第10話 俺の設定にいない君と、俺の知ってる町を歩く
俺はベッドから抜け出し、窓辺に立った。
足元には、まだ少しふらつきがある。
だが、二日も眠り続けていた人間にしては、身体は驚くほど軽い。
腹は減っている。
喉も渇いている。
それ以外は、ほとんど問題がなかった。
さすがザインハルトの肉体。
中身が30歳フリーターでも、器としての肉体は強靭だ。
窓の外には、見知らぬ町並みが広がっていた。
灰色の石を積み上げた建物。
赤茶色の屋根。
細い煙を吐く煙突。
その向こうには、町を囲む高い城壁が見える。
通りには荷車が行き交い、剣や槍を背負った人間が歩いている。
どう見ても日本ではない。
夢でもない。
改めて突きつけられる。
俺は、本当に来てしまったのだ。
中学生のころに自分で考えた、恥ずかしくも壮大な妄想世界へ。
『冥府の竜帝と五大世界の崩壊史』
タイトルからして胃が痛い。
冥府。
竜帝。
五大世界。
崩壊史。
中学生男子が「格好いい単語だけを全部のせてください」と注文した結果、完成した特盛ラーメンみたいな名前である。
世界の大枠は覚えている。
この世界には、5つの「世界」が存在する。
世界といっても、別々の惑星という意味ではない。
種族。
文明。
文化。
信仰。
魔法体系。
それらが大きく異なり、互いを別世界と呼ぶほど異なる5つの巨大な文明圏だ。
人間を中心とした人界。
エルフや精霊族が暮らす精霊界。
獣人や巨人、竜人が生きる獣界。
神族や天使が住む天界。
魔族や悪魔の領域である魔界。
そして、その5つの世界の中央に冥府がある。
死者と、忘れられた神々が流れ着く場所。
その最深部には、冥府竜帝アグナ・ディオルが封じられている。
ここまでは覚えている。
細かい国名や地形は怪しい。
30歳フリーターの脳みそなんて、前の日に食べた夕飯の献立すらまともに覚えていられない。
そんな男が、15年以上前に書いた国家の税制や王家の家系図、魔鉱石の産出量まで鮮明に覚えているはずがない。
無理だ。
期待するほうが酷である。
当時の俺は、ノートの端から端まで小さな文字で設定を書き込みながら、自分だけはすべてを把握しているつもりだった。
書いた先から忘れていくくらい、ギッチギチに詰め込んだ設定資料など覚えられるはずがないのに。
しかし物語の冒頭くらいなら、うっすら覚えている。
5つの世界の均衡が崩れ始める。
精霊の力が弱まる。
神々が沈黙する。
魔族の勢力圏が広がる。
互いに原因を押しつけ合った5つの世界が争いを始め、その裏で冥府竜帝の封印が解けていく。
王道だ。
驚くほど王道だ。
だが、中学生の俺は間違いなく、
「こんな壮大な設定を思いつくのは俺くらいだ」
と悦に入っていた。
恥ずかしい。
誰か過去へ戻って、あいつの肩を優しく叩いてやってほしい。
それ、似た感じのやつ、だいたいみんな一度は思いつくぞ、と。
ザインハルトについては、かなりはっきり覚えている。
なぜなら俺が、本来の主人公よりもこいつへ異常なほど肩入れしていたからだ。
ザインハルト・フォン・ノワール。
伝説の黒騎士の血統を継ぐ、竜種と人種の混血。
蘇った黒騎士であり、畏怖の念を込めて暗黒の魔導騎士と呼ばれた存在。
人間でありながら、竜の生命力と膨大な魔力を持つ最強生命体。
冥府竜帝の庇護を受け、五大世界すべてを敵に回す危険人物。
物語の序盤から主人公の前へ立ちはだかり、何度も戦い、圧倒する。
世界を救うためには、崩壊しかけた世界を一度壊して作り直すしかない。
そんな極端な思想を掲げていた。
そして最後には、自らの出自と竜帝の真意を知り、主人公と共闘する。
昨日の敵は今日の友。
最強のライバルと肩を並べてラスボスへ挑む。
中学生男子が嫌いなはずがない。
むしろ大好物だ。鼻息を荒くしている当時の俺が思い浮かぶ。
そして、本来の主人公。
レヴァン・セイバード。
明るく、真っ直ぐで、困っている人間を放っておけない。
どれほど負けても立ち上がる。
ザインハルトが個人として最強なら、レヴァンは仲間とつながることで強くなる勇者だった。
つまり、俺が現実では絶対になれなかった人間だ。
勇気がある。
人から好かれる。
仲間を信じられる。
女の子とも普通に話せる。
最後のひとつだけでも分けてほしかった。
いや、いまさらもらっても使い道に困るか。
俺は窓枠へ手を置いた。
レヴァンはいま、どこにいる?
物語は、すでに始まっているのか。
それとも、まだ故郷の村で剣を振っているのか。
そもそも、この世界に本当に存在しているのか。
そして。
本物のザインハルトは、どこにいる?
俺がこの身体へ入ったということは、本来この世界にいるはずだったザインハルトは消えたのか。
竜帝の元で眠っているのか。
それとも、最初から存在しなかったのか。
俺と入れ替わったことで、世界設定や物語そのものに、大きな歪みが生じている可能性もある。
その影響を考えるのは、とんでもなく難しい。
バタフライエフェクトという言葉がある。
どこかで蝶が羽ばたいた小さな変化が、巡り巡って遠く離れた場所の天候や出来事へ、大きな影響を及ぼすという考え方だ。
蝶の羽ばたき程度でそれだけ世界が変わるのなら。
物語の根幹を担う超重要人物の中身が、根暗な中学生設定厨が育ちきった30歳フリーターに入れ替わった影響なんて、どれほど大きいかわかったものではない。
蝶どころじゃない。
象が羽ばたいたくらいある。
羽ばたけるかどうかは知らない。
とにかく、世界の筋書きが盛大に狂っていても不思議ではない。
リアンのことだって、俺はまったく覚えていない。
覚えていないと言うか、キャラクターとして創作していない。
もし自分で作っていたのなら、あんなに可愛いエルフっ子を忘れるはずがない。
大好物だぞ。
金髪のエルフ。
精霊剣士。
冒険者。
小柄で、口が悪くて、準備不足で、でも自分よりずっと他人のことを気にかける。
でも、俺の設定資料にはいない。
少なくとも、俺の段ボールのなかには存在しない。
だが、彼女は、
怒る。
笑う。
焦る。
強がる。
照れる。
人を助ける。
意地を張る。
俺よりもよほど人間らしい、いくつもの感情をあわせ持つ彼女が、架空のでっちあげだとは思えない。
人間じゃないけど。
エルフだけどね。
俺の記憶にないから存在しない。
そんな簡単な話ではないのだろう。
むしろ、昔の記憶を頼りすぎるのはよくないのかもしれない。
とはいえ。
段ボール一箱分の設定資料……。
あれだけは、読み返したくない。
死んでも嫌だ。
黒歴史の鉱脈を自分で掘り返すような行為である。
だが、今この状況では、あれは絶対的に欲しい宝の山でもある。
くそう。
あれほど忌み嫌っていた黒歴史を頼らなければいけない日が来るなんて、誰が想像できるか!
そんなことを考えていると、背後で扉がノックされる。
振り返る。
「どうぞ」
紙袋を抱えたリアンが入ってくる。
俺が窓辺に立っているのを見ると、わずかに表情を緩める。
「立って歩けるようになったなら、もう大丈夫ね」
「ご心配をおかけしました」
「本当よ。2日も眠り続けるなんて、普通じゃないんだから」
「美少女に看病されていたと考えれば、少し得した気もする」
「なっ……」
リアンの頬が、ほんのり赤くなる。
「べ、別に、ずっと付きっきりだったわけじゃないから。医者を呼んだり、水を替えたり、それくらいよ」
「十分優しいじゃないか」
「うるさい」
顔をそむける。
耳まで少し赤い。
優しくてかわいい。
やさかわいい。
紙袋から、焼き立てのパンが出てきた。
まだ温かい。
表面はこんがりと焼け、香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がる。
腹が盛大に鳴った。
「すごい音」
「二日分だからな」
「なにそれ」とリアンが吹き出す。
普通の丸いパンに混じって、少し大きめの揚げパンのようなものが入っていた。
半分に割ると、中には刻んだ肉と玉ねぎらしき野菜がぎっしり詰まっている。
ピロシキに似ている。
一口かじった。
肉汁と香辛料の風味が口いっぱいに広がる。
うまい。
ものすごくうまい。
「すごいうまい! なんの肉、これ?」
「さあ。お店の人は今日の肉詰めパンって言ってたけど」
「種類を聞かなかったのか?」
「おいしいんだからいいじゃない」
「たしかにそうだが……」
異世界生活一日目にして、正体不明の肉を食べることへの抵抗が消えた。
人間、腹が減ればだいたいのことは許せる。
俺は残りのパンも一瞬で平らげた。
リアンが目を丸くする。
「もう食べたの?」
「二日分だからな」
「もっと買ってくればよかった?」
「いや、いいよ。それより町を見てみたい。腹が減ったら、屋台で買い食いでもするさ」
そこまで言って気づいた。
あ。
そういえば俺、お金持ってない。
異世界における所持金。
0。
装備品。
血のついた借り物の服……も、ない。質素ながら清潔そうな普通の服を着ていた。リアンが用意してくれたのだろうか。
経済力だけなら、前世より悪化している。
「そういえば、宿代とか飯代は?」
俺が聞くと、リアンは当然のように答えた。
「ハルトのおかげで依頼が達成できたんだから、報酬は山分け」
「おお」
「宿代も食事代も、医者に頼んで着せてもらったその服もね。あとでそこから天引きしておくから。お礼を言われる筋合いはないわ」
「なるほど」
やさしい。
でも、ちゃんと金は取る。だから別にアンタのためじゃないんだからねっ!
ということか。
もう、ツンデレエルフっ子やさかわいい!
食事を終えたあと、俺たちは町へ出た。
ローグナット。
正式には、神聖王国アルヴァレス北東部に位置する辺境城塞都市。
断絶の神殿をはじめ、周辺に点在する遺跡やダンジョンを探索する冒険者たちの拠点。という設定だったはずだ。
都市と呼ぶには小さい。
村と呼ぶには大きい。
要するに中学生だった俺が『辺境城塞都市』という漢字六文字に興奮して設えた町ということだ。
周囲を石造りの城壁に囲まれ、東西南北に門がある。
街道沿いには武器屋、宿屋、酒場、薬草店、魔導具店が並び、広場には冒険者ギルドの支部が建っていた。
ハルトこと昭島透、異世界の町へ初上陸。
ゲームなら操作可能になった直後、無意味に民家へ入り、タンスを調べて小銭を盗むところである。
現実でやれば普通に犯罪なのでやらない。
町の中央に近づくと、大きな白い建物が見えた。
石造りの尖塔。
正面には、五つの輪が重なった紋章が掲げられている。
「教会か?」
「五界聖環教会の聖堂よ」
リアンが答える。
その名前を聞いた瞬間、記憶の奥で何かがつながった。
「ああ」
思い出した。
五界聖環教会。
輪光の女神エルネシア。
回復や補助、能力強化といった法術は、基本的に女神の力を借りて発動する。
そんな設定だったはずだ。
攻撃や破壊を得意とする魔導術に対して、治癒や浄化、加護を担う法術。
その根幹にいるのがエルネシア。
完全には忘れていなかった。
よかった。
作者としての面目が、髪の毛1本分くらいは保たれた。
「女神様は、5つの世界を大いなる環で結び、均衡を保っているとされているわ」
「されている、ってことは、リアンは信じてない?」
「エルフにはエルフの信仰があるもの。否定はしないけど、人間の神様を私が熱心に信じる理由もないでしょう」
わりと現実的だった。
もっとこう、異世界の住人は神様の名前を聞くだけで胸の前に印を結び、平伏するものかと思っていた。
市場へ入ると、さらに異世界感が増した。
人間だけではない。
頭から獣耳を生やした男。
額に小さな角を持つ女性。
俺よりも頭ひとつ大きい、岩のような身体の大男。
フードをかぶった小柄な種族。
人混みのなかには、リアン以外のエルフらしき姿もあった。
多い。
多すぎる。
俺の設定では、五大世界は一触即発の緊張状態にあったはずだ。
互いの世界を行き来するのは、
行商人。
少数の冒険家。
密命を受けた使者。
その程度に限られていた。
それくらい、ギスギスしていたはずなのだ。
ところが目の前では、獣人の商人が人間の客へ値引き交渉をしている。
角のある女が、エルフらしき男と笑いながら果物を選んでいる。
戦争勃発寸前の緊張感なんて、どこにも見えない。
これだけ種族が入り乱れているなら、世界同士の対立も俺の設定とは違うのだろうか。
いまリアンへ聞くのは、少し躊躇する。
どう話しても、ややこしい説明になりそうだ。
とりあえずは様子見だな。
「いろんな種族がいるんだな」
「ローグナットは冒険者の町だから。ほかの場所よりは多いと思う」
「差別とかは?」
「ないとは言わないわ」
リアンは淡々と答えた。
「獣人を嫌う人間もいるし、魔族を見れば問答無用で敵だと思う人間もいる。エルフだって、人間を寿命の短い野蛮な種族だと見下す者はいるわ」
「リアンも?」
「私がそう見える?」
「特に俺に対しては」
「全裸の変態に人権はないからね」
脇腹をこづかれた。
痛くはないが、平然としているとリアンが膨れそうなのでちょっとたじろぐふりをする。
「冗談よ」
なんだか楽しそうである。
魔導具店の前では、色とりどりの石や札、金属製の小道具が並んでいた。
見覚え——というか、自分が設定として考案したものがある。
魔力を込めると光る石。
結界を張る護符。
火を起こす道具。
そして、棚の奥には小さな青い結晶が、ずらりと並んでいた。
「あんなにいっぱいあるじゃねえか!」
思わず大声が出た。
「何よ、急に!」
「転移石!」
あれがあれば。
あれがあれば、神殿からさっさと脱出できた。
あんな極限状況にもならなかった。
口づけの儀式も。
リアンが顔を近づけてきた、あの一連の流れも。
……いや。
待て。
転移石がなかったから、できたこともあるということか。
くそう。怒れなくなってしまうではないか。
欲望に忠実な俺。
準備不足のエルフっ子に対する憤りと、現在の自分の煩悩が、脳内で激しく殴り合っている。
値札を見る。
1個、10G。
Gはゴールドではない。そんな単純な貨幣に俺がするわけがない。これは10グライスと読む。
金貨10枚。
通貨に関する資料を必死に掘り起こす。
1グライスは、円換算でおよそ1万5千円。
つまり。
おひとつ……15万円也……。
「高いでしょう?」
「たっか! これじゃあ買えなくてもしょうがないか」
「でしょっ! ぜんぜん値下げしてくれないしっ!」
「いや、でも高難易度ダンジョンへ行くなら買えよ!」
「どっちなのよ!」
結論。
高い。
でも命よりは安い。
リアンには、次からもっと計画的に生きてほしい。
30歳独身フリーターに言われたくはないだろうが。
夕方になると、俺たちは宿屋へ戻った。
一階は酒場になっている。
太い梁の渡された広い店内。
壁には獣の角や古びた盾が飾られ、長い木のテーブルが何列も並んでいる。
冒険者らしい連中が酒を飲み、大声で笑っていた。
注文を済ませて待っていると、小さな女の子が盆を抱えてやってきた。
年齢は、10歳を少し超えたくらいだろうか。
栗色の髪はふわふわしていて、前髪が目元までかかっている。
小柄な身体に、少し大きめのつぎはぎなメイド服。
歩くたびに白いエプロンの裾が揺れる。
可愛い。
なんというか。
この宿屋のマスコットみたいだ。
女の子は緊張した顔で、俺たちの前へ皿を置いた。
厚切り肉の炙り焼き。
焼いた根菜。
黒っぽいパン。
そして、豆と香草の煮込み。
リアンが皿を見て首を傾げる。
「これ、豆の煮込みのやつ、頼んでないけど」
女の子の身体がびくりと震えた。
「あっ」
顔から血の気が引く。
「ま、間違えました……」
今にも泣きそうだ。
かわいい。
いや、困っている子供を見てかわいいと思うのは、人としてどうなんだ。
でもかわいいものはかわいい。
「じゃあ、これ俺がもらうよ」
「え?」
「ちょうど豆の煮込みが食べたかったところだ」
嘘である。
存在すら知らなかった。
「で、でも……」
「大丈夫だよ。いただきます」
女の子はぱっと顔を明るくした。
「ありがとうございます!」
頭を下げ、盆を抱えて小走りに去っていく。
リアンが呆れた顔で俺を見る。
「甘いんだから」
「困ってたし」
「報酬から差っ引いておくから」
「血も涙もない」
「誰かが払わないといけないでしょう」
正論だった。
食事はうまかった。
肉は表面が香ばしく、中は柔らかい。
煮込みには見たことのない豆と香草が入っている。
頼んでいなかったが、これが驚くほどうまい。
やるな、中学生時代の俺。
当時の最高級の食事がファミレスのステーキ止まりだったにしては、食べ物設定がなかなか充実している。
いや。
本当に俺の設定か?
中学時代の俺が、豆の煮込みに香草の奥行きまで考えていたとは思えない。
たぶん「異世界の豪華な肉料理」としか書いていなかったはずだ。
世界が勝手に補完したのだろうか。
あるいは、俺以外の誰かが――。
背後の席から、大きな声が聞こえた。
「本当だって! 俺は見たんだよ!」
酒に酔った冒険者が、仲間へ身振りを交えている。
「夜空を、箒に乗った女が飛んでたんだ。真っ黒な髪で、ものすげえ美人だった!」
向かいの男が鼻で笑う。
「お前ごときが見られる魔女なんざ、見間違いに決まってるだろ」
「なんだと!」
「そうやすやすと千年魔女を拝めたら、この世の均衡が狂っちまうよ」
千年魔女。
その言葉に、俺は手を止めた。
「リアン」
「何?」
「千年魔女って?」
リアンは豆の煮込みを口へ運びながら、平然と答えた。
「知らないの?」
「記憶喪失なので」
便利だ。
困ったときは、すべて記憶喪失で押し通せる。
「千年以上生きているといわれる、不死身の魔女よ」
「千年?」
「千年魔女とも、永劫の魔女とも呼ばれているわ」
知らない。
そんな設定はない。
少なくとも、俺の記憶にはない。
千年生きる不老不死の魔女。
しかも箒で空を飛ぶ絶世の美女。
冥府の竜帝。
五大世界。
神々。
女神。
邪神。
精霊。
竜種と人間の混血である暗黒魔導騎士。
そのうえ不死身の魔女まで追加するのは、さすがに摂取カロリーを超えすぎだ。
設定のメタボリック・シンドロームを引き起こす。
「その魔女に出会えた者は、願いをひとつ叶えてもらえるって噂もあるわ」
「魔法のランプみたいだな」
「何、それ?」
「こっちの話」
「もちろん、代償は必要よ。願いが大きければ、失うものも大きくなる」
「具体的には?」
「知らない。寿命とか、大切な記憶とか、愛する人とか。地域によって話が違うもの」
「誰も確かめてないのか?」
「そもそも存在するかどうかも怪しいのよ」
リアンは肩をすくめる。
「流星を見たら願い事をしなさい、っていう話と同じ。見つけたら運がいい。願えば叶うかもしれない。その程度のおまじないよ」
俺は背後の冒険者へ視線を向けた。
酔っ払いはまだ、
「いや、絶対に魔女だった!」
と力説している。
千年の魔女。
そんな設定、俺は作っていない。
だが。
少し考えてしまう。
不老不死。
絶世の美女。
千年以上を生き、代償と引き換えに願いを叶える謎の魔女。
昔の俺なら、どうしただろう。
……採用するな。
間違いなく採用する。
設定ノートに専用ページを作り、ボールペンで異名を10個くらい一気に書き足している姿が容易に浮かぶ。
ちょっと格好いいじゃん。
いや、かなり格好いい。
だからこそ、判断に困る。
俺が忘れているだけなのか。
俺の設定とは無関係に、この世界で生まれた存在なのか。
それとも。
この世界には、俺以外の何者かの設定が混ざっているのか。
考え込んでいると、リアンが立ち上がった。
「私はもう寝るわ」
「そういえば、部屋は?」
リアンの動きが止まった。
耳がぴくりと震える。
「宿の女将さんが、最初は同じ部屋でいいかって聞いてきたのよ」
「へえ」
「意識のない男を二部屋に分ける必要もないし、付き添いなら同室のほうが都合がいいでしょうって」
「合理的だな」
「だから断ったの!」
リアンの声が上ずる。
「なんで?」
「なんでって……」
リアンは一瞬、言葉に詰まった。
視線が泳ぐ。
祭壇。
近づいた顔。
触れたのかもしれない唇。
きっと、俺にはない記憶が、彼女の側には残っている。
リアンの表情だって結構うるさい方じゃない?
顔が一気に赤くなる。
「隣よ」
「隣?」
「あなたの隣の部屋!」
「そうなのか、それじゃあ――」
「い、い、い、一緒の部屋で寝られるわけないでしょう、この変態!」
「まだ最後まで言ってない」
「顔に書いてある!」
「俺の顔、そんなに文章量が多いの?」
おやすみって言おうとしただけなんだが……。
リアンは答えず、足早に階段を上がっていった。
長い金髪が、怒りと羞恥に合わせて大きく揺れている。
俺はその後ろ姿を見送り、残っていた肉を口へ運んだ。
うまい。
世界は謎だらけだ。
自分の記憶とは違う。
知らない人物がいる。
知っているはずの設定も、どこか形を変えている。
知らない魔女までいる。
だが、飯はうまい。
ひとまず今日は、それでいいことにした。




