巨きな祝福がもたらすもの
頬を赤く染めた彼女は心の火照りを冷ますためすぅと息を吸って、 ふぅと吐いて、 気を取り直した。
「わたし、 変じゃなかった?」
上目遣いに見上げてくる不安げな瞳に、 冬一郎はうなずいてみせた。
「すごかった本当にすごかったよ英莉。 誰も変なんて思わなかったさ。 むしろかわいいってみんな滝のように褒めちぎってたよ。 お前にも見せてやりたかったなあ」
「見せんでいい」
「それにさ、 恒例企画なんだから。 いつ配信されたっておかしくはないだろ」
「けど昨日の今日だよ? こういうのは心の準備が必要なのに……後で文句言わなきゃ」
「そんなもんかね。 んで、 どう飛んでるのさ」
「なーんかタダで教えたくなくなったなー。 見返りに今夜は外食でどう?」
「お安い御用だ」
「やったぜ♪」
すっかり機嫌がよくなった百春は、 手のひらにホログラムを映し出した。
その姿は体長が一センチも満たない、 とても小さな生き物を模している。
「これは……蜘蛛か」
「そう。 この子は空を飛ぶクモなんだよ」
ちょこまかと歩き回っていた蜘蛛は、 指先に止まるとお尻を持ち上げて糸を出した。 すると空へ引っ張られるように飛び上がって、 霧の中に消えていった。
「バルーニングってやつだな。 けど風だけであんな自在に飛べないだろ」
「ふっふーん。 揚力の源は風じゃなくってね――」
百春の話が止まった。 冬一郎は彼女の姿を注視する。
全身が透明な煙にでも包まれたように淡くゆらぎはじめた。
現実とのピントがずれる前兆現象だ。
煙は次第に火となって光源にするものを要求してくる。
彼女は迷いなくこの身を捧げると、 白いワンピースがほのかに光りだした。
しなやかなボディラインが霞んで見える。
授かる異能力は霧の祝福。
彼女の体内に燃えるような生体電気が満たされていく。
もはや一般人が生成できる電気量を優に超えている。
人が翼で空を飛ぶには翼幅十メートル以上は必要という説がある。
では自分自身をバルーニングで飛ばすにはどれだけの電気量が必要なのか。
それはわからない。
世間に認知されていないのだからどうせろくでもない答えなのだろう。
たとえば身体が浮くまで生体電気を生み出し続ける今の彼女のように。
舞い落ちていた桜の花びらが、 吹き上がるように空へ運ばれた。
充分な電気量を得たのだろう。
かかとはすでに地面から離れてつま先立ちのようになっている。
浮力を得た百春は今にも飛び立ちそうに見えた。
しかし冬一郎の感性は一向に躍らない。
一度目撃しているからだと思ったが、 もっと心の底の部分がざわついている。
その正体に気づいたのは無意識に百春の手を握った時だった。
「あっ」
二人の声が重なって冬一郎はやってしまったと悔やむ。
生体電気には表情がある。
楽しければ湧き上がるように弾けるし、 怒れば奔流のように荒れ狂う。
そして落ち込んでいれば鈍重そうに引きずる。
触れた者同士は生体電気を交錯して、 簡単に心の機微を捉えることができてしまう。
百春の不安げな声に怯えるような瞳。
きっと今の自分は酷い顔をしているだろうと自省した。
これまで互いに話題を避けてきたがもう隠し事はできない。
冬一郎は腹をくくって切り出した。
「髪、 切ったんだな」
「……うん」
話を振られた百春は取り乱したりしなかったが、 返事をする声は弱々しかった。
二人が別れたときは腰まであった彼女の長髪も、 今はポニーテールの毛先がうなじの高さしかない。
髪をほどいたらもっと明確に差異が見られただろう。
ポニーテールは彼女なりのささやかな抵抗だったのかもしれないと、 冬一郎はそう思った。
「正直、 見違えたよ」
「飛ぶとき邪魔にならないかって言われて……冬一郎さんはロングが好みだった?」
「英莉が毎日手入れしてるのを見てたからさ。 もったいないなあって」
「そうなんだ……よし! わたし頑張ってすぐ伸ばすからそれまで待ってて」
冬一郎は笑ってやることができなかった。
百春の生い立ちを知っているからこそ、 茶化すことなどできなかった。
ああ、 そうだったなと思い出し、 その日を懐かしむように語りかけた。
「その髪さ、 昔に戻ったみたいだな。 俺たちが知り合ったあの頃にさ」
「うん、 懐かしい」
「二人でここいらも歩き回ったよな」
「うん」
「あれから九年か」
「うん」
月日が経つのは早い。
九年といわずとも、 二年くらいで元の髪になるだろう。
それならばと冬一郎は妙案を思いついた。
「伸ばすっていうなら、 今のうちにレアな英莉をたくさん目に焼き付けるとしよう」
「ええっ! うう……なんか恥ずかしくなってきた」
「スカレポも画面保存しとくか。 アグレッシブな場面は永久保存で」
「やめてぇ~心の準備ぃ~」
「似合ってるよ英莉」
「もう!」
百春は子供のように頬を膨らませたが、 すぐにほころばせて肩を寄せた。




