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大魔王ビックベンの伝説・その腹痛は世界を救う  作者: 水源


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3/10

奇妙な共同生活

 こうして――。


 人類と魔族の最終決戦は。


 またしても延期された。


     ◆


「……で?」


 勇者ムーニーは腕を組み、目の前の光景を眺めていた。


「なんで俺たちは、魔王と一緒に焚き火を囲んでるんだ?」


「腹痛が治るまで安静にしてもらっているんです」


 ポコが平然と答えた。


「そういう問題じゃないだろ!」


 焚き火を挟んだ向こう側。


 そこにいるのは――大魔王ビッグ・ベン。


 人類の歴史において、最悪の災厄の一つとして語られる存在。


 その両脇には、彼に付き従う魔族の幹部たち。


 そしてこちら側には、勇者ムーニー。


 剣聖グーン。


 賢者メリーズ。


 聖女オヤスミ。


 世界でも屈指の実力者たちが揃っている。


 誰がどう見ても敵同士。


 本来ならば、今この瞬間にも殺し合っていておかしくない。


 なのに。


 なぜか全員で焚き火を囲み、魔王の腹痛が治るのを待っている。


「……」


 ムーニーは焚き火を見る。


 魔王を見る。


 再び焚き火を見る。


「……夢じゃないよな?」


「現実だ」


 グーンが答えた。


「どうしてそんなに冷静なんだよ」


「腹が痛い者を斬る趣味はない」


「そういう問題じゃないって!」


 グーンは薪を一本拾い、焚き火に放り込んだ。


 ぱちぱちと火の粉が舞う。


「そもそも、今ここで戦っても仕方がないだろう」


「まあ……それはそうだけど」


「魔王は腹痛で弱っている」


「うむ」


「こちらには勇者がいる」


「うむ」


「向こうには魔族の幹部がいる」


「うむ」


「ならば――」


 グーンは真顔で言った。


「治ってから戦えばいい」


「お前、やっぱり戦う気は満々なんだな!」


「当然だ」


 ビッグ・ベンが腕を組んだ。


「余も同意見だ」


「お前は黙って寝てろ!」


「余は大魔王だぞ!」


「今は患者だ!」


「…………」


 大魔王は渋々、毛布を肩まで引き上げた。


「患者……」


「はい」


 ポコが頷く。


「患者さんです」


「……余は患者」


「そうです」


「大魔王なのに?」


「大魔王でも患者にはなります」


「……そういうものか」


 ビッグ・ベンは妙に納得した。


 その隣では、魔族の幹部たちが複雑な顔をしていた。


 彼らにとって大魔王ビッグ・ベンとは、絶対的な存在だった。


 命令一つで軍勢を動かし。


 山を砕き。


 城塞を一夜で落とし。


 数多の人間たちを震え上がらせてきた。


 そんな主君が。


 今は毛布に包まれている。


「……魔王様」


 幹部の一人が、おそるおそる声をかけた。


「なんだ」


「お水を……」


「頼む」


「はっ!」


 幹部は勢いよく立ち上がった。


「ただちに最高級の魔界産霊水を――」


「普通の水でいいです」


 ポコが止めた。


「はい?」


「普通のお水で大丈夫です」


「しかし!」


「刺激が強いものは避けてください」


「……はっ」


 幹部は静かに座った。


 ムーニーが呟く。


「なんか……立場が逆転してないか?」


「余もそう思う」


「お前が言うな」


     ◆


「ビッグ・ベンさん」


「なんだ?」


「まだ痛みますか?」


「先ほどよりはましだ」


「よかったです」


 ポコは魔王の顔色を確認した。


「薬は飲みましたか?」


「飲んだ」


「食事は?」


「……まだだ」


「どうしてですか?」


「食べると痛くなる気がする」


「それは食べ方が悪い可能性があります」


「食べ方?」


「はい」


 ポコは小さな鍋を取り出した。


「なので、今日はこれです」


「……なんだ?」


「お粥です」


「…………」


 ビッグ・ベンは鍋を覗き込んだ。


 白い。


 柔らかい。


 そして――肉がない。


「ポコ」


「はい」


「これは……食事なのか?」


「食事です」


「……具は?」


「ほとんどありません」


「味は?」


「薄いです」


「……」


 大魔王は深刻な顔をした。


「余は大魔王だぞ?」


「知っています」


「世界を支配する予定なのだぞ?」


「はい」


「その余が……」


 お粥を見る。


「これを?」


「食べます」


「…………」


 ビッグ・ベンは絶望した。


「世界征服より難しい」


「お粥を食べるだけですよ」


「余にとっては試練なのだ!」


「大げさですよ」


 ムーニーが横から笑う。


「ほら、魔王。食べろよ」


「勇者……」


「腹が減ったら余計に痛くなるんだろ?」


「……うむ」


「じゃあ食え」


「……分かった」


 ビッグ・ベンは匙を持った。


 そして一口。


「…………」


「どうですか?」


「……薄い」


「胃に優しい味です」


「肉は?」


「ありません」


「魚は?」


「ありません」


「酒は?」


「ありません」


「…………」


 ビッグ・ベンは遠い目をした。


「これが……人間の慈悲か」


「違います」


     ◆


 しばらくの間。


 焚き火の前には、妙な沈黙が続いた。


 敵同士なのに。


 誰も攻撃しない。


 ただ、火の爆ぜる音だけが響いている。


 やがてグーンが口を開いた。


「……勇者」


「なんだ?」


「俺たちは明日、戦うのか?」


「……そうだな」


 ムーニーは聖剣を見る。


「王都から命令が来た以上、俺たちは戦わなきゃならない」


「そうか」


 グーンは魔王を見る。


「魔王も?」


「余も戦う」


 ビッグ・ベンは答えた。


「余が退けば、魔族たちは滅ぼされる」


「……なるほど」


 グーンはそれ以上何も言わなかった。


 その横で、メリーズが静かに口を開く。


「でも、不思議ですね」


「何が?」


「私たちは、こうして普通に会話しています」


 メリーズは焚き火を見つめた。


「これまでだったら、顔を合わせた瞬間に戦っていたでしょう」


「それはそうだな」


「なのに今は」


 メリーズがビッグ・ベンを見る。


「お粥を食べている魔王を、みんなで見守っている」


「……」


 ビッグ・ベンは気まずそうに匙を置いた。


「余としても、こんな予定ではなかった」


「私もです」


「余は勇者と戦うつもりだった」


「私たちも魔王を倒すつもりでした」


「なのに――」


 メリーズが小さく笑う。


「こうなりましたね」


「……うむ」


 ビッグ・ベンも、少しだけ笑った。


「まったく……人生とは分からんものだ」


     ◆


 そのとき。


「ところで、ポコ」


「はい?」


「この薬は、どのくらい飲めばよい?」


「症状が落ち着くまでは一日三回です」


「三回……」


 魔王は真剣な顔で頷いた。


「分かった」


「食後ですよ」


「……食後?」


「はい」


 ビッグ・ベンは黙り込んだ。


「どうしました?」


「余は、一日三回も食事をする必要があるのか?」


「え?」


「朝、昼、晩と三回も?」


「普通はそうですけど……」


「余は一日に一度、大量に食べるだけだ」


「…………」


 ポコは頭を抱えた。


「それも原因の一つかもしれません」


「な、なんだと!?」


「魔王さん。食生活を改善しましょう」


「食生活……」


 ビッグ・ベンは唸った。


 その顔は、世界征服を邪魔されたときよりも険しい。


「朝食」


「はい」


「昼食」


「はい」


「夕食」


「はい」


「三食……」


 魔王は震えた。


「そんなに食べていいのか?」


「むしろ一度に大量に食べるほうが問題です」


「……」


 ビッグ・ベンは考えた。


「では、余は今まで……」


「はい」


「ずっと間違っていた?」


「可能性は高いです」


「…………」


 大魔王は焚き火を見つめた。


「世界征服より先に、食生活を見直す必要があったとは……」


「そうですね」


「余の千年にも及ぶ計画が……」


「食生活からです」


「…………」


「魔王さん?」


「……余は今、人生について考えている」


「大げさですね」


     ◆


 しばらくして。


 ビッグ・ベンは静かに口を開いた。


「……ポコ」


「はい?」


「どうして、人間の町を襲っているのか――」


 ポコが顔を上げる。


「それを聞いてどうする?」


「どうもしません」


 ポコは答えた。


「ただ、知りたいんです」


「……そうか」


 ビッグ・ベンは焚き火を見つめた。


 炎の向こうに、遠い昔の光景が浮かんでいるようだった。


「……余は」


 低い声が響く。


「人間が嫌いなのだ」


「なぜ?」


「昔――余の故郷を、人間に滅ぼされた」


「……」


「家族も」


 拳が握られる。


「仲間も」


 さらに強く。


「すべてだ」


 魔族の幹部たちも黙っている。


 彼らにとって、それは知っている話だった。


 だが。


 主君の口から聞くのは、初めてだった。


「だから余は決めた」


 ビッグ・ベンの声が震える。


「人間が余から奪ったものを――人間からもすべて奪うと」


「…………」


「そのために余は、魔王となった」


 復讐。


 それが、この大魔王の戦争の理由だった。


 ムーニーは何も言わなかった。


 グーンも。


 メリーズも。


 オヤスミでさえ、目を開けていた。


「……じゃあ」


 ポコが静かに尋ねる。


「もし、人間を滅ぼしてしまったら――」


「……」


「そのあと、どうするんですか?」


 ビッグ・ベンは答えなかった。


「復讐が終わったあと」


 ポコは続ける。


「魔王さんは、何をするんですか?」


「…………」


 焚き火が、ぱちりと爆ぜた。


 ビッグ・ベンは長い間、炎を見つめていた。


 そして。


「……分からん」


 小さな声だった。


「余にも……分からんのだ」


 ムーニーが顔を上げる。


「……」


「これまで、ずっと復讐のことだけを考えてきた」


 ビッグ・ベンは自嘲するように笑った。


「人間を倒す」


「町を奪う」


「国を滅ぼす」


「そうすれば、故郷を失った悲しみも消えると思っていた」


 しかし。


 何も消えなかった。


「一つ町を滅ぼしても、次の町がある」


「一つ国を倒しても、まだ人間は残っている」


「だから、もっと殺さなければならないと思った」


 拳が震える。


「だが……」


 ビッグ・ベンは目を閉じた。


「気づけば、余は何を奪われたのかすら、思い出せなくなっていた」


「……」


「顔も」


「声も」


「笑い声も」


「どんな家に住んでいたのかさえ……」


 静かな声だった。


「ただ、人間が憎いということだけが残った」


 ムーニーは握っていた聖剣から手を離した。


「……魔王」


「なんだ、勇者」


「それでも俺は、お前を許すつもりはない」


「ああ」


「お前が滅ぼした町も、人も、帰ってこない」


「……分かっている」


「だから俺たちは、明日戦う」


「うむ」


 ビッグ・ベンは頷いた。


「余も戦う」


「……でも」


 ムーニーは焚き火を見た。


「今日だけは、こうしててもいいんじゃないかと思う」


「勇者……」


「明日になったら敵だ」


「ああ」


「だから今日くらいは」


 ムーニーは薪を一本、火に投げ込んだ。


「飯くらい、一緒に食ってもいいだろ」


 ビッグ・ベンはしばらく黙っていた。


 やがて。


「……そうだな」


 ほんの少しだけ。


 その顔から、魔王としての険が消えた。


     ◆


 そのときだった。


「勇者様!」


 森の向こうから、一人の兵士が駆けてきた。


「大変です!」


「どうした?」


「王都から緊急の知らせです!」


 兵士は息を切らしながら叫んだ。


「ソォン王国軍が――」


 一度、息を整える。


「魔王討伐軍を、明日の朝から開始すると!」


「……!」


 ムーニーが立ち上がった。


 グーンも魔剣を握る。


 メリーズの表情から笑みが消える。


 オヤスミも眠そうに目を開けた。


「……明日」


 ムーニーが呟く。


「ああ」


 グーンが答える。


「明日だ」


 その視線が、ビッグ・ベンへ向く。


 魔王も、ゆっくりと立ち上がった。


「……そうか」


 先ほどまでの弱々しさが、その瞳から消えていく。


「ならば――」


 魔力が膨れ上がる。


 ――ゴゴゴゴゴゴ……!


 大地が震える。


 木々がざわめく。


 魔族の幹部たちが一斉に跪いた。


「魔王様!」


「ついに……!」


 大魔王の身体から、圧倒的な魔力が溢れ出す。


「明日、人間が来るというのなら――」


 ビッグ・ベンは拳を握った。


「余も、魔王として迎え撃つ!」


「魔王様!」


「我らもお供いたします!」


 魔族たちが沸き立つ。


 ムーニーも聖剣を抜いた。


 空気が張り詰める。


 まるで。


 今この瞬間から戦争が始まるかのようだった。


 だが――。


「…………」


 ビッグ・ベンの顔が引きつった。


「……まずい」


「どうした?」


「腹が……」


「…………」


「また痛くなってきた」


「魔力、解除してください!」


 ポコの叫びが飛ぶ。


「無理だ!」


「なんで!?」


「今、解除すると……!」


 ビッグ・ベンが腹を押さえる。


「大魔王ビッグ・ベンの魔力と大便が共鳴して――」


「言わなくていい!」


 ムーニーが叫んだ。


「とにかく座れ!」


「しかし余は大魔王――」


「患者です!」


「…………」


「魔王さん!」


「…………はい」


 大魔王は、おとなしく座った。


 魔族の幹部たちは一斉に顔を伏せた。


 肩が震えている。


「お前たち……」


「笑ってません!」


「まだ何も言ってないぞ!?」


     ◆


 ――人類と魔族の最終戦争まで、あと一日。


 そして。


 世界の命運を握る勇者と大魔王は。


 本来なら、互いに殺し合うはずだった。


 だが今は――。


「ポコ。余は何を食べればいい?」


「お粥です」


「またか……」


「またです」


「肉は?」


「ダメです」


「魚は?」


「少量なら」


「酒は?」


「論外です」


「…………」


 ビッグ・ベンは深くため息を吐いた。


「勇者よ」


「なんだ?」


「人間というのは、随分と厳しい生き物なのだな」


「お前がポコに怒られてるだけだよ」


「そうなのか?」


「そうだよ」


 ムーニーは笑った。


 グーンも小さく笑う。


 メリーズも。


 オヤスミは――寝ていた。


 魔族の幹部たちは、そんな光景を呆然と眺めている。


 誰もが知っている。


 明日には。


 この時間が終わる。


 勇者は勇者として。


 魔王は魔王として。


 互いに剣を向けることになる。


 それでも。


 この夜だけは。


 敵同士ではなかった。


 ただ、焚き火を囲み。


 同じ空を見上げ。


 同じ鍋から食事を取り。


 腹を痛めた大魔王を、勇者たちが介抱している。


 そんな奇妙な夜だった。


 そして誰も知らない。


 この一夜の休戦が。


 やがて世界の歴史を大きく変えることになるなど――。


 なぜなら。


 明日の戦場で。


 勇者ムーニーは初めて知ることになるからだ。


 ――敵の中にも。


 自分と同じように、守りたいものを持つ者がいるということを。


 そして大魔王ビッグ・ベンも。


 初めて知ることになる。


 ――復讐が終わったあとにも。


 生きていく理由は、作れるのだということを。

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