第11話 ドジっ子メイドの秘密
翌朝。
扉を叩く音で目を覚ました。
「ハルト。起きてる?」
リアンの声だ。
「まさに今、起こされたよ。どうぞ」
返事をしながら、ベッドからのそのそと起き上がる。
扉が開き、紙袋を抱えたリアンが入ってきた。
昨日と同じ、焼き立てのパンの香りが部屋へ広がる。
「朝ごはん」
「買ってきてくれたのか?」
「ついでよ」
リアンは、いかにも大したことではないという顔で紙袋をテーブルへ置いた。
中には丸いパンと、昨日も食べたピロシキのような肉詰めパンが入っている。
「言ってくれれば、一緒に買いに行ったのに」
「べ、別にいいわよ。ついでだし」
ついで。
便利な言葉である。
買い物へ行くついでに、隣の部屋にいる男の好みを覚えていて、昨日と同じパンを選び、焼き立てのうちに届ける。
かなり手間のかかったついでだ。
「昨日、おいしそうに食べてたから……」
ぼそりと付け加える。
やさかわいい!
このエルフ、やさかわいいぞ!
「何よ」
「いや、なんでもない」
「顔がうるさい」
また顔に出ていたらしい。
イケメンの顔面、情報漏洩が激しすぎる。
俺は椅子に座り、肉詰めパンへかぶりついた。
今日もうまい。
香ばしい生地。
肉汁。
少し辛みのある香草。
朝から食べるには重い気もするが、エネルギーを欲する若い身体にはちょうどいい。
リアンは向かいの椅子へ座った。
自分の分は、丸いパンがひとつだけだった。
「それだけ?」
「エルフは少食なのよ」
「昨日の晩飯、がっつり食べてなかった?」
リアンの足が動いた。
鋭い前蹴りが飛んでくる。
椅子ごと身体を引いて避けた。
「危なっ!」
「た、食べすぎたから、今日は節制してるんでしょう! それくらい気づきなさい!」
「気づけるか!」
そんな乙女心に気づける男なら、30歳まで童貞やってない。
「豆の煮込みがおいしかったのよ!」
「頼んでない料理を俺が引き取ったとき、『甘いんだから』ってツンツンしてたくせに、けっきょく自分も食べてたのかよ!」
「少し分けてもらっただけ!」
「皿の半分くらい消えてたぞ!」
「細かい男ね!」
プンスカしているエルフっ子を、それでもかわいいなあと愛でながら、俺は残りのパンを飲み込み、水を一口飲んだ。
「それで、今日はどうする?」
「まずは冒険者ギルドへ行ってくるわ」とリアンが答える。「ヴォルガサイトを回収したって報告しないと。依頼が完了したことも伝えなきゃいけないし」
「報酬はいくらになるんだ?」
「特級依頼だから、かなり出ると思うけど……正確な金額は知らないわ」
「知らないの?」
「依頼書には、鉱石の品質と重量によって変動するって書いてあったの」
なるほど。
現物査定か。
宝石を質屋へ持ち込むのと同じようなものだろう。
それに、たしかリアンには別の理由があったはずだ。
だから、もしかしたらヴォルガサイトの回収はメインの目的ではなかったのかもしれない。
きっとついでが好きなのだ。
「ハルトはどうする?」
「そうだな」
やるべきことはいくつもある。
自分の体力が、どこまで持つのか。
大技を使うと、なぜ意識を失うのか。
ザインハルトの剣技を、どこまで安全に扱えるのか。
確認しておかなければならない。
次もリアンが近くにいるとは限らない。
ひとりで倒れたら、その時点で終わりだ。
「試したいこともあるし、まずは武器が必要だな」
「武器?」
「あの傭兵から勝手に借りた剣は、折れたからな」
「借りたっていうか、死んだ人の剣を勝手に持っていったんでしょう」
「それで折った」
死者からの無断借用。
さらに器物破損。
言葉を選べば、かなり罰当たりである。
「返す気はあったんだよ」
「どこへ返すつもりだったの?」
「……墓前?」
「折れた剣を?」
「気持ちの問題だから」
「まったく。元気になったら減らず口が増えて困るわ」
俺は手のひらを差し出した。
「なによ?」
「というわけで、剣を買いたい。お金を貸してください」
「堂々としてるわね」
「現在の所持金、0グライスです」
「胸を張って言うことじゃないでしょう」
「でも武器は必要だ。報酬がいくらになるかわからないけど、足りない分は働いて返す」
リアンは少し考えた。
「この町だと、せいぜいミスリル製の剣くらいが最上位でしょうね」
「高そうだな」
「まあ、20グライスくらいじゃない?」
20グライス。
俺の記憶が正しければ、30万円前後。
朝食後の気軽な買い物ではない。
リアンは腰の袋へ手を入れると、金貨を一枚ずつテーブルに並べた。
一枚。
二枚。
三枚。
最終的に、金貨は二十枚になった。
「はい」
「リアンさん?」
「なによ」
「……お金がないって言ってなかったか?」
「神殿から戻ったあと、探索中に手に入れた宝を売ったのよ」
「宝?」
「普通の宝石や金細工。精霊魔法の触媒になるようなものじゃないわ。ハルトと出会う前に、洞窟を進む途中で見つけたものよ」
なるほど。
さすが上級冒険者。可愛くてもしっかりしている。
「本当に大丈夫なのか? こんなに借りちゃって」
「働いて返すと言ったのはハルトでしょう」
あまりにも当たり前の顔で言われた。
俺のことを信用してくれているのかいないのか、この子はホントによくわからん。
しかし正論である。
借りた金は働いて返す。
前世の俺が避け続けてきた、地に足のついた生き方である。
「冒険者ギルドでいくつか仕事をこなせば、すぐ返せる額よ」
「そんなに簡単か?」
「ハルトの腕なら、一瞬で返済できるわ。変態だけど、腕は確かなんだから」
「変態の称号はいつ外せるのでしょうか?」
「一生無理じゃない?」
呪いより重い。
リアンは自分のパンを口へ放り込み、立ち上がった。
「じゃあ、私はギルドへ行ってくるから」
「一緒に行かなくていいのか?」
「報告だけだもの。それに、ハルトを連れていったら説明が面倒になりそう」
それは否定できない。
記憶喪失。
暗黒魔導騎士。
正体不明。
裸で発見。
ギルド職員の胃を痛める要素しかない。
リアンは扉へ向かう。
「なにも問題なければ昼前には戻ると思う」
「了解」
扉を開けたところで、リアンが振り返った。
「変なことしないでよ」
「しないよ」
「知らない人についていかない」
「子供扱いするな」
「服を脱がない」
「脱がねえよ!」
リアンは満足そうにうなずき、さっさと出ていった。
完全に保護者である。
年下に見えるエルフから(実際年下だが)生活指導を受ける30歳。
異世界へ来ても、人間の格は上がらなかった。
俺もパンを食べ終え、借りた金貨を袋へ入れた。
よし。
武器を買いに行こう。
部屋を出て階段を下りる。
宿屋の一階では、朝の片づけが行われていた。
昨夜、料理を運んできた小さなメイドの姿もある。
栗色の髪。
少し大きめのメイド服。
両手に皿を抱え、一生懸命歩いている。
危なっかしい。
見ているだけで、こちらの心拍数が上がる。
「あっ」
案の定、足元へ落ちていた布を踏んだ。
身体が傾く。
皿が宙を舞う。
俺は反射的に手を伸ばした。
1枚。
2枚。
3枚。
落下する皿を全部受け止める。
「おお」
自分で驚いた。
ザインハルトの反射神経、食器回収にも対応可能。
要塞を破壊する剣技より、こっちのほうが日常生活では役に立つ。
少女は青ざめた顔で慌てて立ち上がる。
「す、すみません!」
「大丈夫。割れてないよ」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる。
その直後、奥から女将らしき女性の声が飛んできた。
「ミミル! 今度は何を割ったんだい!」
「わ、割ってません!」
「今度は、って言われてるけど」
「昨日は3枚だけです」
十分多い。
少女――ミミルは、俺から皿を受け取る。
「気をつけてな」
「はい!」
返事だけは、ものすごく元気だった。
ミミルが皿を抱えて奥へ消えると、恰幅のいい中年女性が姿を現した。
髪を頭の後ろでまとめ、腰には大きな前掛け。
目つきは少し厳しいが、ミミルを見送る視線には嫌味のない温かさがある。
この宿の女将だろう。
「悪かったねえ」
「いや、俺は何も」
「皿を守ってくれたじゃないか。あの子、放っとくと一日に何枚割るかわからないからね」
「昨日は3枚だけらしいですよ」
「本人は、だけって言うんだよ」
女将は大きくため息をついた。
だが、本気で怒っている様子ではない。
「コーヒーでも飲むかい? サービスしとくよ。皿を守ってくれた礼だ」
「コーヒー?」
この世界にもコーヒーがあるのか!
ありがたい。
ものすごくありがたい。
酒はそれほど飲めない。
ビールも、一杯飲めば十分。
だが、コーヒーは別だ。
豆の産地。
焙煎。
挽き方。
湯の温度。
前世では、買うのは安売りの豆でも道具だけは無駄にそろえていた。
人からは何の役にも立たない知識と言われたが、俺自身はコーヒーマニアを名乗ってもいいくらい好きだった。
異世界コーヒー。
飲んでみたい。
「ぜひ」
「座ってな」
俺はカウンターの窓際の席へ案内された。
しばらくして、厚手の陶器のカップが置かれる。
黒い液体。
湯気。
香ばしい匂い。
ひと口飲む。
深い苦み。
わずかな酸味。
土や樹木を思わせる重い香り。
マンデリンに近い。
ただし、後味には少しだけ甘い香草のような余韻がある。
「うまいです」
「そうかい?」
「かなり」
「そんな大げさな」
大げさではない。
異世界へ来て、魔法より先にコーヒー文化の存在へ感動するとは思わなかった。
俺はゆっくりカップを傾けた。
コーヒーの設定なんて、なんか書いてたか? いや、中学生のころは飲んでもせいぜいコーヒー牛乳までだ。
豆から挽いて風味を味わうブラックなんて飲めるほど渋い14歳ではなかった。
独自に発展した文化?
まあいいか。おいしいコーヒーが飲めるなら、それに越したことはない。
「ミミルちゃん、ここで長いんですか?」
俺が聞くと、女将はカウンターの布巾を動かしながら答えた。
「四年くらいになるかねえ」
「四年?」
「人界と獣界の境目で、小さな紛争があっただろう」
知らない。
だが、なんとなく相づちをうつふりをしておく。
「そのとき孤児になったらしくてね」
女将は手を止めた。
「遠征帰りの傭兵団が、ほかの避難民と一緒に連れて帰ってきたんだよ」
「傭兵団が?」
「ああ。だけど、あいつらだって旅暮らしだ。子供ひとり抱えて戦場を回るわけにもいかない」
行く先を探していたらしい。
教会。
孤児院。
商家。
いくつか当たったものの、どこも余裕がなかった。
「それで、うちに相談が来たのさ」
「引き取ったんですか?」
「可哀想ってだけじゃないよ。人手が足りなかったんだ。それに……」
女将は照れくさそうに鼻を鳴らした。
「うちは子供がいないからね。ちょうどよかったのさ」
不器用な言い方だ。
だが、優しい。
「あの子も、最初はずっと黙ってたよ」
言葉もほとんど話さず、食事を置いても、人がいなくなるまで手をつけなかった。
夜中に何度も目を覚ました。
大きな物音を聞けば、机の下へ隠れた。
それでも、馬や犬の近くにいるときだけは落ち着いたという。
「今じゃ、あのとおりさ」
奥から、何かが割れる音がした。
女将が目を閉じる。
「……あのとおりだよ」
「元気ですね」
「元気すぎるんだよ」
女将は、奥へ怒鳴る。
「ミミル! それは何枚目だい!」
「1枚目です!」
「今日は、だろ!」
会話に愛情がある。
だけど、ちゃんと厳しい。
だが、追い出す気など少しもない。
「ドジだけど、真面目に働いてくれるしね」
女将が肩をすくめる。
「動物の世話だけなら、あたしよりずっと上手だよ。馬も犬も、あの子の言うことなら聞く」
「動物が好きなんですね」
「さあねえ」
女将は少しだけ声を落とした。
「好きってだけじゃない気もするけど、本人が話したがらないことを、無理に聞く気はないよ」
俺も、それ以上は聞かなかった。
コーヒーを飲みながら、女将と話し込む。
宿のこと。
町のこと。
冒険者のこと。
下手な情報屋より、町のことに詳しい。
たぶん女将さんはこの町でも顔役のひとりなのではないだろうか。
気づけば、軽く小一時間が過ぎていた。
長居してしまった。
「ごちそうさまでした」
「今度は金を取るよ」
「もちろん」
俺が外へ出ようとしたとき、宿屋の裏から声が聞こえた。
ミミルの声だ。
誰かと話している。
「今日は、門の外へ行ってくるね」
俺は足を止めた。
「まだ傷が治ってないから。無理したら、また悪くなっちゃいそうだから」
低い鳴き声が返ってくる。
犬の鳴き声。
俺はそっと裏へ回った。
ミミルがしゃがんでいる。
向かいには宿屋の番犬。
塀の上には灰色の猫。
さらに柵の向こうから、馬が長い顔を伸ばしている。
「ポムのこと、誰にも言っちゃだめだからね」
犬が短く吠える。
「よしよし。あとでまたご飯もってきてあげるからね」
猫が鳴いた。
「あなたは駄目。昨日、厨房からお魚を取ったでしょう」
猫がそっぽを向いて、後ろ足で首の下を掻く。
馬が鼻を鳴らす。
「わかってる。ニンジンも持ってくるから」
会話が成立している。
しかも、かなり具体的に。
動物の鳴き声に対して、ミミルが適当に返事をしているようには見えない。
俺はもう少し近づこうとした。
ぱきり。
足元の小枝を踏んだ。
ミミルが勢いよく振り返る。
「あっ!」
動物たちも一斉に俺を見る。
番犬がミミルの前へ出て低く唸り声をあげる。
猫は背中の毛を逆立てる。
馬まで耳を伏せ、ミミルを庇うように顔を寄せていく。
完全にミミルを保護するフォーメーションだ。
「ご、ごめん。驚かせた?」
「お、お客さん!」
ミミルは慌てて立ち上がる。
「だ、大丈夫だよみんな。この人は悪い人じゃないから!」
その言葉に反応するように、それぞれの動物が警戒態勢を解く。
すげえ。
一流の調教師だって言葉だけで操れるもんじゃない。
「動物と話してたの?」
「ち、違います!」
「違う?」
「独り言です!」
苦しい。
かなり苦しい言い訳である。
「君の独り言を犬が聞いて、猫が返事して、馬まで会話へ参加してるように見えたってこと?」
「そうです!」
押し切る気だ。
なんてウソが下手な子でしょう。
俺は思わず吹き出してしまった。
「別にいいじゃないか。動物と話すことは、ちっとも変じゃない」
ミミルは、恐る恐る顔を上げる。
「変じゃ……ないですか?」
「ああ。俺なんて友達がいなかったから、神社の裏にいる猫と学校帰りに日が暮れるまで語り合ってたものさ」
放課後。
神社の裏。
紙パックのミルクコーヒーを飲みながら、野良猫へ小説の設定を語る高校生。
思い出したら泣けてきた。
いかん。
これはかなり悲しい過去だ。
「その猫さん、返事してくれたんですか?」
「途中から寝てた」
「でも、そばにいてくれたんですね」
優しい解釈をされた。
あの猫は単に、俺が持っていた煮干しを狙っていただけだと思うが。
ミミルが、小さな声で言う。
「わたしが動物と話してると、気味が悪いって言う人もいて……」
表情が曇る。
何かを隠している。
ただ動物が好きというだけではないのかもしれない。女将さんもそんなようなことを言っていなかったか。
だが、初対面で踏み込む話でもない。
「誰にだって好き嫌いはあるよ」
俺は言った。
「でも、それって動物に限った話じゃない。分かってくれる人もいれば、助けてくれる人もいる」
「……はい」
「俺だってそうさ。よく独り言をいって連れに変態扱いされている」
「お客さんも?」
「お客さんじゃなくて、ハルトでいいよ」
ミミルの顔が明るくなる。
「はい! ハルトさん!」
元気よく頭を下げる。
「わたしはミミルです。ミミル・ポルカ! 12歳です!」
12歳。
この年齢でフルタイム労働。
いいのか?
日本なら、労働基準法とか児童福祉法とか、そのあたりが総出で会議を始める年齢だ。
まあ、ここは異世界だ。
法律も常識も違う。
下手に前世の価値観だけで判断するのはよくない。
「よろしく、ミミル」
「はい!」
「じゃあ、ちょっと出かけてくるよ」
俺が表通りへ向かうと、ミミルは大きく手を振った。
「行ってらっしゃいませ!」
いいな。
これはいい。
家を出るときに、かわいいメイドが見送ってくれる。
異世界転生の恩恵を、ようやくひとつ受け取った気がする。
ただし12歳なので、健全な意味で。
完全にマスコット枠である。




