間違いない」
「知っているのか?」
ムーニーが尋ねる。
「知っているも何も……」
ビッグ・ベンは北の地平線を睨みつけた。
「余が魔王になるよりも前から、奴らは存在していた」
「……何?」
「魔族の中でも、奴らの名を知らぬ者はいない」
ビッグ・ベンの表情は険しい。
「奴らは人間を憎んでいる」
「なら、俺たちと同じじゃないか」
「違う」
ビッグ・ベンは首を横に振った。
「奴らは人間だけを憎んでいるのではない」
「…………」
「魔族もだ」
その言葉に、グーンが眉をひそめた。
「どういうことだ?」
「邪神軍にとって、人間も魔族も同じだ」
ビッグ・ベンが言う。
「すべての生命を滅ぼし、この世界そのものを邪神へ捧げる」
「……」
「だから、余とも何度か衝突した」
ムーニーが目を見開く。
「じゃあ、お前は邪神軍とも戦ってたのか?」
「そうだ」
「……なんだよ、それ」
ムーニーが頭を掻く。
「じゃあ最初から言えよ」
「何をだ?」
「お前、俺たち以外にも敵がいたんじゃないか」
「貴様らが話を聞かなかったのだろう」
「いや、お前がいきなり攻めてきたんだろ」
「それは……」
ビッグ・ベンが黙った。
「…………」
「…………」
「……余が悪かった」
「素直だな、おい」
そのやり取りを見ていた王国軍の兵士たちが、困惑したように顔を見合わせる。
つい先ほどまで。
自分たちは、この魔王を討つためにここへ来た。
だというのに。
今では――。
魔王と勇者が、普通に会話をしている。
総大将は頭を抱えた。
「……話がややこしくなってきたな」
そこへ。
「総大将!」
伝令兵が駆け込んできた。
「北方より、追加の報告です!」
「何だ!」
「敵軍の先鋒が確認されました!」
「数は?」
「一万!」
「一万だと!?」
王国軍がざわめく。
「十万のうち、先鋒だけで一万……」
グーンが呟く。
「本気で攻めてきてるな」
「当然だ」
ビッグ・ベンが答える。
「奴らは一度動き出したら止まらん」
「だったら――」
ムーニーが聖剣を抜いた。
「やるしかないだろ」
王国軍の兵士たちが一斉に武器を構える。
「待て」
ビッグ・ベンが手を上げた。
「何だよ?」
「余たちは、今からどうする?」
「どうするって……」
ムーニーが答える。
「戦うんだろ」
「誰と?」
「邪神軍」
「その通りだ」
ビッグ・ベンが頷く。
「では――」
大魔王は王国軍を見る。
「余と貴様らで、一時的に共闘する」
「…………」
沈黙。
王国軍の総大将が目を細めた。
「本気か?」
「本気だ」
「貴様は魔王だぞ」
「知っている」
「我々は貴様を討つために来た」
「それも知っている」
「ならば――」
総大将は剣を握り直す。
「なぜ信用しろと言う?」
ビッグ・ベンは少し考えた。
「信用する必要はない」
「何?」
「余も貴様らを信用していない」
「…………」
「だが」
ビッグ・ベンは北を向いた。
「邪神軍を放置すれば、人間も魔族も死ぬ」
そして。
「ならば、今だけは同じ敵を見ればいい」
総大将は黙った。
やがて。
「……分かった」
剣を下ろす。
「王国軍は、魔王ビッグ・ベンと一時的に共闘する」
兵士たちが騒めく。
「総大将!」
「いい」
総大将は言った。
「我々には選択肢がない」
そして。
ビッグ・ベンを見る。
「ただし」
「何だ?」
「邪神軍を退けた後は――」
「分かっている」
ビッグ・ベンが頷く。
「その時は、改めて決着をつけよう」
「……ああ」
総大将も頷いた。
「約束だ」
◆
村では。
「……というわけで」
ムーニーが戻ってきた。
「王国軍と魔王軍が共闘することになった」
「…………」
ポコは固まっていた。
「本当に?」
「ああ」
「魔王さんと?」
「そう」
「王国軍が?」
「そう」
「一緒に?」
「そう」
「戦う?」
「そう」
ポコは頭を抱えた。
「……どうしてこうなったんでしょう」
グーンが肩をすくめる。
「知らん」
そこへビッグ・ベンが戻ってきた。
「ポコ」
「はい」
「礼を言う」
「何がです?」
「お前がいなければ、余は王国軍と話し合うことなど考えなかった」
「……」
「そして」
ビッグ・ベンは少しだけ笑った。
「お粥も美味かった」
「そこですか!?」
「重要だ」
「重要なんですか……」
ムーニーが笑う。
「じゃあ戦争前にもう一杯食べるか?」
「食べる」
「即答かよ!」
ポコはため息をついた。
「……でも」
鍋を見る。
「戦う前に食べるなら、少しだけですよ」
「分かった」
「本当に少しだけですよ?」
「分かった」
「絶対に食べ過ぎないでくださいね?」
「…………」
ビッグ・ベンが目を逸らした。
「……努力する」
「信用できない……」
◆
その頃。
北方。
黒い旗が風になびいていた。
その下には、無数の兵士たち。
人間でもない。
魔族でもない。
異形の軍勢。
獣のような者。
骸骨のような者。
黒い鎧に身を包んだ者。
そして、その中央。
一頭の巨大な黒馬に乗った男がいた。
「――報告しろ」
「はっ」
兵士が跪く。
「魔王軍は村に集結」
「王国軍は?」
「魔王軍との交戦を中止」
「ほう」
男は笑った。
「ならば、予定通りだ」
「予定通り、とは?」
「魔王と人間を戦わせる」
男は北の空を見上げる。
「そのために、我々がここまで来たのだ」
「しかし――」
兵士が恐る恐る尋ねる。
「人間と魔族が共闘する可能性は?」
「ない」
男は即答した。
「人間と魔族は憎み合っている」
「ですが……」
「あり得ん」
男は笑う。
「長きにわたる憎悪が、一晩や二晩で消えるものか」
「…………」
「魔王は人間を殺した」
「はい」
「人間は魔族を殺した」
「はい」
「だからこそ――」
男は黒い旗を握る。
「奴らは互いを許せない」
そして。
「殺し合う」
男が手を上げた。
「全軍、進め」
ドン。
ドン。
ドン。
十万の軍勢が動き出した。
◆
村では。
「……来た」
見張り台の兵士が叫んだ。
「敵軍です!」
村人たちの顔が青ざめる。
北の地平線。
そこを埋め尽くす黒い軍勢。
数え切れない。
十万。
その圧倒的な数に、王国軍の兵士たちですら息を呑んだ。
「……これが」
総大将が呟く。
「邪神軍……」
ビッグ・ベンが前へ出る。
ムーニーも、その隣に立った。
「なあ、魔王」
「なんだ?」
「腹は大丈夫か?」
「…………」
ビッグ・ベンがムーニーを見る。
「今それを聞くか?」
「大事だろ」
「……少しだけ痛い」
「やっぱりかよ!」
ポコが頭を抱える。
「だから食べ過ぎないでって言ったのに!」
「…………」
大魔王は気まずそうに目を逸らした。
その瞬間。
地平線の向こうから。
巨大な角笛の音が響いた。
ブオオオオオオオオ――ッ!
大地が震える。
空気が震える。
そして。
黒い軍勢が、一斉に進軍を開始した。
「来るぞ!」
ムーニーが聖剣を構える。
グーンが魔剣を抜く。
王国軍が盾を構える。
ビッグ・ベンが拳を握る。
人間と魔族。
昨日まで敵だった者たちが。
今、初めて――。
同じ敵を見つめていた。
「――全軍、聞けぇぇぇぇぇっ!」
ビッグ・ベンの咆哮が戦場を駆け抜ける。
「今より余と勇者たちは、一時的に共闘する!」
王国軍がざわめく。
「そして――」
大魔王が拳を掲げる。
「この村には、指一本触れさせぬ!」
ムーニーが笑う。
「言ったな、魔王!」
「ああ!」
「じゃあ――」
聖剣が光を放つ。
「一緒にやるぞ!」
「望むところだ!」
そして。
勇者と魔王。
人間と魔族。
昨日まで殺し合っていた者たちは――。
初めて、同じ方向へ向かって走り出した。
――邪神軍十万との戦いが。
今、始まる。




