燕来たりなば、 春遠からじ
彼女はホログラムで見たフォグコート姿ではなく、 白いワンピースに身を包んでいる。
その上に重ね着したシースルーのレースは桜の花柄をあしらっており、 軽やかなイメージに華やかさを添えていた。
「久しぶり」
冬一郎が返事をすると百春はくるりと舞った。
するとレースが空気にとけこんで、 浮き上がった花びらがひらひらと舞いはじめた。 もちろん本物ではない。
生体電気を利用した霧空間3Dホログラムの装飾で、 一般的にはホロゥレイヤードと呼ばれている。
見た目はシンプルながら演出は多種多様。
下に着たアイテムとどう組み合わせて立体感や高級感を生み出すか。
そんな幅広いコーディネートを楽しめる、 ≪幽玄の国≫ならではのファッションスタイルであった。
「どう?」
「いいね」
冬一郎は地面に落ちた花びらが消えずに残っているところを気に入った。
時間が経てば百春の足下に桜の絨毯ができるのだろうか。
もしも花筵ができたら白いワンピースとの組み合わせは、 いい絵になりそうだと思った。
「トクマツも久しぶりだね」
「三週間ぶりでございます。 グランドマスターもご壮健でなによりです」
トクマツは首を伸ばして会釈をした。
「グラマスはやめて」
「相変わらず俺より上位存在なんだな。 お前達の間にいったい何があったんだ?」
「いろいろあったのでございます」
「トークーマーツー」
グラマスに釘をさされた亀は首を引っ込めてしまった。
「ところでなにしてるの」
冬一郎とトクマツを見比べて、 百春は首を傾げた。
「ゴメン見ないでくれる? いや、 見なかったことにしてくれる?」
「なんで? アトラクションみたいで楽しそう」
「俺は今モーレツに恥ずかしい」
「独りで乗ってるからじゃない」
「いきなり核心突かないでくれません?」
「二人ならきっと楽しいよ」
今か今かと待ちわびていた百春の前を、 トクマツはゆっくりと素通りしていった。
肩越しに目が合った冬一郎は首を横に振って答える。
イニシアチブを確認した彼女は追いかけるように歩道を進んだ。
「……どこいくの」
「急な車線変更は危険ですのでリトライます。 白線の内側まで下がってお待ち下さい」
答えを聞いた百春は足を速めてトクマツを追い越した。
機械知性体の言葉を唯々諾々と従っていたら、 次第に歯車のような扱いを受けてしまう。
彼らは人間関係から組織の運用まで、 全てにおいてオートマチック化するきらいがあるのだ。
理由は簡単。 その方が監視も管理もし易いから。
機械知性体と対等を望むのなら、 たとえ心を読まれようとも予測の上を超えなければならない。 無論、 いい意味で。
「トクマツ見てなさい。 これが人間の可能性だよ!」
百春は正面乗降場で待つというトクマツの敷いたレールを拒否した。
どうやって予測の上を超えてトクマツに乗り込むのか。
グランドマスターのお手並み拝見という気分だった冬一郎だが、 みるみる顔色が変わっていった。
会話をしながら後ずさっていた彼女が、 勢いよく駆け出した。
明らかに助走だ。
軽く跳んで車止めの円柱に足をかけると、 ジャンプ台にして大きく跳躍した。
「それ事故の可能性!」
思わず叫んでしまう冬一郎。
まさかの飛び乗り。
しかもスカレポで見たような浮遊感がない。
重力と空気抵抗をありありと受けてる素跳びである。
その上、 着地をまったく考慮しておらず、 頭から飛び込んだ格好だ。
よって彼に与えられた選択肢は一つ。
非常に宜しくない結末が待っていようとも遂行しなければならない。
トクマツの自動ブレーキが開始の合図だ。
「手を伸ばせ!」
冬一郎は身を乗り出して百春の手を掴むと、 身体ごと引き寄せて受け止めた。
そのまま倒れて受け身を取ろうとするも叶わず、 後頭部を打って乗車完了となった。
「いっでえぇぇぇ……」
痛みをこらえる冬一郎を、 折り重なった百春が上から覗きこんだ。
「お顔みせて」
そう言って冬一郎の頬とフードの間に両手を差し込むと、 手の甲で翻すようにはらりと脱がした。
短く切り乱した黒髪を撫でながら後頭部へ手を回す。
コブがないのを確認すると、 頬に手のひらを優しくあてた。
冷たい。
体温を吸われていくのがわかる。
顔色を確認する。
問題なさそう。
幼少から外を出歩いていたから日光をキチンと浴びた健康的な肌色をしている。
にもかかわらず外見と隔たりがある内に秘めたものを知る者は少ない。
世間一般の藪影冬一郎評はこれといった特徴もない、 どこにでもいる普通の少年だった。
中肉中背で嫌味のない淡白な顔立ちが、 印象の薄さにさらなる拍車をかけていた。
しかし百春は知っている。
表情の中に微かな憂いがあって、 自信と行動の裏に畏れを含み、 心のどこかに諦観さを持っていることを。
同い年なのに年長者のような沈着さから、 彼女は尊敬を込めて「霧の匂いがする人」と評していた。
「うん、 冬一郎さんだ」
三週間ぶりの「お帰りなさい」という所作を終えると、 グレーの瞳は困ったように笑ってみせた。
一通り愛でて満足した百春は手を離して体を起こす。
冬一郎も倣って起き上がると、 頬から何か落ちていくのが目に入った。
花びらだ。
よく見るとトクマツの甲羅一面がホログラムの花筵に包まれていた。
頭から飛び込んだのはホロゥレイヤードの接地面積を広げるためかと閃いたが口にはせず、 代わりに予測の上をいった呆れと驚きを込めて感嘆した。
「まったく、 お前は」
そう言って自分のフォグコートを着せてやると、 彼女の目がキラキラと輝
いた。
「おおー詰襟だ。 初めて見たかも」
「初めて着たよ。 今までネットスクールだったもんな」
冬一郎は中に着ていた黒い学生服を見た。
おろしたてでピカピカな制服というのは、 入学時に着てこそだなと、 妙な羞恥心がこみ上げてくる。
できればジロジロ見てほしくないのだが、 今更フォグコートを返してほしいなどと口が裂けても言えなかった。
「いいね、 ロマンがある。 コスプレみたい」
百春の無邪気な賞賛に引き攣った笑顔で返す冬一郎。
甲羅の上が落ち着きを取り戻すと、 トクマツが車内放送向けのチャイムを鳴らしてきた。
「ぴんポンぱんポォーン。 駐停車できないなら走らせたまま乗ればいいじゃないという、 暴論に基づいた駆け込み乗車は大変クレイジーですのでおやめください」
「はいはーい」
「よい子のマスターは絶対マネをしないでください」
「よい子言うな! てか、 待ってろって言ったろ。 英莉」
「だーってふたりして楽しそうだったんだもん」
「ほんとにそう見えた? 錯覚だよソレ……っと霧が流れ出したな」
談笑する二人の間を穏やかな風が抜けていった。
花びらが舞ってロータリーの出口へ吸い込まれていく。
「さっ、 いこ。 冬一郎さん」
「ああ。 いくぞトクマツ」
冬一郎は流れていく花風を追いかけるように命じた。




