少女の道のり~それぞれの想いと願い~
一陣の風が吹いた。 波が引くように海霧が去っていく。
二人が居たのは日枝塚墓苑の一区画だった。
ここからなら御神木の“咲かずの桜”がよく見える。
もしも春という季節が現世に残っていたら、 桜の花が綻ぶところを鑑賞できたかもしれない。 そして満開を迎えればきっとあの光景が観られたはず。
あの美しかった桜吹雪が――。
「こちらこそ貴重なお話を、 ありがとうございました」
心からそう思って、 冬一郎は深々と頭を下げた。
「うむ、 情報開示はこれで全てなんだが……お前さんに一つ訊いてもいいかな」
「なんでしょう」
「今の話に心当たりはあるか?」
「九年前に教えてほしかったですね」
「ハハッ、 そりゃすまなんだ」
紀伊馬が愉しげに謝すと、 冬一郎はおどけるように肩をすくめた。
しかし肝心の想い人は行先がわからないままで、 緩みかけた空気も再び冷たくなる。 当てもない沈黙が舞い降りる中、 冬一郎はじっと考えていた。
彼女はここカマタへ二週間前に到着している。
その間は自分の思慮が及ばない空白期間と等しい。
やはり二人で歩いた記憶に頼るしかない。
楽しかった思い出の中から、 あえて選ぶとするなら――。
「空が……高いな」
微かな呟き声が紀伊馬の耳に入った。
「どうした冬一郎」
「咲かずの桜を見て気がついたんです。 枝と枝の隙間から覗く霧が薄いんですよ。 手前に見える物体を視点にして奥行きを見定める、 それが霧の厚みを測る方法じゃないですか。 枝の茶色に対して霧の白色がいつもより薄い。 これは霧の天頂がかなり下がってきていますよ。 そうか海霧が被さってたから気づかなかったんだ。 なんだよ今日は絶好の日和じゃないか!」
「目星はついたのだな?」
「ええ間違いなく」
「ならば即刻迎えに行くべしと告げたいが、 一つだけ誤解を解いておきたい」
「誤解?」
紀伊馬が指差した先に、 トクマツが追いついて来ていた。
「儂と弓波はな、 この機械知性に命じたのだ。 必ず主人を護れとな。 こやつは忠実に命を全うしたに過ぎない。 いやむしろそれ以上のことをやっておった。 戦闘記録を観たが機械知性よ、 お前さん≪機械人≫を報いるために策を講じてたな?」
「いいえ、 マスターの身の安全を第一に、 亀の裁量で最善な手段を行使したまでです」
「まあそれでもいい。 結果的に≪機械人≫は満たされて己の非を認め、 弟子達の過ちもいくばくか救われた。 儂は機械知性に個人的な恩義がある。 そして≪機械人≫を追い詰めた加担者である。 罪は儂等にもあって贖罪を果たさなければならん。 冬一郎よ、 貧乏くじを引かせたこやつだけを、 悪く思わないでやってくれんか。 どうか頼む」
弓波から続いて紀伊馬にも頭を下げられてしまい、 冬一郎は狼狽するしかなかった。 肝心のトクマツはこちらを向いて眼を明滅させている。
もはや思案する猶予は無い。
「……さっきはごめんな」
「これも亀の務めなれば」
心を読まれる前に言い出すにはこれが精一杯だったが、 いつもの調子で定型文を返してくれたので逆に有り難かった。 顔を上げた紀伊馬がふっと安堵の目を注ぐ。
「長々と引き止めてすまなかった。 さあ迎えに行ってこい冬一郎」
「グランドマスターもきっと首を長くしてお待ちになっていますよ」
「グラマスって言うな」
白い歯をにっと見せた冬一郎は「行ってきます」と残して、 墓苑の外へ駆け去っていく。
もう大丈夫だと思わせる、 この上なく力強い足取りだった。
「お前さんにも訊きたいことがあったんだが」
主人を追いかけようとするトクマツに、 紀伊馬は声をかけた。
「いいでしょう。 答えられる範囲でお答えします」
「さっきの問答な、 どうして冬一郎は死を選ばないと言い切れたのだ?」
「お答えできません……が、 特別にいいでしょう。 マスターと主従の契りを結んだ後、 とある少女に紹介されました。 そこでマスターはこう言ったのです。 今度の徳松は絶対に死なないトクマツだ。 なにせ万年生きるって聞いたからな。 だからもう悲しまなくていいんだよ。 そんなに泣いてたら徳松だって安心して眠れないさ。 な? そうだろ、 と」
「……お前さんの解は正しい。 これからも冬一郎をよくしてやってくれ」
「心得ております」
反転を終えたトクマツは首を伸ばして会釈すると、 いつもの足取りで去っていった。 一人残った紀伊馬も日常へ戻るべく参道に沿って歩き出す。
まずは日課の庭掃除をしようと竹箒を持って御神木の前に立った。 所用で遅れたことを詫びてから老木の健康状態を丹念に診ていく。
地表の根から幹、 樹皮に枝先と観察した紀伊馬の目が止まった。
「春だ」
早咲きの桜一輪が、 風に優しく揺れていた。




