第5話 童貞には距離が近すぎる
黒い地下神殿が、口を開けていた。
比喩ではない。
崩れた外壁の向こうに見える入口は、巨大な獣が牙をむいているような形をしていた。
左右に並んだ黒い石柱。
その上部から突き出す鋭い装飾。
天井付近には、何かの骨を思わせる白い石が何本も埋め込まれている。
「趣味が悪いな」
俺がつぶやくと、リアンがこちらを見る。
「太古の邪教の神を祀った神殿なんだから、明るく親しみやすい造りにはしないでしょう」
「それはそうなんだけど……」
作ったのは、たぶん俺だ。
中学生時代の俺である。
当時はこれを、
『見る者の魂を圧迫する、禁断のこの世ならざる建築様式』
などと設定資料に書いていたはずだ。
実物を見ると、ただの入りにくい建物だった。
「行くわよ」
リアンが俺の腕から離れようとする。
そして、最初の一歩で大きくよろめいた。
「危なっ」
俺は反射的に肩を抱く。
リアンの身体が、再び俺へもたれかかった。
軽い。
細い。
それでいて、先ほどよりずっと近い。
金色の髪が、俺の胸板へ触れた。
柔らかい。
ほのかに甘い匂いがする。
何の香りだろう。
花か。
香油か。
それとも、エルフそのものがこういう匂いなのか。
そんな設定は書いた覚えがない。
中学生でチェリーボーイだった(現在進行系)俺には、女の子に対するそこまで詳細な設定は作れなかったはずだ。
「ハルト」
「はい」
「また固まってる」
「支えることに集中している」
「息も止まってるわよ」
「より集中している」
「顔が赤い」
「最大限に集中している」
無理があった。
リアンが呆れた顔で俺を見る。
近い。
本当に近い。
女性の顔というものは、こんな距離で見るものではない。
肌が白い。
瞳が大きい。
まつげが金色だ。
しかも俺をじっと見ている。
前世では、女性と3秒以上目が合えば、
あれ、もしかして俺に気がある?
と勘違いし、その日の夜に交際後の人生まで想像していた。
そして翌日には、相手が俺の名前すら覚えていないと判明する。
それを何度か繰り返し、俺は学んだ。
女性の視線には意味がない。
たまたま見ているだけだ。
今もそうだ。
リアンは俺に気があるのではない。
こいつ、気持ち悪いな。
と思って見ているだけである。
悲しいが、それが現実だ。
「ひとりで歩けるわ」
リアンが言う。
「さっきも同じことを言って転びかけただろ」
「転んでない」
「俺が支えたからな」
「その言い方、少し腹が立つ」
「事実を言っただけだ」
「得意そうな顔が腹立つのよ」
自分では平静を装っているつもりだった。
それが自信満々な顔に見えるらしい。
イケメン顔もけっこう不便なものだ。
「じゃあ、俺の肩につかまれ」
「肩?」
「そのほうが歩きやすいだろ」
リアンは俺の肩を見上げる。
身長差がある。
彼女が肩へ手を置くには、腕をかなり上げなければならない。
「高いわよ」
「じゃあ腕」
「腕?」
俺は左腕を少し開く。
「ここにつかまればいい」
「……そうね」
リアンは一瞬ためらったあと、俺の腕へ両手を回した。
ぎゅっ。
という感触がした。
柔らかい。
何がとは言わない。
言ったら殺される。
俺の二の腕へ、リアンの頬が触れる。
心臓が跳ねた。
いや。
跳ねたというより、胸の内側で全力疾走を始めた。
速い。
うるさい。
リアンに聞こえるのではないか。
「鼓動、すごいわね」
聞こえていた。エルフっ子は耳がよすぎる。
「戦闘のあとだからな」
「戦闘が終わってから、けっこう経ってるけど」
「遅れてくるタイプなんだ」
「そんなものなの?」
「30歳を超えると、いろいろ遅れてやってくる」
「30歳?」
しまった。
リアンが顔を上げる。
「あなた、30歳なの?」
「いや」
「その見た目で?」
「前は」
「前?」
「何でもない」
危ない。
話すたびに前世の情報が漏れていく。
このままでは、地下神殿を出るころには履歴書が完成してしまう。
氏名。
年齢。
職歴。
彼女いない歴。
新人賞落選歴。
知られて困る情報ばかりだ。
「それより、具合はどうだ」
俺は強引に話題を変える。
「……まあ、さっきよりはいいわ。少し休めたから」
「精霊魔法の反動って、どのくらいで戻る?」
「使った術と対価によるわ。今回くらいなら、半日ほど休めばかなり回復すると思う」
「半日か」
「もちろん、こんな場所でゆっくりできればの話だけど」
無理だろう。
グリーン・エイプの群れ。
邪教神の神殿。
崩れた外壁。
そして、大技をぶっ放したときの轟音が新たな敵を呼び寄せている可能性もある。
休憩には不向きな条件がそろいすぎている。
旅行サイトなら星ひとつ。
口コミには、
部屋は広いが魔物が多く、壁も崩れる。二度と利用しない。
と書くところだ。
俺たちは入りにくい牙だらけの入口から、神殿の中へ入った。
洞窟とは空気が違う。
冷たい。
だが、気温が低いだけではない。
肌へまとわりつくような冷たさがある。
黒い石で作られた床には、薄い紫色の筋が走っていた。
血管のように枝分かれし、神殿の奥へ伸びている。
壁には巨大な彫刻。
目隠しをされた人々が、何かへ向かってひれ伏している。
その先に彫られているのは、複数の腕と角を持つ異形の神。
おそらく、古代の邪教神ガラエルナ・グラントだ。
「うわ」
「何よ」
「思ったより気持ち悪い」
「邪教神に対する感想が軽いわね」
「昔の俺、こういうの好きだったんだな」
「昔のあなた?」
「何でもない」
まただ。
口が軽すぎる。
前世では他人と会話する機会が少なかった。
その反動で、今は思ったことが全部口から出る。
異世界転生の副作用かもしれない。
あるいは、ただのコミュニケーション不足の反動か。
おそらく後者だろう。
リアンが壁の彫刻を見上げる。
「ここから先は、魔物より気をつけないといけないことがあるわ」
「罠か?」
「ええ。ギル・ザハドは侵入者を生かして帰さない神殿として有名なの」
「断絶の神殿」
「その名が付けられるということは、どれくらい危険かわかるでしょう」
わかる。
俺がそういうコンセプトで作った。
神殿へ入った者は、外界とのつながりを断たれる。
それが断絶の由来。
たしか第四階層には、侵入者を分断する隔壁。
方向感覚を狂わせる幻惑。
魔力に反応する落とし穴。
ほかにも、性格の悪い罠をいくつも仕込んだ。
ゲーム化したとき、
プレイヤーが初見で突破できないくらいの難易度にしたい。
と思っていた。
当時の俺は、ゲームバランスという言葉を知らなかった。
難しければ面白いと思っていた。
結果として生まれたのが、作者本人すら詳細を覚えていない殺意の塊となった迷宮である。
「壁や床に、変な紋様があったら触るな」
俺は言う。
リアンが俺を見る。
「何か知ってるの?」
「こういう神殿のお約束だ」
「また急に詳しくなるのね」
「記憶が戻ってきている」
「便利ね、その記憶喪失」
「俺も助かってる」
本当に助かっている。
ただし、もっと早く戻ってほしい。
罠を踏んでから、
そういえばここ、床が抜けるんだった。
と思い出しても意味がない。
俺たちは慎重に奥へ進む。
リアンは相変わらず俺の腕につかまっている。
数歩進むたび、彼女の頬が二の腕へ触れる。
柔らかい肢体の感触が腕を伝ってくる。
歩くたびに彼女の体温を意識してしまう。
右足。
左足。
柔らかい。
右足。
左足。
柔らかい。
駄目だ。
集中できない。
このままでは罠より先に、俺の理性が落とし穴へ落ちる。
「リアン」
「何?」
「もう少しだけ離れて歩けないか」
リアンが足を止める。
「さっきは寄りかかれって言ったでしょう」
「そうなんだけど」
「重い?」
「いや、軽い」
「じゃあ何よ」
説明できるか。
君の身体が、主に胸が触れるたび、30年間ほとんど女性との接触がなかった俺の脳が祭りを始める。
などと。
言った瞬間、俺が邪神への生贄にされそうだ。
「その」
言葉を探す。
「俺、女性とこういう距離で歩くのに慣れてない」
言ってしまった。
リアンがまばたきをする。
「そうなの?」
「そうだ」
「意外ね」
「何が?」
「顔は悪くないし、強いし、女性には慣れていると思った」
顔は悪くない。
強い。
女性には慣れている。
3つのうち、最後だけが完全な誤情報だった。
このイケメンの中身は、女性から業務連絡以外のメッセージが来るだけでスクリーンショットを保存する男だ。
家電量販店で女性客から、
ありがとう。助かりました。
と言われた日は、その言葉だけで3日くらい機嫌がよかった。
「まあ、いろいろあってな」
俺は遠い目をした。
「俺の周りには、女性がいなかったんだ」
「男子修道院にいたとか?」
「家電量販店にいた」
「何それ?」
「ある意味、修行場だ」
土日は戦場。
年末年始は地獄。
理不尽な返品。
終わらない品出し。
売り場を走る子供。
在庫がないと怒る客。
たしかに修行だった。
悟りは開けなかったが、笑顔で謝る技術だけは身についた。
リアンは少し考えたあと、俺の腕をつかむ力を弱めた。
「これなら平気?」
頬が少し離れる。
まだ近い。
でも、さっきよりはましだ。
「助かる」
「戦いではあんなに堂々としているのに、変なところで臆病なのね」
「戦いは身体が勝手にやってくれる」
「女性相手だと?」
「身体が勝手に固まる」
リアンが吹き出した。
小さく。
本当に少しだけ。
だが、初めて笑った。
怒鳴るでもなく。
呆れるでもなく。
普通に笑った。
「今、笑ったな」
「笑ってない」
「笑っただろ」
「ハルトが変なことを言うからよ」
「もう一回笑ってみて」
「嫌」
即答だった。
厳しい。
だが、笑うとかなりかわいい。
俺は少しだけ得をした気分になった。
俺たちはさらに奥へ進む。
通路の突き当り。巨大な扉が待ち構えていた。
扉には、複数の腕を大きく広げた邪神の姿が彫り込まれていた。
左右へ伸びた腕は、信者を迎え入れているようにも、逃げ道を塞いでいるようにも見える。
見覚えがあるような気はする。
だが、さすがに設定の細部までは思い出せない。
中学生の頃に作ったダンジョンだ。しかも、階層や仕掛けを足したり削ったりしている。目の前の扉が初期設定にあったものなのかどうかさえ、まったく覚えがない。
「この先が会衆の間よ」
リアンが扉を見上げながら言った。
「会衆の間?」
「昔、邪神を信仰していた者たちが集まった広間。祈祷や儀式を始める前に、信者たちが身を清めていたと伝えられているわ」
なるほど。
説明を聞けば、そんな設定を作ったような気もしてくる。
ただし、本当に思い出したのか、リアンの話を聞いて記憶を捏造しているだけなのかはわからない。
「この広間を抜けた先に、第五階層へ続く階段があるはずよ」
「あるはず?」
「これまで、第五階層へ到達した者は一人もいないもの。階段が実在するのか、第五階層そのものが本当にあるのかも確かめられていないわ」
誰も到達していない。
それなら、この先について俺の記憶が曖昧なのも当然――ではない。
作った本人なのだから、普通は覚えていてほしい。
「それでも奥へ行くのか?」
「そのために来たのよ」
リアンは当然のように答えた。
「第五階層には邪神像があり、その手に冥輝鉄石ヴォルガサイトが握られている――そういう伝説が残っているの」
「伝説だけ?」
「そうよ。邪神像を実際に見た者はいない。ヴォルガサイトが本当に存在するという確証もないわ」
階層の存在も不明。
邪神像の存在も不明。
目的の鉱石まで伝説頼み。
そんなところへ、脱出方法すら十分に用意せず入ってきたのか、このエルフっ子は。
「……また何か言いたそうね」
「何も言っていない」
「顔に書いてあるわ」
イケメン顔、情報量が多すぎないか。
リアンは邪神の描かれた扉へ手をかけた。
俺も反対側へ回り、石造りの両扉を押す。
見た目どおりに重い。
二人で力を込めると、腹の底へ響くような音を立てながら、扉がゆっくりと内側へ開いていった。
隙間から、湿り気を帯びた冷たい空気が流れ出す。
扉の向こうには、石柱の並ぶ広大な空間が暗闇の中へ沈んでいた。
俺たちは周囲を警戒しながら扉をくぐり、会衆の間へ足を踏み入れた。
「広いな」
「大勢の狂信者を詰め込むための場所だもの。これくらいは普通……」
その瞬間。
背後で轟音が響いた。
振り返る。
入ってきた扉が締まり、さらに巨大な黒い石壁がその扉を塞ぐ。
「やっぱりな」
「何が、やっぱりなのよ!」
「侵入者を分断する隔壁だ」
「知ってたなら先に言いなさい!」
「今、思い出した」
「遅いわよ!」
俺もそう思う。
前へ向き直る。
今度は、左右の柱が低い音を立てて震え始めた。
石の表面に亀裂が走る。
違う。
亀裂ではない。
柱へ埋め込まれていた何かが動いている。
黒い石の腕。
巨大な肩。
顔のない頭部。
柱だと思っていたものが、ゆっくりと石畳へ足を下ろす。
1体。
2体。
左右から現れる。
全身を黒曜石のような装甲で覆った、巨大な石造兵。
高さは3メートル近い。
片方は大剣。
もう片方は、巨大な槌を持っている。
床が揺れる。
リアンが俺の腕から離れ、細剣を抜いた。
「祭壇の守護者よ」
「見ればわかる」
「普通の魔物とは違うわ」
「それも見ればわかる」
「魔導術は通じない」
俺は言葉を失った。
「それは見てもわからなかった」
「魔力を吸収する黒晶石で作られているの。魔導術を放っても、全部吸収されるわ」
なるほど。
魔法無効。
中学生の俺が好きそうな設定だ。
強力な魔法使いを苦戦させるためには、魔法が効かない敵を出せばいい。
発想が単純である。
そして今。
その単純な嫌がらせを、作者本人が受けている。
「剣で倒せるのか?」
「装甲の隙間なら。でも、あの大きさよ」
石造兵が大剣を持ち上げる。
もう1体も、巨大な槌を構える。
逃げ道は後ろの石壁に塞がれている。
左右に通路も扉もない。
前には2体の守護者。
「ハルト」
「何だ」
「さっきみたいに、神殿ごと壊すような大技はやめてね」
「わかってる」
「絶対よ」
「できるだけ努力する」
「絶対って言いなさい!」
大剣が振り下ろされる。
俺はリアンの腰を抱え、横へ跳んだ。
直後。
さっきまで立っていた石畳が、轟音とともに砕け散った。
俺たちは転がるように着地する。
砂煙の中で、リアンが叫ぶ。
「今、どこを触ったのよ!」
「緊急避難だ!」
「腰より下だったでしょう!」
「女性の扱いに慣れてないんだからしょうがないだろ!」
「とかいって、どさくさ紛れに変なとこ触らないで! このド変態!」
助ければ助けるほど変態ゲージが溜まっていくのは、なーぜなーぜ?
石造兵が次の一撃を構える。
魔法は効かない。
地下なので、大規模剣技も使えない。
しかも、リアンはまだ本調子ではない。
俺は傭兵の長剣を構えた。
「仕方ない」
「何か方法があるの?」
「剣だけで倒す」
「簡単に言わないで! あれは上級冒険者でも――」
石造兵が動く。
俺の目には、その動きがはっきり見えていた。
大剣の軌道。
重心。
装甲の継ぎ目。
関節。
そして、胸部の奥でかすかに光る核。
「大丈夫だ」
俺は笑ってみせる。
まだ攻略法はノープランだが、リアンにこれ以上の負担をかけるわけにはいかない。
精一杯の強がり。
「本当に?」
「たぶん」
「その言葉が、いちばん信用できないのよ!」
石造兵の咆哮が、中央祭殿に響き渡った。




