第16話 黒騎士容疑で宿代無料
剣を収めた俺たちは、取調室として使われている小部屋へ移動した。
部屋の中央には、向かい合わせに置かれた椅子と長机。
窓は小さく、扉は分厚い。
いかにも秘密の話をするための部屋という雰囲気である。
ただし、机の上には湯気を立てるティーポットと、人数分のカップが並んでいた。
拷問器具ではない。
紅茶である。
俺が騎士団十数人を吹き飛ばし、扉を一枚破壊した直後とは思えない優雅さだ。
オルセリアが上座へ腰を下ろす。
その右隣にモルディアーノ。
少し離れた場所に、左目を青く腫らしたダリオ。
俺とリアンは向かい側へ座った。
騎士が新しいティーカップを俺の前へ置く。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
反射的に頭を下げてしまった。
さっきまで剣を向け合っていた相手に紅茶を出されると、どういう態度を取ればいいのかわからない。
異世界の礼儀作法、難しすぎる。
「まったく」
壁際に座ったダリオが、腫れた目元を押さえながら小言を漏らした。
「我がベルネック商会が大枚をはたいて精霊界より持ち帰った、希少なネバーズランディッシュのはちみつだぞ。あれほど透明で芳醇な甘味を拒むとは、これだから無粋な者どもは」
ネバーズランディッシュ。
その名前を聞いた瞬間、記憶の奥に埋もれていた設定が蘇った。
精霊界の深部に咲く、淡い銀色の花。
鈴蘭によく似ているが、ウンディーネの泉におちる月光でのみ育つ花。
そこから採れる蜜は、月光を溶かしたような白金色をしている。
ほんの一滴で香りが広がり、高級品として王侯貴族に珍重される。
たしか、そんな設定だった。
中学生の俺は、はちみつ一つにも無駄に細かな設定をつけていた。
「最初にいらないって断ったのよ」
リアンが紅茶の香りを確かめながら言った。
「それなのに、しつこく入れようとするから、その手を払いのけようとしたの」
「払いのけようとした?」
「そうよ」
「それで、なんで副団長の左目が青く腫れてるんだ?」
「不思議よね」
リアンは淡々と紅茶を味わいながら続ける。
「払いのけようと伸ばした手が、なぜか途中でグーになって、あの人の顔に伸びていったの」
お前、それ確信犯じゃねーか。
「偶然よ」
遠慮がないときは、本当に遠慮がない。
やだ、この子怖い。
なるべく怒らせないようにしよう。
すでに何度も怒らせている気はするが、今後はより一層気をつけたい。
「では、本題に入りましょう」
オルセリアが机の上で両手の指を組み、身を乗り出す。
声音は落ち着いているが、先ほど俺に抱き止められたことも、団長だと気づかれなかったことも、まったく許していない顔だった。
「我々はローグナットへ到着した後、断絶の神殿に関する聞き込みを行いました」
まっすぐな視線が、俺とリアンへ向けられる。
「怪光が観測された日の翌朝、神殿方面から意識を失った男と、エルフの娘が運ばれてきた。町へ入る際、その姿を見た者が複数います」
意識を失った男。
俺だ。
記憶にございませんが、間違いない。
「その後、武器屋の店主からも証言を得ました」
オルセリアの眼光が射抜くように俺へ刺さる。
「見たこともない技量を持つ剣士が店を訪れた、と」
「へえ。そんな人が」
「姓は名乗らず、物腰は穏やか。しかしその剣筋は一流。店主はその異様さが際立つ男をよく覚えていた」
「その人が怪しいじゃないか」
「名はハルト。それしか名乗らなかったそうだ」
「俺じゃん」
名乗るんじゃなかった。
武器屋のおやじ、なんでそんなことまで騎士団に話してるんだよ。
客の個人情報を簡単に漏らしていいのか。
この世界には個人情報保護法がないらしい。
「店主によれば、貴殿の剣さばきは剣豪を軽く凌ぐほどだと」
「ちょっと触っただけです」
「どれほどの技量を持つかについては」
モルディアーノが低い声で続けた。
「我々白耀騎士団が、その身をもって、たった今しがた知ることになったがね」
階下から、壊れた扉を動かす音が聞こえてくる。
気まずい。
「室内での多対一。相手は重装備の騎士。軽装の貴公にとって、決して有利な条件ではなかったはずだ」
モルディアーノは俺の剣と身体を静かに観察している。
「王国随一の精鋭だと自負する我々が、たった一人の剣士に突破された。その事実は揺るぎようがないのではないか?」
「いや、たまたまですよ」
「たまたま?」
オルセリアの眉がひくりと動く。
「運がよかっただけです」
その瞬間、向かい側から冷たい圧力を感じた。
オルセリアが笑っている。
口元だけで。
「ほう」
「え?」
「運で私の剣戟を抜けたと?」
「い、いや、そういうわけでは……」
「私が幼い頃より積み重ねてきた鍛錬。その結晶を、貴殿ごときの幸運だけで容易く退けたと?」
貴殿ごとき。
きっつい。
このお姉様、きっついよぉ。
「ほう。ほうほう」
怖い。
笑っているのに、ものすごく怖い。
「ただのラッキーで、私の三段突きをすべて受け流した。なるほど。私の剣は、幸運一つでどうにでもなる程度のものだったらしい」
「ち、違いますよ。団長さんの剣は、すごく速かったです」
「ほう。では、そのすごく速い私の剣を見切った貴殿は、それよりもっと速いと。どうだ、すごいだろう。チョロかったよ団長さん、ということですね?」
逃げ道がない。
この人、剣より言葉のほうが鋭いんじゃないか。
「抑えてください、団長」
モルディアーノが静かに口を挟んだ。
「今は個人の技量について競い合っている状況ではありますまい」
「……わかっています」
オルセリアが不満そうに頬を膨らませた。
ちょっとかわいい。
さっきまで王国最強の騎士団を率いる威厳ある女団長だったのに、急に年相応の顔になった。
「なにデレデレしてんのよ」
横から肘で小突かれた。
「してないって」
「団長がオルセリアさんだって知ってから、ずいぶん鼻の下が伸びてるじゃない」
「伸びてないですぅ。真面目に聞いてますぅ」
「さっきは人のことを嫁だとか言って、助けに飛び込んできたくせに……」
あれ?
これは。
もしかして妬いている?
30歳にして、人生初のヤキモチ妬かれる体験では?
詳しく聞こうじゃないか。
「リアン、今の発言なんだが――」
「だいたい!」
俺の淡い期待を踏みつぶし、リアンは机へ両手をついた。
そのままオルセリアを睨む。
「あんな横暴な職務質問が許されると思っているの?」
話の方向が変わった。
俺の人生初ヤキモチ疑惑は、一秒も経たずに保留となった。
リアンは昨日のうちに、ヴォルガサイトの採取に成功したことをギルドへ報告していた。
その情報を白耀騎士団が聞きつけ、事情を聞くためにやってきたという。
「入手した方法を聞かれたけど、それは詳しく言えない」
そりゃそうだ。
ヴォルガサイトを取るには、チューをしなければならない。
触れ合うとか、唇を重ねるとか、そんな遠回しな表現で誤魔化してはいけない。
チューだ。
俺とリアンは、邪神像の前でチューをした。
はい、ここ重要です。
人生初のチューが、希少な魔石を取るための解除操作だったことは、できれば考えないようにしたい。
そんな事情を、恥ずかしがり屋のエルフっ子が、見知らぬ騎士たちへ説明できるはずがない。
俺だって説明したくない。
いや、少しだけ自慢したい。
だが、チューの詳細を騎士団の調書へ残されるのは嫌だ。
後世の歴史書に、
『暗黒魔導騎士、邪神像の前にてエルフの娘とはじめてのチューをし、冥輝鉄石を得る』
などと記録されたら、たとえその後に世界を救っても恥ずかしさで死ねる。
「すると今度は、神殿に一緒に入った者がいたのか、異常な魔力や剣技を使わなかったかって聞いてきたのよ」
「それで?」
「なぜそんなことを聞くのかって問い返したら、あいつら、なんて言ったと思う?」
リアンはダリオを睨みつけた。
ダリオが気まずそうに視線を外す。
「黒騎士は人類に災厄をもたらす存在だ。発見した場合は我々の手で捕らえ、教会の厳正な異端審問にかけるべき世界の敵だって」
「それは――」
オルセリアが口を開こうとする。
「だから言ってやったのよ。ハルトはそんなことしない。何も知らないくせに勝手なことを言うな、人間風情がって!」
激怒している。
人間風情。
普段、人のこと(俺以外)について悪口なんてひとつも言わないリアンが怒っている。
エルフが本気で怒ると、種族単位で見下してくるらしい。
「そ、それで詳しい話を聞くために同行を求めたらですねぇ、彼女が暴れ始めましてぇ……」
ダリオがオルセリアに慌てて弁解した。
ああ、この人がリアンの担当だったのか。
俺は腫れ上がった左目を見る。
そりゃ、そうなるよな。
なんか、ご愁傷様です。
「同行を求めた?」
リアンが目を吊り上げた。
「無理やり引っ張っていこうとしたじゃない!」
「け、見解の相違だ。我々は騎士道精神に則って……」
「腕をつかんで引きずろうとしたのが騎士道なら、世の中の誘拐は全部ちょっとしたお出かけになるわよ!」
正論だ。
「で、そのとき、ミミルと女将さんが来たの」
リアンは悔しそうに唇を尖らせた。
「この男が、あの二人にまで『邪魔をするならお前たちもしょっぴくぞ』って言ったのよ」
それで抵抗をやめたのか。
「あの二人に迷惑をかけたくなかったし、しょうがないじゃない」
「うんうん。偉いねえ」
俺はリアンの頭を撫でようと手を伸ばした。
その手を思い切りつねられる。
「元凶はあなたでしょう!」
「確かに」
痛くはないが、リアンの悔しさはよく伝わった。
そして、さんざん暴れまわったあげくにご機嫌取るために紅茶を出した……っていう光景が目に浮かぶ。
そしてはちみつ事件。
それを聞きつけ、ハルト、いきまーす! という流れだ、きっと。
しかし、異端審問か。
設定資料や歴史の本で読んだことがある。
あと、漫画や小説でもよく題材になっていた。
異端だと疑われた人間へ、すごく痛そうな拷問の数々を行い、自白を強要するやつだ。
爪を剥がしたり。
骨を少しずつ折ったり。
熱した鉄を当てたり。
やだ。
そんなの絶対にやだ。
俺は何も悪いことをしていない。
だが、爪を一枚剥がされただけで、やってもいない罪まで全部認める自信がある。
世界を滅ぼしたのも俺です。
王様の饅頭を食べたのも俺です。
なんでも認めますから、爪だけは勘弁してください。
「問題は、ハルト殿」
モルディアーノが落ち着いた声で告げる。
「貴公が、本当に伝説の黒騎士と同等の剣技を放ったのか否かだ」
部屋の空気が変わった。
「もし、そうだったとしたら何よ」
リアンが俺を庇うように身を乗り出す。
「それだけで悪者だと決めつける気?」
「いいえ」
オルセリアは即座に否定した。
鋭い表情を少し緩め、まっすぐリアンを見る。
「そのような意図はありません」
「でも、騎士たちは――」
「騎士たちが少々横暴であったことについては、謝罪します」
オルセリアが立ち上がり、深くはないが、はっきりと頭を下げた。
「私は、調査に際して決して乱暴を働くなと厳命しました。それでも口の悪い者、権限を振りかざす者を抑えられなかった。団長である私の不徳です」
リアンも、それ以上は責められなくなったらしい。
少し拗ねた顔で椅子へ座り直す。
「ただし、調査そのものを中止することはできません」
オルセリアは再び姿勢を正した。
そして、胸元へ右手を添えた。
「大司祭様が受けた神託は、次のとおりです」
静かだった部屋が、さらに静まり返る。
オルセリアが、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「竜の血を継ぐ黒き者、断絶の地に立つ。
その剣は五界を断ち、その手は五界を結ぶ」
澄んだ声だった。
剣を握っていたときの鋭さとは違う。
よく通るのに柔らかく、言葉の一つ一つが水面へ落ちる雫のように、静かに胸へ染み込んでくる。
きれいな声だ。
思わず聞き惚れてしまった。
「ハルト」
リアンが低い声で呼ぶ。
「はい。真面目に聞いてます」
「神託の中では、その者が悪であるとも、善であるとも断定されていません」
オルセリアは俺を見る。
「救世主かもしれない。災厄かもしれない。そのどちらでもない可能性もある。それを含めて調査することが、我々の任務です」
「俺、異端審問されちゃうの?」
聞きたいのは、そこだ。
「その判断も含めて、我々に権限が委譲されています」
「される可能性あるんだ」
怖い。
「現時点で、貴殿を教会へ引き渡すつもりはありません」
「現時点では」
「今のところは」
言い換えたところで怖さは変わらない。
「我々も、黒騎士に関する調査だけを命じられているわけではありません」
オルセリアが指を折る。
「断絶の神殿の実地検分。周辺に生息する魔物の異常行動の確認。神殿崩壊の危険性調査。町と街道の安全確保。そして、神殿内に存在するヴォルガサイトの確認」
「彼らがヴォルガサイトを所持していることは、ギルドの情報提供からすでに把握しています」
モルディアーノが続けて補足する。
「つまり、断絶の神殿にはまだ多くのヴォルガサイトが存在する可能性が高い。これまで誰も入手できなかった希少な魔石が眠っているのなら、冒険者に採り尽くされる前に国益として確保したい。そのために精鋭である我々が派遣された、という意図もありそうですな」
「俺たちの分も取り上げるとか?」
「ギルドを敵に回すつもりはない」
モルディアーノは即座に答えた。
「正式な依頼に基づく回収品であれば、騎士団が手を出すことはできない。それがヴォルガサイトであろうと、ただの石ころであろうとな。王国と各ギルドの間には、互いの権限を侵さぬための不可侵な取り決めがある」
リアンは、わずかに肩の力を抜いた。
「第五階層へ到達したことも聞いています」
オルセリアが続ける。
「地上へ戻った経緯について、改めて説明していただけますか?」
「第五階層で、ヴォルガサイトを入手した直後に、不可思議な力で私たちは二人とも意識を失いました」
リアンが答えた。
「気づいたときには、神殿の外へ転移させられていた。それだけよ」
それだけ?
いやいや。
邪神像やら、下がってくる天井やら、はじめてのチューやら、いろいろあったでしょう。
思わずリアンを見る。
リアンは騎士たちからは見えない角度で、俺へ片目を閉じた。
ウィンク。
話を合わせろ、という意味らしい。
「ああ、そうです」
俺は慌てて頷いた。
「気づいたら外でした。何が起きたのか、俺にもよくわかりません」
嘘ではない。
気を失ったのは本当だ。
ただし、前後の重要な部分を大胆に切り落としているだけである。
オルセリアは俺とリアンを交互に見た。
「……わかりました。現時点では、その証言を記録しておきます」
信じてもらえたのだろうか。
微妙なところだ。
「すべてを終えるには、しばらく時間が必要です」
オルセリアは言った。
「その間、二人には宿屋で待機していただきます」
「それはできない」
俺は即答した。
オルセリアの眉が寄る。
「なぜです?」
「金がないからだ」
「……は?」
「働かないと宿代を払えない」
俺は真剣である。
異世界へ来た直後に世界の命運へ関わるような疑惑を向けられているが、手元の所持金問題も同じくらい切実なのだ。
オルセリアが長く息を吐いた。
今日だけで、彼女にどれだけ不快な思いをさせちゃってるのだろうか。
「本日より、二人への事情聴取が終了するまで、宿代は白耀騎士団が負担します」
「本当に?」
「本当です」
「食事代も?」
「宿泊に必要な範囲であれば」
「やった」
「喜ぶところなの?」
リアンが呆れた顔をする。
喜ぶところだろう。
宿代無料。
異世界生活を始めて以来、初めて公的機関から福利厚生を受けられる。
「これで、町の外へ出る理由はありませんね」
「町中は?」
「日中であれば、外出しても構いません」
完全な軟禁ではないらしい。
「ただし、宿屋には騎士を一人つけます。外出する際は、必ず行き先を伝えてください」
「お目付け役みたいなものか」
「監視役です」
「柔らかく受け取ろうとした俺の努力を返して」
結局、俺たちは騎士の監視つきで宿屋へ戻されることになった。




