第15話 嫁を助けに来たら、騎士団長を間違えました
常駐兵の宿舎へ向かって走りながら、俺は白耀騎士団についての記憶を掘り起こしていた。
人間界最大の国家、神聖王国アルヴァレス。
その王国最強の騎士団として設定したのが、王立白耀騎士団だ。
王都と王族を守護する精鋭。
所属するだけでも一流。
その中でも上位の騎士ともなれば、冒険者の階級でいうアールム級以上に匹敵する。
そして、その団長は――。
「デーリック・ロゥ・モルディアーノ」
走りながら、俺は名前を口にした。
間違いない。
渋い顔をした、頼りになるおっさんだ。
寡黙。
実直。
人望が厚い。
立っているだけで周囲が勝手に静かになる、ザ・騎士団長という風貌。
主人公レヴァンの仲間にこそならないものの、物語の要所で何度も助けに現れ、その風格と剣技で若き主人公を導く主要人物の一人だ。
つまり、話せばわかるタイプだ。
なぜモルディアーノが黒い騎士のことを知り、リアンを連行させたのかはわからない。
だが、彼ならザインハルトについて何か知っているかもしれない。
レヴァンについても。
俺が作った物語と、この世界がどこまで一致しているのか。
その答えに近づける可能性もある。
まあ、それはリアンの無事を確認してからだ。
まずは、誤解でひどい目に遭っていないことを祈るしかない。
宿舎の前に着く。
石造りの二階建て。
入口には槍を持った衛兵が二人立っていた。
「止まれ!」
俺が近づくと、二本の槍が交差して道を塞いだ。
「ここにエルフの娘が連れてこられたはずだ。通してくれ」
「何者だ、貴様」
「関係者だ」
言ってから、少し弱い気がした。
「保護者……ではないな」
リアンは俺よりずっとこの世界に詳しい。
むしろ俺が保護されている。
「旦那に間違えられたことのある男だ」
「何を言っている?」
衛兵の顔が露骨に険しくなった。
すまない。あまりに嬉しくって自慢したくなったんだ。
「名前は」
「ハルトだ」
衛兵の一人が、わずかに表情を変えた。
もう一人へ視線を送り、そのまま建物の中へ入っていく。
「ここで待て」
残った衛兵が槍を構え直す。
待てと言われれば、待つしかない。
相手は王国の兵士だ。
いきなり揉め事を起こす必要は――。
「いやぁぁぁっ! それだけはやめてぇ!」
建物の奥から、リアンの悲鳴が聞こえた。
か細い。
切羽詰まっている。
間違いなく、リアンの声だった。
「リアン!」
反射的に扉へ向かう。
衛兵が前へ出た。
「待て! 許可なく立ち入ることは――」
「どけ」
肩をつかまれた。
俺はその腕を掴んで振り払っただけのつもりだった。
だが、感情が高ぶっていたせいか、余計な力が入ってしまった。
ザインハルトの身体にとって、その余計な力は、人間一人の制止では軽すぎる。
衛兵の身体が横へ流れ、そのまま扉へぶつかった。
蝶番が弾ける。
分厚い木の扉が、衛兵ごと建物の中へ吹き飛んだ。
「あ」
やった。
町中で初手から公務執行妨害および器物損壊である。
異世界へ来てから、社会復帰どころか犯罪者への道を順調に進んでいる気がする。
だが、今は後悔している場合じゃない。
俺は壊れた入口から宿舎へ飛び込んだ。
「何者だ!」
「侵入者だ!」
一階の広間にいた騎士たちが一斉に声を荒げて立ち上がる。
10人以上。
白銀の甲冑。
剣。
盾。
入口を塞ぐように散開する。
俺は室内を一瞬で見渡した。
机。
椅子。
詰所。
廊下。
リアンはいない。
声は上から聞こえた。
二階だ。
「通してくれ。人を捜している」
「これ以上は行かせんぞ、狼藉者!」
騎士たちが剣を抜いた。
鞘走りの音が重なる。
仕方なく、俺もミスリルソードを抜く。
もちろん、人を斬る気はない。
騎士たちが前へ出た。
一人目。
右上からの斬り下ろし。
遅い。
剣の腹で軌道を逸らす。
相手の切っ先が床へ落ちた瞬間、肩口へ軽く剣の腹を当てる。
斬らない。
ただ、衝撃だけを通した。
「ぐっ!」
騎士の身体が横へ弾かれ、隣の机へ倒れ込む。
二人目が左から踏み込む。
盾を前へ出し、その陰から突き。
実戦的だ。
俺は半歩だけ身体をずらし、突きを避けた。
盾の縁へ剣を滑らせる。
力の向きを変える。
騎士は自分の勢いを殺せず、前へよろめいた。
その背中を柄で押す。
床を滑り、椅子の山へ突っ込んだ。
「囲め!」
左右から三人。
グリーン・エイプの群れに比べれば遅い。
本当に止まって見える。
彼らは重い甲冑を着込み、防御力と一撃の重さを優先している。
正面から魔物とぶつかるには適した装備だろう。
だが、ザインハルトの速度を捉えるには重すぎる。
俺は一人目の剣を受け流す。
その剣を利用し、二人目の剣へぶつける。
金属音。
二人の体勢が同時に崩れた。
その間を抜け、三人目の胸部装甲へ剣の腹を打ち込む。
殺意は込めない。
剣圧だけを叩きつける。
騎士の身体が浮き上がり、後ろの二人を巻き込んで倒れた。
「化け物か……!」
違う。
今のところ、ただのフリーターです。
いや、今後は冒険者になる予定だ。
そろそろ自分の職業くらい決めないとな。
背後から剣気。
振り返らずに剣を立てる。
甲高い音とともに、振り下ろされた刃が止まった。
俺は身体をひねる。
相手の剣を外へ流し、手首を返す。
切っ先を首元へ止めた。
「ひっ!」
騎士の顔が強張る。
「邪魔をするな」
低く告げる。
自分でも驚くほど、声に迫力があった。
ザインハルトの顔と声で言うと、俺の脅しでも立派な悪役に聞こえるらしい。
騎士たちが動きを止める。
その隙に階段へ走った。
派手な剣技は使えない。
魔導術も論外だ。
邪教の神殿ならともかく、町中で蒼天の聖焔など放てば、リアンを助ける前に宿舎ごと消し炭にしてしまう。
使える技の中に、町中でも安心して撃てる小規模なものはなかっただろうか。
思い出せない。
中学生の俺は威力と名前の格好よさばかり考えていた。
市街地での安全性など、考慮したことがない。
これも、なんとかしないとな。
二階へ駆け上がる。
室内には三人の騎士がいた。
一人は壁際で、ひどく怯えている。
左目の周囲に、大きな青痣。
剣へ手を伸ばす気配すらない。
あれは、おそらくダリオ・ベルネックだろう。
資料の記憶は曖昧だが、顔を見ればわかる。
見るからに軽薄。
見るからに小物。
そして見るからに、リアンに殴られそうな顔をしている。
取るに足らない。
俺が視線を外した瞬間、銀色の光が走った。
速い。
一人の女騎士が抜刀し、そのまま間合いへ入ってくる。
最初の突きは右肩。
二撃目は左腕の付け根。
三撃目は胴。
ほぼ同時に見える三段突き。
殺すためではない。
両腕の自由を奪い、最後に身体の中心を崩す狙いだ。
的の大きな部分を確実に狙う。
剣技の基本。
いや、俺は『ファンタジー大百科』で読んだだけだけどね。
やるな、このお姉さん。
一撃目。
剣先をわずかに傾けて逸らす。
二撃目。
半身になり、肩の横を通す。
三撃目。
ミスリルソードの鍔元で受け、円を描くように外へ流した。
女騎士の目が見開かれる。
暗黒の魔導騎士が持つ「見切り」スキル。
その感覚を越える速度など、そうそうない。
俺は剣を返さない。
反撃すれば、この人を傷つける。
流された勢いで、女騎士の身体が前へ傾いた。
彼女の足が滑る。
「っと」
倒れそうになった腰を、空いた腕で抱き止めた。
軽い。
甲冑を着ているのに、驚くほど軽い。
俺はそのまま身体を起こし、彼女の両足が床へついたことを確認してから手を離した。
「危ないですよ」
言っている場合ではない。
相手は俺を斬ろうとした人である。
女騎士の頬がわずかに引きつった。
怒っている。
当然だ。
俺はすぐに視線を奥へ向けた。
いた。
突き当りのドアの横、一人の男が立っている。
鍛え上げられた体格。
飾り気のない鎧。
落ち着いた眼差し。
威厳たっぷりの風貌。
俺と視線を合わせてから、静かに剣を抜いた。
デーリック・ロゥ・モルディアーノ。
間違いない。
これが団長だ。
俺は床を蹴った。
一気に距離を詰める。
モルディアーノは動かない。
剣を構えたまま、こちらの目を見ている。
俺は頭上からミスリルソードを振り下ろした。
もちろん斬るつもりはない。
相手も反撃してこなかった。
刃と刃が交差する。
金属音が廊下へ響いた。
互いの剣が、相手の肩口へ届く直前で止まっている。
これは挨拶だ。
少なくとも、俺はそう判断した。
お互いに、相手を斬るつもりがない。
周囲を止め、話をするための行動だと理解している者同士の挨拶。
剣士同士には、こういう文化もある。
と、『ファンタジー大百科』に載っていた。
「どうも、団長さん」
俺は剣を合わせたまま言った。
「うちの嫁がお世話になってます」
「誰が嫁よ!」
横のドアが勢いよく開き、聞き慣れたツッコミの声が飛んできた。
次の瞬間、脇腹へ強烈な飛び蹴りを受けた。
「うおっ」
痛くはない。
だが、不意を突かれて数歩よろめく。
振り返る。
「……リアン?」
無事だった。
普通に立っている。
隣の小部屋が彼女の背後から見える。
中には机と椅子があり、取調室として使われているようだった。
拷問部屋とかではない。
とりあえず、一見して傷などがないようなので安心する。
「人がいないところで、変なこと言いふらさないで!」
「あれ? でも、悲鳴が……」
「悲鳴?」
リアンは首を傾げた。
「ああ、さっきのアレね」
なにかを思い出し、小部屋へ戻ると、紅茶の入ったティーカップを持ってきた。
「せっかくの上質な茶葉なのに、はちみつを入れて台無しにしようとしたのよ」
そして壁際の男を指差した。
「だから、そこの変な顔の人を殴っちゃった。ごめんなさい」
「変な顔……」
ダリオが涙目になった。
左目の痣は、それか。
たしかに悲鳴は聞こえた。
ただし、リアンの身に危険が迫った悲鳴ではなかった。
紅茶にはちみつを入れられそうになったエルフの、魂の絶叫だった。
「無事だったのか……」
全身から力が抜ける。
リアンが、少しだけ目を見開いた。
「まさか……私を助けに来たの?」
「ミミルと女将さんが、強引に連れていかれたって言うから」
「ああ……」
リアンの視線が泳ぐ。
「そ、それは話すと長くなるやつね……」
なにかやらかしたときの反応。
嫌な予感がする。
「いや、むしろ話は簡単になった」
低く、太い声が響いた。
モルディアーノが剣を鞘へ収める。
「ハルト殿とお見受けする。どうか貴公も、剣を収めていただけるかな」
威厳がすごい。
バイト時代なら、反射的に直角のお辞儀をしていたところだ。
店長ではない。
エリアマネージャーでもない。
社長クラス。
いや、もはや創業者レベルの威厳である。
設定では、たしか35歳。
え。
俺の五つ上で、この貫禄?
すごくない?
同じ三十代でも、俺はここに来る前まで家電量販店で値札を貼っていた。
人間は五年でここまで差がつくものなのか。
俺はミスリルソードを鞘へ戻した。
「すみません。リアンの悲鳴を聞いて、気が動転してしまって」
階下で倒れていた騎士たちが階段にひしめきあって登ってくる。
「誰も斬るつもりはありませんでした」
「剣圧でわかる」
モルディアーノが頷いた。
「貴公の剣先には、最初から殺意がなかった。倒された者にも、大きな怪我はないだろう」
周囲の騎士たちが、呻きながら身体を確認している。
自分たちが誰一人として切り傷を負っていないことに驚いているようだった。
「それに、先ほどはブラジネット団長が転倒するところを支えてくれた」
「あ、やっぱり気づくんですね。さすが団長――」
途中で言葉が止まった。
「……ブラジネット団長?」
「さよう」
モルディアーノが静かに答えた。
「勘違いしているようだが、私は団長ではない」
俺はゆっくりと横を見る。
先ほど三段突きを放ち、俺に抱き止められた女騎士が立っている。
白銀の甲冑。
純白の外套。
青みがかった長い黒髪。
鋭く、澄んだ蒼い瞳。
「神聖王国アルヴァレス王立白耀騎士団の団長は、こちらのオルセリア・ブラジネット卿だ」
「え?」
誰?
いや、目の前にいる人なのはわかる。
そうではなくて。
俺の設定に、こんな人いたっけ?
オルセリアは俺より少しだけ背が低い。
ということは、女性としてはかなり高身長だ。
見た目は二十代半ばくらい。
俺より少し年下か。
ただし、ザインハルトの年齢設定と比べれば、お姉さんかもしれない。
ややこしい。
転生すると、女性を年上と呼ぶべきか年下と呼ぶべきかまでわからなくなるのか。
まあ、それはともかく。
美人だな。
かなり。
その美人が、ものすごく怖い顔で俺を見ている。
俺はさっき、この人を片腕で抱き止めた。
しかも本人の目の前で、別の男を団長扱いした。
怒る要素しかない。
オルセリアはゆっくりと剣を鞘へ収めた。
「順を追って話しましょう」
声音は落ち着いている。
だが、目はまったく笑っていない。
「まずは、貴殿が破壊した扉と、倒した騎士たちについて」
「そこからですか」
「当然です」
異世界へ来て数日しか経ってないのに、俺は王国最強の騎士団長と敵対してしまったようだ。
原因は、紅茶にはちみつを足されるのを拒否したエルフっ子の悲鳴だった。




