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中二病の頃に作った設定厨ノートが連綿と息づく異世界だけど、見知らぬヒロインが多すぎる  作者: 永庵呂季
城塞都市ローグナット編

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第9話 記憶にございません

 柔らかい。


 背中に感じるものが、硬い岩でも冷たい床でもない。身体を包み込むような、ふかふかとした感触だった。


 俺はゆっくりと目を開けた。

 木目の浮かぶ天井が見える。


 知らない天井だ。


 いや、待て。

 今回は「また」をつけてもいいのではないか。


「また知らない天井だ……」


 言ってしまった。

 やってしまった。

 申し訳ありません。一度くらい言ってみたかったんです。


 俺が寝かされていたのは、清潔ではあるが質素な宿屋の一室だった。

 木製の机と椅子、小さな衣装箱。

 壁には飾り気のない燭台がある。

 窓から差し込む陽光を見るかぎり、いまは昼間らしい。

 身体を起こそうとすると、全身に鉛でも詰められたような重さを感じた。

 それでもなんとか上半身だけを持ち上げる。


「うっ……」

 頭の奥が鈍く痛む。

 途切れていた記憶が、少しずつ戻ってきた。

 邪神像。

 下降する天井。

 迫ってくる鉄の棘。

 俺の首へ回されたリアンの腕。

 風に揺れる金色の髪。

 近づいてきた、彼女の顔。


 そして——その先がない。

「……ない」

 思わず声が漏れた。


 記憶の映像が、いちばん重要な場面だけ綺麗に切れている。

 神殿はどうなった。

 ヴォルガサイトは手に入ったのか。

 リアンは無事なのか。


 それも大事だ。


 ものすごく大事だが、俺の人生を左右しかねない、もう一つの重大事項がある。


 口づけは成立したのか。

 俺が混乱していると、扉が開いた。


 水の入った器を抱えたリアンが、部屋へ入ってくる。

 ベッドの上で身体を起こしている俺を見た瞬間、その顔に安堵の表情が浮かんだ。


 だが、それは本当に一瞬だった。

 すぐに眉をつり上げ、怒った顔へ戻る。


「やっと起きたわね」

「ここは?」

「宿屋よ。見ればわかるでしょ」

 どうやら異世界にも、見ればわかる質問をすると怒られる文化はあるらしい。

「神殿は?」

「その前に、寝すぎなのよ。バカ」

「寝すぎ?」

「二日間、何をしても起きなかったんだから」

「二日?」


 俺の感覚では、ほんの一瞬だった。

 目を閉じ、開いた。ただそれだけだ。

 それなのに、現実では丸二日が経過している。


「そんなに? 寝過ぎじゃない?」

「ホント、心配したんだからね。何度呼んでも揺すっても起きないし、本当に死んだのかと思ったんだから」


 リアンは机へ器を置くと、俺の額へ手を当てた。

 ひんやりとした掌が心地いい。

 それに、心配してくれてたのがちょっと嬉しい。

 怒ってるくせに。なにこの可愛いツンデレエルフっ子。


「熱はなさそうね」

「あの、リアン」

「何?」

「か、顔が近い」

 リアンが弾かれたように手を離した。

「ぐ、ぐ、ぐ、具合を見ただけよ!」


 わかってる。

 俺ももう、ポイントカードを渡されただけで勘違いしていたころの俺じゃない。


「それで、ここはどこの宿屋なんだ?」

「城塞都市ローグナット。断絶の神殿ギル・ザハドから、いちばん近い町よ」


 その説明で、瞬時に設定資料集の自作ページの記憶が掘り返される。

 ローグナットは、小規模な城壁都市だ。

 神殿探索へ向かう冒険者たちの拠点であり、町の規模に比べて必要な施設は揃っている。冒険者用の宿、武器屋、魔導具店、教会、ギルド支部、さらには傭兵斡旋所まで。

 大きな都市というより、危険な神殿へ向かう者たちのために発展した宿場町だ。


「俺が意識を失ったあと、どうなった?」

 俺が尋ねると、リアンはベッドの脇にある椅子へ腰を下ろした。

「祭壇の仕掛けは解除されたわ。邪神像の左手が開いて、ヴォルガサイトが床に落ちたの」

「取れたのか?」

 リアンは腰の革袋から、小さな布包みを取り出した。

 布を開くと、黒銀色の欠片が現れる。わずかな光を受けただけで、内部に黒紫色の輝きが走った。

「落ちた衝撃で、表面から小さな欠片が割れたの。依頼に必要なのは1カラット程度だから、これで充分よ」

「残りは?」

「転移陣が起動した直後、邪神像の手へ戻った」


 どうやら、ヴォルガサイトを丸ごと持ち逃げすることはできないらしい。

 儀式を達成した者には、必要なぶんだけ与える。

 中学生の俺にしては、ずいぶん堅実な仕組みを考えたものだ。

 普段からその堅実さを発揮していれば、もう少し成績もよかっただろうに。


「床に転移魔法陣が現れたから、あなたをそこまで引きずって乗せたの。転移先は神殿の入口付近。そこから見える大通りに馬車に乗った行商人がいたから呼び止めて、ここまで運んでもらったってわけ」

「転移陣まで俺を引きずったのか? リアンが?」

「重かったわよ」

「ザインハルトの肉体に代わって謝罪します」


 イケメン魔導騎士が、意識を失ったまま床を引きずられていく。

 あまり想像したくない光景だった。せめて顔面を下にして運ばれていないことを祈ろう。


「町へ着いてから、医者にも診せたわ。魔力の枯渇も外傷もなくて、極端な疲労で眠っているだけだって」

「極端な疲労……」

「何か思い当たることはないの?」

「あるような、ないような」


 ザインハルトの力で大規模な魔導術や奥義クラスの剣技を何度も使った。

 身体に疲労は感じなかったが、まったく負担がなかったとは限らない。


「リアンは?」

「私は平気。触媒も補充したし、体力も回復したわ」

「そうか……よかった」

 リアンは少し驚いたように瞬きをした。

 本当に、よかった。

 俺が倒れているあいだに何かあったのではないかと、それがいちばん心配だった。

 リアンは俺から視線をそらした。

「な……何よ。自分は二日も寝てたくせに……人の心配なんてして」

「だからこそだろ。俺が眠っているあいだ、また襲われたりしたらそれこそ一巻の終わりだ」

「そうね。たしかに」とリアンも今更に安堵の吐息を吐く。「あんなに運よく行商人が通りかかったのも、ハルトの強運のおかげかもね」

「そんなことはない。俺を助けてくれたのはリアンだ。本当にありがとう」

「……別に」


 リアンは横を向いたまま答えた。

 耳の先が、わずかに赤くなっている。

 耳。

 赤い。

 そこで俺は気づいた。

 リアンの説明には、きわめて重要な部分が欠けている。


「ちょっと待て」

「何よ」

「リアン。君は肝心なところをごまかしているな」


 リアンの肩と赤い耳が、ぴくりと動いた。


「なっ……何のこと?」

「神殿から脱出した。ヴォルガサイトも手に入れた。めでたい。実にめでたい」

「そ、そうね」

「しかし、俺の人生を左右する一大イベントについて、君は一言も説明していない」


 リアンが椅子から立ち上がった。

 次の瞬間、レイピアの切っ先が俺の目の前へ突きつけられていた。


「何もなかったわよ? そうでしょう?」

「えっ? え? ……と、いうと?」

「あなたが気を失ったら、邪神像の手が勝手に開いたの。転移魔法陣も勝手に出た。はい、終わり」

「じゃあ、どうして俺はいま剣で脅されてるんだ?」

「脅してないわ」

「剣先が目の前にあるんだけど」

「これは会話よ」

「ずいぶん鋭利な会話だな」


 そして、なぜ君は耳の先まで真っ赤なのだろう。

 そう尋ねたら、本当に目を刺されそうなので黙っておく。

 リアンは不満そうに細剣を納めた。


「とにかく、神殿でのことは忘れなさい」

「忘れるも何も、覚えてないから聞いてるんだが」

 リアンの動きが止まった。

 今度は、明らかに動揺している。

「……覚えてないの?」

「だから聞いてる。覚えているのは、リアンの髪のいい匂いと——」

「う、うるさい! うるさい! そんなことは説明しなくていいっ!」


 やはり何かあったのだ。

 問題は、シたのか、シていないのかだ。

 シたのであれば、細部まで丁寧に説明してほしい。

 時間をかけて。

 可能であれば、再現も含めて。


「知らない! もう知らない!」

 リアンが爆発した。

「私だって! ……私のっ! その……!」

「その?」

「バカハルト!」

「はい?」

「ハルトバカ!」

「悪口の語順を変えただけ……」

「このハルト!」


 ついに俺の名前そのものが悪口になった。

 顔を真っ赤にして怒っている。

 ここまでの反応から考えるに、口づけは成立したと思っていいのではないだろうか。


 覚えてないけど。


 俺は内心で歓喜した。

 30歳にして、ようやくのファーストキス。


 邪神の指図だから嫌だ。

 雰囲気がない。

 そんなふうに格好をつけていたが、本音では嫌なはずがない。

 むしろ土下座してでも完遂したいイベントだった。


 中学生時代の俺へ謝罪しよう。

 キスイベントを用意した過去の俺は正しかった。

 おまえは間違っていなかった。


 問題は、現在の俺が覚えていないことだけだ。

 こんなにかわいいエルフっ子と口づけをしたかもしれないのに、肝心の感触も温度も記憶にない。


 せめて事実だけでも認めてほしい。


 恋愛感情がなかったとしても、「女性とキスをした」という実績くらい、人生初のトロフィーとして認証してほしい。


「だってさ、あれほど完璧に作られた仕掛けが、俺が気絶しただけで解除されるとは思えない」

「解除されたのよ」

「どうやって?」

「あなたが気絶したら、全部止まって、万事うまく解決したの」

「雑だな。急に設定が雑になった」

「現実なんて、そんなものよ。ていうか設定ってなんなのよ!」

「うろ覚えなんだが、あの流れだとたぶんリアンのほうから——」


 リアンが何かを短く唱えた。

 淡い緑色の光が俺の喉を包む。

「——」

 続きを話そうとしたが、声が出なかった。

 口は動く。

 舌も動く。

 喉に痛みもない。

 だが、何を言っても無音だった。


「沈黙の精霊術よ」

 リアンは腰へ手を当て、勝ち誇ったように俺を見る。

「神殿では情けないところしか見せなかったけど、私だってアールム級の冒険者なの」


 すごい。

 相手の発言を物理的に封じるとは、口論における最終兵器である。

「これ以上からかうなら、服だけ切り刻んで、全裸のまま往来へ吹き飛ばすわよ」


 どれだけ俺の全裸を見たいんだ。

 そう突っ込んだが、声は出なかった。

 俺は両手を上げ、降参の意思を示す。


「本当に、もう聞かない?」

 何度もうなずく。

「余計なことも言わない?」

 うなずく。

「変な顔もしない?」

 それは生まれつきなので保証できない。

 俺が困っていると、リアンは小さく息を吐き、術を解いた。

「あー、あー。聞こえる」

「最初に言うことは?」

「もう聞かない。約束する」

「よろしい」


 リアンは満足そうに椅子へ座り直した。

 俺も追及をやめることにした。

 口づけの真相は気になる。

 ものすごく気になる。


 しかし、俺たちは生きて神殿から戻ってきた。

 目的だったヴォルガサイトも手に入った。

 いまは、それを素直に喜ぶべきだろう。


「でも、本当に無事でよかった」

「……そうね」

 リアンは膝の上で指を組み、しばらくもじもじしていた。

「まだ何か文句が?」

「文句じゃないけど」

 リアンは俺の顔をうかがう。

「本当に、記憶にないのね?」

「ああ。まったく覚えてない」

「あなたの記憶、戻ったり消えたりするから信用できないのよ」

「それは否定できないな」


 記憶が戻ったおかげで助かったこともある。

 思い出すのが遅れたせいで、危険になったこともある。

 俺自身、自分の頭の中に何が残っているのか把握できていない。


「じゃあ、そういうことにしておく」

 リアンは、それだけ答えた。

 結局、口づけの有無は教えてもらえなかった。

 俺にとってはノーカウント同然である。


 あと10秒。

 あと10秒だけ意識を保てなかったのか、俺。


「ところで、お腹は空いてない?」

「腹?」

 言われた途端、胃が盛大な音を立てた。

 二日間、何も食べていない。

 空腹を自覚した瞬間、胃袋が全力で存在を主張し始めた。

「ものすごく空いてる」

「まったく」と少し微笑みながらリアンが言う。「パンでも買ってきてあげる」

「助かる」

「お金はあとで返してよ」

「感動を返してくれ」

 リアンは、少しだけ笑った。

「そこで大人しく待ってなさい」

 そう言い残し、部屋を出ていく。


 一人になると、急に静かになった。


 俺はベッドへ背中を預け、天井を見上げた。


 なぜ、俺は意識を失ったのか。

 ザインハルト・フォン・ノワールは、俺が中学生時代に考えた物語の中でも最強クラスの人物だ。

 断絶の神殿では、大規模な魔導術と剣技を使った。それでも、身体が消耗している感覚はなかった。

 魔力が切れたわけでもない。

 傷を負ったわけでもない。

 考えられる可能性は2つある。


 ひとつ目。

 興奮状態で疲労を感じていなかっただけで、実際には身体へ大きな負担がかかっていた。


 そしてふたつ目。

 器であるザインハルトの肉体がどれほど強くても、その中に入っている昭島透の精神が、力に耐えられなかった。


 俺はふたつ目の可能性を重く見ていた。

 身体と精神の能力差。

 ザインハルトの肉体は、膨大な情報を一瞬で処理し、人間には扱えない魔力を制御できる。


 だが、それを動かしている俺は、数日前まで家電量販店で働いていた30歳のフリーターだ。


 最高性能のゲーミングPCへ、古い家庭用パソコンのCPUを接続したようなものである。

 機体は理論上、辛うじて動く。

 だが、処理する側が耐えられない。

 ザインハルトの力を引き出しすぎれば、昭島透の意識が情報量に耐えられず、強制的に停止する。


 今回、リアンがいたから助かった。


 もし一人だったら、祭壇の中で意識を失い、そのまま天井に潰されていた。


 力があるからといって、無敵ではない。


 これからは、自分がどこまでザインハルトの能力を使えるのか確かめる必要がある。


 俺はベッドから降り、窓辺へ歩いた。

 空腹だし、すこし頭がくらくらするが、身体的に問題はなさそうだ。


 窓を開けると、乾いた風とともに、町の喧騒が流れ込んでくる。

 石畳の街路。煉瓦と木材で組み上げられた家屋。

 荷車を引く商人。

 剣や槍を背負って歩く冒険者たち。

 軒先には、見たことのない果物や魔導具らしき品が並んでいる。

 その向こうには、町を取り囲む高い城壁が見えた。


 ようやく、本当の意味で異世界へ来たのだと実感する。

 神殿からは脱出した。

 だが、俺の物語は、ここからが始まりだ。

 たぶん。


 少し、整理する必要がある。この世界と俺が中学生時代に作った世界との違いを。


     ◇


 宿屋を出たリアンは、大通りへ向かう途中で足を止めた。

 周囲に誰もいないことを確かめる。

 それから、自分の唇へそっと指を当てた。


「覚えてないなんて、最低」

 小さくつぶやく。


 邪神像の前で、ハルトはすでに意識を失いかけていた。

 それでも、儀式を完成させなければふたりとも死ぬ。

 だから、リアンはハルトの首へ腕を回し、唇を重ねた。


 触れたのは、ほんの一瞬だった。


 それでも、リアンにとっても初めての口づけだった。


 ハルトが覚えていないことに、ほっとしている自分がいる。

 同時に、ほんの少しだけ落胆している自分もいた。

 思い出した途端、頬が緩む。

 リアンは慌てて両手で自分の頭を軽く叩いた。


「ばか、ばか。何をニヤけてるのよ」


 初対面で全裸だった変態だ。

 知らないことばかり言う、おかしな男だ。

 それなのに、グリーン・エイプから助けてくれた。

 自分の精霊魔法の力を信じて石造兵を倒してくれた。


 最初の相手がリアンなら、うれしい。

 ハルトは、そう言った。


「私が最初で、うれしいって……」

 声に出した瞬間、また顔が熱くなった。


 リアンは両手で頬を押さえ、しばらくその場に立ち尽くした。

 やがて我に返る。


「パン。パンを買いに来たのよ」

 誰に言い訳するでもなくつぶやき、早足で大通りへ向かう。


 その足取りが少しだけ弾んでいることに、リアン自身は気づいていなかった。


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