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大魔王ビックベンの伝説・その腹痛は世界を救う  作者: 水源


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4/10

世界最大級の軍勢

 ――始まった。


 ……はずだった。


「では、まず食事から改善しましょう」


「食事?」


 大魔王ビッグ・ベンが眉をひそめる。


「はい。胃腸に優しいものを食べてもらいます」


「余に?」


「もちろんです」


「余は大魔王だぞ?」


「大魔王でも、お腹は痛くなります」


「…………」


 ビッグ・ベンは黙った。


 反論できなかった。


「では、何を食べればいい?」


「お粥です」


「おかゆ?」


「はい。お米を柔らかく煮たものです」


「そんなものを食べて戦えるのか?」


「戦う前に、お腹を治すんです」


「しかし――」


「腹痛を抱えたまま戦いますか?」


「…………」


 しばしの沈黙。


「……お粥で」


 即答だった。


     ◆


 翌朝。


 村の中央には、大きな鍋が置かれていた。


「はい、どうぞ」


 ポコが木の器にお粥をよそう。


 その向かいでは、大魔王ビッグ・ベンが腕を組み、神妙な顔で器を見つめていた。


「これが……お粥」


「そうです」


「……白いな」


「お米ですから」


「具は?」


「ありません」


「肉は?」


「ありません」


「魚は?」


「ありません」


「香辛料は?」


「ありません」


「…………」


 ビッグ・ベンは絶望した。


「こんなものを食べて、余は本当に戦えるのか?」


「だから、戦うために胃腸を休ませるんです」


「……」


「食べてください」


「……はい」


 大魔王は渋々、匙を手に取った。


 そして。


 ぱくっ。


「…………」


 もう一口。


 ぱくっ。


「…………」


 さらに一口。


 ぱくっ。


「……うまい」


「でしょう?」


「うむ……」


 ビッグ・ベンの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。


 そして――。


 ぱくっ。


 ぱくっ。


 ぱくっ。


「…………」


 ポコが黙って見つめる。


 大魔王は無言で食べ続ける。


 ぱくっ。


 ぱくっ。


 ぱくっ。


「…………」


「……あの」


「なんだ?」


「食べるの、もう少しゆっくりにしてください」


「無理だ」


「無理なんですか?」


「うまい」


「……」


 気がつけば。


 大鍋に入っていたお粥は、半分以上消えていた。


「ちょっと!」


 ポコが慌てて鍋を押さえる。


「食べ過ぎです!」


「まだ食える!」


「駄目です!」


「なぜだ!」


「だからお腹を壊したんでしょう!」


「…………」


 ビッグ・ベンは渋々、匙を置いた。


「分かった」


 その横で、ムーニーが肩を震わせている。


「……なんかさ」


「なんだ?」


「魔王っていうより――」


 ムーニーが指を差した。


「食いしん坊のおっさんだよな」


「貴様……!」


 ビッグ・ベンが立ち上がる。


「余を愚弄するか!」


「だって――」


 ムーニーが笑いながら指を差す。


「口の端にお粥ついてるぞ」


「…………」


 ビッグ・ベンは無言で口元を拭った。


「……忘れろ」


「無理」


「忘れろと言っている!」


「はははは!」


「笑うな!」


 ムーニーの笑い声につられるように。


 村人たちからも、少しずつ笑い声が漏れ始めた。


 昨日まで。


 この村の人々は、大魔王ビッグ・ベンに怯えていた。


 魔王がいるだけで、震えていた。


 けれど今は――。


「お粥を食べ過ぎる魔王って……」


「しかも口に付けてるし」


「聞こえているぞ!」


 魔王を囲んで、笑っている。


 そんな光景を見ながら。


 ポコは、そっと微笑んだ。


 ――もしかすると。


 この人は、本当にただ憎しみに囚われているだけなのかもしれない。


 そう思った。


 だが――。


「ポコ!」


 そのときだった。


 村の外から、一人の兵士が駆け込んできた。


「大変です!」


「どうしました?」


「王国軍がこちらへ向かっています!」


 笑い声が、一瞬で消えた。


「数は?」


「五千!」


「五千……」


 ムーニーが立ち上がる。


「早すぎるだろ」


「王国軍は、魔王がこの村にいることを知ったようです」


 グーンが魔剣を抜いた。


「つまり――」


 その目が鋭くなる。


「ここを戦場にするつもりか」


「はい」


 兵士が頷く。


「あと一刻もすれば到着します」


 ポコは、村を見渡した。


 老人。


 子供。


 農民。


 昨日まで、ただ普通に暮らしていた人々。


 ここで戦えば。


 どうなる?


「……ここで戦ったら」


 ポコが呟いた。


「この村は、どうなりますか?」


「壊滅するだろうな」


 グーンが答えた。


「王国軍も魔王軍も、ここを戦場として使うでしょう」


「そんな……」


 ポコは拳を握った。


 嫌だった。


 せっかく笑えるようになった村を。


 また血で染めるなんて。


「それは駄目です」


 ムーニーがポコを見る。


「じゃあ、どうする?」


「……」


 ポコは考えた。


 そして。


 大魔王ビッグ・ベンを見る。


「魔王さん」


「なんだ?」


「あなた、魔王なんですよね?」


「当然だ」


「魔族の軍勢を動かせますか?」


「一声かければ、数万は集まる」


「では――」


 ポコは村の外を指差した。


「戦わずに、王国軍を止めてください」


「…………」


 ビッグ・ベンが目を丸くする。


「戦わずに?」


「はい」


「余に、どうしろと?」


「話し合ってください」


「…………」


 大魔王は絶句した。


「余は大魔王だぞ?」


「知っています」


「人類の敵だぞ?」


「知っています」


「そんな余が、王国軍と話し合っても――」


「でも」


 ポコは真っ直ぐにビッグ・ベンを見る。


「戦えば、誰かが死にます」


「…………」


「魔族も、人間も」


 ポコは村を振り返った。


「そして、この村の人たちも」


 ビッグ・ベンは黙った。


 長い沈黙だった。


 やがて。


「……分かった」


「魔王さん?」


「余が行こう」


 大魔王は立ち上がった。


 そして、村の入口へ向かって歩き出す。


「余は今まで、力でしか物事を解決できぬと思っていた」


 その背中は大きかった。


「だが――」


 ビッグ・ベンが振り返る。


「お前に腹を治してもらってから、少しだけ考えが変わった」


「……」


「話し合うくらいなら、やってみよう」


 そう言って。


 大魔王は、一人で村の外へ出ていった。


     ◆


 それから一刻後。


 地平線の彼方から。


 土煙が上がった。


 やがて――。


 大地を埋め尽くすほどの軍勢が姿を現す。


 五千の兵。


 騎兵。


 弓兵。


 魔術師。


 巨大な軍旗を掲げた王国軍だった。


「魔王ビッグ・ベン!」


 王国軍総大将の怒声が響き渡る。


「貴様の命運もここまでだ!」


 対するビッグ・ベンは――。


 一人だった。


 その背後には誰もいない。


 魔族の軍勢も。


 魔王軍の幹部たちも。


 勇者たちも。


 ただ一人。


 大魔王だけが立っている。


「…………」


 ビッグ・ベンは深く息を吸った。


 そして。


「待て」


 王国軍がざわめく。


「何だと?」


「今日は戦わぬ」


「ふざけるな!」


「ふざけてなどいない」


 ビッグ・ベンは堂々と言った。


「話をしたい」


 一瞬の沈黙。


 そして――。


 兵士たちから嘲笑が起こった。


「魔王が話し合いだと!?」


「今さら何を言っている!」


「貴様に奪われた者たちの命を忘れたのか!」


「家族を返せ!」


「故郷を返せ!」


「魔族を許すな!」


 怒号が飛び交う。


 ビッグ・ベンは――。


 黙って聞いていた。


 怒鳴り返さない。


 言い訳もしない。


 ただ、その言葉を受け止める。


 そして。


「……分かっている」


 静かに答えた。


「余は多くを奪った」


「…………」


「家族を失った者もいるだろう」


 ビッグ・ベンは拳を握る。


「故郷を失った者もいるだろう」


 目を伏せる。


「大切な者を失った者もいるだろう」


 その声には、もう怒りはなかった。


「その苦しみを――余は知っている」


 総大将が叫ぶ。


「ならば何故だ!」


「…………」


「何故、同じ苦しみを人間に与えた!」


 ビッグ・ベンは答えられなかった。


 長い沈黙の後。


「……それが、余の間違いだったからだ」


 五千の兵が静まり返った。


 誰も予想していなかった。


 魔王が。


 大魔王が。


 自分の過ちを認めるなど。


 そのときだった。


「待ってください!」


 王国軍の後方から、一人の男が駆けてくる。


「何者だ!」


「王都からの使者です!」


 使者は息を切らしながら叫んだ。


「国王陛下より、緊急の命令が届きました!」


「内容は?」


 総大将が問いただす。


「魔王討伐を――」


 使者は一瞬、言葉を詰まらせた。


「中止せよ、とのことです」


「なに!?」


 王国軍が騒然となる。


「理由は?」


「それが……」


 使者の顔が青ざめていく。


「北方から、異常な規模の軍勢が南下しているとの報告が入りました」


「北方?」


 ビッグ・ベンの表情が変わった。


「何者だ?」


 使者は震える声で答える。


「魔王軍ではありません」


「…………」


「王国軍でもありません」


 そして。


「魔王ビッグ・ベンを倒すために集められた――」


 一拍。


「もう一つの軍勢です」


「…………」


「その数――」


 使者が唾を飲み込む。


「十万」


「…………十万?」


 誰かが呟いた。


 だが。


 使者は首を横に振る。


「現在確認できているだけで、十万です」


 ざわめきが広がる。


「どういうことだ……?」


「十万だと……?」


「一体、誰が……?」


 ビッグ・ベンは北方を見た。


 遠く。


 遥か遠く。


 地平線の向こう。


 まだ何も見えない。


 それなのに――。


 大地が。


 かすかに震えていた。


「……おかしい」


 ビッグ・ベンが呟く。


「何がです?」


 総大将が尋ねる。


 大魔王は答えなかった。


 ただ、北の空を睨みつける。


「……あれほどの軍勢を動かせる者が、この大陸にいるはずがない」


 その言葉に。


 ムーニーが村の中から駆けてくる。


「ビッグ・ベン!」


「ムーニーか」


「何が起きてる?」


「……分からん」


 ビッグ・ベンは答えた。


「だが――」


 大魔王の顔から、先ほどまでの余裕が消えていた。


「どうやら余たちは――」


 拳を握る。


「もっと厄介な奴を相手にすることになったらしい」


 北の地平線。


 そこから。


 地鳴りが響く。


 ドン。


 ドン。


 ドン。


 まるで。


 十万の軍勢そのものが――。


 大地を踏み鳴らしているかのように。


 そして。


 地平線の彼方に。


 最初の旗が姿を現した。


 黒い旗だった。


 そこに描かれていた紋章を見た瞬間。


 ビッグ・ベンの顔から、血の気が引いた。


「……まさか」


「知っているのか?」


 ムーニーが問う。


 ビッグ・ベンは答えない。


 ただ。


 震える声で呟いた。


「――邪神軍」


 こうして。


 人類と魔族の最終決戦は――。


 またしても、延期された。


 ただし。


 今度の敵は。


 大魔王ビッグ・ベンですら――。


 恐れる相手だった。


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