第4話 黒歴史剣技は威力過剰
「私がこの場所に来た、本当の理由は――」
リアンが言いかけた、そのときだった。
通路の奥から、地面を震わせるような咆哮が響いた。
ひとつ。
ふたつ。
続いて、いくつもの声が重なる。
暗闇に浮かんでいた黄色い目が、一斉にこちらへ向いた。
「話の腰を折るタイミングが完璧だな」
俺がつぶやくと、リアンはレイピアを抜いた。
「感心してる場合じゃないわよ!」
暗闇の奥から、グリーン・エイプの群れが姿を現した。
先ほど倒した個体より、やや小柄だ。
とはいえ、俺より頭ひとつ分は大きい。
くすんだ緑色の体毛。
異様に発達した肩と腕。
黒く湾曲した爪。
口元から伸びる牙には、乾いた血がこびりついている。
1体。
2体
3体。
次から次へと現れる。
「何匹いるんだよ」
「数えないほうがいいわ」
「数えたら実際より少ないかもしれない」
「明らかに増えてるわよ!」
本当だ。
奥からさらに追加されている。
目視できるだけで12体。
その後ろにも影がある。
どうやらここは完全に猿たちのパーティー会場になったようだ。
そして、参加者全員が俺たちを食べる気でいる。
「リアン、精霊魔法は?」
「さっき説明したでしょう。大きな術は無理よ」
「小さいのは?」
「使えるけど、この数を相手にするには足りない」
「じゃあ、剣は?」
「使えるわよ!」
リアンがレイピアを構える。
姿勢はきれいだった。
右足を半歩引き、剣先を相手の喉元へ向ける。
小柄な身体に無駄な力は入っていない。
いかにも熟練者らしい。
ただし。
膝が震えている。
「足、笑ってるぞ」
「武者震いよ」
「顔色も悪い」
「地下だからよ」
「息も荒い」
「あなたが変態だから」
「それは関係ないだろ」
非常に苦しい言い訳だった。
このまま戦わせれば、最初の1体を倒す前に倒れる。
俺はリアンの前へ出た。
「下がってろ」
「何よ、急に格好つけて」
「違う。今の君を前に出してやられたりしたら、あとで寝覚めが悪い」
「助けてくれるってこと?」
「まあ、そういうことになる」
「自信あるの?」
ない。
まったくない。
魔法は出た。
だが、剣は別だ。
前世の俺に剣道経験はない。
竹刀を握ったことすらない。
剣を持ったことなんて、修学旅行の京都で木刀を買おうかどうしようか迷ったときくらいだ。
しかし。
この身体はザインハルトだ。
本当に俺の設定どおりなら、剣術も使えるはずだ。
いや。
使えてもらわないと困る。
魔法だけで全部解決しようとすると、たぶん威力がありすぎて洞窟ごと崩れる。
「来るわよ!」
リアンが叫ぶ。
最前列のグリーン・エイプが地面を蹴った。
速い。
巨体に似合わぬ跳躍。
右腕を振り上げ、俺の頭を狙う。
避けろ。
そう思った。
その瞬間。
世界の動きが遅くなった。
グリーン・エイプの腕。
肩の動き。
爪の角度。
足の踏み込み。
視線。
呼吸。
全部が見える。
いや。
ただ見えるだけではない。
次にどこへ爪が振り下ろされるのか。
そのあと、どちらへ体重が流れるのか。
そこへ至るまでの動きが、線のように頭の中へ浮かび上がる。
「何だ、これ」
俺の身体が勝手に動いた。
半歩だけ横へずれる。
グリーン・エイプの爪が、目の前を通過する。
遅い。
いや、実際には速いのだろう。
前世の俺なら、悲鳴を上げる暇もなく頭を吹き飛ばされていた。
だが今は、爪の先まで見える。
「見える」
思わず声が漏れた。
「俺にも見えるぞ……」
そこで言葉を止める。
危ない。
これ以上は、どこかの赤い人に怒られる。
俺は長剣を振った。
狙うのは、無防備になった胴体。
刃が緑色の体毛へ食い込む。
鈍い感触。
そのまま振り抜く。
グリーン・エイプの巨体が横へ吹き飛んだ。
岩壁へ激突し、そのまま動かなくなる。
「おお」
倒した。
普通に倒した。
技名も叫んでいない。
魔法陣も出ていない。
それなのに、俺は剣で怪物を倒した。
「すごい……」
背後でリアンが息をのむ。
もっと言って。
褒められ慣れていないので、一回では足りない。
「ねえ、もう一回言ってくれる?」
「もう! 今はそれどころじゃないでしょう!」
ごもっともだった。
残りのグリーン・エイプが一斉に吠える。
仲間を倒されたことで、怒りに火がついたらしい。
左右へ散る。
2体が正面。
3体が壁を走る。
さらに1体が天井へ飛びついた。
「連携するのかよ!」
「群れで狩る魔物だもの!」
「そういう設定にした覚えがある!」
「だから設定って何なのよ!」
返事をする余裕はなかった。
正面の2体が同時に迫る。
俺は剣を振る。
1体の腕を受け流し、その勢いを利用して身体を回転させる。
もう1体の喉へ刃を通す。
血が飛ぶ。
頬や腕に飛び散ってくる。生き物の血液は熱い。
生々しい。
ゲームではない。
実際に生き物を斬った。
一瞬、身体が固まる。
その隙を狙って、壁を走っていた個体が飛びかかってきた。
「ハルト!」
リアンの声。
俺は反射的に剣を上げる。
爪と刃がぶつかった。
火花が散る。
重い。
腕が沈む。
だが、耐えられる。
前世なら、腕ごとへし折れていた。
今の身体なら押し返せる。
俺は歯を食いしばり、剣を跳ね上げる。
魔物の腕が大きく開く。
そこへ回し蹴りを叩き込んだ。
鈍い音。
グリーン・エイプの巨体が浮く。
「俺強っ!」
自分でやっておきながら驚いた。
蹴りでゴリラを浮かせた。
前世の俺は、スーパーの袋を片手で持っているだけで腕がしびれる男だったのに。
異世界転生。
すごい。
筋トレを一切せずに、理想の肉体を手に入れた。
フィットネス業界が崩壊する。
だが、喜んでいる暇はない。
天井にいた個体が降ってくる。
俺は後ろへ跳んだ。
思った以上に身体が飛ぶ。
3メートルほど後方へ着地した。
「跳びすぎだろ!」
「自分で跳んだんでしょう!」
リアンが叫ぶ。
そうだが。
自分の身体の性能がわからない。
アクセルを軽く踏んだつもりが、いきなり時速200キロ出るスポーツカーのようなものだ。
しかも俺は無免許。
事故る未来しか見えない。
グリーン・エイプたちが間合いを詰める。
1体ずつ相手にしていたら、きりがない。
ならば。
まとめて倒すしかない。
そう思った瞬間。
頭の中に、また言葉が浮かんだ。
剣技の名前。
中学生時代の俺が、魔法名に負けないくらい全力で考えた必殺技。
長い。
無駄に長い。
そして恥ずかしい。
いや。
だめだ。
これはだめだ。
さっきの魔法より、さらにだめだ。
「ハルト、来るわよ!」
リアンの声。
グリーン・エイプの群れが同時に飛びかかってくる。
しかし、選り好みしている暇はない。
俺は剣を両手で構えた。
足を開く。
腰を落とす。
なぜか身体が、技を放つための姿勢を知っている。
言え。
言えば出る。
たぶん。
しかし、恥ずかしい。
死ぬほど恥ずかしい。
でも言わないと死ぬ。
究極の選択だった。
「ええい、もうどうにでもなれ!」
俺は剣を大きく振りかぶった。
「邪王滅黒崩天斬――ネクロ・フェイタル・カルヴァート!」
叫んだ。
人生で二度目の黒歴史朗読である。
黒い光が剣へ集まった。
刃の周囲で、空間がゆがむ。
次の瞬間。
俺が剣を振り下ろすより先に、巨大な黒い斬撃が放たれた。
半月型の衝撃波。
いや。
そんなかわいいものではない。
黒い壁だった。
通路いっぱいに広がった闇の刃が、グリーン・エイプの群れを飲み込む。
魔物たちの姿が、一瞬で黒い光の中へ消えた。
轟音。
空気が爆発する。
地面が裂ける。
壁が砕ける。
天井から岩が落ちる。
「うわあああっ!」
「きゃあああっ!」
俺とリアンの悲鳴が重なった。
黒い斬撃は魔物を消し飛ばし、そのまま通路の奥へ突き進む。
岩壁。
石柱。
何かの扉。
まとめて全部を切断する。
かなり遠くで、巨大なものが崩れる音がした。
しばらくして。
静寂が戻った。
俺は剣を振り下ろした姿勢のまま、固まっていた。
目の前にグリーン・エイプはいない。
1体も残っていない。
代わりに。
通路の片側がなくなっていた。
本来なら壁があった場所に、巨大な裂け目ができている。
その向こうには、別の空間らしき暗闇が見えた。
天井から小石がぱらぱら落ちる。
「……」
「……」
俺もリアンも何も言わなかった。
言えるはずがない。
最初に口を開いたのは俺だった。
「やばい」
リアンは腰を抜かしていた。
地面に座り込み、口を開けたまま俺を見ている。
「やりすぎた」
「やりすぎたって……」
「思ったより、ちょっと威力が強かった」
「ちょっと!?」
リアンの声が裏返る。
「壁がなくなったのよ!」
「見ればわかる」
「神殿まで切れてるかもしれない!」
「そこまではいってないと思う」
「何を根拠に!」
「根拠というか、願望」
「最低!」
俺はこめかみに指を当てる。
思い出した。
この技。
ザインハルトが物語の中盤で、敵軍の要塞を城壁ごと切断するために使う技だった。
対人用ではない。
対軍用。
いや。
対要塞用である。
そんなものを、地下洞窟の狭い通路で使った。
電子レンジで卵を温めるより危険だ。
「だいたい技名からして強そうだったじゃない!」
リアンが怒鳴る。
「自分でつけた名前と威力を覚えてなかったんだよ!」
「自分で?」
「いや、今のなし」
危ない。
また余計なことを言った。
リアンは立ち上がろうとする。
だが、足に力が入らず、再び座り込んだ。
「もう……何なのよ、あなた」
「俺も知りたい」
俺は剣を見る。
刃こぼれひとつない。
剣技というよりは「気」のようなものだから、刃にはダメージがないわけだ。
ザインハルト。
本当に強い。
強すぎる。
中学生の俺が、加減というものを知らずに能力を盛った結果だ。
その力を今の俺が使っている。
これはチートではない。
危険物の無免許運転である。
「次からは、もっと普通の技にする」
俺が言うと、リアンは青ざめた顔でこちらを見た。
「今のより普通じゃない技が、まだあるの?」
「たぶん、いっぱい」
「絶対に使わないで!」
「それはまあ、状況によるかもしれないし、失敗から学ぶべきことはいろいろと……」
「使わないで!」
強く念を押された。
まあ、当然である。
敵を倒すたびにダンジョンが崩壊していたら、最深部へ着く前に生き埋めになる。
俺は周囲を見回した。
魔物の気配は消えている。
ただし、さっきの轟音を聞きつけて、別の何かが来るかもしれない。
「移動しよう」
俺はリアンへ手を差し出した。
「立てるか?」
リアンは俺の手を見る。
それから、少し迷って手を伸ばした。
細い指が触れる。
柔らかい。
女性の手だ。
前世を含めても、こんなふうに女性の手を握った経験はほとんどない。
高校時代のフォークダンス以来かもしれない。
あれも相手が露骨に嫌そうな顔をしていたので、実質ノーカウントである。
「何で固まってるの?」
リアンが怪訝そうに尋ねる。
「いや」
「手、震えてるわよ」
「戦闘の余韻だ」
「さっきまで平気だったでしょう」
鋭い。
俺は平静を装い、リアンを引き起こす。
思ったより軽い。
そのまま勢い余って、リアンの身体が俺の胸元へ飛び込んできた。
「わっ」
「おっ」
彼女の金色の髪がふわりと舞い上がり、軽く顔に触れる。
甘い匂いがした。
リアンの額が、俺の胸へ当たる。
数秒。
時間が止まった。
俺の頭の中だけで。
「ご、ごめん」
俺が言う。
声が裏返った。
リアンがゆっくりと顔を上げる。
近い。
エメラルド色の瞳。
白い肌。
金色のまつげ。
「ハルト」
「はい」
「離して」
「はい」
俺は即座に手を離した。
リアンがよろめく。
慌ててまた支える。
「離したら倒れるじゃない!」
「離せって言っただろ!」
「抱きしめるのはやめて、支えてってことでしょ! 加減しなさいよ!」
難しい。
女性との距離感も。
この身体の力加減も。
何もかも難しい。
せっかく最強の肉体へ転生したのに、中身が30歳童貞フリーターでは台無しだった。
俺はリアンの肩を支えながら、崩れた通路の奥を見る。
黒い斬撃が壁を壊したことで、本来とは違う道ができている。
遠くに、人工的な石造りの柱が見えた。
洞窟ではない。
神殿だ。
「リアン」
「何?」
「もしかして、あれが第四階層じゃないか?」
リアンも暗闇の向こうを見る。
目を細める。
「黒い石柱……あれは神殿の外壁よ」
「つまり」
「道を壊して、階層をひとつ飛ばしたみたいね」
俺は少し考えた。
「近道できたな」
「喜んでいいのかしら」
「結果がよければ、だいたいよし」
「適当ね」
「準備不足の人が言うかね」
思いっきり脚を踏まれる。
「痛っ」と反射的に言ってみたけどリアンが軽すぎて痛くなかった。
むしろ可愛い。
「あなたと一緒にいると、命がいくつあっても足りなさそう」
リアンが大きくため息を付く。
「大丈夫だ」
「何が?」
「俺も同じことを思ってる」
「他人事!」
俺たちは、破壊された壁の向こうへ視線を向けた。
そこには、本来なら第三階層を抜けた者だけがたどり着けるはずの、黒い地下神殿が口を開けていた。




